学位論文要旨



No 120819
著者(漢字) 富張,瑞樹
著者(英字)
著者(カナ) トミハリ,ミズキ
標題(和) 遺伝性バンド3欠損牛における赤血球表現型に及ぼす膜骨格蛋白質スペクトリンに関する研究
標題(洋)
報告番号 120819
報告番号 甲20819
学位授与日 2005.12.22
学位種別 課程博士
学位種類 博士(獣医学)
学位記番号 博農第2932号
研究科 農学生命科学研究科
専攻 獣医学専攻
論文審査委員 主査: 東京大学 教授 小野,憲一郎
 東京大学 教授 小川,博之
 東京大学 教授 西原,真杉
 東京大学 助教授 松木,直章
 北海道大学 教授 稲葉,睦
内容要旨 要旨を表示する

黒毛和種牛において認められているバンド3欠損症は、バンド3遺伝子のナンセンス変異(R664X変異)により、赤血球ならびに腎の組織・細胞のバンド3が欠損する常染色体性優性の性優性疾患である。バンド3を完全に欠損するホモ接合型牛では、溶血性貧血、球状赤血球症を示す。こうした赤血球膜の安定性と形態の保持には、膜骨格構造が重要な役割を果たしている。膜骨格はそれ自体が網目状の構造をとることで「横方向のつながり」を保持すると同時に、膜貫通蛋白質と連結し「縦方向のつながり」によって赤血球膜を内側から裏打ちしている。この「横方向のつながり」に最も主要な役割を果たしている蛋白質は、スペクトリン(αとβ)と呼ばれる246kDa〜280kDaの線維状の蛋白質である。またスペクトリンは、アンキリンを介して主要な膜貫通蛋白質であるバンド3蛋白質と結合し、「縦方向のつながり」を構築する。

一方、バンド3欠損牛の赤血球形態や赤血球膜の安定性には個体間に相違のあることが認められており、これらの個体ではバンド3蛋白質の欠損に加え、さらに何らかの異常が存在する可能性が示唆されている。

そこで本研究では、膜骨格蛋白質であるスペクトリンに注目し、まず第一章において、バンド3欠損牛であるホモ接合型2個体についてその赤血球表現型の評価と解析を行った。ついで、第二章ではスペクトリン蛋白質の構造ならびに機能について解析し、さらに第三章ではスペクトリンの遺伝子解析を行い、遺伝性バンド3欠損牛における赤血球表現型に及ぼすスペクトリン遺伝子型について検討した。

バンド3欠損牛における赤血球表現型

バンド3欠損牛ホモ接合型2頭を用い、赤血球形態、赤血球膜の物理的性状と安定性、ならびに膜骨格蛋白質の量的異常について検討した。

赤血球形態、ならびに赤血球膜の物理的性状および安定性の相違

バンド3欠損牛(Ho1およびHo2)ならびに健常個体について、一般血液検査による赤血球恒数などを測定したところ、Ho1は平均赤血球容積ならびに平均ヘモグロビン濃度では差は認められなかったが、ヘマトクリット値が23%とHo2(33%)に比べ低値であった。走査型電子顕微鏡による赤血球形態の観察ではいずれも有口球状で大小不同であったが、とくにHo1の大小不同が著しかった。ついで赤血球の小胞化や断片化の生じ易さを観察したところ、孵置6時間後における小胞形成率では、Ho2の2.0%に対しHo1では63.5%と著しい高値を示した。また、メンブレンフィルター(孔径0.45μm)を通過させた赤血球溶出で得られたHolの小胸膜蛋白質では、Ho2には認められないスペクトリン、アンキリン、プロテイン4.1、ならびにアクチンの膜骨格成分が含まれていた。一方、エクタサイトメトリーによる変形能の測定では、赤血球をそのまま用いた場合には両者に差は認められなかったが、赤血球膜ゴーストを用いた場合にはHo1の変形能がHo2に比較して減少していた。

