学位論文要旨



No 120799
著者(漢字) 堀越,嗣博
著者(英字)
著者(カナ) ホリコシ,ツグヒロ
標題(和) 子宮胎盤虚血によるラット羊水中の神経栄養因子の上昇 : 胎児仮死における特異的生化学的マーカー
標題(洋)
報告番号 120799
報告番号 甲20799
学位授与日 2005.11.16
学位種別 課程博士
学位種類 博士(医学)
学位記番号 博医第2584号
研究科 医学系研究科
専攻 生殖発達加齢専攻
論文審査委員 主査: 東京大学 教授 橋都,浩平
 東京大学 教授 福岡,秀興
 東京大学 教授 五十嵐,隆
 東京大学 教授 川原,信隆
 東京大学 講師 賀藤,均
内容要旨 要旨を表示する

子宮内の胎児状態を正確に診断することは妊娠経過を管理するうえで非常に重要であり、Non Stress Testや超音波診断が使用されている。超音波診断としては、胎児計測、胎動観察の他に羊水量の計測が胎児・胎盤機能の評価に利用されてきた。羊水は量の問題も重要であるが、低酸素等の胎児に対するストレスが存在する場合には質的な変化をきたすことが知られている。胎児仮死において羊水中のβ-エンドルフィンや副腎皮質刺激ホルモン、コルチゾール、神経伝達物質が上昇すること、そしてエリスロポエチンやエンドセリンー1、アクチビンAと同様に慢性的低酸素に対して反応することも知られている。今回我々はその物質が子宮内環境に対して相関関係がないか、そしてそれらが子宮内環境を判断し得るマーカーになりえはしないか考えてみた。また羊水を包んでいる羊膜に関しても胎児同様に様々な物質を生成・分泌されていることが知られている。特にカテコールアミン、アセチルコリンに関してはその存在の局在を証明した。ヒト羊膜細胞においてアセチルコリン、ノルエピネフリン、エピネフリン、ドーパ、DOPACといった神経伝達物質、brain-derived neurotrophic factor(BDNF)、nerve growth factor(NGF)、neurotrophin-3(NT-3)といった神経栄養因子、そしてアクチビンやノギンなどヒトの発生・発達に欠くことのできない物質が合成・分泌されていることが知られている。今回予備実験として行った臍帯駆血したヒツジの羊水ではNT-3値がその前後で上昇していた。これはNT-3が子宮内環境の悪化に反応し胎児・胎盤・羊膜から分泌されたものとして考えられるが、このほかにも前記した物質がNT-3と同様に反応し得ないか測定し、それらが胎児仮死や子宮内胎仔発育遅延に対して生化学的マーカーの一つになり得ないか、羊水そして羊膜という観点からも含めて検討した。

羊膜及び羊膜上皮細胞はインフォームドコンセントのとれた妊婦の選択的帝王切開時に無菌的に採取した胎盤から作成した。機械的に剥離し洗浄したものを羊膜とし、さらに滅菌へラにて羊膜上皮細胞の下層を除去、細胞成分を分離・培養したものをヒト羊膜上皮細胞とした。この羊膜上皮細胞の低酸素環境における神経栄養因子の分泌について検討した。羊膜上皮細胞に酸素20%、二酸化炭素5%、窒素75%の混合気体で培養した培養液をcontrol群、低酸素環境下として低酸素組成の混合気体(酸素2%、二酸化炭素5%、窒素93%)を持続的に流入するチャンバーにて培養した培養液をhypoxia群として48時間の細胞培養を行った。神経栄養因子の測定には酵素免疫法を用いた。統計解析にはWilcoxon signed-rank testにて行い、p<0.05にて有意とした。その結果、いづれの神経栄養因子でもその濃度の上昇傾向を認めたが、特にNT-3においては有意な上昇を認めた。

続けて子宮内胎仔発育遅延モデルラットを作成し、神経栄養因子、アクチビンA、神経伝達因子の羊水中濃度を測定した。子宮内胎仔発育遅延モデルラットの作成法は妊娠17日目ウイスターラットをエーテル麻酔下に腹部正中切開すると睦を中心に非対称に数珠上に直列したラット子宮に子宮動静脈が併走している。その片側の動静脈の遠位端、近位端を30分間挟鉗しその後子宮動静脈を再還流させ、アンピシリンナトリウムを腹腔内投与して開腹した。後日再開腹しそれぞれの羊水を抽出した。非挟鉗側羊水をcontrol群、挟紺側羊水をischemia群として神経栄養因子、神経伝達物質、アセチルコリン、アクチビンAを測定した。カテコールアミンは高圧液体クロマトグラフィー(HPLC)、アセチルコリンの測定には放射免疫測定(RIA)を、アクチビンAの測定には大日本製薬社(大阪、日本)より購入したアクチビンA測定キット(ELISA法)を用いた。その結果、神経栄養因子について、BDNFは測定値に大きな偏りがあり結果を提示できず、またNGFはラット羊水中に認められなかった。今回NT-3のみ測定でき、48時間後に有意な上昇を認めた。アクチビンについては24時間後では差を認めず48時間後で有意差を認めた。神経伝達物質ではノルエピネフリン、アセチルコリンでは上昇するも有意差を認めず、ドーパミン(DA)では24時間後で、DOPACでは24、48時間後どちらでも有意な上昇を認めた。

