学位論文要旨



No 120835
著者(漢字) 邉,英治
著者(英字)
著者(カナ) ホトリ,エイジ
標題(和) プルーデンス規制と不良債権問題 : 1915〜45年、日本の銀行規制の分析
標題(洋)
報告番号 120835
報告番号 甲20835
学位授与日 2006.01.25
学位種別 課程博士
学位種類 博士(経済学)
学位記番号 博経第195号
研究科 大学院経済学研究科
専攻 現代経済専攻
論文審査委員 主査: 東京大学 教授 伊藤,正直
 東京大学 教授 武田,晴人
 東京大学 教授 福田,慎一
 東京大学 教授 岡崎,哲二
 東京大学 助教授 粕谷,誠
内容要旨 要旨を表示する

周知のように、日露戦後恐慌以降の日本経済では、第一次世界大戦勃発という「天の恵み」による大ブームを経験したことを除けば、1913-14年不況、1920年反動恐慌、1923年震災恐慌、1930-31年昭和恐慌と、恐慌が断続的に勃発した。その中で、救済融資をはじめ、経済面へのさまざまな国家介入が展開され始めたとされる。

この点、本論文が分析対象とする金融面においても例外ではない。日本の銀行業は、1900-01年金融恐慌、1907年金融恐慌、1920年金融恐慌、1922年石井定七金融不祥事、1923年震災金融恐慌、1927年昭和金融恐慌、1930-31年昭和恐慌、1932年中京地方金融恐慌など、何度も金融パニックを経験した。そして、1930年代において、深刻な不良債権問題が残された。このような金融危機、不良債権問題の背景として、いわゆる「機関銀行」関係や小銀行の濫立などに象徴されるような金融不安定性という特徴を有する近代日本金融システムが関わっていたと考えられる。さらに、金融不安定性という構造的な問題を抱えていたため、金融危機、不良債権問題の克服は、銀行業者側の努力のみでは困難であったと推察してよいだろう。実際、本論文で明らかとなるが、第一次大戦の勃発以降、金融危機克服、不良債権問題克服の過程において、規制当局(大蔵省・日本銀行)は、さまざまな形で銀行業への国家介入を開始・強化していく。

本論文は、規制当局の重要な介入政策の1つである銀行規制を分析することで、金融危機、不良債権問題とかかわって当局が果たした機能・役割を明らかにすることを課題としている。とりわけ、従来の研究で十分に顧みられることのなかった不良債権問題への対応策、プルーデンス規制(経営健全化・信用秩序維持)の機能の解明に重点をおいている。そして、近代日本金融システムの特徴の変化やその要因を考察する上で、一定の手がかりを与えることが、本論文の狙いである。

ところで、銀行規制に関する先行研究は、銀行合同の進展という結果から規制の内容を推論するという向きが強く、大蔵省検査をはじめとする銀行検査体制や銀行規制の全体像(規制体系)について、ほとんど検討していない。このような研究状況に鑑み、本論文では、昭和財政史資料、日本銀行アーカイブ所蔵史料、みずほ銀行金融資料課所蔵史料、山形銀行所蔵史料、埼玉県などの各公文書館所蔵史料といった一次史料に基づきつつ、できうる限り実証的に検討を進めることに努めている。

本論文は、第1章において、銀行規制形成・強化の背景状況、第2章〜第4章において、戦間期(1915〜34年)の銀行規制、大蔵省検査、不良債権処理政策、第5章〜第6章において、戦時期(1935〜45年)の銀行規制、大蔵省検査・不良債権処理政策、第7章において、戦後復興期(1946〜54年)の大蔵省検査・日本銀行考査、という構成をとっている。

