学位論文要旨



No 120790
著者(漢字) 戸松,彩花
著者(英字)
著者(カナ) トマツ,サエカ
標題(和) 視覚操作が両手協応動作の遂行および学習に及ぼす影響
標題(洋) Effect of manipulating visual feedback information on execution and learning of bimanual coordination
報告番号 120790
報告番号 甲20790
学位授与日 2005.10.27
学位種別 課程博士
学位種類 博士(学術)
学位記番号 博総合第599号
研究科 総合文化研究科
専攻 広域科学専攻
論文審査委員 主査: 東京大学 教授 大築,立志
 東京大学 教授 久保田,俊一郎
 東京大学 助教授 渡會,公治
 東京大学 助教授 村越,隆之
 東京大学 教授 繁桝,算男
内容要旨 要旨を表示する

緒言

我々人間の動作はそのほとんどが多肢協調動作である。中でも両手を協調させて目的を達成する事に関して、人間の右に出る動物はいない。しかし、このように自由自在に動かす事ができるように思える両手の運動も、実は大きな制限を受けている。それは、両手をリズミカルに、反復して動かすとき、特に動作周波数が高い場合は、左右対称の動作しか行えないという制限である。最初は左右を非対称に動かしていても、徐々に動作周波数を高めていくと、突如として意図せずに左右対称の動作に切り替わってしまう。この最も良い例は初心者によるピアノの演奏であろう。

この制限には複数の制約が係っていると考えられる。例えば「左右対称の動作」は「左右の同名筋の同時活動」と言い換えられるが、これまでの多くの研究により、左右の同名筋に対する運動指令の間に干渉を起こす可能性のある生理学的制約が多数示されている。また、我々には外界の刺激と自らの動作との時間的および空間的同期を好む性質があり、この性質は左右の手が互いに、相手が発生する時間的および空間的情報に合わせあう可能性を示唆する。

現行動作に関する視覚情報、固有受容感覚情報および聴覚情報は、現行の両手動作の維持において重要な役割を果たす。しかし、視覚情報はさらに一歩踏み込んだ効果をもたらすことが近年示された。我々が持つ視知覚の性質のひとつとして、視野内の複数のものが近接していたり、類似していたり、同時に同方向に動いたりすると、より知覚し易くなるというものがある。この性質を利用した「特定の視覚パターン」が左右非対称動作の正確性を向上させるというのである。はたしてこの性質はいかにして左右非対称動作を向上させるのであろうか。

両手協応動作の制限を作り出すメカニズムおよびそれを打開するメカニズムを解明する事は、運動学習に対する提言にも繋がるだろう。よって本論文の目的は、両手非対称動作を視覚情報の操作が改善するメカニズムを解明し、運動学習への提言をすることである。

実験1視覚操作が難易度の異なる両手協応動作の遂行に及ぼす影響

第2章では、視覚情報の操作が様々な難易度の左右非対称動作に及ぼす影響を検討した。

被験者は両手による円盤水平回転動作を要求された。3種類の動作(左右の位相ずれが90度、180度、270度)が、被験者の手の動きを隠して行われた。両手動作においては、左右対称動作(位相ずれ0度)に次いで高い安定性をもつ動作は180度であるため、3種類の動作のうち、180度は難易度が低い。被験者が行う動作はコンピュータ画面にオンラインで映し出された。画面表示は2種類あり、行った動作の位相ずれがそのまま表示されるNormal vision条件(N条件)と、右手の空間的位置を実際と異なる画面上の位置に表示する事で、要求された動作を正しく行うと、画面上に左右対称パターンが形成されるTransformation条件(T条件)であった。

この実験より導かれた結果および考察は以下の通りである。(1)難易度に係らず、T条件ではN条件に比べて動作の正確性が向上した。つまり、左右対称パターンへの視覚情報の変換は、難易度に依らず動作を向上させる効果を持っていた。(2)90度と270度の動作は、N条件において180度方向に偏り、T条件ではむしろ0度の方向に偏っていた。従って、視覚情報の操作は、両手動作の制約と、何とか左右非対称動作を遂行しようとする行為者の意図との間に働くダイナミクスを変化させることができる。(3)2つの視覚条件における動作の差は、180度に比べて90度および270度で大きく、視覚情報の操作が運動に与える影響は、動作の難易度が高いほど大きいことが結論づけられた。

