学位論文要旨



No 120832
著者(漢字) 大城,敬人
著者(英字)
著者(カナ) オオシロ,タカヒト
標題(和) STM分子探針を用いた相補的核酸塩基検出
標題(洋) STM Molecular Tips for Electrically Pinpointing Complementary nucleobases
報告番号 120832
報告番号 甲20832
学位授与日 2006.01.23
学位種別 課程博士
学位種類 博士(理学)
学位記番号 博理第4756号
研究科 理学系研究科
専攻 化学専攻
論文審査委員 主査: 東京大学 教授 梅澤,喜夫
 東京大学 教授 西原,寛
 東京大学 教授 塩谷,光彦
 東京大学 教授 斉木,幸一朗
 東京大学 助教授 近藤,寛
内容要旨 要旨を表示する

【序】

走査型トンネル顕微鏡(STM)は,原子分解能を持つ表面分析法として試料分子・基板の三次元的構造分析の用途に広く用いられている.しかし,従来のSTMは原子の化学種や官能基の識別に乏しかった.

1998年に東大の梅澤らのグループによって,化学種選択的なSTM像を得ることの可能な."分子探針"が初めて報告された(Anal.Cgen.70,255,(1998)).分子探針とは,通常のSTM金探針を,試料分子と電子波動関数の重なりを生ずる分子で化学修飾して作成したSTM探針のことである.

この分子探針は.試料との間の電子波動関数の重なりを通じてトンネ電流を促進する.その結果,STM像のコントラストの変化が起こることから,特定官能基・化学種を選択的に可視化識別することが可能となる.

本研究では,STM分探針の持つ化学選択性を用いて4種類の核酸塩基種の識別を行った(Fig.1).

核酸塩基を化学修飾した分子探針(以降,核酸塩基探針と称する)を作成し,その核酸塩基探針を用いて試料核酸塩基SAMあるいは18塩基からなるペプチド核酸塩基鎖を測定した.この探針上の核酸塩基と試料相補的核酸塩基との間に生じる相補的な核酸塩進対間の電子波動関数の重なりを通じ,トンネル電流の促進がおこることから,STM像のコントラストが増大し相補的核酸塩基のみを検出可能になると考えた.

【結果】

核酸塩基探針による核酸塩基自己集合膜(SAM)のSTM測定

核酸塩基探針は,STM金探針にアデニン・グアニン・シトシン・ウラシルの4種類の核酸塩基チオール誘導体を化学修飾して作成した.試料は,核酸塩基チオール誘導体を金板上に自己組織化させた単分子膜(以下SAMとする.)を用いた.核膜塩基探針でSTM測定を行った結果.例えばグアニンSAMを相補的

核酸塩非探針であるシトシン探針で観察した場合,顕著なトンネル電流の促進がおこり,グアニンが明るく観察された(Fig.2a,d).このグアニンSAM像のコントラストは.非相補的核酸塩基探針であるアデニン探針で観察した場合と比較して,2倍になることがわかった(Fig.2b,d).

他の核酸塩基SAMを相補的核酸塩基探針で観察した場合でも同様に,顕著なトンネル電流の促進が起こり,核酸塩基像のコントラストは,非相補核酸塩基探針で測定した場合と比較して2倍になることがわかった.

核酸塩基混合SAM中における相補的核酸塩基種の検出

次に核酸塩基探針で,相補的核酸塩基/非相補的核酸塩基の2種類を混合したSAMをSTM測起した.

その結果,例えばグアニンとアデニンの混合sAMをシトシン探針で測定した場合では.明るさの異なる二種類の核酸塩基像,すなわち,特に"明るい"核酸塩基像と"やや明るい"核酸塩基像が観察された.STM像中での"明るい"核酸塩基像と"やや明るい"核酸塩基像それぞれの数の比は,SAM中におけるグアニンとアデニンのモル比と一致することから,"明るく"観察された方がグアニンで,"やや明るく"観察された方が,アデニンであることがわかった.このことから,シトシン探針で測定すると,相補的核酸塩基のグアニンを検出できることが示された.また,同じ混合SAMをウラシル探針で測定すると,その相補的核酸塩基であるアデニンを検出できることがわかった.

