学位論文要旨



No 120833
著者(漢字) 亀田(新座),麻記子
著者(英字)
著者(カナ) カメダ(シンザ),マキコ
標題(和) ショウジョウバエ神経細胞の層特異的投射におけるCapriciousの役割
標題(洋) Capricious Regulates Layer-Specific Targeting of photoreceptor axons in Drosophila
報告番号 120833
報告番号 甲20833
学位授与日 2006.01.23
学位種別 課程博士
学位種類 博士(理学)
学位記番号 博理第4757号
研究科 理学系研究科
専攻 生物化学専攻
論文審査委員 主査: 東京大学 教授 西郷,薫
 東京大学 教授 坂野,仁
 東京大学 助教授 飯野,雄一
 東京大学 教授 多羽田,哲也
 東京大学 助教授 能瀬,聡直
内容要旨 要旨を表示する

脳・神経系の複雑かつ精巧なネットワークがいかにして間違いなく形成されるのか、その過程を明らかにするためには、それに関わる分子メカニズムの解明が不可欠である。脳の様々な領域は、無脊椎動物、脊椎動物に関わらず、多くの種類の神経細胞による何重もの層状構造を形成している。そして、これらの層の中では、神経細胞体から伸びている神経突起やシナプスがそれぞれ特徴的な分布パターンを示している。近年、神経細胞体がどのような仕組みで層状に配置されるかという点については理解が進みつつあるが、次の段階、すなわち神経突起がこれら層状構造の中でどのようにして神経結合する対象を探し出し、シナプスを作るのか、という標的認識の分子メカニズムについてはほとんど解明されていない。

この問題にアプローチするためのモデル系として近年研究が進みつつあるのが、ショウジョウバエ視神経系である。ショウジョウバエの視神経系は約800個の個眼とよばれるユニットから成り、さらに個々の個眼は8種の視神経細胞R1-R8で構成されている。R1-R8は脳内にそれぞれ異なる投射先を持っており、R1〜R6は脳の1次視覚投射野lamina内に、 R7、R8は2次視覚投射野medulla内に投射する。Medullaは多層構造になっており、R8はmedulla内の比較的浅いM3層、R7はより深いM6層と、それぞれ別の層領域に投射する。このような層特異的な神経細胞の投射が容易に観察できるという点で、ショウジョウバエ視神経系は優れたモデル系である。

そこで、本論文では、このショウジョウバエ視神経系において、特定の視神経細胞が層特異的に投射する過程に関わる分子とその分子機構を明らかにすることを目指し、既知の分子Capricious(Caps)に着目して解析を行った。

Capsは細胞外にロイシン・リッチ・リピートを持つ膜貫通型タンパク質で、ショウジョウバエの神経・筋結合系において一部の筋肉細胞とそれを支配する運動神経の両方に発現し、標的特異性決定にはたらく分子として以前に同定されていた。

Capsが視神経系においてはたらいているかを知るために、まず視覚系におけるCapsの発現パターンを調べた。Capsタンパク質およびCapsのエンハンサートラップラインのマーカー遺伝子LacZの発現は、眼原基においては1種の視神経細胞R8にのみ見られた。また、脳におけるCapsタンパク質の局在を調べたところ、R8の投射先であるmedulla内の層領域において発現していることが分かった。視神経細胞R7はR8より深いmedulla層に投射するが、CapsはR7の投射層には発現していなかった。これより、Capsは視神経細胞R8とその投射先のmedulla層、つまり前シナプス細胞と後シナプス細胞の両方に特異的に発現していることが分かった。

これらの視神経におけるCapsの役割を調べるため、Caps機能欠失変異体で視神経の投射パターンを解析した。Caps変異体における視神経の分化をしらべたが、正常であることが確認できた。Caps変異体では、視神経R1-R6の投射はほぼ正常であったが、視神経R8の投射に異常が見られた。R8の軸索は正しくmedullaまで到達するが、medulla内での神経終末の形態は変化し、隣接する神経軸索と交差したり、あるいはより浅いmedulla層に投射するなどのmedulla内での投射位置の異常が観察された。R8以外の視神経の投射パターンには大きな変化が見られなかったことから、Capsは非常に特異的にR8の標的認識過程に関わっていることが示唆された。

