学位論文要旨



No 120803
著者(漢字) 水溜,真由美
著者(英字)
著者(カナ) ミズタマリ,マユミ
標題(和) 『サークル村』と森崎和江 : 戦後日本における「連帯の思想」の一系譜
標題(洋)
報告番号 120803
報告番号 甲20803
学位授与日 2005.11.24
学位種別 課程博士
学位種類 博士(学術)
学位記番号 博総合第602号
研究科 総合文化研究科
専攻 国際社会科学専攻
論文審査委員 主査: 東京大学 助教授 地山,角
 東京大学 教授 森,政稔
 東京大学 教授 酒井,哲哉
 東京大学 教授 高橋,哲哉
 東京大学 教授 柴田,寿子
内容要旨 要旨を表示する

1958年から1961年にかけて、九州サークル研究会によって『サークル村』の運動が展開された。当時全国各地で活発に展開されていたサークル運動の一種であった『サークル村』の運動には、多くの労働者・農民・主婦が参加し月刊誌の発行を中心とする活動を行った。また『サークル村』の運動には、運動全体のオルガナイザーでありスポークスマンであった谷川雁を筆頭に、森崎和江、上野英信、石牟礼道子などの作家・思想家も参加した。本研究は『サークル村』の運動を、『サークル村』を取り巻いていた作家・思想家たちのユニークな著作活動を含めて、再検討することを目的とするものである。

本研究は、『サークル村』の運動の提出した「連帯の思想」を今日的な観点から再評価することに大きな力点をおいている。その主な特徴は、構成員の均質性を前提とする調和的な関係性を批判し、多様な背景や属性を有する人々による対立を含んだ関係性を強調した点である。その意義は以下の三点にまとめられる。

対抗的運動を担う組織の閉鎖的性格・権威主義的性格を批判し、多元性を尊重する開かれた組織を追求したこと。

「プロレタリアート」や「マイノリティ」が均質的な存在ではないことを明らかにしたこと。ジェンダー・階級・ネーション・エスニシティなど複数のファクターに基づく社会関係・権力関係の重層的性格を明らかにすると同時に、「労働者階級」内部の断層や身分間格差を強調したこと。

「プロレタリアート」、「マイノリティ」が均質な存在でないことをふまえつつも、対抗的運動の細分化を是認せず、異質な状況に置かれた人々が連帯関係を構築する意義を強調し、その方法を模索したこと。

以上のような連帯のヴィジョンは、安保闘争・三池争議によって頂点に達する戦後の革新運動が依拠した連帯モデルに対してアンチテーゼを提出する意味を持つものであった。戦後の革新運動は、「プロレタリアート」であれ、「国民」・「民族」であれ、構成員間の同質的なアイデンティティを前提し、ジェンダー・エスニシティなどのファクターを含む重層的な権力関係を捨象した。また、革新運動の組織的支柱となった労働組合や政党などの組織構造は排他的かつ権威主義的であった。

『サークル村』の運動は、開かれた組織を追求し、階級関係に還元されないミクロな権力関係を問題化し、ナショナリズムを相対化した1960年代以降の市民運動や新しい社会運動を先取りするものであった。他方で、『サークル村』がエネルギー革命に曝されつつあった炭鉱を主な足場として労働者の断層やヒエラルキーを批判的に捉える視点を提出したことは、企業別組合によって労働者を体制内化し「二重構造」を温存した高度成長過程に対する予見的な批判であったと言い得る。なお、分断された労働者間に連帯関係を構築しようとする『サークル村』のヴィジョンは、グローバル化が労働者の分極化を急速に推し進めつつある今日の社会に生きる我々にも大きな示唆を与えるものでもある。

