学位論文要旨



No 120818
著者(漢字) 圖司,直也
著者(英字)
著者(カナ) ズシ,ナオヤ
標題(和) 現代入会牧野論 : 潰廃メカニズムと再編の方向性
標題(洋)
報告番号 120818
報告番号 甲20818
学位授与日 2005.12.22
学位種別 課程博士
学位種類 博士(農学)
学位記番号 博農第2931号
研究科 農学生命科学研究科
専攻 農業・資源経済学専攻
論文審査委員 主査: 東京大学 教授 谷口,信和
 東京大学 教授 岩本,純明
 東京大学 教授 生源寺,眞一
 東京大学 教授 中嶋,康博
 東京大学 助教授 小田切,徳美
内容要旨 要旨を表示する

問題の所在と課題の設定

わが国の国土における農用地面積は長期的に減少傾向にあり、その一部を構成する採草放牧地も同様の傾向を示している。その中で、1990年代に入り、採草放牧地の賦存量の大きい熊本県阿蘇地域において、畜産的利用を中心とする従来の経済的「牧野」利用が後退する一方で、環境・景観保全の側面からは、「草原の危機」として都市住民を含めた社会的関心が高まっており、その存在意義があらためて問われている。それにも関わらず、牧野の粗放的潰廃に向かう過程およびその要因自体への検証は、1990年代以降の研究蓄積を見る限り深まっておらず、実態に即したメカニズム分析を欠きながら再編論が先行する懸念が研究自体に存在する。それ故に、分析視角としては、まず、採草放牧地を牧野と捉えてきた入会権者の関わり方を軸として、「入会牧野」とその担い手の関係の変容を実態に即して明らかにする必要がある。

そもそも、1990年代以前には、当事者としての入会権者に焦点をあてた先行研究は数多く、各時代における牧野の利用・管理形態とその主体の性格に関する課題に焦点を当て、通史的視点に立てば、既に1970年代以降に牧野利用の側面における後退の兆候を確認していた。つまり、今日の入会牧野潰廃をめぐる議論には、1990年代以前の分析視角も射程に入れながら、「入会」の性格に留意し、「利用」と「管理」を一体的に捉える視点が不可欠である。

以上から、本研究では、「現代入会牧野論」と題して、入会牧野において最終的に粗放的潰廃に至る過程を、利用・管理それぞれの後退局面と入会権者の性格の変容を踏まえた通史的視点から捉え直すことにより、入会牧野潰廃のメカニズムを解明し、それを踏まえて再編の方向性を考察することを課題とする。

入会牧野の基本的性格と統計的概況

本研究が対象とする「入会牧野」は、そもそも畜産的利用での採草放牧という「牧野」利用形態が、それに適した集団的利用・管理の「入会」制度、組織形態のもとで合理的に結びついたものであった。しかし、このような性格を反映した統計整備は進んでおらず、その定量的把握には限界があった。その中で、阿蘇地域では、1990年代半ば以降、入会集団単位での属人的な悉皆調査により、面積や入会権者などストックとしてその全体像の把握がようやく可能になり、依然として主要な地域資源であることが示された反面、放牧利用、もしくは野焼き管理の中止が一部の入会牧野に顕在化する実態も改めて確認されていた。

しかし、阿蘇地域における180あまりの入会牧野について、利用と管理の両面で後退局面が進行する「牧野空洞化」の状況把握は不十分であったため、放牧密度と野焼き指数を指標に用い、本研究では踏み込んだ分析を試みた。その結果、個別牧野では極めて多様な「牧野空洞化」の位相を示しながら、その傾向に一定の地域性を見出せることが仮説的に提示できた。そこで、課題の検討地域として、利用・管理の両面で後退が併進し、空洞化の先鋭的な発現が想定される小国郷地域と、阿蘇地域最大の牧野賦存量を有し、その中で利用を中止しながらも管理継続を図る別の形の空洞化傾向が見受けられる阿蘇谷地域の2地域を取り上げることとした。

入会牧野潰廃のメカニズム

第3章では、小国郷地域の中で、既に牧野潰廃が現出する名原大鶴牧野(小国郷地域)を対象に、牧野潰廃に至るフローとしての動態把握を行い、牧野空洞化の位相の背景に共通して作用していると考えられる入会牧野潰廃のメカニズムの析出を試みた。

その結果、入会権者の個別展開と入会集団としての対応という2つの主体の動向が相互に影響を及ぼしながら、利用と管理のそれぞれの側面において後退局面を強めていき、その因果関係から入会牧野潰廃のメカニズムが説明された。入会権者の個別展開としては、肉牛繁殖経営の動向が牧野利用の後退に影響する一方で、入会権者の高齢化は牧野管理の後退に作用しうる。また、入会集団としての対応では、入会集団が使用収益の有無に応じて分化した場合には、運営に関する意向のズレから、少数化した有畜農家にとっては従来通りの牧野利用に支障を来たし、また無畜農家や非農家自体もメリットを持ち得ない管理出役へは参加インセンティブを弱め、管理出役の脆弱化に影響を及ぼしうる。その上で、入会権者が牧野利用・管理ともに中止した牧野では、やがて人の背丈以上のカヤや低木が侵入、優占する「牧野潰廃」が発現する。