第1章では、銀行規制形成・強化の背景状況を検討する。まず、銀行規制形成の遠因として、日清戦後金融恐慌、日露戦後金融恐慌を指摘し、銀行規制形成の直接的契機として、1914年金融恐慌と第一次大戦の勃発及び日本のそれへの参戦を指摘する。次に、規制強化の遠因として、大戦ブームと1920年の反動恐慌を指摘する。さらに、経営健全化・不良債権対策と関わっては1922年の金融恐慌、整理等による経営体質の強化と関わっては1925年以降の農家経済の悪化(小銀行の経営基盤の縮小)、が規制強化の背景状況として重要であることを指摘する。

第2章では、戦間期における12の銀行規制(参入規制、整理・解散促進策、合併促進策、店舗規制、配当規制、兼営・兼任規制、金利規制、大蔵省検査、日本銀行考査、監査役監査、開示規制、LLR)そのものを主として政策の側から検討した上で、それらの相互関係を分析する。検討の結果、1920年代末頃には、大蔵省検査を中核とする銀行検査体制中心の銀行規制体系が形成されていたことが明らかとなった。この規制体系には、経営健全化・不良債権対策、規模拡大・整理による経営体質の強化、というおおよそ2つの目指すべき方向が存在した。ここに、近代日本金融システムの重要な特徴である金融不安定性の軽減を図る枠組みが完成されたという意味で、銀行規制体系の確立とみてさしあたりよいだろう。なお、銀行検査体制は、営業免許取消権等及び懲役・禁銅・罰金といった銀行経営者への罰則規定等により実効性が担保され、合併促進策などの他の規制は、検査体制により実効性が担保されるという仕組みになっていた。

第3章では、第2章において、銀行規制体系の中核に位置する重要な規制であることが明らかとなった大蔵省検査を取り上げる。大蔵省検査の理念は、成立期以来、銀行の経営健全化で一貫しており、基本的に個々の銀行の経営健全化、不良債権処理が優先され、産業発展の促進は、銀行の経営健全性を前提として、副次的に実施される程度に過ぎなかった。そして、1920年代末頃における大蔵省検査は、個々の銀行の貸出等の資産査定と不良債権の整理促進を中心的機能としつつ、他の銀行規制(金利規制、店舗規制、整理・解散促進策、合併促進策など)の実効性を担保するという多様な機能を有していたことが、複数の事例から実証的に明らかとなった。先行研究で想定されてきたような銀行合同政策の補完という限定された機能だけではなかったのである。

資産査定と不良債権の整理促進という検査の中心的機能は、検査と「答申書」の提出という実地検査時のチェックだけでなく、「整理状況報告書」(各月)の提出の義務付けと時折出される示達書(「銀検第00号」)といったアフターフォローの実施によって、実効性が担保される仕組みになっていた。なお、大蔵省検査体制の成立当初から、検査官は、基本的にキャリア官僚で構成されており、そうそうたるメンバーが顔を連ねていたことから、大蔵省銀行局内における検査課の地位は、それほど低くなかったと推論できる。

第4章では、第3章において明らかとなった大蔵省検査の中心的機能である不良債権処理に焦点をあわせる。埼玉県の西武銀行における不良債権処理の具体的プロセスについて、「整理状況報告書」(各月)などの一次史料により分析した結果、大蔵省検査による不良債権処理の指導は、情実の関係から銀行経営者の自主的な回収努力が最も期待し難い重役関係貸しに対して、特別な注意を払っていた点が特徴的であることが、明らかとなった。これは、いわゆる「中小機関銀行」の経営問題に対応するものであり、西武銀行の経営の主柱である貸付金利息の急減という困難の中で、同行の不良債権問題を少なくとも質的な観点から改善する方向へと誘導する側面があったと考えられる。

第5章では、戦時体制下におけるわが国の銀行規制について、第2章で取り上げた12の銀行規制が推移していく過程を検討する。検討の結果、合併促進策などいくつかの規制は、軍事的生産力拡充資金の確保、国債消化の円滑化といった金融統制目的に沿うものへと変化していく一方で、戦争経済の円滑な運営の前提条件として、信用秩序維持の確保もまた重要な課題であり、大蔵省検査をはじめとするプルーデンス規制が放棄されたわけではなかったことが明らかとなった。

