学位論文要旨



No 120795
著者(漢字) 丸山,慎
著者(英字)
著者(カナ) マルヤマ,シン
標題(和) 指揮者の身体 : 運動に在る表現への契機
標題(洋)
報告番号 120795
報告番号 甲20795
学位授与日 2005.11.16
学位種別 課程博士
学位種類 博士(教育学)
学位記番号 博教第111号
研究科 教育学研究科
専攻 総合教育科学専攻
論文審査委員 主査: 東京大学 教授 佐々木,正人
 東京大学 教授 佐藤,学
 東京大学 教授 秋田,喜代美
 東京大学 助教授 西平,直
 東京大学 助教授 能智,正博
 国立情報学研究所 助教授 古山,宣洋
内容要旨 要旨を表示する

本研究は、演奏表現の成立と行為との関係について考察することを目的とする。特に本研究は、管弦楽の指揮者の身体運動を対象に、その「身振り」と「運動」を分析し、それが演奏表現の本質的な契機(あるいは基盤)である可能性を示唆する。音を生み出す行為のなかに表現を可能にしている運動の構造があることを記述するのである。これは、演奏表現の身体的な要因について必ずしも多くの関心を向けてはこなかった従来の音楽研究に対して、新たな視座を提示する試みである。本研究は6章から成る。以下に各章の内容を記す。

序章では、音楽と身体運動の接点に関する心理学そして音楽学等の観点から行われた先行研究を参照し、音楽研究において身体的なアプローチが欠如している現状を確認した。続いて、演奏する身体の運動と音楽との関係を理解することの意義を述べた。そして、本研究の問いを検証するために「指揮者」を対象にした理由として、指揮者が、あらゆる音源(楽器等)との関係のなかで、身体運動を通して「交響」を単位とする音楽を表現しているのではないか、という可能性を挙げた。以上から、指揮者を対象にすることで、楽器等の機械的な操作に介在されない、音楽的な内容と結び付いた身体運動の特徴を観察することができると仮定した。

第1章では、まず指揮者を観るため前提として、指揮および指揮者に関する記述を概観した。最初に、伝統的な「指揮法」について述べ、それらが主に拍子を示す動きの分類に重点を置いたものであることを指摘した。続いて、指揮法が確立される以前の記録を参照して、当時の指揮者が全身で音楽を表現するための身振りを開拓していたことに言及し、そのような指揮のあり方を「表現行為としての指揮」として位置づけた。音楽の表現者としての役割を積極的に担う近現代の指揮者もまた、いわゆる指揮法には収まらない動きを示していることを、いくつかの先行研究から指摘した。そして、指揮者がどのような仕方で演奏表現に関わる身体の運動を構造化しているのかを明らかにすることが、本研究において分析されるべき内容であるとした。本章の後半では、生態学的音響学の視座を導入し、指揮者の身体の運動が、オーケストラ音楽の事象であると位置づけた。そして、そのような事象の構造にアプローチする方法として、「身振り」と「運動」を分析する枠組みを導入した。

第2章では、指揮者の井上道義氏と東京フィルハーモニー交響楽団(管弦楽)によるリハーサル(計4日間)を対象に、指揮者の身振りの分析を行った。本章の前半では、指揮者の身振りをオーケストラとの協調的な行為として捉えるため、指揮者とコンサートマスターの運動の相対的なタイミングを計測した。その結果、リハーサルの経過とともに両者は同期性を高めていったことが明らかになった。そして、その同期性が最も低かったリハーサルの初日は、指揮者からの働きかけが最も大きく、オーケストラが探索的にならざるを得なかったのではないか、という可能性が指摘された。そこで本章の後半では、初日に観察された身振りの特徴を分析した。ここで指揮者の身振りの一般的な分類(Braem & Bram, 2000)を導入し、続いて井上氏の身振りと、その一般的な分類との類似性を検証した。さらに井上氏の身振りの内容について、井上氏自身と複数のオーケストラの演奏者とのインタビューを行った。その結果、井上氏の身振りは、複数の楽器への指示を一つの身振りのなかで同時的に表出する「同時的な多義性」といった特徴を持つものであることが示唆された。最後に、身振り研究の代表的な枠組であるマクニールの理論を参照し、特に身振りの「慣習性」という点から議論を行った。そして井上氏の身振りが、指揮者の身振りとしての慣習性と、それには規定されない自発的な身振りとの境界を柔軟に行き来するものであることを指摘した。

第3章では、指揮者の沼尻竜典氏とトウキョウ・モーツァルト・プレイヤーズ(管弦楽)によるリハーサルおよびレコーディング・セッション(計3日間)を対象にした。運動のタイミングの計測を中心として、特にリハーサルの経過にともなう指揮者の身振りの変化を分析した。計測は全て楽曲冒頭を対象とした。指揮者の腕のストロークの形態は、特に観察3日目(レコーディング・セッション)において大きな変化を示した。その一方で、ストロークの持続時間は、あまり大きな変化を示すことがなかった。指揮者とコンサートマスターの運動の相対的なタイミングは、ある時間幅を維持しながら次第に高い安定性を示していった。以上の結果から、沼尻氏の腕のストロークは、形態の変化と持続時間の不変性という両面を持ち、その特徴がオーケストラとの関係を安定化させ、楽曲冒頭の表現を導き出すことに寄与していたのではないかという可能性が指摘された。最後に、指揮の変化と楽曲の表現との関係について議論するなかで、沼尻氏とのインタビューを参照した。個々の作曲家には特定の手の形と結び付く「弾き癖」のようなものがあり、手の感覚が指揮の動きと深い関係がある、という彼の指揮の基礎にあるピアノ奏者としての経験から語られた内容に関心を向けた。そして、指揮者の運動と楽曲作品との関係について、より詳細な分析が必要であることを指摘した。