胎児、及び胎盤・羊膜といった子宮内環境の悪化に伴い、羊水中に様々な物質が生成・分泌が亢進することが示唆された。神経伝達物質については既知とされていたが、今回神経栄養因子についても同様のことが言えた。元来神経栄養因子は中枢神経系の発生。発達において欠くことのできない物質であり、胎児がストレスを受けた際に胎児・胎盤・羊膜が、最も影響を受けやすい中枢神経の保護のため敏感に反応したのではないかと思われた。また羊膜という観点から考えると本来胎児の周囲を覆い、羊水を保持するものとしてしか考えられていなかったが、様々な物質が生成・分泌され、胎児と同様に周囲の環境に敏感に反応していることは非常に興味深い。特にNT-3はBDNFやNGFといった他の神経栄養因子と異なり、出生後よりむしろ胎仔期にピークを迎えることより、出生前診断という点においてより適していると思われる。今回カテコールアミンやアセチルコリンについては羊膜における生成・分泌の局在を示すことができたが、子宮内胎仔発育遅延や胎児仮死と羊水中に存在する生理活性物質についての関連についてはアクチビン、DA、DOPACについてのみ示すことができた。DA、DOPACでの時間的相違はDOPACがDAの代謝産物であるためと思われる。そしてDA、DOPACの時間的相違を考察することにより子宮内胎仔発育遅延や胎児仮死の発生の起点についても言及することができるのではないかと思われた。

これらのことよりNT-3やDA、DOPACは低酸素・子宮内胎仔発育遅延の出生前診断に有用と思われる。特にDA、DOPACを測定することによって低酸素・子宮内胎仔発育遅延の時間的経緯を調べることが可能ではないかと示唆された。

審査要旨 要旨を表示する

周産期のストレスによりもたらされる胎児・新生児の不可逆性変化をおこす疾患のなかでもっとも深刻である中枢神経系の障害であり、従来のノンストレステストや胎児超音波診断では予測し予防しうることはできないことが明らかになっている。そこで新たに胎児の健康状態を示す指標として胎児に与えるストレスの重症度が判定され、更にそのストレスによって新生児脳性麻痺のような不可逆性の中枢障害がもたらされるかどうか否かを示す判定できるバイオマーカーを見出すことが現在の周産期医学に求められている。

本研究は、胎児を取り巻き、そのほとんどが胎児尿からなる羊水とカテコールアミンとアクチビン、胎児神経系の発生に関与する神経栄養因子、特にnerve growth factor(NGF)、brain-derived neurotrophic factor(BDNF)、neurotrophin-3(NT-3)の関係に着目し、一過性妊娠ラット子宮血流遮断による子宮内虚血性変化で下記の結果を得ている。

NT-3は子宮内虚血性変化に伴い有意に羊水中の濃度が上昇した。虚血負荷によりNT-3の産出が増えることから羊水中のNT-3測定は中枢の変化を間接的に知る有用な手段になり得るといえる。NT-3は胎生期において心血管系、肝臓、膵臓、腎臓などの神経組織でも発現するため、中枢神経系以外で合成されたものとも考えられる。虚血ストレスに対し、これらの末梢組織でも産生増加がおこり羊水中のNT-3増加をひきおこしているといえる。また低酸素下の羊膜細胞実験においてNT-3が有意に増加しており、一部羊膜由来の可能性も示唆された。

アクチビンAは、虚血負荷24時間後では差を認めなかったが、48時間後では有意な上昇を認めた。これは臓器障害発症後に続発的に上昇したものと考えられ胎児臓器障害の指標になり得ると考えられた。

ドーパミンは虚血負荷24時間後のみ、ドーパミンの代謝産物であるDOPACは、24時間後及び48時間後にも有意差をもって上昇していた。羊水中ドーパミンはストレス負荷を解除すると比較的速やかに正常化する。この両者の関係は低酸素ストレス負荷に対する組織反応の時間的経過を類推するための手掛かりになる可能性を示すものと考えられた。

以上、本論文はストレスによる新生児脳性麻痺のような不可逆性の中枢障害を評価するバイオマーカーにカテコールアミンやアクチビンA、NT-3などの神経栄養因子がなりうる可能性が示された。周産期医療の次の重大な課題である中枢神経障害の発症予防及び治療判定を行なう新しい方法としての羊水中バイオマーカーの意義を明らかにした。今後更に分析を進めたい。

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