学位論文要旨



No 120817
著者(漢字) 栗山,美樹子
著者(英字)
著者(カナ) クリヤマ,ミキコ
標題(和) デトリタス食性カイアシ類Scolecitrichidae科の群集生態学的研究
標題(洋)
報告番号 120817
報告番号 甲20817
学位授与日 2005.12.22
学位種別 課程博士
学位種類 博士(農学)
学位記番号 博農第2930号
研究科 農学生命科学研究科
専攻 水圏生物科学専攻
論文審査委員 主査: 東京大学 教授 西田,周平
 東京大学 教授 寺崎,誠
 東京大学 教授 木暮,一啓
 東京大学 教授 津田,敦
 広島大学 助教授 大塚,攻
内容要旨 要旨を表示する

Scolecitrichidae科カイアシ類は、海洋の表層から中層にかけて幅広く分布し、おもに中層で卓越する。本科はカラヌス目カイアシ類の中でも2番目に多くの種を含み、25属160種が知られているが、分類学的に問題のある種も多く、近年の再検討により新たな属が作られるなど、現在も議論が続いている分類群である。

消化管内容物の調査により、本科カイアシ類は一般にデトリタス食性あるいは雑食性として考えられているが、一部の種では肉食性が強いことも知られている。また、下顎や顎脚に感覚毛と呼ばれる特殊な刺毛をもつことが知られており、微細構造の観察の結果、この感覚毛はデトリタスの感知に関与する化学受容器であることが推察されている。これはカラヌス目カイアシ類の中で本科を含め、Diaixidae科、Parkiidae科、Phaennidae科およびTharybidae科の5科にのみ認められるが、特殊化した摂餌様式をもつと考えられるこれらの近縁な科の中で、Scolecitrichidae科は最も種多様性の高い分類群である。

このような特徴を持つScolecitrichidae科カイアシ類の生態学的情報は、種多様性や海洋の物質循環に関する重要な知見を与えると考えられる。本研究では、Scolecitrichidae科カイアシ類の群集生態を解明することにより、本科カイアシ類の多種共存機構と種多様性の維持、物質循環における寄与を理解することを目的とした。はじめに、一般外洋の表層および中層における本科カイアシ類の鉛直分布と群集構造の把握のため、分類学的基礎が築かれている相模湾を調査海域とし、共存機構について考察した。つぎに、特殊な環境を有するスールー海において同所的多様性の高い本科カイアシ類について、環境条件の違いに対する群集構造の応答、およびそれによりもたらされる種多様性の変化について議論した。さらに、本科カイアシ類の感覚毛の観察、および代謝活性を測定することにより、共存機構の解明にさらなる示唆を求めると同時に、物質循環における役割やその規模を推定した。

相模湾における鉛直分布および群集構造

試料は2000年5月の研究船淡青丸航海において、相模湾中央の定点(35°00'N、139°20'E)で採集した。深度0〜1000m間の14層について、大型MTDネットを用いて昼夜の水平曳きを行った。

得られた試料から、11属43種の成体のScolecitrichidae科カイアシ類が同定された。これは現在までに知られている本科カイアシ類約160種の1/4に相当し、本科カイアシ類の特徴ともいえる同所的多様性の高さが相模湾においても示された。科全体では、表層から中層上部で個体数密度が高く、顕著な昼夜移動により夜間は最大密度層が上昇した。中層下部では昼夜で大きな変動はなく、密度がきわめて低かった。一方、種数および多様度指数は、表層と比較し中層で高くなることから、本科カイアシ類の種多様性は、中層における種多様性の寄与が大きいことが明らかとなった。また、密度と種数の関係から、群集構造の異なる鉛直的な帯状区分が形成されていることが示唆された。

各層における各種の密度から求めたMorisita-Hornの類似度指数を用いたクラスター解析の結果、昼夜ともに中層下部(700〜1000m)は独立した1つの群集として認められた。これはこの群集が、おもに700m以深に出現する昼夜移動を行わない種で特徴づけられるためであると考えられる。これより浅い層では、いずれも鉛直勾配に沿って分類されたが、形成された群集は日周鉛直移動の影響により昼夜で異なる層で構成された。

各種の鉛直分布パターンは、おもに表層から中層上部に分布する鉛直移動種および非移動種、おもに中層下部に分布する種、中層全体に幅広く分布する種に大別された。そして、表層では昼夜移動や最大密度層の違いなどにより種間で僅かずつ分布パターンが異なるのに対し、中層では分布の重複が種間で大きいことが明らかとなった。また、表層では小型種が多く、一方中層では小型から大型種までを含み、種間のサイズ分布の幅が広かった。体長の違いが利用する餌のサイズの違いを反映していると仮定すると、中層では餌のサイズ分布が種間である程度異なっていることが示唆された。これらのことから、Scolecitrichidae科カイアシ類では、生息深度や体長の違いが近縁種間の共存を可能にする重要な要因となっていると考えられた。

