学位論文要旨



No 120802
著者(漢字)
著者(英字) LE LE WYNN
著者(カナ) レ レ ウィン
標題(和) 日本の龍観念とその思想的変遷 : 中世の龍蛇観念を中心に
標題(洋)
報告番号 120802
報告番号 甲20802
学位授与日 2005.11.24
学位種別 課程博士
学位種類 博士(学術)
学位記番号 博総合第601号
研究科 総合文化研究科
専攻 超域文化科学専攻
論文審査委員 主査: 東京大学 教授 松岡,心平
 東京大学 教授 杉橋,陽一
 東京大学 助教授 一條,麻美子
 東京大学 講師 滝浪,幸次郎
 立教大学 教授 小峯,和明
内容要旨 要旨を表示する

我々人類が持つ「宗教的・王権的文化象徴」の中で、最も古く、かつ最も広範囲にわたっているものとして、西洋ではドラゴン、インドではナーガ、中国では龍という様々な名称で知られる「龍」が挙げられる。龍は、世界中の神話や伝説の中に頻繁に登場し、宗教思想においても常に重要な意味を持つ文化象徴として現れる。アジアにおいては、その有力な二源泉が、中国の龍およびインドのナーガであった。しかし、周辺地域は外来の龍思想をそのまま受け入れたわけではなく、自分達の持つ独自の思想や文化背景のもとでそれを受容したのであり、その過程で新たな龍観念が生み出されもしたのである。

その顕著な例が日本文化の中にある「龍蛇」観念である。日本人がほとんど気づくことなく使っている「龍蛇」という言葉は、日本文化における新たな龍観念の存在を示している。すなわち、「龍」と「蛇」の区別の曖昧さと「龍蛇」という言葉の存在こそ、外来の「龍」観念と土着の蛇観念の思想的交渉から生れた日本文化独自の龍観念であると思われる。そのような龍蛇観念が形成されていく過程には、日本の宗教・王権・社会をめぐる思想の歴史が深く関わっている。本論文は、この「龍蛇」観念を切り口として日本の宗教思想あるいは王権思想の一側面を究明していくことを目指すものである。

日本の「龍蛇」観念について考える際、当然ながら、その形成過程には、中国の「龍」や仏教を介して導入されたインドの「ナーガ」などの影響も見られるが、日本独自と言えるような「龍蛇」観念の形成過程の背後には日本土着の「蛇神」観念が重要な役割を果たしている。たとえば、諸学者の指摘している通り、縄文時代の土器や土偶などには、日本に当時から原始信仰としての蛇崇拝が存在していた痕跡が窺える。また、その名残は『古事記』『日本書紀』の大物主神や八岐大蛇、『風土記』の夜刀神などの伝承にも見られる。そのような蛇神観念が根強く存在していた日本文化の中に中国やインドの龍観念が入って来たとき、日本人は外来の龍を固有の蛇神と同一の神として理解したのだと思われる。

その理由の一つとして、外来の龍と固有の蛇神観念は王権思想との関連性に共通点を持つことが挙げられる。さらに両者の接点は、古代国家の確立過程で重要な位置に置かれた宗教思想における龍と蛇神の役割にもある。「中国の龍」は、元来皇帝のシンボルであり、道教の四神思想における「青龍」も、都あるいは国土を守護する神の一つとして王権との関連性を持つ。また、仏教の受容と適応の過程で王権を確立したアジア諸国においては、仏法の守護神たる「龍王」も王権と密接な関係を持つようになっている。そして、日本固有のものとしては、大物主神・八岐大蛇・夜刀の神のように祭神としての立場を求めて王権を脅かす蛇神観念が存在している。このような独特の文化背景こそ、日本独自の「龍蛇」観念を生み出した主な要因であると考えられる。

そこで、本論文では、日本における「龍」観念について、二部に分け、第一部では、古代日本の龍・蛇観念とその思想的背景について考察し、第二部では、中世における龍の表象的変容とその思想的背景について考察した。

