学位論文要旨



No 120828
著者(漢字) 林,淑璋
著者(英字) LIN,SHU CHANG
著者(カナ) リン,スーザン
標題(和) 「談話標識」としての接続詞の機能 : 日華会話対照分析
標題(洋)
報告番号 120828
報告番号 甲20828
学位授与日 2006.01.19
学位種別 課程博士
学位種類 博士(学術)
学位記番号 博総合第607号
研究科 総合文化研究科
専攻 言語情報科学専攻
論文審査委員 主査: 東京大学 教授 近藤,安月子
 東京大学 教授 石田,英敬
 東京大学 教授 ラマール,クリスティーン
 東京大学 助教授 楊,凱栄
 聖徳大学 教授 吉島,茂
内容要旨 要旨を表示する

研究目的

本研究では、会話における「談話標識」としての接続詞の機能を解明する目的とする。また、日華の談話展開における「談話標識」使用の共通性と特徴の一端を明らかにすることである。

「談話標識」としての接続詞に関する研究の位置付けと解かれるべき問題点

先行研究を概観した結果により、「談話標識」と考えられる表現は、本来の文法カテゴリーを越えてさまざまなソースからなっていることが明らかになった。本研究は、「談話標識」の一つである「接続詞」という語群の分析および「談話標識」としての日華対照分析に適切な枠組みはまだ提示されていないという問題に注目した。日華の言語構造が大きく違い、形態自体を直接比較できないが、「接続詞」という語群は、人間の論理的な思考に関与する共通的な言語項目であるとも考えられるため、その「機能」の考察を前提とすることにした。接続詞を「談話標識」として研究するという位置付けを確認したことによって、二つの問いを設けることができる。一つは、日華両言語は言葉を使った思考の論理層では、前後の順序で提示される内容に何らかの関係があると自然に理解するような論理構造を持っているとされるが、論理関係を明示する言語表現は機能的に同じであるからであろうか。もう一つは、話し言葉にしか出現しない用法で、従来の書き言葉に挙げられた論理関係だけでは説明しきれないようなものは、何に由来するのだろうか。そして、日華の違いはどうなっているだろうか、という問いである。

本研究の構成と分析の方法

本研究は、序章を含む八章から構成される。序章で本研究の動機、目的を述べ、二つの問いを提示する。第一章で対照分析に当たっての日華の「接続詞」の異同を挙げる。第二章で、談話標識としての「接続詞」に関する先行研究の知見や問題点を整理する。第三章で、本研究における分析の方法と理論的枠組を述べる。具体的には、「整合関係」(亀山1999)、「話題関係」(南1981)、「フィラーとしての用法」(山根2002)といった三つの枠組み及び「聞き手情報配慮」(木村・森山1997)・「情報を扱う際に課せられる制約を守る義務」という観点に基づき、第四章で、日本語の「(それ)で」「だから」「じゃ」「でも」と、第五章で、それらの機能に対応するとされている、台湾華語の"然後""所以""那(麼)""可是"を分析する。また、本研究は"那(麼)"を前件が確定なものか・独話型か・話し手の計算を明示するかという違いで"那(麼)1"と"那(麼)2"に分けて考察を行う。第六章では、第四章と第五章で得られた日華の「接続詞」の共通点と相違点をまとめる。終わりの第七章では、本研究のまとめと今後の課題を述べる。

分析と対照の結果

整合関係:本研究は第四章と第五章で、整合関係の概念を基盤にして、先行研究に挙げられた諸機能を帰納的に検証した。結果として、日華両言語の表現はともに、書き言葉に見られた命題間の緊密な論理関係を示す用法から、話し言葉にしか観察されない語用論的な用法まであることが明らかになった。そして、各表現に付与されている特定の整合関係から多様な用法が導き出されるが、統一的に解釈できることが明らかになった。

時空的つながりを示す「(それ)で」・"然後"・"那(麼)1":「時間以外の要素(空間や人物、もの等)を話し手の心理的順序で自由に提示する」ことができる。それによって、類似の事柄を列挙するほかに、「伝達したい事象のイメージを形成させるために、前件との接点を保持しながら後件で対照的な内容を導入する」という用法が観察された。

含意の因果関係を示す「だから」・"所以":「聞き手にも埋め込むことができるはずの情報を導入する」という標識であることで、独話型で「聞き手にも分かるはずの情報の全体から一つの要素に焦点を当て、後件で提示する」という用法が観察された。また、対話型においては、「だから」には「発話の時点でそれ以上の情報を提供できないため既出情報を繰り返す」という「とりあえずの場しのぎ」用法(対話型)が観察され、台湾華語の"所以"には、情報提示手続きの制約が緩いことで、応答の冒頭で出現し「新規情報」を導入するといった用法が観察された。

含意の論証関係を示す「じゃ」・"那(麼)2":「前件に基づいた計算による話し手の勝手な判断を示す」という標識であることで、独話型では「目に見えないはずの推論過程と結果を言語化させることで聞き手に分からせる」という用法と、対話型では相手との情報のやりとりが前提にあるため、「自分がこうして推論したから、このように判断をした」といった結果だけを聞き手に示し、結論の言語化というステップをスキップして次の発話の導入を予告する標識としての用法が観察された。