スールー海およびその隣接海域における鉛直分布および群集構造

試料は2000年2月の研究船白鳳丸航海において、スールー海および隣接するセレベス海の各1測点で採集した。深度0〜1000m間を16層に区分し、MOCNESSを用いて傾斜曳きによる昼夜の鉛直区分採集を行った。

得られた試料から、スールー海では9属34種、セレベス海では11属57種の成体のScolecitrichidae科カイアシ類が同定され、スールー海で比較的多様性が低かった。スールー海は周囲との海水の交換が限られた半閉鎖的な海域で、中層以深は約10℃という比較的高水温が海底まで続いている。また塩分、溶存酸素濃度といった環境条件も周囲の海域とは異なり、均質な独自の環境を形成している。これらのことから、セレベス海における同所的多様性の高さは一般的な熱帯外洋群集のものであり、スールー海で特異的に多様性が低下していると考えられた。さらに個体数密度、種数および多様度指数の比較から、スールー海における1000m以浅の多様性の低さは、中層における多様性の低下によるものであることが明らかとなった。また、群集構造に注目すると、セレベス海では水柱あたりの相対密度がきわめて低い非優占種(<1%)が全種数の6割以上を占めているのに対し、スールー海では出現種数の減少に加え、この非優占種の割合が4割未満であった。セレベス海に出現してスールー海に出現しなかった種は25種にものぼったが、これらはすべて非優占種であることがわかった。また、これらのスールー海に出現しなかった非優占種はすべて中層に分布中心をもつことが示された。一方、スールー海に出現した種では、セレベス海における分布中心の深さや密度に一定の傾向は見られなかった。

両海域における各種の分布様式は、鉛直的に3つのパターンに分けられた。このうち表層および中層上部は両海域とも同様の傾向を示した。表層では各種の分布範囲が狭く階段状に分布しており、中層上部は分布範囲が広い種と狭い種の混合群集で、日周鉛直移動の距離の違いなどもみられたが、種間の分布パターンは大きく重複するものもあった。しかし中層下部では、両海域で分布様式が異なり、セレベス海では分布範囲の広い種が多く、昼夜を通して多種の分布の重複が見られたのに対し、スールー海では分布範囲がセレベス海に比べて狭く、表層の細かい階段状とは異なった各種の鉛直範囲が広い、階段状の分布を示し、分布が重複する種数が格段に減少した。さらに近縁種間で分布と体長および密度の相違を合わせて検討した結果、体長の違いや密度の違いも共存機構の可能性として考えられた。

以上のように、独自の海洋構造をもつスールー海では、本科カイアシ類は他海域とは異なる変則的な群集構造を示した。そして中層における非優占種の減少と群集構造の変化が、結果的に中層の種多様性を低下させたと考えられる。

摂餌器官の構造

Scolecitrichidae科カイアシ類の第2下顎にある感覚毛について外部形態および内部構造の観察を行った。感覚毛は先端が微細刺毛で囲まれる毛筆状感覚毛と、微細刺毛はなく先細な虫状感覚毛との2つのタイプに大きく分けられる。内部構造の観察には、鉛直移動を行う相模湾における本科の優占種(Pseudoamallothrix ovata)、中層以深のみに生息する低密度種(Pseudoamallothrix emarginata)、および特殊な感覚毛をもつ種(Heteramalla sarsi)を用いた。他の一般的なScolecitrichidae科カイアシ類と同様に、観察を行った3種はいずれも第2下顎の内肢に3本の虫状感覚毛と5本の毛筆状感覚毛をもつ。P.ovataとP.emarginataの感覚毛の内部構造は類似していたが、種間および感覚毛のタイプにより神経細胞の樹状突起から生じる線毛の数には差異が認められた。H.sarsiは2本の巨大化した毛筆状感覚毛をもつ点で特異であるが、上記2種および既報告の種と同様の基本構造を示した。

Scolecitrichidae科カイアシ類の代謝

採集した試料から生きたカイアシ類を選別し、飼育実験により酸素消費速度(Winkler法)およびアンモニア排泄速度を測定した。測定はScolecitrichidae科カイアシ類12種とその他のカラヌス目カイアシ類10種について行い、実験後カイアシ類の炭素量および窒素量を分析した。

Scolecitrichidae科カイアシ類の体炭素量および窒素量から求めたC:N比は、3.4〜10.7の幅があったが、おもに5.0未満の種が多くを占めた。また、酸素消費速度とアンモニア排泄速度から求めた0:N比も種によって異なり、5.1〜50.4の範囲であった。これらのことから、体内に貯蔵されている脂質の量や、利用する代謝基質が種間で異なることが示唆された。特に、相模湾においてScolecitrichidae科内で優占する種間や、同属内で分布や形態、体長の類似した種間で、このような相違が見られたことにより、摂餌の頻度や餌の質の違いがこれらの種の共存に繋がっている可能性が考えられた。