第一部、第一章および第二章では、日本古代の文献における龍と蛇に関する記述や伝承などを中心に、「水神」「雷神」「蛇神」「龍」などに関する観念のあり方と展開に焦点を当て、古代の龍と蛇との観念的類似性や相違点などを比較・分析し、仏教をはじめとする外来の宗教思想の受容と適応の過程で国家を確立した時代における、外来の龍と固有の蛇の観念的混同の初段階についての考察を行った。第三章では、古代の「雨乞」思想を介して変遷して行く「宗教」と「王権」の思想的交渉の中に芽生えた「龍」と「蛇」の観念的混同と、中世の「龍蛇観念」につながっていく思想的実態を明らかにした。

第二部では、日本独自の「龍蛇」観念が顕著な展開を見せた中世の龍思想に焦点を当てて検討した。その際、第一章では中世における龍蛇観念について文献における龍と蛇の観念的混同および絵巻物や絵画における龍・蛇の表象と観念の変遷について考察した。第二章では「金沢文庫蔵日本図」および「大日本国地震之図」という二つの「行基図」における龍の表象と中世の国土観について、「独鈷」「要石」という形象に焦点を当てて考察した。さらに、第二章の「行基図」の思想的背景を探るべく、第三章では『竹生島縁起』における龍の「円環」のシンボリズムと国土観に焦点を当てて、「龍」「大魚」「地震」という概念相互の思想的接点や象徴的置き換えについて検討した。第四章では、まず、『走湯山縁起』における、日本国土と同一視された「印文」を背負う「海龍」および日本国土の地底に住み国土を守護する「地龍」の両部曼荼羅的世界観に着目し、「印文」をめぐる龍と国土観について考察した。次に、『走湯山縁起』の印文説における国土観と密接な関係を持つ龍のさらなる展開である「地神」「荒神」観念が中世の「第六天魔王」神話の中で日本国土の図とされる「神璽」と関係していくことに焦点を当てて考察した。そして、第五章では、「大地」のシンボルあるいは「地主神」の顔を持つ中世の龍観念について、密教、陰陽道、荒神神楽などにおける「地霊」の象徴たる「五龍王」思想と「堅牢地神」思想との接点や、寺社縁起および御伽草子の中に描写されている地底あるいは山中の「龍宮」観念、地主神的な神格が強調される地霊の象徴たる「九頭龍」観念などに焦点を当てて考察した。

こうした考察の結果、まず古代について言うと、農耕文化の一環としての雷神・水神信仰という「宗教思想的なルート」と朝廷文化の模倣という「王権思想的なルート」の二つの面から受容された中国の「龍」および仏教の「龍王」が、受容された当初から宗教と王権という国家の重要な場面にその姿を見せていたにもかかわらず、『古事記』『日本書紀』の王権神話には土着の「蛇神」が重要な位置を占め続けたことが明らかになった。すなわち、古代の王権思想において龍は、上層階級あるいは宮廷社会の中に、中国やインドという大陸文化の一環としてしかその存在が認められなかったのであり、日本文化の深層にある土着の蛇神の根本的領域にまで浸透することはほぼ不可能だったのである。その証拠を、国家イデオロギーの一環として宗教的機能を積極的に取り入れていた古代的思潮の中で重要な位置に置かれた「雨乞思想」の変遷過程に見出せる。たとえば、古代の雨乞思想においては、雷神・水神という共通した神観念を介してある程度土着の蛇神と外来の龍の観念的混同は生じたものの、空海の神泉苑の雨乞記述に大蛇の頭に乗った金色の小蛇の姿で現した「善女龍王」以外、龍と蛇の混同を示す例はほとんど見られないのである。