第6章では、第5章において、プルーデンス目的の観点から重要な規制であることが示唆された大蔵省検査を取り上げる。戦時期の大蔵省検査の機能は、貯蓄増強や国債消化といった金融統制色を徐々に増しつつも、戦時経済の円滑な運営に資する信用秩序維持の確保のため、不良債権処理の進展と照応しつつ、不良債権問題の改善から経営健全性の確保、健全性の維持(不良債権の発生防止)へと重点が推移していった。その中で、銀行自身にリスク管理状況などを報告させるという意味で、インセンティブ・コンパティブルな要素を含む「諸調書」の提出が、大蔵省検査の一環として制度的に定着した。

さらに、戦時期における不良債権処理と大蔵省検査の関係について、山形県の両羽銀行を中心的題材にして具体的に検討した結果、経営者の自主的な整理が一般に困難な重役関係貸しに対しては特別な注意が払われていたこと、株式操作資金、鉱業関係といった県の産業とおおよそ関係のない不健全な大口貸しが問題視されていたこと、戦間期と同様の検査のアフターフォローが実施されていたこと、が明らかとなった。戦時期における大蔵省検査が、銀行経営者による自主的な整理努力を促進することを通じて、不良債権問題を改善する方向へと誘導していたことが、複数の事例から示唆されたのである。

第7章では、戦後復興期における大蔵省検査・日本銀行考査の改革過程を検討する。本論文とかかわって最も注目したいのは、検査部門の地位低下、検査と行政の分離に伴う検査部門の行政部門への隷属化である。銀行規制体系の中核に位置付けられてきた大蔵省検査の担い手である検査部の地位が大蔵省銀行局内で大きく低下したことは、戦後復興期において、中核的規制が大蔵省検査から他の規制へと変化したことを意味しており、「戦前期」プルーデンス規制の終焉を示唆していると考えられる。

終章では、1915〜45年における日本のプルーデンス規制の効果について、総括的に検討する。プルーデンス規制が、銀行経営の健全化と不良債権問題の質的改善の方向へと誘導したこと、不良債権問題を量的にも改善する方向へと誘導した可能性が高いこと、小銀行の減少を通じて金融システムの不安定要因を減少させる役割を果たしたことを指摘する。最後に、プルーデンス規制と金融システムの特徴の推転に関する研究展望を示す。

審査要旨 要旨を表示する

邉英治氏の博士学位請求論文「プルーデンス規制と不良債権問題−1915〜45年、日本の銀行規制の分析−」は、従来、比較的看過されてきたわが国戦前期における銀行規制について、その形成と展開、制度的枠組みと機能、規制の効果を包括的に検討することを課題としたものである。これまで、銀行規制(bank regulation)に関しては、1960年代以降の金融システム不安定などを背景に、主としてアメリカにおいて理論的・実証的検討が進められ、日本でも、それらを参照基準とした現状分析的な研究が中心となってきた。

本論文は、一方で、そうしたアメリカにおける銀行規制の理論とそれを基準とした分析を念頭に置きつつ、他方で、日本金融史の領域において進められてきた戦前期の金融危機についての分析を批判的に再検討し、戦前期の銀行規制に関する新しい全体像を提示しようと試みている。

その際、著者が重視するのは、政策当局の不良債権問題への対応策であり、プルーデンス規制の機能である。これは、戦前期の日本金融システムを検討してきた先行研究が、「銀行合同の進展という結果から規制の内容を推論」し、また、銀行規制において重要な位置を占めたと著者が考える大蔵省検査にほとんど留意してこなかったことへの批判を含意している。