本研究は第1部「『サークル村』論」(1〜4章)、第2部「森崎和江論」(1〜3章)および補論より構成される。

第1部では、1958年から61年に至る『サークル村』の運動と同時代の社会状況や対抗的運動との関係について論じた。

第1章では、サークル運動の展開を概観すると同時に『サークル村』の運動と密接な関係を持った1950年代後半の小集団論・サークル論について論じた。サークル運動は当初共産主義運動の一環として開始されたが、1950年代以降の戦後の第2期サークル運動では、サークルの政治組織からの自立が模索され始めた。またこの時期の小集団論・サークル論では、大衆社会化を背景として、サークルに官僚主義化した既成組織のオルタナティヴとなる積極的な役割を見出そうとする視点が提起された。

第2章では、『サークル村』の運動の指導者であった谷川雁のコミューン思想・サークル理論について検討した。谷川は、日本社会の伝統的特質を「二重構造」として捉え、底辺に位置する小共同体の水平な連帯関係を肯定的に評価する一方で、小共同体の閉鎖的性格や小共同体と上位の権力の共犯関係を問題化した。また谷川は、大企業/中小企業、正規労働者/非正規労働者など、様々な社会的属性や諸組織が重層的な仕方で民衆を分断し序列化している同時代の社会状況に「二重構造」の反映を認めた。さらに谷川は、民衆間の分断を助長している従来の政治運動を批判し、サークル運動を通じて、分断された労働者を架橋し小共同体の枠を超える「横の連帯」を築き上げようとした。

第3章では、『サークル村』の運動の理念と実践について検討した。『サークル村』の運動は「交流」の理念を掲げ「異質なものの対立相克」を介した交流実践を推進した。九州全域と山口県に散在する会員間に種々の会合が持たれたほか、『サークル村』誌上には九州の労働者・民衆を取り巻く多様な現実について理解を迫るような、生活記録、小説、エッセイ、詩歌、聞き書きなどが多数掲載され、「往復書簡」や「内政干渉」の欄では会員間に厳しい相互批判が繰り広げられた。『サークル村』の運動は、民衆間の分断を補完する傾向の強かった既成組織に対する批判を組み込んだ連帯関係の構築を目指したが、この試みは、既成組織の反発と炭鉱の反合理化闘争の激化によって挫折を余儀なくされた。

第4章では、谷川雁の呼びかけによって『サークル村』の刊行と平行して計画され、企画段階で頓挫した全国交流誌の構想について論じた。全国交流誌は『サークル村』の全国版としての性格を持ち、『サークル村』の運動が提唱した「交流」の理念と実践を九州というローカルな場から全国に拡大しようとする試みであった。

第2部では、『サークル村』の編集委員の1人であった森崎和江の思想について論じた。森崎はサークル研究会の会員たちと連帯のヴィジョンを共有したが、対抗的運動を担う組織のあり方に対してより厳しい批判を提起した点、ジェンダー、ネーション、エスニシティに由来する断層と交流に焦点を合わせた点に独自性が認められる。

第1章では、植民者二世としてのバックグラウンドを持つ森崎和江が、日本の植民地主義を補完した伝統的な村落共同体の同化主義的な体質に対して厳しい批判を投げかけたことを明らかにした。森崎は、村落共同体的秩序に対するアンチテーゼを炭鉱労働者の培った心性や文化に見出すと同時に、共同体の同化主義的な体質の克服を企図して『サークル村』の運動にコミットした。他方で森崎は、『サークル村』の運動や炭鉱の反合理化闘争を担った運動組織が、伝統的な共同体と同様の閉鎖性や権威主義的な体質を免れなかったことを厳しく批判した。

第2章では、森崎の「からゆきさん」をめぐる著作を検討した。森崎は日本の民衆が伝統的な小共同体に閉鎖し、小共同体を超える自立的な交流を持ち得なかったことを問題化したが、単独で国境を越えた「からゆきさん」をその例外として位置づけた。森崎は、「からゆきさん」が「異族」間の仲介者となり得た可能性を強調しつつも、現実の歴史の展開においては、帝国主義的秩序によって規定された民族間、ジェンダー間の隔たりが「からゆきさん」を仲介者とする「異族」間の交流を阻んだことを結論づけた。