しかし、中世になると、神仏習合思想や本地垂迹思想の進展にともなって仏教の龍王、陰陽道の龍、日本土着の蛇が習合して行き、大地の主神「地龍」へと変容し、国土観と密接な関係を持つ「龍蛇」観念の存在が明白になった。それゆえ、中世の国土観や地震観念と関連付けられた「行基図」の龍体のような国土守護神兼地震の張本人という二重の神格を持つ龍が誕生したのである。そして、このような中世思潮の中で、龍は「独鈷」「心御柱」「要石」「印文」などの象徴群と関連して行き、「地神」・「地霊」観念を介して「荒神」思想とも繋がっていくことが明らかになった。

このような龍の観念的変容の背景には、古代の「国津神」と「天津神」の国譲り神話における「蛇神」の地主神的あるいは地霊的観念が働いていたと考えられる。たとえば、『日本書紀』や『旧事本紀』の一説では、古代の国譲り神話の中で天照太神の子孫に国土の支配権を譲った「国津神」あるいは「在地勢力者」であるオオクニヌシノカミとその子孫のオオナムチノミコトは、「地主神」あるいは「蛇神」観念を有する「大物主神」と同一視されている。それは、ヤマタノオロチ神話におけるヤマタノオロチの「在地勢力者」的イメージとも共通する。一方、古代の国譲り神話の中世的ヴァージョンとも言える「第六天魔王」神話では、日本国土の「在地勢力者」のイメージを有する第六天魔王は「堅牢地神」「荒神」観念を介して陰陽道の「土公神」や「地龍」と同一性を有している。すなわち、第六天魔王神話として形成された中世の国譲り神話では、古代の国譲り神話のオオクニヌシノカミやオオナムチノミコト等の国津神に託されていた「地主神」の「蛇神」観念に換わって、「堅牢地神」「荒神」観念を持つ第六天魔王の「地龍」観念が生み出されたのである。しかし、その繋がりは単なる偶然ではあるまい。神祇思想に基づく古代神話の王権イデオロギーが天孫による国土の支配権の正当性を主張すべく、国津神あるいは在地勢力からの国譲りという形で語った時、神祇思想の深層に根強く存在していた「地霊」あるいは「地主神」としての「蛇神」と「国津神」を同一化した。すなわち、国津神あるいは在地勢力からの権力奪取を正当化するためには、「地霊」として「荒ぶる神性」を持つ「蛇神」がもっとも相応しい対象であったに違いない。そして、その古代の王権イデオロギーの思考様式は、中世の国譲り神話の中でも同様の形で継承されたのである。それゆえ、仏教思想の「荒ぶる神」である「第六天魔王」が在地勢力あるいは国土の地主神として登場させられ、「地神」「荒神」と同一視されたのである。その結果、中世には、外来の龍と土着の蛇は、中世思潮の所産である「善神」と「悪神」という両義性を持つ「荒神」という概念に集約され、「善と悪」「光の側と闇の側」「秩序と反秩序」という二面性を持つ龍蛇観念として変容したことが浮き彫りになったのである。

以上、日本における「龍思想」の変遷過程の中で、日本独自の「龍蛇」観念がどのように形成されてきたかについて、古代中世の宗教思想および王権思想の変遷過程の中から考察した。その結果、日本文化の一角に存在する日本独自の「龍蛇観念」の本質を明らかにし、「龍」という世界的文化表象の受容と適応方法の観点から日本の歴史と思想の一側面を明らかにするという新たな研究を提示できたと考えられる。

審査要旨 要旨を表示する

レレウィン氏の学位請求論文「日本の龍観念とその思想的変遷―中世の龍蛇観念を中心に―」は、世界にひろがっている「龍」という表象の日本における古代から中世にかけての展開を扱うもので、龍と蛇の混合ないし混同(龍蛇観念)という視点から、日本の龍を捉え直し、古代の蛇と外来の龍がまじりあって、中世の荒神的地龍に展開するあり様を考察したものである。

論文は二部構成であり、第一部「古代日本の『龍・蛇』観念とその思想的背景」では古代の龍が、第二部「中世における龍の表象的変容とその思想的背景」では中世の龍が、それぞれ扱われる。

