学位論文要旨



No 120831
著者(漢字) 鈴木,康方
著者(英字)
著者(カナ) スズキ,ヤスマサ
標題(和) 二次元翼周りの流れから発生する空力音源の解明と騒音制御
標題(洋)
報告番号 120831
報告番号 甲20831
学位授与日 2006.01.19
学位種別 課程博士
学位種類 博士(工学)
学位記番号 博工第6173号
研究科 工学系研究科
専攻 機械工学専攻
論文審査委員 主査: 東京大学 教授 加藤,千幸
 東京大学 教授 松本,洋一郎
 東京大学 教授 加藤,信介
 東京大学 教授 大島,まり
 日本大学 教授 藤田,肇
内容要旨 要旨を表示する

序論

流体機械の小型・高速化にともない,空力騒音が増大するため,その低減が急務となっている.従来は個々の製品毎に経験に基づく対策が行われてきたが,騒音の発生要因が不明確なため,さらなる低騒音化は困難である.そこで,まず流体機械の主要な要素である翼周りの騒音発生機構を明確にする必要がある.しかし,翼周り流れと発生する空力騒音の対応のとれた詳細な基礎データがないため,騒音発生機構の解明が困難である.一方,昨今のコンピュータのめざましい発展により数値解析による騒音発生機構の解明が試みられているが,単独翼から発生する空力音においては検証用データも不足しており,未だ高精度な予測が難しい.そこで,本研究では詳細な実験計測により数値解析の検証用として十分に高精度な実験データを取得し,単独翼から発生する空力騒音発生機構の解明を目指す.対象とした流れはメカニズムが複雑で重要な広帯域性騒音の原因となる乱流境界層付着流れとはく離・失速流れである.

実験および数値解析の方法

本研究では風洞実験を主として進めているが,実験計測では得がたい瞬時の流れ場のデータや音源の可視化結果などに補完的に数値解析も併用している.

実験には回流式低騒音風洞を使用し,翼に作用する空力特性,翼周りの流れ特性および発生する空力音特性について調べた.実験に使用したモデルは二次元翼(NACA0012)で,風洞測定部に縦に設置しており,主流と翼端部との干渉を避けるために上下に端板を設けている.下側の端板は後述するレーザ計測用にアクリル製であり,上側の端板はこの平板間での共鳴を抑えるために音響透過性となっている.空力特性については翼面に設置した静圧孔(一部圧力センサを内蔵)により翼面平均静圧および翼面静圧変動を計測し,多分力計により揚力と抗力の計測を行った.翼周りの流れ特性については流れに非接触で逆流が計測可能な二次元レーザドップラ流速計を使用して非定常流れを計測した.低騒音風洞の吸音材の損傷を避けるためにトレーサには水粒子を用いている.空力音は無指向性マイクを用いてモデルから主流と直角方向に1m離れた点で計測した.主流速度は20m/s〜50m/sで変化させ,翼弦長に基づくレイノルズ数は2×105〜5×105である.翼の迎角は揚力ゼロから失速域までとし,風洞測定部が開放型であるゆえの流れの偏向効果等の補正をした有効迎角でα=0〜16°で変化させた.但し,空力音計測については低迎角では本研究では対象としないエッジトーンの影響を受けてしまうため,乱流境界層付着流れとなる高揚力状態から大規模なはく離流れとなる失速域までとしている.

数値解析手法にはLighthillの音響学的類推に基づく分離解法を採用し,非定常流れの解析を行った後に得られた流れ場の非定常データより音響解析を行った.流れの解析にはDynamic Smagorinskyモデルを用いた有限要素法による非圧縮Large Eddy Simulation(LES)を用いた.音響解析は流れ場の解析結果よりPowellの渦音理論に基づいてHoweにより定式化された音源項div(ω×u)の算出を行った.解析に用いたコードは文部科学省のITプロジェクト「戦略的基盤ソフトウェアの開発」によるFront Flow / Blueである.