第3章では、『サークル村』の運動と平行して女性交流誌『無名通信』を発行し、ウーマン・リブを先取りするような問題提起を行った森崎の女性論・恋愛論を、連帯のヴィジョンに着目しながら論じた。森崎は、『無名通信』を主宰するなど実践面においてシスターフッドの構築を試みる一方で、男女間の分断を固定化するような「被支配者」としての女性の連帯に批判的な視線を投げかけた。他方で森崎は、男女間の関係を支配―被支配の関係としてよりも民衆間の序列化・分断として捉え、異性愛を男女間の分断を克服するための交流実践として位置づけた。

補論では、『サークル村』の会員であり、水俣病についての優れたルポルタージュを執筆したことで知られる石牟礼道子の共同体観について検討した。故郷水俣に根を下ろし、自然と人間が共生する不知火海海域の共同体の喪失を嘆いた石牟礼の共同体観は、一見すると伝統的な共同体を批判的に捉えた森崎のような論者のそれとは異質である。しかし、伝統的な共同体社会の抑圧的な側面と、近代化の帰結としての地域社会の断層は石牟礼のテクストにも根深く刻印されており、その結果として石牟礼の作品世界において「故郷」の表象は大きく分裂している。さらに石牟礼は、天草出身の流民たちが水俣、東京、東南アジアへと離散しながら「故郷」を流動化させていくプロセスを描いているが、ここに完結した共同体とは異質な連帯のヴィジョンを読み取ることができる。

審査要旨 要旨を表示する

本論文は1958年から1961年にかけて、九州サークル研究会によって担われた『サークル村』の運動を一つの背景としながら、そこに関連した人々の思想を、戦後思想史の中で位置づけ直そうという意図のもとに書かれた意欲的な作業である。当時全国各地で活発に展開されていたサークル運動の一種であった『サークル村』の運動には、多くの労働者・農民・主婦が参加し、月刊誌の発行を中心とする活動を行った。また『サークル村』の運動には、運動全体のオルガナイザーでありスポークスマンであった谷川雁を筆頭に、森崎和江、上野英信、石牟礼道子などの作家・思想家も参加している。本論文は『サークル村』の運動を、『サークル村』を取り巻いていた作家・思想家たちのユニークな著作活動を含めて、再検討することを目的とするものである。

本論文は序論、第1部「『サークル村』論」(1〜4章)、第2部「森崎和江論」(1〜3章)および補論より構成される。序論ではまず、『サークル村』の運動が、戦後日本思想史の中で、ユニークな位置を占めることが強調される。1950年代を象徴する階級やネーションを紐帯とする運動の中にあって、大企業と中小企業の二重構造や、ジェンダーやマイノリティにまつわる分断を踏まえながら、連帯を探ろうとする先駆的な内容を持っていたことが指摘されるのである。

その上で第1部では、1958年から61年に至る『サークル村』の運動と同時代の社会状況や対抗的運動との関係について議論が展開される。第1章では、サークル運動の展開を概観すると同時に『サークル村』の運動と密接な関係を持った1950年代後半の小集団論・サークル論を扱っている。サークル運動は当初共産主義運動の一環として開始されたが、1950年代以降の戦後の第2期サークル運動では、サークルの政治組織からの自立が模索され始めた。またこの時期の小集団論・サークル論では、大衆社会化を背景として、サークルに官僚主義化した既成組織のオルタナティヴとなる積極的な役割を見出そうとする視点が提起されたことが紹介される。