赤血球の膜骨格蛋白質

赤血球数あたり、あるいは赤血球容積あたりの主要赤血球膜骨格蛋白質(スペクトリン+アンキリン、プロテイン4.1、アクチン)含量を解析した。Ho2では健常個体と差は認められなかったが、Ho1ではスペクトリン+アンキリン、プロテイン4.1、アクチン含量はそれぞれHo2の46%、74%、および60%と明らかな低値を示し、とくにスペクトリン+アンキリン含量の減少が著明であった。さらに膜骨格蛋白質を低張バッファーで赤血球膜から遊離させ、抗スペクトリンあるいは抗アンキリン抗体を用いてイムノブロットにより検討したところ、アンキリン含量に変化は認められなかったが、遊離した膜骨格蛋白質、また膜骨格を遊離させた後の反転小胞(inside-out vesicles depleted for spectrin、 l0V△Sp)のいずれにおいても、スペクトリン含量の減少が認められた。

したがって、バンド3欠損牛ホモ接合型個体には赤血球形態、赤血球膜の物理的性状および安定性において異なる表現型を呈する個体の存在することが明らかとなり、さらにその原因の一つには膜骨格蛋白質であるスペクトリン含量の減少が関連するものと考えられた。

スペクトリン蛋白質の解析

バンド3欠損牛における赤血球表現型の多型に関連すると考えられたHo1のスペクトリン蛋白質について、その網目状構造ならびに赤血球膜との結合能などについて検討した。

膜骨格の網目状構造

Ho1ならびにHo2赤血球について、原子間力顕微鏡(Atomic Force Microscopy : AFM)を用いて主にスペクトリンから成る赤血球膜の膜骨格網目状構造を内側から観察したところ、Ho1の膜骨格網目状構造はHo2に比較して低密度で不規則な配列を示した。

スペクトリンの分子形成能ならびに赤血球膜との結合能

スペクトリンのαβダイマーあるいは(αβ)2テトラマー形成能をHo1、Ho2、ならびに健常個体の赤血球膜についてゲル濾過クロマトグラフィーによりスペクトリンを精製して比較検討した。Ho1のダイマーおよびテトラマーの形成能はいづれもHo2ならびに健常個体と比較して明瞭な差異は認められなかった。ついで、各個体赤血球膜から、膜骨格蛋白質の大部分を除いた反転小胞(l0V△Sp)と、これをアルカリ処理することでさらにその末梢蛋白質をほぼ完全に除去した反転小胞(lOVAlk)とをそれぞれ調製し、精製スペクトリンとの結合能を検討した。Ho1の精製スペクトリンは、いずれの小胞との結合においてもHo2ならびに健常個体と差は認められなかった。

したがって、Ho1赤血球膜の膜骨格網目状構造は低密度で不規則な構造ではあるものの、その主要構成成分であるスペクトリンのダイマーあるいはテトラマー形成能、ならびに赤血球膜への結合能にHo2と差は認められず、Ho1赤血球に認められるスペクトリン含量の減少は、これらスペクトリンの分子形成能および赤血球膜との結合能の異常によるものではないことが明らかとなった。

スペクトリン蛋白質の遺伝子解析

バンド3欠損牛の赤血球表現型の多型は主に赤血球膜のスペクトリン含量の減少が関与すると考えられるため、牛スペクトリン遺伝子配列、骨髄中mRNA量、ならびにHo1に特異的なスペクトリン遺伝子型の特性について検討した。