翼周りの流れと空力音の特性

上述の風洞実験によりレイノルズ数が2×105〜5×105の二次元翼(NACA0012)周りの非定常流れと発生する空力音の高精度かつ詳細な実験データを取得した.揚力・抗力の特性において失速角および失速域にレイノルズ数の違いによる影響が明確に捉えられた(図1).高揚力状態〜最大揚力点では負圧面にはShort Bubbleが形成されており,迎角およびレイノルズ数の増加にともない,Short Bubbleの長さは短くなり,前縁に接近することが確認された.このShort Bubbleの再付着後の境界層は乱流境界層になっており,後縁に接近するにつれて厚みを増し,乱流渦のスケールが大きくなっている.失速直後のα=12〜13度付近では負圧面にLong Bubbleが形成されており, Re=3×105で迎角α=11.6度の場合,再付着点は前縁から35%翼弦長付近の位置である.このLong Bubbleはレイノルズ数の増加にともない,長さが縮むことが確認された.さらに迎角を増加させてα=15〜16度付近になるとLong Bubbleは形成されずに完全失速となることが確認できた.また,翼周り流れから発生する空力音のOverall特性は次の傾向を示すことがわかった.高揚力状態から最大揚力点までは緩やかに増大し,最大揚力点を超えて失速が起こると空力音は急激に増大する.失速直後で空力音レベルは最大値を示し,より失速直後の状態であるほど空力音は大きい.さらに失速が進むと空力音は迎角の増加とともに緩やかに減少する.以上の空力音の特性はレイノルズ数によらず同様である.

翼周り流れから発生する空力音発生機構の解明

本研究では前述のように広帯域性騒音で重要となる乱流境界層付着流れとはく離・失速流れを対象としているが,前節で明らかにした翼周り流れと空力音の特性をもとに特に特徴的で重要なケースとして乱流境界層付着流れの場合は最大揚力点,はく離・失速流れの場合は失速直後の状態(Light Stall状態)と失速が著しく進んだ状態(Deep Stall状態)をとりあげ,空力音発生機構の解明を行った.

周波数を無次元周波数で整理し,音圧レベルを主流速度のn乗に比例するとして整理する空力音の相似則を適用した結果,最大揚力点では空力音スペクトルが主流速度の5乗に比例することが確認されたため,この時の主要な騒音発生機構は後縁騒音であると考えられる.また,これに比べて寄与は小さいが重要な音源が2種類存在することがわかった.そのうちの1つは,翼弦長と一様流の速度を基準とする無次元周波数で0.7〜4の低周波帯に寄与する音源で後縁に近いほど寄与が大きく,Short Bubble再付着後の乱流境界層中の渦によるものであると考えられる.もう1つは,無次元周波数で15〜30の高周波帯に寄与するものであり,Short Bubbleの再付着点付近に存在する.

Light Stall状態では負圧面でのLong Bubbleの形成により前縁でのはく離流れが翼面に再付着するため,はく離流れが翼面近傍を通過して翼面との干渉により複雑な流れを形成する.これが強い音源となり,Light Stall状態でははく離点より下流で翼面近傍に強い音源が分布することが判明した(図2(a)).また,前縁付近でははく離剪断層と翼面近傍の逆流との干渉による無次元周波数で約0.5に基づく音源が存在することがわかった.

Deep Stall状態では負圧面でLong Bubbleは形成されずに前縁でのはく離流れは翼面から離れた領域を通過するため,Light Stall状態でみられた翼面近傍の強い音源は存在しない.また,前縁でのはく離剪断層からの放出渦が下流に進むにしたがって広範囲に拡散することで後縁側において翼面に衝突する大規模な逆流域が形成される.これ自体が主要な音源となるほか,後縁側で生じた翼面近傍での逆流が前縁まで移動し,はく離剪断層からの放出渦と干渉することによる無次元周波数で約0.6に基づく音源が存在することがわかった(図2(b)).