このメカニズムは、各牧野における空洞化の位相を捉える「ものさし」であり、牧野単位で入会権者もしくは入会集団の内実を注視しながら、利用と管理の現局面をメカニズム分析に即して位置づけ、その上で、今後の方向性を見通す作業が必要であることが示唆された。

牧野空洞化の今日的諸相と存続可能性

利用と管理の両面で後退の併進が想定された小国郷地域では、前章のような牧野潰廃が実際に確認されたことから、第4章では、小国町における入会牧野空洞化の実態から、他牧野における潰廃の発現可能性、さらにそこで展開しうる空洞化抑制の手段と論理の検討を行った。

小国町における入会牧野では、その地形的条件から利用形態が放牧中心に制約され、他の利用形態や入会権者外からの主体確保も厳しいため、利用主体としては入会権者の有畜農家を軸とせざる得ない状況にあった。その中で、面積、構成範域の大きな牧野は、より牧野潰廃の発現可能性が強める傾向にあり、有畜農家の減少が放牧密度の低下に直結し、牧野利用の粗放化が進むだけでなく、それが畜産的利用という共通の使用収益目的で結集してきた入会集団の牧野管理義務の紐帯も弱めていた。

それ故に空洞化抑制には、まず利用主体の確保が不可欠であり、有畜農家も放牧頭数維持のために、耕種部門との複合経営を通して収益確保を図る手段として、糞畜機能を活用した有機農産物の経済的評価の確立を模索していた。さらに、入会集団としても、牧野管理の維持を担保できるよう、都市住民との交流事業に取り組み、無畜農家や後継者世代も参画できる多目的な牧野利用への拡張を試みながら、入会牧野を内発的なツーリズム資源として捉え直し、入会集団全体として利用・管理に関わる仕組みを具体的に構築する姿勢が強く打ち出されていた。

入会牧野再編に向けた展開

第5章では、先の小国郷地域とは対照的に、景観的にも施策対象においても阿蘇地域の中核をなし、また異なる空洞化パターンを示す阿蘇谷地域を対象に実態分析を行い、そこに内在する課題を見極め、示唆される対応の方向性を検討した。

相対的に地形的条件に恵まれた阿蘇谷地域では、草地開発事業の導入や、預託放牧や牧野流動化による外部補完など、多くの牧野施策が機能し、その結果、肉牛繁殖経営の規模拡大が進み、入会権者外からも利用主体を受け入れ、利用度の維持を図ってきた。その反面、入会権者の分化の進行に加え、近年では混住化に伴う非農家の増加、入会権者の高齢化により、意向のズレ、人手不足といった牧野管理の脆弱化が問題視され、雇用や支援ボランティアによる担い手補完も一部の牧野でなされた。しかし、牧野管理は、野焼きという地域固有技術を伴い、また広域連坦する阿蘇谷地域の牧野では、利用の有無を問わず各牧野が責任を持って最低限野焼きを継続させる必要があるため、入会集団の内部での担い手確保が必須とされ、長期的視点からは、入会権者の継承問題が課題とされていた。そのためには、使用収益を持たない無畜農家、非農家、そして次世代が参画しうる新たな利用形態の創出が必要であり、現行体制への再考が求められていた。

しかし、空洞化への対応は牧野間で差が大きく、総じて外部補完での短期的対応が可能な中で、具体化した取り組みは乏しい。その中でも、地域環境保全としての牧野管理の意義を入会権者で共有する牧野では、円滑な担い手確保がなされ、また、有利な立地条件を活かす牧野では、共同での採草放牧利用に止まらず、草地開発、観光部門での展開といった牧野利用の拡張、再編を試み、さらに牧野利用での積極的展開が可能な場合には、構成員を再構成し、制度としての入会再編にまで踏み込む牧野も出ており、従来の原型を乗り越えようとする積極的再編の展開は現実化していた。

総括―入会牧野再編の方向性―

本研究の結論である入会牧野再編の今日的方向性は、潰廃メカニズムが作用しながら、入会慣行に基づく利用・管理の原型が大きく変容してきた中で、改めて入会権者自らが集団的利用・管理の必然性を問い、それに応じた体制の再構築を図ろうとするものであった。その具体的手段は、各地域、牧野の諸条件に合わせて考慮、選択され、今日的には、単なる畜産的草地資源の枠を越え、農業的利用や景観的利用など新たな利用形態への拡張の中で、「地域資源」として幅広い用途が視野に入っている。

そのために必要とされる対応として、入会権者、外部機関それぞれが担うべき役割があり、当事者の入会権者には、集落点検活動やビジョンづくりを通じて、利用・管理のあり方を主体的に議論する場づくりが求められる一方、外部機関には、個別牧野での対応が困難な広域的調整の役割が期待され、さらに入会権者が自立的再編を図れるよう、現行施策を有機的に接続し直す作業が求められる。