一方,試料と水素結合を形成しない分子探針や未修飾探針で相補・非相補核酸塩基の混合SAMを測定しても,STM像の明るさの違いは観察されず,相補・非相補核酸塩基は識別することは出来なかった.

STMによるペプチド核酸塩基中での相補的核酸塩基検出

ペプチド核酸塩基(以下PNAとする)を,核酸塩基探針でSTM測定し,SAMの場合と同様に相補的核酸塩基の検出できるかどうか検証した.

試料の18塩基からなるPNA鎖(配列はFig.3に記す)は,トリクロロベンゼン溶液に溶解させ,これを金基板の上に滴下したものを測定に用いた.

その結果,例えばシトシン探針で,チミンとグアニンを含む配列のPNA鎖(a)(b)を測定した場合.相補的核酸塩基であるグアニンのみが,チミンと比べて著しく明るく観察された(Fig.3a,b,d).一方,チミンのみ含む配列のPNA鎖(c)では,すべての核酸塩基が同等の明るさで観察された(Fig.3c,d)

以上のことから,核酸塩基探針によるPNAの観察では,PNA鎖の配列中に存在する相補的核酸塩基の検出可能であることが示された.

【考察】

観察された核酸塩基探針による核酸塩基SAMおよびPNA鎖の配列中の相補的核酸塩基の検出は,核酸塩基探針と試料核酸塩基間のトンネル電流の促進に基づいて行われている.

相補的核酸塩基間では,非相補的核酸塩基間よりも強い分子認識能をもつ多点水素結合が形成される.これにより生じた電子波動関数の重なりが,非相補的塩基間より生じる重なりよりも大きくなるため,より大きなトンネル電流の促進が起こる.この結果,STM像のコントラスト変化から相補的核酸塩基のみを検出できる.

【結論】

本研究では,核酸塩基探針を用いた測定によって.核酸塩基SAMおよびペプチド核酸鎖の配列中に存在する相補的核酸塩基を検出することを可能にした.これは,探針と試料の相補的核酸塩基対間の水素結合が形成され.これによって生じた電子波動関数の重なりを介したトンネル電流の増加が起こるためである.

本研究でもちいた分子探針による分析法は,特定の官能基や化学種において,水素結合・配位結合・電荷移動相互作用に基づくトンネル電流の増加現象がおこることを利用して,様々な官能基の位置・配向性などを決定することが出来る.この分析手法は,"分子間トンネル顕微鏡"と呼ぶべきもので,膜・固体表面における化学種選択性のある一般的なイメージング法として今後大きく発展することが期待される.

Fig-1. 4種類の核酸塩基探針による相補的核酸塩基分子の選択的識別.相補的塩基間の電子波動関数の重なりを介して探針試料間を流れるトンネル電流が増大する.この現象を利用すると.アデニン(A),シトシン(C),グアニン(G),チミン(T)探針を用いて,それぞれの相補的核核酸塩基を検出することが可能となる.

Fig.-2. 核酸塩基(グアニン)SAMのSTM像(15×15mm2)(a)相補的核酸塩基探針であるシトシン探針で測定.(b)非相補的核酸塩基探針であるアデニン探針で測.(c)未修飾金探針で測定.(d)(a)〜(c)のSTM像のα-α'.β-Β'.γ-γ'に沿った断面図.

Fig.-3. 3種類の配列のペプチド核酸(PNA)をシトシン探針で測定したSTM像(15×15nm2).18塩基PNAの配列は(a)TTT TTT TTG TTT TTT TTT,(b)TTT TTTTGG TTT TTT TTT,(c)ITT TTT TTT TTT TTT TTT .それぞれのPNA鎖にそった断面図を(d)で示している.配列中で相補的核酸塩基であるグアニンのみが明るく観察される.