失速した二次元翼の騒音制御

従来の低騒音化対策は個々の製品毎に経験によるものが多く,騒音低減効果は得られているがメカニズムは明らかにされていないため,さらなる低騒音化が限界となっている.また,近年の流体機械のニーズのひとつである幅広い流量域での使用における低騒音化のためには設計流量付近のみならず,小流量域での低騒音化も必要である.そこで,本研究では小流量域に対応する翼周りの失速流れを対象とし,前節での知見をもとにした騒音制御とその効果および騒音低減メカニズムの解明を行い,さらなる低騒音化のための基盤とした.騒音制御の方法は将来のプロペラファンなどの製品への応用を視野に入れて受動的な表面制御による方法である.失速流れにおいて特に失速直後は騒音が急激に増大するために重要であり,また,主要な音源は翼面近傍に存在するため,表面制御による騒音低減効果が大きいことが期待できる.そこで,動物の羽根のような素材(柔毛と呼称)と弾性の性質を有する市販の滑り止め素材(ネットと呼称)を用いた騒音制御を試みた.前者は乱れ応力の緩和をねらったもので,表面全体に設置した場合に騒音低減効果は大きいものの,揚力低下を引き起こすことが知られている.後者はその欠点を克服するために騒音低減効果をある程度犠牲にしても空力性能の維持を重視した方法である.

その結果,柔毛は騒音を大きく抑制できるが,局所制御を行っても空力性能が大幅に低下するので,ターボ機械への応用は難しいことが判明した.また,後縁側での局所制御であれば,高い騒音低減効果が得られるのと同時に空力性能の低下をある程度抑制できることがわかった.柔毛による騒音低減効果は乱れ応力の抑制効果によることが大きいと考えられるため,乱れ応力を抑制するように柔毛を設置することは騒音低減に有効であるといえる.

ネットは柔毛に比べると騒音低減効果が低いものの,柔毛に比べて空力性能の低下を大幅に抑えることが可能であることがわかった.このネットによる騒音低減機構の主なものはLong Bubble形成時の下流における翼面近傍を通過するはく離流れの速度変動がネットのもつ弾性の性質により弱められ,結果として音源の強さも弱まることにあると考えられる.ネットによる騒音制御ではわずかに揚力低下が起こるものの,後縁側に設置した場合は上述の音源を効果的に弱めることができるため,揚力低下分を補正した正味の騒音低減効果が広範囲の迎角で得られる.この効果は失速域のみならず,失速前でも得られるため,将来のターボ機械等への応用が期待できるといえる.

結論

流体機械において広帯域性騒音の発生源となる乱流境界層付着流れとはく離・失速流れを対象に翼周り流れから発生する空力音源の解明と得られた知見に基づく騒音制御による騒音低減およびそのメカニズムの解明を目的に詳細な実験計測と数値解析を行った.以下に本研究の成果についてまとめる.

レイノルズ数が2×105〜5×105の二次元翼(NACA0012)周りの非定常流れと発生する空力音の高精度かつ詳細な実験データを取得した.

揚力および抗力の特性において失速角および失速域にレイノルズ数の違いが明確に捉えられた.高揚力状態〜最大揚力点,最大揚力点〜失速直後(LightStall状態),失速直後〜完全失速(Deep Stall状態)のそれぞれの状態での翼周りの流れと発生する空力音の特性を明らかにした.

上記の翼周り流れと空力音の特性をもとに広帯域性騒音で重要となる最大揚力点,Light Stall状態,Deep Stall状態において翼周りの非定常流れの構造と空力音の相関関係を解明し,空力音発生機構を明らかにした.

失速直後の翼周り流れを対象に上記で得られた空力音発生機構の知見に基づき,受動的な表面制御による騒音制御を行った.騒音制御には乱れ応力の緩和をねらった柔毛による制御と空力性能の維持を重視したネットによる制御を用い,それぞれの空力性能,騒音低減効果,騒音低減メカニズムについて明らかにした.

図1 揚力・抗力とOverall騒音の特性

(a) Light Stall 状態(Re=2×105, α=12°)

(b) Deep Stall状態(Re=3×105, α=18°)

図2 Powell音源div(ω×u)の分布

審査要旨 要旨を表示する

本論文は,「二次元翼周りの流れから発生する空力音源の解明と騒音制御」と題し,6章より成っている.