第4章は、第2・3章での分析を発展させたものである。ここではまず「運動」を、機能的な身振りの形成に関与する「運動群」として定義した。一つの身振りが示されるためには、それに関連した運動の連鎖が必要になるからである。そして指揮者の運動を、運動解析装置を用いた実験において分析した。第2・3章では、単一の楽曲を対象にしていたのに対し、本章では二つの楽曲を課題として使用した。これは、異なる作曲家による作品でありながら、同一の拍子構造を持ち、さらに類似したテンポで演奏することのできる楽曲であった。したがって、拍子を示す機能に限定すれば、これらを同一の運動によって指揮することが可能であったと考えられる。実験には、大学の音楽学部に在籍する指揮科学生二名とヴァイオリン奏者二名が参加し、一名ずつ組になって課題を演奏した。楽曲冒頭を対象に、指揮者の右手の運動の特徴(形態・振幅・速度・加速度)を比較した結果、二名の指揮者は(指揮者ごとに独自の仕方で)各楽曲に特定的な運動のパターンを示していたことが明らかになった。指揮者の手腕の運動は、楽曲作品の差異を、演奏開始直前の微小な時間のなかで表していたのである。以上から、指揮者はこのような運動の制御を通して、オーケストラをある特定の演奏表現へと導いているのではないか、という可能性が指摘された。最後に、本章の結果が、近年の運動研究における「協調」の概念との関連を持つことを示唆し、協調運動を単位として音楽の演奏表現にアプローチすることの可能性について議論した。

第5章では、第1章で導入した理論的な枠組みから、第2・3・4章での結果を位置づけることによって、総括的な議論を行った。第1章で導入された理論的な視座の確認のため、近年の関連研究の成果と、本研究に対するそれらの含意を整理した。続いて、ピアノおよびチェロ演奏の協調運動に関する三つの研究を取り上げ、特に演奏家の運動に現れる楽曲に特定的な「不変項」としての協調構造という成果について詳述した。これと指揮の運動の分析との関連性を議論することによって、本研究の今後の課題を明らかにした。

第6章は、全て章の内容を確認することによって、本研究のまとめとした。そして本研究の結果が、検証すべき課題を残してはいるものの、演奏する身体の運動が演奏表現の契機として関与しているという可能性を示唆するものであることを述べた。

審査要旨 要旨を表示する

本論文は音楽表現を成立させている要因の探究を目的として、管弦楽指揮者の身体運動を分析した。身体運動から音楽表現に迫る研究は稀である。一章では、指揮者の運動から音楽にアプローチする意義と根拠が議論されている。まず指揮法の歴史を概観し、拍子を問題にした近代指揮法に対して、古くから指揮者が独自の全身運動を指揮技法として開拓していた事例が示された。さらに空気中の事物間の衝突から伝播する振動の構造に聴覚的な意味の単位を求める「生態学的音響学」から、オーケストラ演奏と指揮者運動が一体になって「音楽的事象」の成立を制御しているとする観点を導入した。

つづく二章では、指揮者井上道義(モーツァルト交響曲25番第一楽章)の指揮と、東京フィルハーモニー交響楽団コンサートマスターのボーイングの楽曲開始までの準備時間や開始点を計測し、初日に至るリハーサルにおいて両者の時間差が減少することを示した。また指揮16種の身振りの意味を異なるパート5名の楽団に問うたところ、その受け取り方は各自で異なり、指揮者の身振りは「多義性」を持つことが指摘された。さらに三章では測定方法を洗練させ、指揮者沼尻竜典とトウキョウ・モーツァルト・プレイヤーズによるレコーディング(ベートーベン交響曲5番第一楽章)に至るリハーサル12回と本番11回を高速撮影し、楽曲開始をつげる指揮者のストローク運動が、持続時間では毎回ほぼ同じであるが、本番では運動方向を変化(垂直から水平へ)させたこと、コンサートマスターと指揮者の開始点の時間差はほぼ一貫していたが、本番ではそれが拡大したことを示した。指揮運動の形態的特徴と演奏開始の運動制御に関連のあることが示唆された。

四章ではインディアナ大学音楽学部指揮とヴァイオリン専攻院生各1名をペアとし、2ペア4名の被験者に、同一の拍子構造で、似たテンポで演奏できる2曲、ブラームス交響曲第一番とチャイコフスキー弦楽セレナーデの演奏を求め、指揮者の右手の運動の特徴(形態、振幅、速度、加速度)を測定した。各指揮者の楽曲開始前後の運動は、二つの楽曲で異なる特定のパターンを示し、指揮にみられる運動協調が楽曲のアイディアを一貫して表現している可能性を示唆した。最後の5章では「生態学的音響学」を基礎に指揮者身体の運動協調が、演奏表現の成立を制御している可能性が議論された。

以上の内容を持つ本論文は、フィールド観察や統制された実験で、音楽の場に埋め込まれた指揮運動の解析から、演奏家に共有されている「音楽的意味」の一端に迫ろうとしたものである。方法も結果も試行的であるが、本論文が、今後この未開拓の領域が取り組むべき幾つかの問題を発見したことは確かである。この点から、博士(教育学)の学位論文として十分な水準に達していると認められる。

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