類似の否定関係を示す「でも」・"可是":「前件から想定されたマイナス情報を後件で容認しながらもマイナスのものを軽減させる」という機能が明らかになった。それにより、対話型において、日本語の「でも」が「利点となるものを挙げて相手に行動の意欲を促し」たり「相手の自己否定に対して肯定的に評価し」たりして「相手のメンツを保つ」ために用いられていることに対して、台湾華語の"可是"は「行為や主張の妥当性を弁護し」たり、「相手の主張に対して控えめの評価をし」したりして「自分のメンツを保つ」という用法が目立つ。

以上の対照をまとめると、日本語は、相手情報配慮や「新規か既存か」という情報導入制約により談話標識の形式が選択されるほかに、情報導入の制約を利用することで言外のメッセージを伝えることができる。それに対して、台湾華語は独話型か対話型かに構わず、展開されるはずと予測した整合関係であれば、相手の情報を自分の判断につなげて述べるという用法が観察された。この観察により、華語の談話標識の使用においては、話し手の認識こそが基準となり、相手情報配慮と情報導入制約を守る義務は日本語より緩やかであることが明らかになった。

話題関係:

日本語の四種類の接続詞が共通して以下の機能を持っている。(1)直前の話題の情報に言及して、次の話題として展開させる。そして、それぞれ表現の示す整合関係によって、話題の展開方向が制限され、相手に予期させることができる。(2)前出した話題の情報に再度言及することでとり戻すが、時間的にかなり遠く離れている話題の場合は、メタ言語と共起して、聞き手への注意を喚起する。(3)新しい話題の導入あるいは話題終了といった談話の方向が大きく変化する場合は、唐突さを和らげるために、メタ言語と共起する義務が課されている。

台湾華語の四種類の「接続詞」は、基本的に日本語と同様に、話題を導入したり、とり戻したり、終了させたりする機能をもっている。違っているのは、遠く離れている話題をとり戻す際や大きな話題導入の際にメタ言語と共起せずに、単独で行うことができることである。それは台湾華語の「接続詞」は、いかに話題が中断していないように見せかけ、話の論理性を高めるためで用いられるからであり、メタ言語で談話の整合性が中断したことを宣告するのを避けようとするのである。日華の異同を話題回帰機能に限り、以下のような表にまとめた。

フィラーとしての用法:

本研究の分析結果により、日華の接続詞がフィラーとして使用されるかどうかは、計算を強いるかによって決まるものであるという原則は明らかになった。

(1)もっとも自然な時空的なつながりの文脈で使われている「(それ)で」・"然後"・"那(麼)1"、は後件に対する制約が緩いため、「思うことがうまい具合に浮かんでこない」時に、「次にまだ提供したい情報があるよ」という意思を相手に伝えることができる。(2)因果関係を示す「だから」・"所以"は、後件に来るべきものは常識にかなうようなものであり、新たな計算を要求しない標識であるため、「知っているはずのことをうまく表現できない」時に、「それ以上によりよい表現をただいま検索中」という意思を表す。(3)それに対して、「じゃ」・"那(麼)2"は話し手の勝手な判断が加わることを示し、「でも」・"可是"は「前件からの想定を却下せよ、後件で異なるものを導入する」と予告する標識であり、ともに話し手が意図した意味に決着するまでに計算を強いる文脈の中で用いられるので、フィラーとして認められないのである。(4)台湾華語の接続詞は、日本語と違っているのは、相手の発話権を尊重するよりも積極的に会話に参加するのが協力的な態度と考えられることで、フィラーとしての発話権の維持力に違いが生じた。日華の異同を以下の表にまとめた。

総合的考察

以上の対照分析の結果により、日本語の「(それ)で」「だから」「じゃ」「でも」および華語の"然後""所以""那(麼)""可是"が話し言葉において共通的に「談話標識」として機能し、発話にとどまらず、より大きな言語単位で示すことができた。そして、「整合性を高める志向」・「情報を扱う際に課せられる制約を守る義務」・「会話に参加する姿勢」における日華の違いにより、これらの表現の使われ方に相違点が生じることが明らかになった。この結果を次の図で示す。

審査要旨 要旨を表示する

本論文「「談話標識」としての接続詞の機能―日華会話対照分析―」は、日本語と台湾華語の話しことばで、接続詞が談話標識として談話展開上に担う機能の解明を通して、体系論的に異なる日本語と台湾華語の談話標識の共通性と相違点を明らかにすることを試みたものである。

対照談話分析の先行研究は、日英対照研究あるいは英中対照研究が主流で、日本語と中国語(あるいは台湾華語)の対照研究は少なく、談話標識としての接続表現の対照分析も例外ではない。本論文は、日本語の接続詞と台湾華語の連詞を話しことばの中で捉え、それらを談話標識として分析することにより、日本語と台湾華語の異同の一端を明らかにすることを目的としている。

