No | 120788 | |
著者(漢字) | ||
著者(英字) | KESSAKUL,RUTAIVAN | |
著者(カナ) | ケッサクン,ルタイワン | |
標題(和) | タイ語の移動表現の意味構造をめぐって | |
標題(洋) | The Semantic Structure of Motion Expressions in Thai | |
報告番号 | 120788 | |
報告番号 | 甲20788 | |
学位授与日 | 2005.10.27 | |
学位種別 | 課程博士 | |
学位種類 | 博士(学術) | |
学位記番号 | 博総合第597号 | |
研究科 | 総合文化研究科 | |
専攻 | 言語情報科学専攻 | |
論文審査委員 | ||
内容要旨 | 本研究はタイ語における物理的な移動の認識が言語化するパタンを明らかにし、選好されるパタンがどのように使用されるかについて論じることを目的とする。本稿ではTalmy(1985, 1991, 2000)の事象統合の類型論をモデルにして研究を進めるが、タイ語のデータに基づいて、先行研究であるTalmy(1985, 1991, 2000)とは異なる新しい提案を行なう。本研究ではタイ語の経路述語が動詞でもあると同時に助辞でもあるという二面性の機能を果たす(versatile)ということが重要な主張である。しかしタイ語の経路述語の多用性(versatility)は任意ではなく寧ろ談話の要因も含む包括的なイベントタイプによって条件づけられている。本研究は以下の構成に従って成り立っている。 第1章では移動動詞の先行研究を簡潔に検討している。まず、移動事象に関する類型論的な研究に触れる。Talmyの「動詞枠付け型言語(verb-framed language)」対「助辞枠付け型言語(satellite-framed language)」の類型論を典型的な例文で紹介し、またこの論題を中心とした最近の研究も紹介する。次に英語・日本語・そしてタイ語を取り上げて移動動詞の分類のアプローチを調べる。最後に、タイ語の移動に関する動詞連鎖の統語構造を再考察する。本論では自発移動(spontaneous motion)の場合、動詞連鎖の統語構造は平らで反復的な動詞句 (flat iterative VP)であるのに対し、使役移動(caused motion)では先行事象が後行事象を導く(E1 CAUSE E2)階層的構造であることを提案した。 第2章ではタイ語の移動動詞の体系的な調査が提供される。取り上げる主要なカテゴリーは様態動詞・方向動詞・経路動詞・ダイクティック動詞・そして使役的な移動動詞である。また動詞性をテストする基準及び動詞連鎖の可能性も考察する。ここで挙げる「様態・方向・経路・ダイクティック」という四つのカテゴリーは動詞連鎖の基準スキーマ(Basic SVC Schema)と呼ぶ(図1を参照)。そしてこの動詞連鎖の基準スキーマの拡張として二つのパタンが観察できる(図2を参照)。つまり、拡大(magnification)になるか再帰(recursion)になるかという拡張形式に分かれる。 第3章では各移動事象におけるタイ語の経路動詞が二面性をもった機能を果たすという重要な特徴について具体的に論じる。即ち経路動詞は名称通り動詞でもありながら、状態変化の意味を寄与する文法語でもある。また、Co-event 様態・原因を考慮に入れると二タイプの自発移動と使役移動についての結合化するパタンの違いが見られ、イベント統合様式の分化が明らかになった。つまり、自発移動の場合、移動体が自らの意思で移動するイベントタイプではCo-event 様態を省略することが可能であるのに対し、移動体の意思性が伴わない自発移動と使役移動の場合Co-event 様態・原因を省略することが不可能であることが分かる。また、各イベントタイプの構文拡張も記述した。(図4を参照) 第4章ではタイ語の談話レベルにおいて移動事象の選好される言語化パタンを論じる。談話内における移動事象の選好される言語化パタンは談話タイプによって条件づけされると見られる。また通言語的な考察も行われる。ここでは談話のデータを中心に各イベントタイプのパタンをめぐって分析した。結果として第3章で作例を中心に分析した結果との違いが見られた。つまり、作例の場合はイベント統合様式が明確に分化するのに対し、談話データを分析する場合、分化する傾向は見られつつも、自発移動と使役移動両方とも動詞連続の特徴である「Co-event 様態・原因+経路+ダイクティック」という組み合わせからなるSVCが重要な役割を担っているということである。 第5章では類型論的な観点から見ると、助辞枠付けタイプの英語は、談話内においてはVP-compactingスタイルで移動事象を表現している。それに対して動詞枠付けタイプの日本語の場合は、VP-chainingスタイルで主に幾つかの動詞がテ形で繋がって表現されている。そして、タイ語の場合は日本語と同様にたくさん動詞が並んで出てくるケースが多いが、日本語とは異なってタイ語では動詞連鎖内でどれが主要部なのか簡単に決められないため、表現形式のスタイルが異なってくる。つまり、タイ語の場合VP-stackingスタイルで移動事象を表現するわけである。(表1を参照) 本論文ではタイ語を中心にして論じると同時に、必要に応じて英語と日本語をも比較しつつ記述している。しかし、この両言語に関する移動事象の具体的な分析は本論文の範囲を超えて扱われていないことを述べておく。 図 1 動詞連鎖の基準スキーマ(Basic SVC Schema) 図 2 動詞連鎖の拡張した基準スキーマ(Expansion of the Basic SVC Schema) 表1 談話内の英・日・タイ語の移動表現に関する特徴 | |