(Experimental Brain Research, in press)

実験2視覚操作が両手協応動作の学習に及ぼす影響

第3章では、第2章で得られた「左右対称パターンへの視覚情報の変換は左右非対称動作を向上させる効果を持つ」という結果をもとに、その学習効果を検討した。

2群のいずれかに振り分けられた被験者は、位相ずれ90度の両手動作を特定の基準に達するまで練習した。練習の際の視覚条件は、N条件もしくはT条件のいずれかであった。それぞれをN群およびT群と表記する。練習前、基準達成直後、基準達成から1週間後に、視覚情報なし(画面表示なし)練習した動作が再現されるかテストした。

この実験より導かれた結果および考察は以下の通りである。(1)N群に比べてT群の練習期間は短かった。つまり、視覚情報の操作は、左右非対称動作の向上を早めた。(2)基準達成後に行われた2度の動作テストにおいて、90度が再現できない被験者がみられた。従って、これらの被験者においては視覚情報の存在という条件付きで課題動作が向上していたと言える。(3) 基準達成後の2度の動作テストで90度を再現できなかった被験者のうちT群に属していた者に限り、90度の不正確さが大きいほど、左右対称動作(位相ずれ0度)も不正確になっていた。これらの被験者はいずれも練習開始前には正確に0度を行っていたので、練習後にみられた左右対称動作の不正確性を生む原因は、練習期間内に形成されたといえる。動作テストでは視覚情報が与えられないために固有受容感覚を正確に判断する必要がある。90度と0度の双方に各被験者に依存した不正確さが見られた事から、視覚情報を操作した条件下で両手動作の遂行を繰り返す事が、固有受容感覚を正確に判断するためのフィードバックループの一部を変化させた可能性が示唆された。

実験3長期離脱後の学習効果の保持

第4章では、第3章の運動学習の実験において観察された現象が2ヶ月後にも残存するか否かを検討した。また、視覚情報を与えて動作を観察した。さらに個人の認知面(画面上に現れる2つの光点の動作の位相ずれを判断する能力および、認知スタイル)の測定を行い、練習動作の保持に関する個人差の説明を試みた。

第3章の実験に参加した被験者のうち、14名の参加を得て、視覚情報なしでの動作テストおよび視覚情報を与えた場合の動作を測定した。また、位相ずれの判断力および認知スタイルの測定も行った。

この実験より導かれた結果および考察は以下の通りである。(1)基準達成後1週間で行われた90度と2ヶ月後に行われた90度の成績は等しかった。つまり、基準達成後1週間の時点でうまく90度動作を行う事ができた被験者は2ヶ月後にもうまく行う事ができた。(2) 基準達成後1週間で行われた0度と2ヶ月後に行われた0度の成績も等しかった。つまり、練習終了後に0度を正確に行えなかった被験者は、2ヶ月後も同様に正確に行えなかったのである。従って、練習期間中に形成された「左右対称動作の不正確性を生む原因」は、2ヶ月の時を経た後も存続していたといえる。(3) 画面上に左右対称パターンをつくる視覚条件(T条件)で90度の動作を行わせた時、全ての被験者の動作は非常に正確であった。視覚操作なしでは90度を再現できなかったT群の被験者は、練習後2ヶ月経っていてもT条件下においては練習した動作を再現できた。(4)今回測定した認知能力は、動作の保持の個人差を説明しなかった。

実験4視覚操作条件下での両手協応動作遂行に係る脳活動

第5章では、第2章から第4章にかけて明らかになった、「左右対称パターンに見える視覚条件下での左右非対称動作の遂行」が、いかなる脳活動によって実現されるのかを、fMRI(機能的磁気共鳴画像法)を用いて検証した。