牛スペクトリン遺伝子配列、ならびに骨髄中スペクトリンmRNA量

既に同定されているヒトのスペクトリンcDNA配列からプライマーを作成し、健常個体の骨髄中mRNAを鋳型として、牛のα-ならびにβ-スペクトリンcDNA配列の全長を決定した。ついで、このcDNA配列をもとにα-ならびにβ-スペクトリンのHo1の骨髄中mRNA量を定量PCR法で測定し、Ho2と比較検討した。Ho1の骨髄中mRNA量は、α-、β-スペクトリンともにHo2と比較して差は認められなかった。一方、Ho1のα-ならびにβ-スペクトリンのcDNA配列をHo2ならびに健常個体と比較したところ、Ho1のみにα-スペクトリン91番目のグルタミン酸のリジンへの置換(E91K)の存在が明らかとなった。またHo1には、健常個体にも認められるα-スペクトリン10カ所(A17E、H87N、W139Q、E157G、E179K、K543E、A741V、S748I、HT85Y、E804V)ならびにβ-スペクトリン2カ所(M526T、R1576Q)のアミノ酸置換が存在した。このα-スペクトリンの10カ所のアミノ酸置換は全て同じアレル(allele Spαb)上に存在していた。また、Holのみに認められたE91K置換も同一のアレル状に存在していた。したがってHo1の赤血球膜スペクトリン含量の減少には、これらアミノ酸置換を引き起こす遺伝子異常が関与すると推測された。

健常牛におけるα-スペクトリン遺伝子型の発現頻度

Ho1に認められるα-スペクトリンのアミノ酸置換に注目し、E91K、E179K(179番目のグルタミン酸がリジンに置換)ならびにE804V(804番目のグルタミン酸がバリンに置換)の計3カ所について、健常個体193頭を用いて遺伝子型の発現頻度を検討した。E91K変異は、193個体中11個体がホモ接合型(K/K)で、63個体がヘテロ接合型(E/K)であった。またE179K変異は58個体がホモ接合型(K/K)で96個体がヘテロ接合型(E/K)、E804V変異は65個体がホモ接合型(V/V)で92個体がヘテロ接合型(E/V)であった。E91K変異を含めα-スペクトリンのアミノ酸置換は、黒毛和種牛の集団ではポリモルフィズムとして存在することが明らかとなった。

α-スペクトリン遺伝子型とスペクトリン+アンキリン含量

ついで、193個体のうち80個体のα-スペクトリン遺伝子型と、赤血球膜スペクトリン+アンキリン含量について検討した。E179K変異ならびにE804V変異の遺伝子型とスペクトリン-アンキリン含量との間に相関は認められなかったが、E91K変異をホモ(K/K)ならびにヘテロ(E/K)で保有する個体は、保有していない個体に比較して赤血球膜スペクトリン+アンキリン含量に約10%の有意な減少が認められた。したがって、E91K変異は赤血球膜スペクトリン量の減少に強く関与する遺伝子変異であると考えられた。

以上の結果、牛バンド3欠損牛ホモ接合型個体には赤血球表現型の異なる個体が存在し、その原因の一つは赤血球膜骨格蛋白質であるスペクトリンの遺伝子変異(E91K)による量的な減少であると考えられた。

審査要旨 要旨を表示する

黒毛和種牛の遺伝性バンド3欠損症は、新生子期に重篤な溶血性貧血を引き起こし、獣医臨床上重要な疾患である。また、赤血球膜構造の基礎研究の点で、赤血球膜蛋白質異常の一つのモデルとして位置づけられている。本論文では、このバンド3欠損牛における赤血球表現型の個体間の相違を明らかにし、この原因の一つとして考えられた膜骨格蛋白質スペクトリンについて検討したもので、緒論ならびに総括を除いた以下の3章から構成されている。

第1章では、バンド3欠損牛における赤血球表現型について、例数は少ないもののホモ接合型牛2頭(Ho1ならびにHo2)を用いて検討している。一般血液検査では、Ho1はヘマトクリット値が23%とHo2(33%)に比べ低値であり、走査型電子顕微鏡による赤血球形態の観察ではとくにHo1の大小不同が著しかった。また孵置6時間後における赤血球の小胞形成率では、Ho2の2.0%に対しHo1では63.5%と著しい高値を示した。一方、エクタサイトメトリーによる赤血球膜ゴーストの変形能の測定では、Ho1の変形能がHo2に比較して低下しており、Ho1における膜骨格構造の保持能力の低下が疑われた。このHo1赤血球における主要赤血球膜骨格蛋白質(スペクトリン+アンキリン、プロテイン4.1、アクチン)含量を解析したところ、とくにHo1スペクトリン+アンキリン含量がHo2の45.6%と著しく減少しており、さらにイムノブロットによる解析では、Ho1アンキリン含量はHo2に比較して変化が認められなかったが、Ho1スペクトリン含量がHo2より減少していた。したがって、バンド3欠損牛ホモ接合型個体には赤血球形態、赤血球膜の物理的性状および安定性において異なる表現型を呈する個体の存在することを明らかにし、さらにその原因の一つには膜骨格蛋白質であるスペクトリン含量の減少が関連するものと考えられた。