この課題を達成するため、著者は、大蔵省昭和財政史資料、日本銀行アーカイブ所蔵資料、みずほ銀行金融資料課所蔵資料、山形銀行所蔵資料、埼玉県公文書館所蔵資料などの一次資料を丹念に収集し、自ら設定した課題を歴史実証的に解明することに努めている。そして、この面で本論文は注目に値すべき分析結果をあげており、資料的な制約が大きいなかで、これまでほとんどその実態が明らかでなかった戦前期の銀行検査、銀行規制に関して、さまざまの新しい事実の発掘と新しい視点の提示に成功している。

本論文の構成は、次のとおりである。

序章 課題と概観

第1章 銀行規制形成・強化の背景状況

第2章 戦間期におけるわが国の銀行規制体系

第3章 戦間期における大蔵省検査体制の形成とその実態

第4章 戦間期における大蔵省検査と不良債権の処理過程

第5章 戦時体制下におけるわが国の銀行規制体系

第6章 戦時体制下における大蔵省検査と不良債権処理

第7章 戦後復興期における大蔵省検査・日本銀行考査の改革

終章 総括と展望

以下、各章の内容を、若干のコメントも含め、要約・紹介する。

序章では、本論文の課題、研究方法、構成が概括的に示される。まず、銀行規制を分析する意義が、近代日本の金融システムの不安定性と関連させつつ強調される。次いで、研究史の整理とその批判的検討が、プルーデンス規制に関する理論的先行研究と日本金融史に関わる先行研究の2つの領域においてなされる。そして、「銀行規制の分析には、銀行規制形成の背景、銀行規制の内容、銀行規制の効果という三つのディメンジョンが考えられる」が、本論文では「銀行規制の内容(機能)の解明に重点をおいて…具体的な規制のメカニズムや相互関係について」解明すると、本論文全体の課題が提示される(p.11)。

この課題設定に沿って、まず第1章では、銀行規制の形成・強化の背景状況が、日清戦後恐慌、日露戦後恐慌から検討され、1914年の金融恐慌と第一次大戦への参戦が、銀行規制形成の直接の契機となり、戦後ブームと1920年反動恐慌が、規制強化の契機となり、1920年代の金融不安定の背景のひとつとしての農家経済悪化を強調する。

これを受けて、第2章では、戦間期における銀行規制が、大蔵省を主体とする規制、日本銀行を主体とする規制に項を分けて検討され、それらの相互関係が分析される。前者では、(1)大蔵省検査(1891年から、ただし選任の検査官設置は1915年から)、(2)監査役監査(1924年頃から、27年銀行法で制度化)、(3)ディスクロージャー規制(1890年銀行条例から、本格整備は1916年から)、(4)参入規制(1901年から、1911年、23年に強化)、(5)整理・解散促進策(1916年改正銀行条例から、銀行法に継承)、(6)合併促進策(1911年から、19年から積極化)、(7)店舗規制(1923年から)、(8)配当規制(1924年から)、(9)兼営・兼任規制(1915年無尽業法、21年貯銀法、23年信託法、27年銀行法)、(10)金利規制(1918年から)の10項目が、後者では、(11)日銀考査(1920年から研究開始、27年前後に制度化)、(12)LLR(1920年恐慌から)の2項目が取り上げられ、そのそれぞれについて、詳細な検討が加えられている。検討の結論は、1920年代末頃に、「戦前の銀行規制として重要な12の規制が出揃い、大蔵省の「銀行検査体制を中心とするような銀行規制体系が形成されていた」、「日本銀行考査、監査役監査、開示規制は大蔵省検査を補完するという関係にあった」というものである(p.74)。

さらに、第3章では、著者が中核をなすと考える大蔵省検査が、その制度と枠組み、検査の機能について分析される。検査の中心的機能は、「資産査定と不良債権処理の促進」(p.120)にあったとされ、具体的には、通常検査においては、(1)貸出・資産の査定・評価・分類、不良債権・資産の整理を促進する機能、(2)他の銀行規制の実効性を担保する機能、(3)地元産業への資金供給を促進する機能が果たされ、さらに、(4)銀行合同政策を補完する機能があったとしている。