被験者はfMRI装置内で両手の位相ずれが90度になるようにタッピングを行った。このとき左右それぞれのタッピングに応じてコンピュータ画面の中で左右2つの光点が動いた。要求された動作が正確に行われると2つの光点の位相ずれが90度になる条件と、0度(左右対称)になる条件を設けた。さらに、被験者はまったく動作を行わず、90度もしくは0度の位相ずれで自動的に動く光点を観察するだけの課題も行なった。

この実験より導かれた結果および考察は以下の通りである。(1) 90度の位相ずれ観察時の脳活動は、0度の観察時に比べて広範囲であった。条件の差が見られた部位は高次視覚野、背側運動前野、頭頂連合野を含んでいた。これより、被験者は90度の位相ずれの観察を課題動作(位相ずれ90度のタッピング)と関連づけていた可能性が示唆された。(2) 被験者の動作によって0度の位相ずれを画面内に形成する条件では、90度を形成する条件よりも島皮質の活動が減少した。島皮質は多数のモダリティを統合する座と言われていることから、左右対称パターンに見える視覚条件下で左右非対称動作を遂行する際には、感覚情報をもとに現行の運動を修正する一連の過程における、感覚情報統合のための情報処理負荷が軽減することが示唆された。

総括論議

本論文における主張は以下の通りである。

視覚操作の利点:左右対称パターンを目標として動作を行う場合、人間の持つ視知覚の性質により左右対称であるか否かを容易に検出できるため、運動修正のためのフィードバック情報としての視覚の重要度が高まると考えられる。すなわち、通常は視覚情報と固有受容感覚情報の統合によって現行の運動が修正されると考えられるが、視覚の重要度が高まることにより、固有受容感覚情報が積極的に用いられにくくなり、感覚情報統合のための情報処理負荷の軽減が起こったのではないかと考えられる。

操作された視覚情報を受け続けることの影響:各感覚情報の感受性の変化が繰り返し経験されることにより、変化した感受性が固定化し、その後に与えられる感覚情報の重要性の変化(例えば視覚情報が失われる)に対応できなくなる人もいると考えられる。

視覚操作の運動学習場面への応用:左右非対称動作の学習に対する視覚情報操作の効果には個人差がある。従って今回のように仮想の視覚的目標を置く練習方法は、習得する課題の特性を見極めて導入を判断する必要がある。つまり、最終的には操作された視覚情報なしで動作を行うことが目的であれば、今回の方法を用いる事は不適切であるかもしれない。しかし、良い効果を得た被験者もいるため、その有用性を無視する事はできない。練習時に与える視覚情報を、後にも与えることができるような課題の習得や、特定の感覚情報の感受性を変化させる事自体が目的であれば、今回のように、感覚情報の処理特性を利用した運動の拘束は非常に役立つだろう。

審査要旨 要旨を表示する

ヒトの動作はそのほとんどが多肢協調動作であり、特に両手を協調させて目的を達成する動作は重要である。我々が左右の手を動かすとき、最も安定し、高い動作周波数で長時間継続できる運動パターンは左右対称パターンである。この現象の背後には「運動系に内在する生理学的制約」があると言われてきた。しかし近年、自己の行う運動を左右対称のような単純なパターンとして知覚できれば、その動作が簡単に遂行できる、つまり「知覚」もまた制約として働きうることが示された (Mechsner et al. 2001)。人間の視覚には、複数の物体が空間的に近接した配置をもつ、共通の色や形をもつ、移動の方向や速度が等しいなどの場合、それらの物体をひとまとまりのパターンとして知覚しやすいという性質がある。左右対称パターンも明示的なまとまりであるため、左右でひとつの運動パターンとして知覚されやすく、それが動作のしやすさにつながる可能性があると考えられる。

本論文は、以上の観点から、視覚情報を実験的に操作することにより、知覚パターンが両手協応動作の遂行および学習に与える影響について検討した申請者の研究を、第1章に先行研究のレビューおよび研究目的、第2章から5章に研究結果を、第6章に総括論議を加えてまとめたものである。