審査要旨 要旨を表示する

第1章および第2章は要約および序論である.STMの原理に触れたあと分子探針の背景および原理について記述している.分子探針とは,通常のSTM金探針を試料分子と電子波動関数を生ずる分子で化学修飾して作製したSTM探針のことである.この分子探針は,試料との間の電子波動関数の重なりを通してトンネル電流を促進する.この結果,STM像のコントラストの変化が起こることから,特定の官能基・化学種を選択的に可視化識別することが可能になる.本研究では,核酸塩基を化学修飾した分子探針を作製し,その核酸塩基探針を用いて4種類の核酸塩基の識別を行った.さらに核酸塩基探針を用いて試料核酸塩基単分子膜層,あるいは18塩基から成るペプチド核酸塩基鎖を測定した.

第3章では具体的結果と考察について述べられている.核酸塩基探針は,STM金探針にアデニン・グアニン・シトシン・ウラシルの4種類の核酸塩基チオール誘導体を化学修飾して作成した.試料は,核酸塩基チオール誘導体を金板上に自己組織化させた単分子膜(以下SAMとする)を用いた.核酸塩基探針でSTM測定を行った結果,例えばグアニンSAMを相補的核酸塩基探針であるシトシン探針で観察した場合,顕著なトンネル電流の促進が起こり,グアニンが明るく観察された.このグアニンSAM像のコントラストは,非相補的核酸塩基探針であるアデニン探針で観察した場合と比較して2倍になることがわかった.他の核酸塩基SAMを相補的核酸塩基探針で観察した場合でも同様に,顕著なトンネル電流の促進が起こり,核酸塩基像のコントラストは,非相補核酸塩基探針で測定した場合と比較して2倍になることがわかった.次に核酸塩基探針で相補的核酸塩基/非相補的核酸塩基の2種類を混合したSAMをSTM測定した.その結果,例えばグアニンとアデニンの混合SAMをシトシン探針で測定した場合では,明るさの異なる二種類の核酸塩基像,すなわち,特に"明るい"核酸塩基像と"やや明るい"核酸塩基像が観察された.STM像中での"明るい"核酸塩基像と"やや明るい"核酸塩基像それぞれの数の比は,SAM中におけるグアニンとアデニンのモル比と一致することから,"明るく"観察された方がグアニンで,"やや明るく"観察された方がアデニンであることを明らかにしている.このことから,シトシン探針で測定すると相補的核酸塩基のグアニンを検出できることが示された.また,同じ混合SAMをウラシル探針で測定すると,その相補的核酸塩基であるアデニンを検出できることがわかった.ペプチド核酸塩基(以下 PNAとする)を核酸塩基探針でSTM測定し,SAMの場合と同様に相補的核酸塩基の検出できるかどうか検証した.試料の18塩基からなるPNA鎖は,トリクロロベンゼン溶液に溶解させ,これを金基板の上に滴下したものを測定に用いた.その結果,例えばシトシン探針で,チミンとグアニンを含む配列のPNA鎖(a) (b)を測定した場合,相補的核酸塩基であるグアニンのみが,チミンと比べて著しく明るく観察された.一方,チミンのみ含む配列のPNA鎖(c)では,すべての核酸塩基が同等の明るさで観察された.以上のことから,核酸塩基探針によるPNAの観察では,PNA鎖の配列中に存在する相補的核酸塩基の検出が可能であることが示された.観察された核酸塩基探針による核酸塩基SAMおよびPNA鎖の配列中の相補的核酸塩基の検出は,核酸塩基探針と試料核酸塩基間のトンネル電流の促進に基づいて行われている.

第4章は結論である.本研究では,核酸塩基探針を用いた測定によって,核酸塩基SAMおよびペプチド核酸鎖の配列中に存在する相補的核酸塩基を検出することを可能にした.これは分子探針と試料の相補的核酸塩基対間の水素結合が形成され,これによって生じた電子波動関数の重なりを介したトンネル電流の増加が起こるためと結論している.

以上の研究は理学の発展に寄与する成果であり,博士(理学)取得を目的とする研究として十分であると審査員一同が認めた.なお,本論文は博士課程の研究として論文提出者が大半の部分を行ったもので,本人の寄与は十分であると判断する.

従って,博士(理学)の学位を授与できると認める.

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