学位論文要旨



No 120814
著者(漢字) 鈴木,恵美
著者(英字)
著者(カナ) スズキ,エミ
標題(和) エジプトにおける行政・立方関係 : 体制変化と世襲議員の変容
標題(洋)
報告番号 120814
報告番号 甲20814
学位授与日 2005.12.22
学位種別 課程博士
学位種類 博士(学術)
学位記番号 博総合第604号
研究科 総合文化研究科
専攻 超域文化科学専攻
論文審査委員 主査: 東京大学 教授 長澤,榮治
 東京大学 教授 鈴木,董
 東京大学 教授 山内,昌之
 和洋女子大学 教授 伊能,武次
 一橋大学 教授 清水,学
内容要旨 要旨を表示する

エジプトでは,王政期から現在に至るまで中央議会で議席を占有し続けている「議会家族」と呼ばれる名望家が存在する.近代以降,この議会家族は常にエジプトにおける政治の重大な局面に深く関わってきた.本論文では,これまでエジプトの政治言説のなかで頻繁に語られながらも,その家族名すら特定されてこなかった議会家族の家族名とその基盤地域を明らかにした.そして,この議会家族が政権の変化に応じて,自己の家族,あるいは親戚関係にある名望家とのネットワークを駆使することでその姿を融通無碍に変化させ,現在まで生き残ってきた過程を明らかにした.そして,ナセル以降の歴代政権に対して,議会家族が果たしてきた役割を考察した.

1922年から1952年までの立憲王政期は,議会家族などの名望家が議席を独占した時期であった.またこの間は,議会家族もワフド派と非ワフド派に分かれて派閥争いをするなど,議会家族が全体としてひとつの利害の元で結束することはなかった.

ところが,このような議席の独占状態は7月革命によって政治体制が王制から共和制へと変化したことでひとまず終止符を打つ.ナセルは,7月革命以前の政治的支配者の富の源であった大規模農地を解体し,その政治活動を制限することで,王政期の政治有力者のナセル体制からの排除を試みた.そのため,1960年代は大地主出身の議会家族は議員を務めることが難しくなった.しかし,7月革命の最大の受益者である中規模地主出身の議会家族はむしろ当選回数を増やすなど,ナセル政権を支える存在となった.

議会家族と政府の関係が強まるのがサダト期以降である.サダトやムバーラクは,議会家族がこれまで幾代にもわたって保持してきた名士としての地位と,国会議員としての特権と利益を保障する見返りに,彼らに政権を下支えする重要な役割を託した.サダトは中部・上エジプト地域の議会家族の議会における影響力を利用することで,大統領就任直後から続いていた体制内左派勢力との派閥争いに勝利した.その後,サダトはナセル期に政治領域から排除されていた元大地主を中心とする議会家族を議会に復帰させた.

そもそも,エジプトの議会は,国会議員の大半が大きな関心を寄せる農業問題の利害の調整場という色合いが濃い議会であった.常に国会議員の3分の1が農業委員会に所属し,本会議で取り上げられる議題も農業に関係するものが多くを占めていた.この議会の運営を円滑に進め,政府の法案を速やかに通過させるには,この議会を取りまとめる存在が必要とされ,その任を担ったのが議会家族であった.議会家族は,これまでも各専門委員会の役職を歴任するなど議会を統率する存在であったが,議会家族と政権の関係が一層強化されたのがムバーラク期であった.