以上、本研究によりScolecitrichidae科カイアシ類の鉛直分布、群集構造、代謝活性および種多様性に関して多くの知見が得られた。表層および中層に出現する本科カイアシ類は、熱帯および亜熱帯の一般外洋において同所的に約40〜60種が生息し、鉛直的な棲み分けや体長の違いがこれらの種多様性に大きく関与していることが示唆された。さらにこれらカイアシ類の代謝も共存に貢献しているものと考えられた。今後、種レベルの詳細な知見を集積し、季節変動や捕食者との関わりなどについても調査を行うことにより、Scolecitrichidae科カイアシ類の海洋生態系における役割をより明確にすることができると考える。

審査要旨 要旨を表示する

Scolecitrichidae科カイアシ類は、海洋の表層から深層にかけて幅広く分布し、おもに中層で卓越する。また本科はカラヌス目カイアシ類の中でも2番目に多くの種を含み、25属160種が知られている。消化管内容物の調査により、本科カイアシ類は一般にデトリタス食性あるいは雑食性として考えられているが、一部の種では肉食性が強いことも知られている。また、下顎や顎脚に感覚毛と呼ばれる特殊な刺毛をもつことが知られており、微細構造の観察の結果、この感覚毛はデトリタスの感知に関与する化学受容器であることが推察されている。このような特徴を持つScolecitrichidae科カイアシ類の生態学的情報は、種多様性や海洋の物質循環に関する重要な知見を与えると考えられる。本論文は、これらの点に注目し、Scolecitrichidae科カイアシ類の群集生態を解明することにより、本科カイアシ類の多種共存機構と、物質循環における寄与を理解することを目的としたものであり、以下のように要約される。

第1章では、陸上および海洋における多種共存現象に関する知見を総説し、外洋域のプランクトン群集が高い局所多様性によって特徴づけられること、また外洋域の多くの分類群で種多様性が中層において最大となることを示した。さらにScolecitrichidae科の分類学的、形態学的特徴と、多種共存機構の研究における重要性を指摘し、研究の目的を明示した。

第2章では、相模湾中央から得られた試料を解析し、相模湾における本科の鉛直分布および群集構造を明らかにした。11属43種が同定され、相模湾においても本科の同所的多様性の高さが示された。個体数密度と種数および多様度指数から、本科の種多様性は中層における種多様性の寄与が大きいことが明らかとなった。各種の鉛直分布およびサイズ分布パターンから、本科カイアシ類では、生息深度や体長の違いが近縁種間の共存を可能にする重要な要因となっていると考えられた。

第3章では、半閉鎖的な海盆と高温(約10℃)の中・深層水で特徴づけられるスールー海と、隣接する外洋的な特徴を示すセレベス海において1000m以浅の鉛直分布パターンを解析した。スールー海から9属34種、セレベス海から11属57種を同定した。スールー海では出現種数の減少に加え、非優占種の割合が低く、セレベス海に出現してスールー海に出現しなかった25種はすべて中層に分布中心をもつ非優占種であることがわかった。中層下部では両海域で各種の分布様式が異なり、セレベス海では多種の分布が重複したが、スールー海では分布範囲が比較的狭く、分布が重複する種数が減少した。さらに、体長の違いや密度の違いも共存機構の可能性として考えられた。独自の海洋構造をもつスールー海では、本科は他海域とは異なる変則的な群集構造を示し、中層における非優占種の減少と群集構造の変化が、結果的に中層の種多様性を低下させたと考えられる。

第4章では、第2下顎にある感覚毛の微細構造と消化管構造の観察を行った。感覚毛は先端が微細刺毛で囲まれる毛筆状感覚毛と、微細刺毛はなく先細な虫状感覚毛との2つのタイプに大きく分けられる。内部構造の観察の観察を行った3種はいずれも第2下顎の内肢に3本の虫状感覚毛と5本の毛筆状感覚毛をもち、既報告の種と同様の基本構造を示した。

第5章では、本科12種とその他のカラヌス目カイアシ類10種について、飼育実験により酸素消費速度およびアンモニア排泄速度、カイアシ類の炭素量および窒素量を測定し解析を行った。求めたC:N比および0:N比から、体内に貯蔵されている脂質の量や、利用する代謝基質が種間で異なることが示唆された。特に、相模湾における本科の優占種間や、同属内で分布や形態、体長の類似した種間では、摂餌の頻度や餌の質の違いがこれらの種の共存に繋がっている可能性が考えられた。

第6章では、以上の知見を総合し、本科の多種共存機構について考察した。分布深度、体長、代謝特性を、それぞれ生息場所、餌のサイズ、摂餌の頻度と餌の質を反映するものと仮定して、ニッチの重複度を検討した結果、いずれの海域においても、多くの種で鉛直的棲み分けと餌ニッチの分割が主要な共存機構であることが示唆された。また、今後の課題として、感覚毛の機能の解明と餌の種特異性を実証する必要性が指摘された。

以上のように本論文は、Scolecitrichidae科カイアシ類の鉛直分布様式の詳細を初めて明らかにし、群集構造、代謝活性および種多様性についても豊富な知見を提供している。さらに、これらの知見を総合することにより、海洋生態系における多種共存機構について新たな視点を提示しており、学術上、応用上貢献するところが大きい。よって審査委員一同は、本論文が博士(農学)の学位論文として価値あるものと認めた

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