第2章は、『サークル村』の運動の指導者であった谷川雁のコミューン思想・サークル理論を扱っている。著者は谷川について、日本社会の伝統的特質を「二重構造」として捉え、底辺に位置する小共同体の水平な連帯関係を肯定的にとらえつつ、小共同体の閉鎖的性格や小共同体と上位の権力の共犯関係を問題化した思想家として評価する。大企業/中小企業、正規労働者/非正規労働者など、さまざまな社会的属性や諸組織が重層的な仕方で民衆を分断し序列化している同時代の社会状況に「二重構造」の反映を見いだした思想家として谷川を位置づけるのである。こうした谷川論は、民衆間の分断を助長している従来の政治運動を批判し、サークル運動を通じて、分断された労働者を架橋し小共同体の枠を超える「横の連帯」を築き上げようとしたものとして、谷川の議論の潜在的可能性を高く評価しようとしたものということができる。

第3章では、『サークル村』の運動の理念と実践について検討している。『サークル村』の運動が「交流」の理念を掲げ「異質なものの対立相克」を介した交流実践を推進した点にその独自性を見いだしている。九州全域と山口県に散在する会員間に種々の会合が持たれたほか、『サークル村』誌上には九州の労働者・民衆を取り巻く多様な現実について理解を迫るような、生活記録、小説、エッセイ、詩歌、聞き書きなどが多数掲載され、「往復書簡」や「内政干渉」の欄では会員間に厳しい相互批判が繰り広げられた様子を紹介する。『サークル村』の運動は、既成組織の反発と炭鉱の反合理化闘争の激化によって挫折を余儀なくされたものの、民衆間の分断を補完する傾向の強かった既成組織に対する批判を組み込んだ連帯関係の構築を目指した点において、60年代以降の思想的課題を先取りした先駆的なものであったと位置づける。

第4章では、谷川雁の呼びかけによって『サークル村』の刊行と平行して計画され、企画段階で頓挫した全国交流誌の構想について論じている。著者は、『サークル村』運動の全国版たる全国交流誌の試みを紹介しつつ、九州という限られた地域を越えて、全国に拡がる可能性を持っていた点をとりあげ、その企図と挫折について論じている。

第2部では著者は、『サークル村』の編集委員の中で特に森崎和江の思想をとりあげる。著者は森崎の中に、サークル研究会の他の会員たちと連帯のヴィジョンを共有する指向性のほかに、いくつかの特筆すべき独自性を見いだしている。たとえば、対抗的運動を担う組織のあり方に対してより厳しい批判を提起した点、ジェンダー、ネーション、エスニシティに由来する断層と交流に焦点を合わせた点などがそれである。

第1章では著者は、植民者二世としてのバックグラウンドを持つ森崎和江が、日本の植民地主義を補完した伝統的な村落共同体の同化主義的な体質に対して、厳しい批判を投げかけたことを明らかにする。著者によれば森崎は、村落共同体的秩序に対するアンチテーゼを炭鉱労働者の培った心性や文化に見出すと同時に、共同体の同化主義的な体質の克服を企図して『サークル村』の運動にコミットした。また他方で森崎は、『サークル村』の運動や炭鉱の反合理化闘争を担った運動組織が、伝統的な共同体と同様の閉鎖性や権威主義的な体質を免れなかったことを厳しく批判している点を紹介し、森崎の議論を他の『サークル村』運動の活動家と差異化する。

第2章では、森崎の「からゆきさん」をめぐる著作を検討している。著者によれば森崎は日本の民衆が伝統的な小共同体に閉鎖し、小共同体を超える自立的な交流を持ち得なかったことを問題化したが、単独で国境を越えた「からゆきさん」をその例外として位置づけた。森崎は、「からゆきさん」が「異族」間の仲介者となり得た可能性を強調しつつも、現実の歴史の展開においては、帝国主義的秩序によって規定された民族間、ジェンダー間の隔たりが「からゆきさん」を仲介者とする「異族」間の交流を阻んだと結論づけた。

第3章では著者は、『サークル村』の運動と平行して女性交流誌『無名通信』を発行し、ウーマン・リブを先取りするような問題提起を行った森崎の女性論・恋愛論を、連帯のヴィジョンに着目しながら論じている。著者は森崎の議論の中に後のフェミニズムで論争の軸となるような二面性を見いだしている。つまり一方で『無名通信』を主宰するなど実践面においてシスターフッドの構築を試みつつ、他方で男女間の分断を固定化するような「被支配者」としての女性の連帯に批判的な視線を投げかけた、という視角である。