1981年に大統領に就任したムバーラクが,難航が予想される農地改革関連法案を可決させて農村経済を市場経済化させるために選んだのが,中部エジプト・ファイユーム県の議会家族出身であるユーセフ・ワーリーとアブーバクル・アル=バースィルであった.ファイユーム県は,これまでも議会家族が中央議会だけでなく,党中央組織においても高い役職に就いてきた県であり,ファイユーム県出身の議会家族は,議会のなかでも重鎮的存在であった.ムバーラクは大統領に就任するとまずワーリーを農業大臣に任命した.そして1984年に本格的に農地改革の法案作りに着手すると同時に,バースィルを人民議会農業委員会委員長へ,そして1985年にはワーリーに与党国民民主党の党幹事長を兼任させる.これにより,議会に対する国民民主党の圧倒的に優位な体制が決定づけられた.換言すれば,ワーリーの党幹事長任命はムバーラクの党を中心とした社会支配の強化であり,農村改革に対する強い意志の表れでもあった.

しかし,いかにエジプトの政権が権威主義的であろうと,農地改革法の改正には多くの困難が予想された.それは,ムバーラク政権が農民と労働者の解放を掲げた7月革命の精神を受け継ぐ立場にあるからで,新たな農地改革法を導入することでムバーラクが自ら政権の正当性を否定することにもなるからである.新農地改革法が導入された1990年代を通して農村地域で暴動が多く発生しているが,これは,この法の制定が如何に難しいものであったかを示していた.

市場経済化を推進するムバーラクは,議会家族を議会の要職に登用することで,国民の反発が予想されるような法律の速やかな制定を可能にした.そして地域社会においては,議会家族を社会改革を断行する政府の代行者とすることで,政権の安定化を図ってきた.このように,村落の末端にまで貫徹するNDPを軸とした社会の支配構造が,エジプトの権威主義体制の長期の存続を可能にしてきたのである.

以上のように,議会家族は歴代政権の権力基盤のひとつとなり権威主義体制を支えてきたが,議会家族の議席の占有率や政権との関係には,地域により違いが見られた.議会選挙が行われるようになってから現在まで,全国のなかで議会家族による議席の占有が最も行われてきたのが,中部・上エジプト地域である.王政期に国会議員を複数回務めていた有力家族の多くはナセルの政治改革によって議席を失っていくが,中部・上エジプト地域の議会家族はナセルの政治弾圧にも耐え,現在まで地盤地区で議席をほぼ独占してきた.この地域で特定の家族による議席の占有を可能にしてきた要因は,まず第一に,この地域は部族的,家族的紐帯が色濃く残っている地域であることがある.第二は,これらの地域が低開発地域であることである.地域住民は様々な要望を実現させるために,中央政府や党執行部との強いつながりを持つ議会家族に依存せざるえない.このような中部・上エジプト地域の社会環境のなかで,議会家族は中央議会の議席をほぼ独占することができた.

中部・上エジプトの議会家族は,その成立経緯と権力基盤の違いから二分することができる.一つは中規模地主出身の議会家族で,1920年代から1930年代にかけて,ワフド党と非ワフド党諸派の政権を巡る争いのなかで基盤地域を固めた家族である.このような議会家族に議席の占有を可能にさせる要素は,土地の所有よりは,むしろ地域社会の部族的,家族的な紐帯にあった.もう一つは大地主出身の議会家族である.特に中部エジプトの議会家族は,全国の議会家族のなかでも際立って特異な存在である.これらの議会家族は,土地の所有を背景に,19世紀後半から20世初頭に掛けて既に地盤となる地域を固めており,1866年にエジプトにおける最初の中央議会が設立されてから現在に至るまで,常に議会運営の鍵を握ってきた.さらにこの地域の大地主出身の議会家族は,利益集団的な意識を共有し,時々の政権や国家元首と良好な関係を保つなど,議会方面から政権の支配を下支えする存在であった.

下エジプト地域の議会家族については,一部に強大な権力を持つ議会家族も存在するが,中部・上エジプト地域に比べれば議席の占有率は高くない.またこの地域では,7月革命以前には議席を独占していた有力家族が多数存在していたが,その大半は7月革命以降,または1960年代を境に国会議員を務めることがなくなっている.ナセルの政治改革は,特定の地域に対して行われたものではなかった.下エジプト地域の有力家族が7月革命後に議会から姿を消したのは,もはやアラブ社会主義連合に実権を奪われた議会ではなく,このアラブ社会主義連合のなかにこそ,名望家としての権力の温存の活路を見出したからなのである.