審査要旨 | ルタイワン・ケッサクン氏の博士論文The Semantic structure of Motion Expressions in Thai(タイ語の移動表現の意味構造をめぐって)はタイ語における移動表現、とりわけ動詞連続によって表される事象に注目し、日本語および英語との対照研究を行ったものである。これまで提案されてきた、Talmyによるverb-framed対satellite-framedという類型化に対し、タイ語のデータからより精緻な類型を提案し、かつ談話レベルでの表現様式についてもこの類型を拡張した功績は大である。論文は全6章から構成されている。 第1章では、移動動詞の先行研究をサーヴェイし、Talmyの理論的枠組みを紹介し、その後タイ語の動詞連続の構造、および各スロットの動詞がもつ意味タイプについて一般的なスキーマを提示している。第2章では、タイ語の移動動詞について様態、経路、方向、ダイクシスという枠組みにしたがって分類を行っている。日英語において対比しうる表現もあげ、各言語の語彙構造における分布の相違にも言及している。また、動詞連続の基本スキーマからの拡張を、一部要素の細密化としてのmagnificationとスキーマの部分的な繰り返しとしてのrecursionに分けて分析している。第3章では、タイ語では移動事象のタイプごとに、verb-framedとsatellite-framed的な表現方法に分岐するという特徴が示される。移動が自然発生的であるか、能動的であるか、他動的・使役的であるかによって、事象の中核スキーマである経路をサポートする事象成分の表現が義務的かどうかが分かれる。第4章では、移動事象の言語ごとの表現の違いを、小説の翻訳(パラレルコーパス)を使って分析している。前章で作例を通して見た言語ごと、事象ごとの表現方法の選好は、談話データにおいても見られることが確認された。第5章では、本論文で明らかになったタイ語、日本語、英語の諸特徴を要約している。 本論文は、以下の諸点において、タイ語の移動表現の意味構造の理解、および移動事象の言語化の類型論的研究に貢献していると判断される。 記述的成果。これまで英語や日本語などの良く知られた言語については、移動表現についての包括的な記述・分類が見られた。しかし、タイ語についてはそのような成果はほとんど見られず、本論文、とりわけ第2-3章における、認知意味論の枠組みにそった記述的成果は、今後のこの方面研究の新たな出発点となると思われる。審査においては、タイ語の移動表現に対応するものとして挙げられた日本語や英語の表現について、対応の適切性について疑義が呈されることもあったが、第2章で挙げたタイ語の移動表現の分類そのものは一貫した基準にもとづいた合理的なものであり、この点において論文本来の趣意は果たされているものと判断する。また、タイ語は語彙構造のみを大づかみに見ればsatellite-framedタイプと見なしうるが、同じタイプに属するとされる英語との比較において、擬態語の語彙構造における位置づけなど、興味深い相違を明らかにしたという点も評価してよい。 理論的成果 (a)。従来のTalmyの類型化において、タイ語や中国語などの動詞連続をもった言語は、多くの面で問題となってきた。一つには、これらの言語の移動表現では確かに様態+経路という組み合わせが広く見られるのだが、その場合「経路」にあたる語が元来の意味でのsatelliteにあたるかどうかという点が問題となる。孤立型言語においては、屈折がないため形態論的な判定基準がうまくはたらかない。また、経路を表す語は単独で述語として使用されることもある。こうした実態をふまえ、厳密なverb-framedでもsatellite-framedでもない、第3のタイプとしてequipollentタイプを唱える研究も近年は見られる。本論文はこれに対しタイ語のデータを元に、経路にあたる表現が動詞であるか否かということは、語単独で答えるべき問題ではなく、動詞連続のスキーマにおける位置によって判定すべきであるという立場を打ち出し、論証している。その理論的前提として、先行研究において提案された動詞連続の構造を批判的に検討し、より一般的な構造を設定したという点は高く評価される。このような理論的操作に基づき、スキーマ内の位置によってverb-framedとsatellite-framedの双方の属性をもちうる言語としてタイ語を特徴づけたことは重要な貢献である。 理論的成果 (b)。第3のタイプとしてのタイ語は、意味構造によって従来提案されてきた2つの基本形のどちらかに近づく。この点は先行研究においては見られない指摘であり、表現類型のバリエーションが一定の条件によって制約されていることを多くのデータによって論証した功績は大であると考えられる。審査においては、統語的なテストの詰めが一部で物足りないという指摘もあったが、これは英語などとは特性の異なる言語を対象とするさいには不可避の課題であり、この点を考慮すれば本論文での主張は十分にサポートされていると判断した。また、第3章の後半で示される、構文の拡張についての考察も広い応用可能性をもったものであり、他の言語の研究においても示唆するところが大きい。 これに加え、第4章で示された談話データの対照分析は、より強固な実証的論拠を上記の点に与えるものとして高く評価される。本論文では表現パタン別の分類や頻度のカウントといった基礎データの分析が中心であったが、第5章でその可能性を示唆しているように、談話構成のストラテジーまで踏み込んだ分析は今後の実りある研究方向として期待される。本論文はそのためのきわめて健全な土台となると評価する。 以上、本論文は移動事象の言語化という認知意味論における重要課題にタイ語を軸にすえて取り組み、従来なされなかった貴重な観察、分析、理論化を提示したものである。全体として学術的価値が高く、この分野における優れた研究成果として高く評価すべきものと判定する。よって、本審査委員会は博士(学術)の学位を授与するにふさわしいものと認定する。 | |
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