補論は、『サークル村』の会員であり、水俣病についての優れたルポルタージュで知られる石牟礼道子の共同体観について検討したものである。故郷水俣に根を下ろし、自然と人間が共生する不知火海海域の共同体の喪失を嘆いた石牟礼の共同体観は一見すると、伝統的な共同体を批判的に捉えた森崎のような論者のそれとは異質なものと映る。しかし著者は石牟礼のテクストの中に、伝統的な共同体社会の抑圧的な側面と、近代化の帰結としての地域社会の断層を見いだしている。天草出身の流民たちが水俣、東京、東南アジアへと離散しながら「故郷」を流動化させていくプロセスを追う石牟礼の作品世界の中には、「故郷」の表象に大きな亀裂が潜んでいたこと指摘しながら、そこに完結した共同体とは異質な連帯のヴィジョンを読み取っている。

以上のように本論文は、『サークル村』の運動が提出した「連帯の思想」を今日的な観点から再評価することに大きな力点をおいた意欲的な作品である。『サークル村』の運動が、構成員の均質性を前提とする調和的な関係性を批判し、多様な背景や属性を有する人々による対立を含んだ関係性を強調した点を戦後思想史の中で位置づけ直したことに、その独自性がある。50年代、階級や労働者という紐帯が強調される中で、それらの持つ異質性を意識しつつ連帯を模索した『サークル村』の活動に、60年代や70年代の市民運動などに見られた、「交流」を通じた連帯を見いだしている。

また第2部においては、森崎和江の思想の中に、70年代以降のフェミニズムが抱えることになる、シスターフードと異性愛の問題、セクシュアリティと性労働の問題などを見いだしている。「からゆきさん」など一連の作業が、刊行から30年以上を経た今も、未だに色あせていないことを、鮮やかに描き出している点は本論文の独自の貢献である。また男女間の関係を支配―被支配の関係としてよりも民衆間の序列化・分断として捉え、異性愛を男女間の分断を克服するための交流実践として位置づけたとする森崎論は、フェミニズムを女の連帯と考えるか、ジェンダーの正義の問題と考えるかという80年代以降の議論を先取りした思想家として森崎を捉えるもので、森崎に対する評価として大変新鮮である。これらの点で第2部はそれだけでも現代のフェミニズムやジェンダー論に対する先鋭な問題提起となっており、オリジナリティの高いものである。

しかし一方で、こうしたテーマの大きさが、いくつかの欠点を本論文にもたらしていることも否定できない。まず第1部と第2部の関係がやや必然性を欠いているような印象を与える。これは『サークル村』を第1部で論じ、その中の森崎の部分をさらに拡大して第2部で述べるという論文の構成自体に起因している。また「連帯」と本論文がいうときに、その内実や概念としての内包は不変だったといえるのか、『サークル村』のような労働運動へのこだわりが、本当に70年代に見られるような市民運動が突きつけた問題に、回答を示すものとなりえるのかは、自明ではないように思われる。さらに現代的な意義を強調しようとする本論文は、結果として当時の文脈を軽視して、90年代の文脈を60年代に投影しているような側面も否定できない。

しかしこのような欠点や疑問にもかかわらず、本論文が「異なるものとの連帯」というテーマを一貫して追い続ける姿勢は、十分な深みを論文に与えている。本論文が『サークル村』そしてとりわけ森崎和江を題材として、現代日本の思想状況に問いかけようとした、問題提起は幅広い。著者のすくい上げた森崎論の射程は、現在のセクシュアリティやセックスワークをめぐる議論などにも充分耐えうるもので、本論文の大きな学問的貢献ということができる。よって本審査委員会は、本論文を博士(学術)の学位を授与するにふさわしい業績と認めるものである。

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