第一部第一章「古代日本の龍観念」では、まず中国の龍思想の古代日本への流入の相が述べられ、『古事記』『日本書紀』の中ではじめて龍観念が本格的に展開するトヨタマヒメ伝承が検討され、そこですでに龍・蛇・鰐が混同されている様が示される。

第二章「古代日本の蛇神観念とその展開」では、大物主神、ヤマタノヲロチ、夜刀の神、イザナミノミコト、スサノヲノミコトなどが例示され、外来の龍観念を受けとめる強力な土着のベースとして、雷神や水神と重なる蛇神観念が示される。それはまた王権から排除される外部の表象でもあった。

第三章「雨乞思想と龍・蛇観念の変遷」では、もう一つの外来の龍観念である仏教的龍観念の移入とその変容が扱われる。仏教的な龍宮・龍王思想が「雨乞」という場、さらにそれが修験(山岳宗教)の場の中で土着的な水神・蛇神と習合していく様が述べられ、あわせて中世への序章となっている。

第二部第一章「中世の龍蛇観念について」では、『道成寺縁起絵巻』に見られるような、頭や足に龍の特徴を残しながら、長い胴体の大蛇として描かれるという、日本中世の新たな龍表象が示され、これを含む中世の龍蛇観念のあり方が示される。

第二章「行基式日本古地図の龍について」では、『金沢文庫蔵日本図』や『大日本国地震之図』を用いて、日本の国土を取り巻く龍が分析され、鹿島の要石に見られるような国土観が述べられる。

第三章「『竹生島縁起』における龍の「円環」のシンボリズムと国土観」では、日本の地軸と考えられていた琵琶湖の竹生島を取り巻く龍が分析される。あわせて龍と鯰の互換が中世にすでにあらわれているとし、鯰が龍に取ってかわる近世の国土観への展望が示される。

第四章「「印文」と「神璽」をめぐる中世の「地神」思想と龍観念との関連性」では、『走湯山縁起』が取り上げられて、日本国土の地下に地脈のように潜む地龍の存在が示され、それが、古代におけるヤマタノヲロチ的な荒ぶる蛇神の中世的変容と捉えられる。さらにそれが、密教の言説の中で、日本の地主神である第六天魔王と重なることが示される。

第五章「大地のシンボルあるいは地主神の顔を持つ中世の龍」では、陰陽道の「五龍王思想」が述べられ、そこから地龍と堅牢地神が結びつくことが示され、さらに、『白山縁起』や『彦山流記』に見られる九頭龍や『神道集』に見られる地底の龍宮などが分析される。

このような内容に対して、審査会では、固有と外来という二項対立の図式で龍を分析することへの危惧、また西洋のドラゴン研究の立場から、虫やドラゴンや蛇を含む「ヴルム」というドイツ語の観念と龍蛇観念の対比という提案、さらに龍と蛇をはじめから分けて考えることの妥当性への問いかけがなされた。また、大蛇(おろち)の眼(まなこ)のかがやきという『日本書紀』の表現から、眼・鏡・反射のテーマについても議論が交わされ、神話論の領域にさらに深く踏み込むことが可能であることが指摘された。本論文が着目した第六天魔王と龍との重なりをどのように捉えるかが中世の龍を深く理解する鍵でもあるだろうという指摘もあった。その他、引用の仕方や資料の取り扱いについての注意もなされた。しかし、レレウィン氏の論文は龍蛇観念を主軸として日本の龍を新しく捉え直しており、その独創性を高く評価することで意見が一致した。さらにこの論文が、膨大な資料群を取り扱い、先行研究である『龍の棲む日本』(岩波新書)などの黒田日出男氏の研究をふまえた上で、古代からの展開という視点や、地神・荒神という面からの斬り込みという新たな視点を設定することで、日本中世の龍についての新しい見方を提示したということも一同から高く評価された。

したがって、本審査委員会は博士(学術)の学位を授与するにふさわしいものと認定する。

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