第2章(実験1:視覚操作が難易度の異なる両手協応動作の遂行に及ぼす影響)では、左右非対称動作を左右対称パターンとして見せる視覚変換という知覚情報操作が、様々な難易度の左右非対称動作の遂行に及ぼす影響を検討した。被験者に両手による円盤水平回転動作を左右の位相ずれ0度、90度、180度、270度で行わせ、左右動作の位相ずれがそのまま表示されるNormal vision条件と、左右手のずれが教示通りの時に画面上に左右対称パターンが形成されるTransformation条件で、動作をコンピュータ画面にオンラインで呈示した。その結果、左右対称パターンへの視覚変換は、左右非対称動作の正確性を高めること、その効果は難度の高い左右非対称動作に対して特に大きいことが明らかとなった。

第3章(実験2:視覚操作が両手協応動作の学習に及ぼす影響)では、実験1で用いた視覚条件の運動学習への効果を検討した。視覚変換を受けて左右非対称動作を練習する群と、視覚変換のない練習群の上達の様子および成績を比較した結果、左右対称パターンへの視覚変換は、左右非対称動作の上達を促進することが示された。しかし、練習終了後1週間を経て、視覚情報なしで動作の再現を求めると、動作が不正確になった被験者が存在した。特に、視覚変換を受けて動作を練習した被験者の一部は、視覚情報なしで行う左右対称動作の正確性が低く、その成績が練習動作の再現成績と強い相関関係にあり、視覚情報なしに行う両手協応動作が位相ずれによらず不正確であったことから、視覚変換が、動作遂行中の固有受容感覚フィードバック利用を低下させた可能性が示唆された。

第4章(実験3:視覚操作が運動の長期的保持に及ぼす影響)では、第3章の実験で見られた練習効果が長期間の練習休止後にも残存するかを検討した。その結果、練習終了から1週間後と2ヶ月後の、視覚情報なしでの動作再現成績はほぼ等しく、獲得した動作が長期間定着していたことが示された。また、低下した左右対称動作の正確性は、2ヶ月後も低下したままであった。さらに視覚情報が与えられると、練習した動作を再現できなかった者も含めて全ての被験者が、動作を正確に遂行することができた。

第5章(実験4:視覚操作が運動遂行にかかわる脳活動に及ぼす影響)では、第2章から第4章にかけて検討した「左右対称パターンとして知覚される左右非対称動作の遂行」がいかなる脳活動によるものであるかを、機能的磁気共鳴画像法(fMRI)を用いて検証した。その結果、動作が左右対称パターンに見える時は、そうでない時に比べて、特に、「多数の感覚モダリティ統合の場」である島(insula)皮質の活動強度が有意に低かったことから、左右対称パターンに変換して運動を遂行する場合は、固有受容感覚情報と視覚情報を統合する脳内過程における処理負荷が減少すると考えられる。

第6章(総括論議)では、全ての実験結果を概観し、両手協応動作に左右対称な視覚パターンが及ぼす影響について論じている。すなわち、左右対称パターンへの視覚変換が左右非対称動作の正確性を向上させたことから、左右対称パターンが「知覚しやすい」ために動作のフィードバックとしての精度が高く、動作の正確性向上および上達の早さに貢献したと考えられる。この性質は視覚情報への依存度を高め、同時に固有受容感覚情報の必要性を低下させたため、多数の感覚情報を統合するための複雑な処理が減少し、複数の感覚モダリティを統合する脳領域の活動が減少したと考えられる。しかしながら、視覚変換条件下で左右非対称動作を練習すると上達が早まる一方、練習した動作が視覚情報なしには再現できなくなる被験者がいるなど、効果の個人差が大きいことや、練習中に起こった動作の変化は、良いものも悪いものも長期間にわたり継続することなどから、視覚操作は運動に対して極めて強い影響力をもっており、それを実際の運動学習に応用する際には、個人の特性や運動課題の特性などを考慮して利用することが必要である。

これらの研究成果は全て申請者のオリジナルな発見であり、その一部はすでに国際学術専門誌に公表されているなど、学術業績として極めて有意義であると認められる。よって、本審査委員会は、本論文は博士(学術)の学位を授与するにふさわしいものと認定する。

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