学位論文要旨



No 120834
著者(漢字) 髙橋,麻裕子
著者(英字)
著者(カナ) タカハシ,マユコ
標題(和) ショウジョウバエ発生におけるSrc42Aとarmadillo,shotgunの遺伝的相互作用の重要性
標題(洋) Requirements of genetic interactions between Src42A,armadillo and shotgun,a gene encoding E-cadherin for normal debelopment in Drosophila
報告番号 120834
報告番号 甲20834
学位授与日 2006.01.23
学位種別 課程博士
学位種類 博士(理学)
学位記番号 博理第4758号
研究科 理学系研究科
専攻 生物化学専攻
論文審査委員 主査: 東京大学 教授 多羽田,哲也
 東京大学 教授 西郷,董
 東京大学 助教授 能瀬,聡直
 東京大学 教授 秋山,徹
 東京大学 教授 山本,雅
内容要旨 要旨を表示する

脊椎動物における非受容体型チロシンキナーゼのSrcは、最初に同定された癌原遺伝子にコードされており、9つのメンバーから成るSrcサブファミリーのうちの一つである。Srcサブファミリーに属するチロシンキナーゼは、アミノ末端のミリスチン酸結合サイトであるSH4領域、proline rich regionと相互作用すると考えられているSH3領域、及びリン酸化チロシン残基を含むペプチドと結合するSH2領域、キナーゼ領域、キナーゼ領域中の自己リン酸化サイト、カルボキシル末端のキナーゼ活性抑制サイトを、特徴的な構造として保持する。このSrcキナーゼは、アクチン細胞骨格の制御、細胞の形態変化や細胞移動に重要な役割を果たしていると考えられている。活性化型Srcキナーゼによる繊維芽細胞の形質転換は、アクチン-細胞骨格の破壊のみならず、細胞-基質間や細胞間に存在する多くの細胞骨格関連タンパク質のチロシンリン酸化を引き起こすことが知られている。細胞の形態や移動を制御する因子としてのSrcキナーゼの重要性は、Srcサブファミリーのメンバーを欠失したマウス由来の繊維芽細胞を用いた研究からも示唆されている。

脊椎動物のSrcは、FAK(Focal adhesion kinase)と結合して細胞-基質間接着に局在するタンパク質のチロシンリン酸化を促進する。SrcのパートナーであるFAKが欠失すると、細胞-基質間接着の数、強度が共に増大する。最近の報告ではSrcが、細胞末端における接着のターンオーバーに重要な役割を担っていることが示唆されており、細胞-基質間接着の形成、成熟、分離の制御に、Srcの活性が関与していると考えられる。

カドヘリンは代表的な接着因子の一つであり、同種親和性のカドヘリンの相互作用は、脊椎動物及び無脊椎動物における細胞間接着に重要な働きをしている。E-カドヘリンの細胞質領域にはβ-カテニンが結合し、更にα-カテニンを介して細胞骨格と結びつけられており、一般にこのような構造はアドヘレンス・ジャンクション(adherens junction)と呼ばれている。細胞骨格・細胞間接着を制御する過程において、特にβ-カテニンが重要な働きをしていることが示されている。β-カテニンのチロシンリン酸化が増強されると、カドヘリン-アクチンの相互作用は弱められ、結果として細胞接着は失われる。v-srcによって形質転換した細胞では、上皮細胞分化の異常、浸潤性の獲得、カドヘリンを介した接着の分離が、全てE-カドヘリン/β-カテニンのチロシンリン酸化と協調して観察される。さらに、c-Srcタンパク質は、β-カテニン組み換えタンパク質のチロシン残基をin vitroでリン酸化し、E-カドヘリンに対するβ-カテニンの親和性に影響を与える。従って、培養細胞系やin vitro系において、脊椎動物のc-Srcがβ-カテニンのチロシンリン酸化を担うチロシンキナーゼの一つである可能性が示唆されている。

脊椎動物における個々のSrcファミリーキナーゼの正確な機能とその役割については、解析の余地が多く残されている。9つのSrcファミリーキナーゼ間で機能が部分的に重複しており、機能欠失型変異体の表現型のみからその機能を厳密に明らかにすることは困難だからである。一方、ショウジョウバエにおいては、Src42AとSrc64の2つのみがSrc関連遺伝子として存在する。よってこのショウジョウバエ系は、発生過程におけるSrcの機能を解析する上で、より簡明なモデルであると言うことができる。

