学位論文要旨



No 120825
著者(漢字) 古橋,紀宏
著者(英字)
著者(カナ) フルハシ,ノリヒロ
標題(和) 魏晋時代における礼学の研究
標題(洋)
報告番号 120825
報告番号 甲20825
学位授与日 2006.01.18
学位種別 課程博士
学位種類 博士(文学)
学位記番号 博人第511号
研究科 人文社会系研究科
専攻 アジア文化研究専攻
論文審査委員 主査: 東京大学 教授 川原,秀城
 東京大学 助教授 不島,毅
 東京大学 教授 丘山,新
 京都大学 教授 池田,秀三
 京都大学 名誉教授 戸川,芳郎
内容要旨 要旨を表示する

後漢末から魏晋時代にかけては、経学史上、大きな変化が見られる。漢代における正統的な解釈学であった今文学が衰亡し、それに代わって、主に古文学を基盤としながらも、それにとらわれない新しい注釈が著されている。そして、注釈のみならず、偽古文『尚書』という新出の経書まで登場している。このように、この時期には、経学史上、経書や注釈において大きな転換が起こっている。本稿は、このような経書や注釈の転換が、どのような社会的要請に応じたものであったかという点について、魏晋時代の礼学の議論の検討を通して、明らかにしようとしたものである。

魏晋時代の礼学を特徴づけている事象は、王粛による鄭玄説批判である。鄭玄と王粛の説の違いについては、これまでいくつかの説が提示されているが、本稿においては、後漢・魏晋・南北朝時代全体の流れから、特に以下の点に留意しつつ、鄭玄と王粛の問題について検討を行った。

第一の点は、後漢から魏晋時代にかけての問題である。それは、後漢における正統的な学官は今文の博士であったが、その今文学が衰亡するに伴い、古文学の諸説が、どのように影響力を持つようになったかという点である。これは、特に鄭玄の説について留意すべき点である。即ち、後漢末から魏晋にかけての今文学から古文学へという流れの中においては、漢代の経学説を総合的に採用した鄭玄の説も、魏において今文学に代わって正統的な地位を占めることになる古文学の中の一説として、その「新」の側面に着眼し、魏になってからの影響に注目すべきである。

第二の点は、魏晋から南北朝時代にかけての問題である。それは、王粛の学は学官に立てられたにもかかわらず、南北朝時代以後の義疏学において採用されなかったが、その衰退した理由はどのように考えるべきであるかという点である。王粛による鄭玄説批判の中心は、礼学、特に礼制に関するものであることから、この点については、後漢以来の礼制の変遷の中で、王粛説の意義を検討することが必要である。

本稿においては、以上の二点から、王粛をはじめとする魏晋時代の礼学説について考察を行った。本稿の本論は、三章からなる。第一章においては、漢魏の禅譲の儀礼と、禅譲に関する経書解釈の問題を取り上げ、魏における鄭玄説の影響力の変化を考察した。第二章においては、魏の明帝期において、礼制の整備・改革が行われたが、その礼制改革と、鄭玄・王粛両学説とが、どのように関連しているかを考察した。第三章においては、主に王粛以外の経書の新解釈を取り上げ、そこに見られる共通の背景を考察するとともに、それらの新解釈を『大唐開元礼』や義疏の記述と比較し、魏晋時代における新解釈の意義が、その後、どのように変化したかを考察した。

まず、第一章においては、鄭玄説の「新」の側面に着眼し、今文学から古文学へという流れの中において、鄭玄説が、後漢末以降どのように影響力を持つようになるかという点を考察した。具体的には、漢魏の禅譲の儀礼を取り上げ、その際に、堯舜禅譲の故事を記した『尚書』堯典後半部分や『論語』堯曰冒頭部分が、どのような経書解釈によって用いられたかを考察した。その結果、漢魏禅譲の儀礼においては、鄭玄の解釈体系に反した経書解釈が見られる。その例として、『論語』堯曰の「皇皇后帝」を挙げることができる。それは、鄭玄の解釈体系では、太微五帝のことと解されるが、漢魏禅譲の儀礼においては、昊天上帝に対する呼称として用いられている。しかし、その後の魏における鄭玄説の影響を考察してみると、魏の明帝期に行われた告天において、「皇皇后帝」は五精帝の呼称として用いられることになっている。このように、明帝期における国家行事において、漢魏禅譲の際には採用されていなかった鄭玄説が、新たに採用されるようになっており、鄭玄説の影響が次第に強く現れていることを明らかにした。

続いて、第二章においては、魏の明帝期における礼制改革と王粛説との関係を考察した。魏の明帝期においては、礼制の整備・改革が進められ、それに伴い、多くの礼制に関する議論が行われている。その礼制改革には、王粛や、鄭玄説に近い立場をとる高堂隆などが参与し、それぞれの説を述べている。本稿では、郊祀・正朔改定・社稷・六宗・宗廟・喪服の事例を挙げ、明帝期の礼制の整備・改革に伴う具体的な議論と、王粛説との関係について、後漢以来の制度の変遷の中で、考察を行った。その結果、明帝期の礼制改革における具体的な議論が、王粛の学説の形成に大きく関わっていることが明らかになった。即ち、魏においては、経書解釈として、後漢末の鄭玄の説が次第に影響力を強めつつあり、鄭玄説に基づく礼制の改革が議論された。しかし、鄭玄の解釈は、経書の文献学的な整合性を追究するものであったため、後漢以来の制度や通念には必ずしも適合しない点があった。そのため、鄭玄説に基づく礼制改革の主張に対して、従来の制度や通念を保守する立場から、伝統的な古文学説などを用いて反論したのが王粛であると位置づけられる。この王粛の説は、経書の規定が次第に現実社会において実施されるようになる中において、その解釈として当時台頭していた鄭玄説に対し、それが当時の制度や通念と反している部分について、現実に合わせて修正するという意義を有していたと考えられる。