戦前期における銀行規制として、12の規制を抽出し、そのそれぞれについて詳細な検討を加えた上で、その相互関係を明らかにしようとした試みは、これまでで初めてのものであり、両章は本論文の中心部分をなすといってよい。戦前銀行規制の全体像が、ようやく明らかになったということができ、この点での研究史上の意義は大きいと考えられる。しかし、12の規制体系のなかで、いかなる意味で大蔵省検査が中核としての役割を果たしていたのかについては、この両章の分析を通しても、必ずしも説得的に展開されていない。このことは、12の規制体系の相互関係が、いわば形式論理的に把握され、歴史過程のなかでの因果連関から解明されていないことによると思われる。いいかえれば、それぞれ異なる時期に始められたさまざまな規制が、大蔵省検査を中核とする体系として確立したとすれば、それはどのような意味で確立したといいうるのか、他の規制との関係で、どのような検査内容や検査態勢が追加され、強化されたかが明らかにされ、その過程で大蔵省検査の位置付けが明確化していくというような歴史的な分析、論述には、この両章は、十分にはなっていないのである。このため、読者は、大蔵省検査が中核であるという結論が予め措定され、それにそって各規制が位置づけられているという印象を受けることになる。

第4章と第6章は、個別銀行に対する大蔵省検査のケーススタディであり、第5章は、戦時体制下での銀行規制の推転、第7章は、戦後復興期における大蔵省検査、日銀考査の改革過程の検討を行っている。

まず、第4章では、埼玉県における地方中堅銀行である西武銀行をとりあげ、1930年代前半における同行に対する大蔵省検査と、同行の不良債権処理過程を検討している。本章では、一次資料に基づいて、同行の経営実態や主要融資先の動向がまず分析され、それとの関連で、大蔵省検査の実効性が検証されている。「大蔵省検査には、西武銀行の不良債権問題を、とりわけ質的観点から改善する側面があった」(p.147)というのが、本章の結論である。

また、第6章では、地方有力銀行である嘉穂銀行と両羽銀行をとりあげ、嘉穂銀行の不良債権は1940年に本格的に処理されること、両羽銀行の不良債権は1936〜38年にかけて本格的に処理されることなどのファクツを検出し、1930年代半ば以降も、少なくない地方有力銀行等で、不良債権処理という課題を抱えていたことを明らかにしている。そして、これらの不良債権処理が徐々に進展するなかで、それに照応する形で、大蔵省のプルーデンス規制の主眼が、不良債権問題の改善から経営健全性の確保、健全性の維持(不良債権の発生防止)に移っていったことが強調されている。もっとも、戦時期の銀行経営において、不良債権問題がどの程度の比重を占めていたのかの検証が行われていないため、合併促進策や金利・配当規制と比較した上での、プルーデンス規制の比重は、本章の分析からは必ずしも明確とはなっていない。

第5章では、1920年代末に体系化された銀行規制が戦時体制下にどのように変化したかが、植田和男、伊藤修、浅井良夫などの先行研究に対する批判という視点から検討される。批判の中心は、「統制経済の進展とともに、セイフティ・ネットは放棄された」という見解であり、12の規制についての具体的検討の結果として、本章が導き出さした結論は、「合併促進策、店舗規制、配当規制、金利規制は、…金融統制目的に直接的に沿うものであった」が、「大蔵省検査をはじめとするプルーデンス規制は、戦争経済の円滑な運営の前提条件として重要な信用秩序維持の確保を目的とするものであった」というものである。