ショウジョウバエのSrc64変異体は正常に発生し、生存能力自体は野生型のそれと比べて大きな違いはない。しかし、この変異体の雌の卵形成においては、哺育細胞の融合と、哺育細胞-卵母細胞をつなぐ細胞質架橋であるリング・カナル(ring canal)の発達の異常、リング・カナルにおける抗リン酸化チロシン抗体の染色シグナルの減少等が観察される。ショウジョウバエにおける非受容体型チロシンキナーゼ、BtkホモログをコードするTec29の変異は優性的にSrc64変異体のリング・カナルにおける表現型を増強し、Tec29ホモ変異体では、Src64の機能欠失時と同等の表現型がみられる。Tec29は、リング・カナルに局在し、その細胞内局在は、Src64のキナーゼ活性に依存する。これは、Tec29がSrc64の下流の標的因子であることを示唆している。

Src42Aは、ショウジョウバエにおいて、脊椎動物のc-srcに最も近縁なsrc関連遺伝子である。Src42Aのドミナント・ネガティブ型あるいは活性化型変異体を強制的に発現させることによって、Src42Aが個眼発生における細胞骨格の構築や細胞間接触の制御に関与していることが示唆されている。また、様々なスクリーニングにおいて単離されたSrc42A変異体の解析から、Src42Aが受容体型チロシンキナーゼの情報伝達経路に対する負の制御因子として、またJNK(Jun amino-terminal kinase)情報伝達経路に対する正の制御因子として機能していることが示唆されている。

上述のショウジョウバエにおける2つのSrc関連遺伝子、Src42AとSrc64は、脊椎動物のSrcサブファミリーのケースと同様、部分的に重複した機能を持っている可能性があると考えられるが、実際にこの機能的重複性は、ショウジョウバエ胚期の背部閉鎖(dorsal closure)においてのみ示されていた。

本研究において、我々はまずSrc42Aに対する特異的な抗体を作製し、胚の発生過程でその発現パターンを詳細に観察した。すると、細胞膜におけるSrc42Aタンパク質の強い発現がみられ、その局在が細胞内外で動的に変化していた。また、アドヘレンス・ジャンクションにおいては、ショウジョウバエにおけるE-カドヘリンホモログ、(D)E-カドヘリンと共局在していた。さらに、Src42Aの完全機能欠失型変異体を単離したところ、Src42A変異体は、胚発生における背部上皮の閉鎖過程に僅かな異常を示し、これはSrc42Aの発現パターンを反映するものであった。この表現形は、ショウジョウバエにおけるもう一つのSrcホモログであるSrc64の変異を導入することにより強められ、さらに加えてSrc42AとSrc64の二重変異体では胚帯伸長や、神経、気管、生殖細胞等の組織の発生にも著しい異常がみられた。以上のことは、Src42AとSrc64間の機能的重複性を強く示唆するものであった。さらに本研究では、ショウジョウバエの複眼原基で過剰発現させたSrc42Aのドミナント・ネガティブ型変異体を用いて、Src42Aと遺伝学的に相互作用する因子のスクリーニングを行い、E-カドヘリン及びショウジョウバエにおけるβ-カテニンホモログ、アルマジロとの遺伝的相互作用を確認した。実際、E-カドヘリン遺伝子あるいはアルマジロ遺伝子への変異の導入により、前述のSrc42A完全機能欠失型変異体の胚期における表現形は著しく強められた。さらに、Src42AとSrc64の二重変異体では、背部上皮の閉鎖過程においてE -カドヘリンとアルマジロ、及びF-アクチンの発現が減少していた。また、胚上皮でSrc42Aの様々な変異体を強制発現すると、Src42Aの活性に伴いE-カドヘリンとアルマジロの分布に影響がみられた。以上のことは、SrcとE-カドヘリン、アルマジロ間の発生過程における機能的相互作用を示唆するものであった。そこで、我々は、Src42AによるE-カドヘリンやアルマジロの機能制御のメカニズムを調べるために、生化学的手法を用いてさらに詳細な解析を行った。まず、免疫沈降法とPull-downアッセイを用いてSrc42Aが、E-カドヘリンやアルマジロと物理的に相互作用していることを確認し、E-カドヘリン/アルマジロが細胞膜においてSrc42Aと複合体を形成していることが示した。さらに、RNA干渉の手法を用いて培養細胞でSrc42AとSrc64をノックダウンしたところ、アルマジロのチロシンリン酸化量が減少し、アルマジロのチロシンリン酸化にSrc42AとSrc64が必要であることが示唆された。

以上の結果から、ショウジョウバエのSrcが発生の様々な局面において重要な役割を担っており、特に胚期の背部閉鎖中の上皮先端細胞において、E-カドヘリンとアルマジロを含めたSrc42Aの複合体がF-アクチンの蓄積等の細胞骨格の制御に必要であることが示唆された。