第2章では、前章で注目されたHolスペクトリン蛋白質について解析している。原子間力顕微鏡(Atomic Force Microscopy :AFM)を用いて主にスペクトリンから成る赤血球膜の膜骨格網目状構造を観察したところ、Ho1の網目状構造はHo2に比較して粗であった。しかしながら、スペクトリン含量を減少させる機能異常として多くの報告がある、スペクトリンのαβダイマー、あるいは(αβ)2テトラマー形成能、ならびに膜との結合能には、Ho1とHo2との差は認められなかった。したがって、Ho1赤血球に認められるスペクトリン含量の減少は、これらスペクトリンの分子形成能、および赤血球膜との結合能の異常によるものではないことを明らかにしている。

第3章では、Ho1スペクトリン蛋白質についてのより詳細な検討を目的とし、スペクトリン蛋白質をコードする遺伝子の面から解析を行っている。まず、牛のα-ならびにβ-スペクトリンcDNA配列の全長を決定し、ついで、このcDNA配列をもとにHo1の骨髄中スペクトリンmRNA量を定量PCR法により測定したところ、Ho1の骨髄中mRNA量は、α-ならびにβ-スペクトリンともにHo2と比較して差は認められなかった。一方、Ho1のα-ならびにβ-スペクトリンのcDNA配列をHo2ならびに健常個体と比較したところ、Ho1のみにα-スペクトリン91番目のグルタミン酸のリジンヘの置換(E91K)の存在が明らかとなった。またHo1には、健常個体にも認められるα-スペクトリン10カ所(A17E、H87N、W139Q、E157G、E179K、K543E、A741V、S748I、H785Y、E804V)ならびにβ-スペクトリン2カ所(M526T、R1576Q)のアミノ酸置換が存在した。このHo1に認められたα-スペクトリンの11カ所のアミノ酸置換に注目し、E91K、E179K(179番目のグルタミン酸がリジンに置換)ならびにE804V(804番目のグルタミン酸がバリンに置換)の計3カ所について、健常個体193頭を用いて遺伝子型の発現頻度を検討したところ、E91K変異は11個体がホモ接合型(K/K)、63個体がヘテロ接合型(E/K)と、他2カ所と比較して最も低い発現頻度であり、また3カ所ともに黒毛和種牛の集団ではポリモルフィズムとして存在することを明らかにしている。ついで、193個体のうち80個体のα-スペクトリン遺伝子型と、赤血球膜スペクトリン+アンキリン含量について検討している。E179K変異ならびにE804V変異の遺伝子型とスペクトリン-アンキリン含量との間に相関は認められなかったが、E91K変異をホモ(K/K)ならびにヘテロ(E/K)で保有する個体は、保有していない個体に比較して赤血球膜スペクトリン+アンキリン含量に約10%の有意な減少が認められた。したがって、E91K変異は赤血球膜スペクトリン量の減少に強く関与する遺伝子変異であると推定している。

このように、本論文は牛バンド3欠損牛ホモ接合型個体における赤血球表現型の異なる個体の存在を明らかにするとともに、その原因の一つとして赤血球膜骨格蛋白質であるスペクトリンの遺伝子変異(E91K)がもたらす量的な減少であることを見いだし、バンド3欠損牛におけるスペクトリンの新たな異常の存在を明らかにしたものである。その内容は、獣医学の学術上貢献するものであり、よって、審査委員一同は、本論文が博士(獣医学)の学位論文として価値あるものと認めた。

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