第1章では,序論として研究の背景および目的が述べられている.近年需要が高い流体機械の低騒音化においてメカニズムが複雑ゆえに解決が困難な広帯域騒音をとりあげ,特に流体機械の設計流量および小流量域に対応するものとして低レイノルズ数の翼周り流れから発生する乱流境界層-後縁騒音とはく離-失速騒音に焦点があてられている.従来は音響学的手法が主体であるために詳細な翼周りの流れ構造が不明確であることおよび現在の数値予測技術の精度が十分でないことをあげ,流れ場と騒音の詳細な実験計測による空力音源の解明が必要であることが指摘されている.

第2章では,高精度な計測のために使用した実験装置および実験方法や同時に実施した数値解析の方法について説明している.本研究に使用されている二次元翼はノズルに対するブロッケージの影響の少ない小型モデルでありながら圧力センサを内蔵しており,翼面の高周波圧力変動の計測が可能となっている.また,翼周りの非定常流れ場の計測には,従来ほとんど例のない回流式低騒音風洞での使用に適したLDV計測手法を開発して用いている.

第3章では,本研究で得られたレイノルズ数が2×105〜5×105の二次元翼(NACA0012)周りの非定常流れと空力騒音の高精度かつ詳細な実験データが示されている.これらのうち空力特性と騒音特性から翼周りの流れ場の分類を行い,流体機械において重要な最大揚力点付近とLight Stall状態(失速直後),Deep Stall状態(完全失速)に分けられている.その結果,最大揚力点ではShort Bubbleが形成され,Light Stall状態ではLong Bubbleが形成されているが,Deep Stall状態ではLong Bubbleの形成はないことが確認されている.空力騒音は失速前〜失速域で広帯域性のスペクトルを示すが,失速直後で急激に増大し,さらに失速が進むと緩やかに減少する傾向があり,翼弦長と主流速度を基準とした無次元周波数で0.3〜10の低周波帯が寄与していることが示されている.

第4章では,最大揚力点付近,Light Stall状態,Deep Stall状態のそれぞれについて表面圧力変動と空力騒音の相関計測や詳細な流れ場の計測による結果が加えられるとともに数値解析による空力音源の可視化が行われている.その結果,最大揚力点では後縁騒音が支配的であるが,これ以外に2つの重要な音源が存在し,それぞれ無次元周波数で0.7〜4,15〜30の低周波帯と高周波帯に寄与があることが明確にされている.Light Stall状態ではLong Bubbleの形成により前縁でのはく離流れが翼面近傍と干渉しながら通過することにより強い音源となることが明確にされている.しかし,Deep Stall状態ではLong Bubbleの形成がなく,前縁でのはく離流れが翼面から離れた領域を通過するためにLight Stall状態でみられた翼面近傍の強い音源が消失する.これによりDeep Stall状態では騒音が小さくなると述べられている.

第5章では,流体機械への応用を視野に入れてLight Stall状態の翼に対して動物の羽根のような素材である柔毛と滑り止め用素材であるネットを用いた受動的な表面制御による騒音制御を行っている.柔毛による制御では局所制御でも4.4dBと騒音低減効果は大きいが,空力特性の悪化が著しいため,実機への応用が難しいことを指摘している.この騒音低減効果には柔毛の繊維により翼周りのレイノルズ応力が効果的に抑制されたことが影響していると述べられている.一方でネットによる制御では柔毛による空力特性の悪化が最小限に抑えられているが,騒音低減効果も1.8dB程度に減少していることが示されている.しかし,翼に作用する揚力の低下分を補正した正味の騒音低減効果が得られているため,実機への応用が期待できるとされている.ネットは柔毛に比べて翼周り流れに与える影響は小さいが,ネットのもつ弾性的性質によりLong Bubbleの再付着点より下流でのはく離流れの速度変動が抑制され,翼面近傍の強い音源が弱められることが騒音低減の要因であると述べられている.

第6章では,本研究で得られた成果が述べられている.

以上を要約すると,本論文は二次元翼周りの流れから発生する広帯域騒音を対象とした詳細な実験計測および数値解析により,数値解析の検証用に足る高精度な実験データを提供するとともに主要な空力音源および騒音制御における騒音低減メカニズムが明確にされており,工学上貢献するところが大きい.

よって本論文は博士(工学)の学位請求論文として合格と認められる.

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