今後は、幅広い組織にわたるSrc42AとSrc64二重変異体の表現形、及び細胞内でのドミナント・ネガティブ型/活性化型Src42Aの挙動、Src42Aとアルマジロの結合構造等の詳細な解析を通して、生体内におけるより精確なSrcの機能が明らかになると考えられる。

審査要旨 要旨を表示する

本申請者の高橋麻裕子は、Src遺伝子の癌化や発生分化における役割に注目し、ショウジョウバエの発生過程ににおけるSrc遺伝子の機能解析を行った。学位論文では、「序」、「材料と方法」、「結果」、「考察」、「結論」に分けて、得られた成果とその意義が述べられている。

Srcは、最初に発見された癌遺伝子であるが、哺乳類においては、類似した機能を持つホモログが多数程度存在するため、loss-of-functionに基づいた、機能解析が著しく遅れていた。一方、ショウジョウバエにはSrcホモログは2種類(Src64,Src42A)しか存在しておらず、Srcの機能解析が可能であると期待された。

申請者は、ショウジョウバエの2つのSrcのうち、共同研究者が以前に発見したSrc42Aを中心に、発現、機能および関連分子・遺伝子カスケードの解明を目指して以下の実験を行った。まず、Src42Aの抗体を作り、E-cadherinに対する抗体との二重染色により、Src42Aタンパク質の細胞内局在を調べた。その結果、Src42Aタンパク質は、主として細胞の2カ所に局在していることがわかった。第一は、E-cadherinあるいは細胞間接着部位近傍、第二は細胞と細胞間基質との接着部位。Src42Aのタンパク質非産生変異株を作出したところ、Src64とは異なり、単独でも致死でかつ胚期背部閉鎖において明確な異常が見いだされた。このことは、左右の細胞が、アクチン骨格の形態をコントロールしながら正しい相手を探るプロセスに、Src42Aが、関わっていることを示している。Src64とSrc42Aの二重変異株を作ってみたところ、germband retraction,中枢神経形成、トラキア形成等様々な著しい表現型変異がみられることが分かった。このことは、Src64とSrc42Aの冗長的な機能は、様々な発生分化の文脈で必須であるが、一方の欠損だけでは、著しい形態異常は生じないことを示している。Srcの役割をより明確にするために、Src42Aのドミナントネガティブ型を複眼で発現させ、生じたラフ眼を増強する変異体を探索した。その結果、E-cadherinをコードするshotgun遺伝子が、Src変異のエンハンサーであることが分かった。E-cadherinは、細胞間の接着のための細胞外での直接的な相互作用だけでなく、細胞質内では、・‐カテニン(Armadillo)と結合する。・‐カテニンは・‐カテニンと結合し、さらに・‐カテニンはF-アクチンと結合するので、結果としてE-cadherinは、細胞骨格と連結している。申請者は、胚期背部閉鎖、複眼等の遺伝学的な研究から、Src42Aは、E-cadherinだけでなく、Armadilloとも相互作用することを示した。さらに、胚期背部閉鎖への、Srcの効果を、Src42A;Src64/+二重変異株で調べ、Srcの活性の減少により、leading edgeにおける、E-cadherin、Armadillo、F-actinのシグナルの著しい減少を見つけた。さらにshotgunのモザイククローンで、Src42Aの膜への取り込みが著しく減少することを見いだした。これらの発見は、Srcが、細胞間接着に必須なE-cadherin/Armadillo/F-actin複合体の安定性をコントロールしていることを示している。物理的にSrcとE-cadherinとArmadilloの可能な相互作用を調べるために免疫沈降を行い、Srcと、E-cadherin、Armadilloが、相互作用することを見いだした。さらにより直接的な結合実験により、自己リン酸化部位を含む14アミノ酸と・‐カテニンが相互作用することを明らかにした。RNAiを用い、Srcの活性がArmadilloのリン酸化に必要であることを示した。

以上、高橋麻裕子は、SrcがArmadilloと直接相互作用して、細胞間の接着をコントロールしていることを初めて個体レベルで明確に示した。本研究の成果は、Src遺伝子の理解に対する重要な寄与であり、学位申請者の業績は博士(理学)の呼称を受けるのにふさわしいと審査員全員が判定した。なお、本論文は高橋史峰、小嶋徹也、程久美子、西郷薫との共同研究であるが、論文提出者が主体となって分析および検証を行ったもので、論文提出者の寄与が十分であると判断する。

したがって、高橋麻裕子に博士(理学)の学位を授与できると認める。

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