審査要旨 要旨を表示する

鈴木恵美氏の博士学位請求論文「エジプトにおける行政・立法関係―体制変化と世襲議員の変容―」は、王政期から現在に至るまでエジプトの国会の議席を占有し続けている「議会家族」と呼ばれる名望家層の分析を通じて、政権基盤に安定性を与えるパトロン・クライアント関係の構造を明らかにした労作である。本論文を特徴づけるのは、1866年から2000年までの32回の議会、合計7633議席を選挙区別に詳細に分析した全国会議員データベースの作成に見られるところの、膨大な情報の処理と分析に支えられた実証性の高さである。以下に論文の各章の概要を述べる。

序章では、先行研究・依拠した資料・分析方法が解説され、議会家族の具体的な事例が示された。

第1章では、エジプトの議会制度史が概観され、政治エリートとしての国会議員の位置づけの変容がとくに1952年革命前後の変化を中心にして考察された。

第2章では、全国会議員データベースをもとに合計82の議会家族が抽出され、各議会に占めるその割合が革命後著しく低下し、サダト政権下で再び増加したことが明らかにされた。またその地域別の特徴や議員の経歴と社会的属性についても考察があった。

第3章では、革命前の王政期の議会家族が当時の政党政治との関係において分析された。とくにワフド党と非ワフド党諸派の政権をめぐる争いが激しさを増した1930年代以後、議会家族が全国規模で長期間議席を占有するようになった過程が明らかにされた。また議会家族の各政党へ帰属意識についても考察があった。

第4章では、革命後の議会家族の変化が考察された。ナセルの政治改革は大地主の議会家族の議席確保を困難にしたが、一方中規模地主の議会家族は議席を維持したこと、そしてサダト政権期には中部・上エジプトの議会家族が左派勢力の粛正に協力することで政権基盤に安定性を与え、ナセル期に議席を減らした一部の議会家族が復権したことが具体的に明らかにされた。

第5章では、現ムバーラク政権と議会家族の相互依存関係が考察された。支配機構である与党・国民民主党に、大半の議会家族が所属する過程が明らかにされ、また農業に利害を持つ議会家族が、農業改革政策の施行において要職に登用されるなど、人民議会の運営において主導的な役割を果たしてきたことが示された。

終章では、国会選挙分析によって1990年代以降議会家族の当選率が低下していることが明らかにされ、現在、政権と議会家族の関係に変化が起きつつある可能性があり、これが今後のエジプト政治の民主化問題に大きな意味を持つであろうことが指摘された。

また補論では、現ムバーラク政権と議会家族との関係を考察する資料として、国民民主党の党綱領を分析し、党の中央・地方組織の構造と指揮命令系統が分析された。

審査委員会では、論文の題目の妥当性、用語表記や文献目録の形式、先行研究への言及などについて問題点が指摘されたほか、現在の農業改革政策の性格、遊牧民部族の定住化との関係、チェルケス系などの名望家家系、都市化の影響とムスリム同胞団との対抗関係などの問題について質疑が行なわれた。本論文全体の評価については、情報の非公開性などの困難な資料状況のなかで網羅的といってよいほどのきわめて詳細なデータベースを作成した努力、また従来エジプト政治研究の中心テーマであった政治エリート研究において議会エリートという研究対象の空白を埋める研究である点、なかでも代表的な先行研究であるL.バインダーの研究を超える水準の内容であり、中東政治研究において重要な貢献をなす成果である、などの指摘があった。以上の評価が示すように、本論文が学術業績として極めて有意義な成果であることにおいて、審査委員全員の意見が一致した。

したがって、本審査委員会では同論文が博士(学術)の学位を授与するにふさわしいものと認定する。

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