本研究における実証から、今日、地域資源管理の議論の焦点となりうる入会牧野研究には、今後の課題として、さらに阿蘇地域、他地域における入会牧野への地道な実態調査を重ね、また水利等の対象や関連分野との学際的研究により議論を深め、その成果を再度、現場に還元しながら再編に向けた議論、手段の構築に寄与する姿勢が求められる。

審査要旨 要旨を表示する

採草地や放牧地を中心とした牧野は、耕地における飼料の自給基盤が脆弱なわが国にあっては、畜産の有力な飼料基盤をなしてきた。そして、里山から奥山にかけての牧野の賦存状況に対応する形で畜産が展開してきたといってよい。

しかし、戦後高度成長期以降のわが国の畜産の発展は舎飼と輸入購入飼料依存を軸として進められ、全国有数の採草放牧地を有する熊本県阿蘇地域においても、畜産的土地利用を中心とする従来の経済的「牧野」利用が後退する一方で、環境・景観保全の側面からは、牧野の後退が「草原」の危機として把握され、多くの都市住民をも巻き込んで牧野に対する社会的な関心が高まっており、その存在意義が問われている。

本論文はこうした牧野の今日的到達点を、全国で最も賦存量の多い熊本県阿蘇地域を対象として、潰廃メカニズムと再編の可能性という視角から包括的に分析検討した意欲的な研究である。

第1章においては、採草放牧地を牧野と捉えてきた入会権者の関わり方を軸として、入会牧野とその担い手との関係の変容を実態に即して明らかにするという、本論文における分析視角の意義が提起される。そこでは入会の性格に着目するとともに、牧野の「利用」と「管理」を一体的に捉える視点の重要性が強調されている(利用されて初めて牧野と呼びうるからである)。

第2章においては、改めて畜産的土地利用に関わる採草・放牧という利用形態に即した牧野の賦存量をめぐるこれまでの統計についての包括的な検討が行われ、牧野に関する統計的定義の多様性が指摘される一方、既存統計をもとに入会の側面から牧野を把握することの限界性が指摘される。これに対して著者は阿蘇地域で1990年代半ば以降実施されてきた入会集団単位での属人的な悉皆調査結果をフルに活用しながら、牧野の全体的状況を把握すること試みた。

そして、利用と管理の実態を「放牧密度」と「野焼き指数」という指標を用いて計量化することによって、阿蘇地域の牧野が利用と管理の両面から極めて多様な「牧野空洞化」の位相を示しつつも、それらの傾向に一定の地域性があることを突き止めた。つまり、利用・管理の両面で空洞化が進行する小国地域と利用空洞化は進行するものの管理の継続がみられる阿蘇谷地域がそれである。

第3章は小国地域を対象として、入会権者の個別的経営展開、すなわち肉牛繁殖経営の動向が牧野利用の後退に結実する様相と入会権者の高齢化が牧野管理の後退に作用する状況を入会牧野潰廃メカニズムという視点から克明に跡づけたものである。

第4章はこうした分析を踏まえて、小国地域の牧野の利用形態が放牧に限定されたことが有畜農家の減少→放牧密度低下→牧野利用の粗放化→牧野管理の低下に結びついたことを論理的に整理する一方で、牧野空洞化抑制に対する方策として、耕種部門と畜産部門の再結合による複合経営樹立を通した有機農産物生産の意義と入会牧野を内発的なグリーンツーリズム資源として活用し、都市住民も巻き込みながら新たな牧野の管理方法を模索することの意義を提起している。

第5章では、草地開発事業の導入・預託放牧・牧野流動化などに積極的に取り組み、肉牛繁殖経営の規模拡大を進める中で、空洞化が進みながらも牧野利用の維持が図られてきた阿蘇谷地域の詳細な実態調査結果が紹介されている。ここでも牧野空洞化への対応は地域間で差違が大きく、地域環境保全の視点から牧野管理を重視する地域では円滑な管理の担い手確保がなされ、また、有利な立地条件を活かした牧野では採草・放牧利用に止まらず、草地開発・観光開発を通じた牧野利用の拡張によって制度としての入会再編に踏み込む地域も生まれてきていることが指摘されている。

第6章は以上の分析を総括するとともに、入会権者自身が牧野の利用・管理の両者に従事する体制の再構築をめざして、単なる畜産的草地資源の枠を越えて、農業的利用・景観的利用など新たな牧野の利用形態を模索する中でしか、牧野再編の可能性がないことを提起して、本論文のまとめとしている。

以上のように、本論文は現段階の牧野をめぐって、「放牧密度」と「野焼き指数」という新たな指標を提起することによって、既存統計の制約を越えてその賦存量を包括的に明らかにするとともに、克明な実態調査を通じて牧野潰廃のメカニズムを析出して、牧野再編に関する提言を行ったものであって、学術上、応用上貢献するところが少なくない。よって審査委員一同は本論文が博士(農学)の学位論文として価値あるものと認めた。

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