本論文は序章を含む全8章から成る。序章では、日本語と台湾華語の接続表現を談話標識と位置づけ、研究の概要を記述する。第1章で、分析対象となる日本語の「接続詞」と台湾華語の「連詞」について、先行研究をもとに、日華の接続形式の異同を語彙と構文の両面から論じた。第2章では、日本語の「接続詞」と台湾華語の「連詞」を談話レベルの分析対象とするために、談話標識の概念を導入し、談話標識への理論的アプローチを概観し、日本語と台湾華語の談話標識の対照分析の学問的意義を論じた。台湾華語の「連詞」は日本語に準じて「接続詞」と呼ばれる。

第3章では、接続詞を談話標識として分析するための理論的枠組を論じる。まず、接続詞が繋ぐ前後部分の論理関係の分析のために亀山(1999)の「整合性関係」の枠組みを、また、接続詞が談話の話題転換に機能するという観点から南(1981)の「話題関係」の枠組みを、さらに、話し言葉の研究の視点からは、山根(2002)に代表される「フィラー」の概念を、最後に、日本語と中国語の対照研究の視点から木村・森山(1997)の「聞き手情報配慮」の概念を詳述する。これらが本研究の分析に不可欠な分析視点であることを論じた上で、個別の分析視点からは明らかにすることができない談話レベルの機能を、これら4つの視点を統合した複合的な分析方法で明らかにすることの可能性を論じ、以下の章でそれを検証した。

第4章と5章では、第3章の複合的視点の分析枠組みに則り、それぞれ、日本語の談話資料(雑談資料と面談資料)に現われた接続詞「(それ)で」「だから」「じゃ」「でも」と、台湾華語の談話資料(雑談資料と面談資料)に現われたもので、日本語の接続表現に対応するとされる、"然後""所以""那(麼) ""可是"をとりあげ、それらの談話レベルでの機能を、整合性関係、話題関係、フィラーの機能、および「聞き手情報配慮」の視点から分析する。

第6章では、4章と5章の結果を対照させ、日本語と台湾華語の談話標識としての接続詞の共通性と個別性が議論される。まず、整合性関係からは、日本語も台湾華語もともに、書き言葉に見られた命題間の緊密な論理関係を示す用法から、話し言葉にしか観察されない語用論的な用法まであることが明らかになり、いずれも、論理レベルでの働きに大きな相違はなく、それぞれの表現が表す整合関係によって、聞き手に話の流れを予測させる機能を有するとする。

話題関係では、日華に違いが見られる。既出の話題に再度言及したり、新しい話題を導入したりする談話の方向制御に際しては、日本語は、メタ的言語との共起が義務付けられているが、台湾華語の接続詞は、遠く離れている先述の話題を取り戻す際や新しい話題を導入する際にメタ的言語と共起することは義務的ではない点で、木村・森山(1997)の「聞き手情報配慮」の条件が日本語と台湾華語を大きく分かつものであることが認められたとする。

最後に、フィラーの観点からは、日本語と台湾華語の接続詞がフィラーとして使用されうるかどうかは聞き手に課す推論の量の多寡(本論文での表現は「聞き手に計算を強いるかどうか」)と関連しているという結論を導くに至った。

第7章では、本研究は、談話標識を複合的な視点から分析することによって、体系論的に異なる日本語と台湾華語の談話レベルの共通性と個別性を明らかにすることを可能にしたと結論する。

以上が本論文の概要である。本論文は、話しことばにおける接続詞の現われを談話標識という観点から捉えなおし、日本語と台湾華語の談話標識の談話機能の対照研究を試み、日華両言語の談話構造そのものへの洞察を深めることを可能にした点、また、いくつかの理論的枠組みを組み合わせた複合的な視点からの分析方法を適用することで、単一の枠組みでは明らかにすることができなかった両言語の談話レベルの異同を捉えることを可能にした点が評価できる。また、接続詞の機能の多様性を実際の話しことばのデータを基に帰納的かつ質的に議論したこと、および、言語教育への応用の可能性を示唆したことも評価に値する。このような点から、本研究の当該研究領域への貢献と学問的意義は大きい。

とはいえ改善の余地がないわけではない。審査では,いくつか指摘がなされた。まず、談話標識の多機能性の分析にあたり、本論文が援用した3つの理論枠組みを統合するような分析モデルの構想には至っていない点が複数の審査委員から指摘された。また、聞き手の推論の負荷という意味で用いられている「計算」あるいは「計算の量」といった概念について、本論文にあるものより厳密な定義が必要であろうという指摘があった。さらに、本論文は日本語と台湾華語について話しことばのデータから帰納的に論じる方法を採用したが、接続詞の多機能のどれを分析するかという選択の妥当性、またこのような分析結果に基づく一般化がどこまで可能であるかという質疑もなされた。

しかし,これらの指摘は,本研究の根幹を左右するようなものではなく,また多くは著者の将来の研鑽に期すべきことがらであり,本論文の大きな学術的貢献をいささかも損なうものではない。

以上の諸点に鑑み,本審査委員会は本論文を博士(学術)の学位を授与するにふさわしいものと認定する。

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