第三章においては、王粛以外の魏晋時代の新解釈について考察した。ここでは、まず、喪服礼における追服に関する新解釈と、宗法に関する新解釈を取り上げた。追服に関する新解釈を見てみると、それは、経書が社会的な規範としての性格を強めるに伴い、鄭玄説の持っていた施行上の難点を修正しようとするものであった。晋の蔡謨や劉智は、現実的な王粛説に基づきつつ、説明のできない経文中の文字を衍字として処理している。これは、現実に合わせるために、経文を改変するものであり、そこには、経文を改めてまでも現実的な解釈を必要とする強い社会的な要請が見出される。この点については、後の義疏学との大きな違いが認められる。

また、経書中の宗法に由来する喪服礼の規定に関しては、晋において議論が行われ、その中で、嫡孫承祖による三年の喪を否定したり、長子のための三年の喪を限定的に解釈する新解釈が生じている。これは、当時、民間においてはそれらの規定が一般には普及していなかったため、現実社会の実態に合わせて経書解釈を行おうとしたものと考えられる。これも、魏晋時代において、経書の規範化に伴う社会的な要請として、当時の常識や実態に即した新解釈が求められていたことを示すものであり、王粛説が、鄭玄説の施行上の難点を伝統的な古文学説などによって現実的に修正したのと同様の傾向を示すものである。

それらの規定を『大唐開元礼』と比較してみると、嫡孫承祖による三年の喪や、長子のための三年の喪は、『大唐開元礼』においては、おおよそ鄭玄の説に基づいて規定されている。これは、経書の規定が、魏晋時代以降、次第に普及し、制度や慣習に受け入れられたため、魏晋時代における新解釈の意義が失われたことを示している。

また、魏晋時代においては、今本とは異なる経注の文言を基に議論が行われている。しかし、義疏学においては、それらの箇所は、議論の生じない形へと変更され、魏晋時代の議論自体についても触れられていない。これは、当時、経注の文言自体が整合的な形に整理されていったことを示している。

このように、魏晋南北朝時代においては、鄭玄の体系的な礼の解釈が、王粛説やその他の魏晋時代の新解釈などの現実的な立場からの反論を一時的には惹起したものの、全体としては、鄭玄の解釈が次第に受け入れられる傾向にあったことがわかる。これは、当時、理論的に整合性のある普遍的な礼が求められていたことを示している。本稿においては、その理由についても考察を加えた。

審査要旨 要旨を表示する

本論文は、主に魏晋時代の礼学上の議論や注釈、及び礼制の変遷について考察し、それを通して後漢末及び魏晋時代の諸学説の特質と、それらを生み出した時代背景を解明しようとしたものである。

第一章においては、魏晋経学史上の一大懸案--後漢末の鄭玄の説が魏においてどのように影響力をもつようになったかを問題とし、堯舜禅譲に関する経書解釈をとりあげて考察し、従来のべられることのなかった、魏の明帝期に鄭玄説の影響力が急に強まっていく事実を指摘する。第二章においては、魏の明帝期における礼制改革と、魏の王粛の礼学説の関係を考察し、礼制改革における具体的な議論が、王粛の学説の形成に大きく関わっていたことを明らかにする。またその鄭玄説にもとづく明帝期の礼制改革に対して、王粛は従来の制度や通念を守る立場からそれに反対したとのべ、王粛説のもつ現実重視の性格を指摘する。第三章においては、王粛以外の魏晋時代の新解釈について考察し、それらの解釈は、経書が社会的な規範としての性格を強めるにともなって、理念的な鄭玄説のもつ施行上の難点を修正しようとしたものであると論じる。

著者は以上の分析考察を通して、(1)魏晋南北朝時代は、鄭玄の体系的な礼説が王粛説などの現実的な立場からの反論を一時的に惹起したものの、全体としては鄭玄の解釈が次第に受け入れられる傾向にあり、(2)そこには普遍的な礼説を指向する当時の時代背景があった、と結論する。

本論文において評価すべきは、文献考証にすぐれているところである。分析の対象を魏晋の礼学と定め、それを特徴づける王粛による鄭玄批判について現存する関連資料を徹底的に収集し、難解な資料を丹念に読み解き、漢唐経学史を念頭におきながら着実な手法をもって個々の資料を克明に分析し、経学史上の懸案を思想史的に解明することを試み、所期の目的を達成している。特に鄭玄説と王粛説の関係については、後の研究者は本論文を研究の基礎としなければならないであろう。

本論文には魏晋玄学との関係など、今後に残された課題もあるが、清朝考証学以来の精緻な経学研究の伝統をよく継承し発展させており、高レベルの考証研究と評価することができる。著者には魏晋経学史の全面的な解明を期待したい。

審査委員会は以上にもとづいて、本論文が博士(文学)の学位に値すると判断する。

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