次に、視神経におけるCapsの発現が、Capsが局在する

medulla層への投射に十分であるかを調べるために、本来Capsを発現していない視神経においてCapsを強制発現させ、その投射パターンの変化を見た。視神経R7にCapsを強制発現させると、medulla内での標的特異性が変化し、本来の標的層へは全く投射せず、Caps局在領域に投射するようになった。本来laminaへ投射する視神経R1-R6にCapsを強制発現しても、その標的特異性はほとんどかわらず、medullaへ投射するようにはならなかった。これより、視神経におけるCapsは、Iamina、medullaのどちらに投射するか選択する過程には関与しておらず、むしろ軸索がmedulla中のCaps局在層を認識し、そこに投射する過程にはたらいていることが推測された。

さらに、medulla内の限られた領域にのみCapsが局在していることが視神経の層特異的投射に重要であるかをしらべるために、medulla全体にCapsを強制発現させ、視神経投射におよぼす影響をみた。その結果、視神経が通常の投射層を越えて伸長し、その標的層特異性が失われているのが観察された。これより、medulla内のCapsが視神経の標的層特異性を決めている可能性が示唆された。

以上の結果から、Capsを発現する視神経は同じくCapsを発現する層領域へ投射する、という相同的な分子認識を介した標的認識メカニズムにより、層特異的な神経投射が行われていることが示唆された。

審査要旨 要旨を表示する

本論文は、ショウジョウバエ視神経の層特異的投射に於けるCapricious分子の役割について解析したものである。本論文は本編と附録から成り、本編は視神経の層特異的な投射におけるCapriciousの作用機構について、附録は本編の実験の過程で発見された視神経の逆走現象について述べられている。

脳・神経系の複雑かつ精巧なネットワークがいかにして間違いなく形成されるのか、その過程を明らかにするためには、それに関わる分子メカニズムの解明が不可欠であると考えられる。神経回路形成過程は「軸索伸長」、「神経軸索の経路選択」、「標的認識」の3つに大別することができるが、このうち「標的認識」過程に関わる分子機構については解析が遅れている。なおかつ、脳の様々な領域でみられる層状構造の中で、神経突起がどのようにして神経結合する標的を探し出し、特定の層にのみ投射を行なうのか、という層特異的投射の分子メカニズムについては未だほとんど解明されていない。本論文の本編で著者らは、脳の中で神経が層特異的に投射する過程に関わる標的認識の分子メカニズムの解明を目指し、ショウジョウバエ視覚系をモデル系として用い、既知の標的認識分子Capricious(Caps)に着目して解析を行なっている。Capsは細胞外領域にロイシン・リッチ・リピートを持つ一回膜貫通型タンパク質で、ショウジョウバエの運動神経・筋肉投射系において一部の筋肉細胞とそれを支配する運動神経の両方に発現し、標的特異性決定にはたらく分子として以前に同定されていた。著者らは、ショウジョウバエ視覚系におけるCapsの機能を調べるために、視覚系におけるCapsの発現を調べ、その結果視神経に相当する光受容細胞8種のうちR8ただ1種においてCapsが発現していることを明らかにした。また、成熟したメダラは層構造を成しており、光受容細胞R8は比較的浅いメダラ層に、R7はより深い層に特異的に投射することが知られているが、観察からCapsタンパク質はR7軸索の投射層にはほとんど存在せず、R8軸索の投射層に局在していることを見い出した。さらに発生段階を追ってメダラの観察を行ない、R8軸索はCapsの存在するメダラ層の中を伸長し、その層の中で神経接続を行なうことも明らかにした。これらの発現パターンからCapsはR8光受容細胞軸索の投射に関与することが想像されたので、caps機能欠失変異体における光受容細胞軸索の投射を解析した。その結果、caps機能欠失変異体においてはR8軸索の投射異常が観察され、R8の投射にcapsが必要であることが示された。また、capsを光受容細胞、またはメダラにおいて異所発現させた結果、capsを強制発現させた光受容細胞はCapsの局在するメダラ層に投射し、またcapsを広域に発現させたメダラの中を光受容細胞が過剰に伸長したことから、光受容細胞中のCapsはメダラに存在するCapsを認識し、Capsの局在するメダラ層に投射してその層内で神経接続を行なうよう誘導する、というメカニズムの存在が示唆された。このように層特異的に局在し、層特異的投射に関わる分子は現在までに報告例がほとんどない。Capsは層特異的投射に関わる分子の極めて数少ない例の一つであり、本論文で明らかになったCapsの層特異的投射を制御する機構は、層特異的投射のメカニズムを理解するための重要な手がかりになると考えられる。

なお、主論文は、能瀬聡直、高須悦子、櫻井香代子、林茂生との共同研究となっているが、論文提出者が主体となって解析および検証を行ったもので、論文提出者の寄与が十分であると判断する。

したがって、審査員一同は同提出者が博士(理学)の学位を授与するのに十分であると判断した。

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