第7章では、戦後占領下での金融制度改革と関連させつつ、大蔵省検査や日銀考査の役割の変化が検討されている。銀行検査制度に関するGHQのいくつかのプラン(ケーグル案、ロビンソン・メモ、アリソン・メモ、レーマン案)のなかで、「アメリカ型を理想とするアメリカ側と、戦前型で基本的によしとする日本側の対立の中、妥協の産物」(p.224)として戦後の検査制度改革が実施されたこと、この結果として、大蔵省では「検査部門の地位低下、検査と行政の分離に伴う検査部門の行政部門への隷属化」がみられたことが強調されている。本章の結論は、「戦後復興期において、銀行規制体系の中核的規制が、大蔵省検査から他の規制へと、変化したことを意味」しており、「『戦前期』プルーデンス規制の終焉を示唆している」というものである。

著者は、第二次大戦後の日本の銀行規制を、「構造規制ないし競争制限的規制」として把握しており、この転換の指標を、「大蔵省銀行検査部門の地位低下」にみているのである。しかし、この結論が説得力をもつためには、プルーデンス規制から構造規制への転換を必至化するいかなる経済状況があったのかの分析が不可欠の筈である。本章では、この分析はまったく行われておらず、組織内改革が機能の変化と直結されている。さらに、「検査と行政の分離に伴う検査部門の行政部門への隷属化」の意味内容も必ずしも明らかでない。

最後の終章では、本論文全体の総括が、プルーデンス規制の効果という視点からなされ、戦前の銀行規制が、「銀行経営を健全化し、不良債権問題を改善させる方向へと誘導し」(p.229)、「小銀行を減少させ、金融システムの不安定要因を減少させるという役割を果たした」(p.234)と結論付けている。

以上に要約したように、本論文は、これまでほとんど実態が明らかではなく、また、理論的位置づけもなされてこなかった戦前期日本における銀行規制を、規制の機能の解明に重点をおきつつ、規制形成の背景、規制の内容、規制の効果の全体にわたって、実証的に明らかにしようとしたものである。以下、本論文の評価と問題点についてまとめて述べる。

評価すべき第1の点は、研究史上の空白に挑戦し、重要なファクツ・ファインディングスを行ったことである。銀行規制として、12の規制を抽出し、そのそれぞれについて、一次資料に丹念に当たりながらその内容を明らかにしたこと、なかでも、大蔵省銀行検査に着目して、その歴史的形成と機能強化のプロセスを解明したことは貴重な貢献といえる。大蔵省検査については、検査体制や検査のプロセス、検査の機能が詳細に明らかにされており、戦前期における大蔵省銀行検査については、ほぼその全体像が明らかになったといえる。

第2は、戦前日本における銀行規制の目的として、銀行検査体制による銀行経営の健全化と整理・合同促進策などによる銀行経営体質の強化という2つの方向性を検出したことである。他産業とは異なり、なぜ銀行業において公的規制が正当化されるのかに関しては、これまで一般的には、銀行業における公共性(決済システムの維持ないし預金者保護)が根拠とされてきた。本論文では、金融業に存在する「外部性」から来るシステミック・リスクの存在と、セイフティ・ネットの存在から生じるモラル・ハザードの問題に公的規制の根拠を求める、という立場をとりつつ、現代資本主義化=国家介入の本格的始動と結びつけて、銀行規制体系の確立を解こうとしている。理論と歴史分析を結合させようとする意欲が強くみられるのである。

第3は、こうした銀行規制の歴史的展開を、個別銀行に対する具体的な銀行検査措置と結び付けつつ解明しようとしていることである。大蔵省銀行検査や日本銀行考査については、これまで公的機関による検査(考査)という性格上、公式の資料やデータがまったく公開されないという限界が存在した。本論文は、その限界を突破するために、個別の市中銀行サイドの検査資料を発掘し、個別銀行側から、大蔵省検査の実態に迫ろうとしている。

とはいえ、本論文に問題点がないわけではない。すでに各章の要約、紹介のなかでも触れてきたが、その第1は、銀行規制の形成や展開、その相互関係を分析していく上での、本論文の叙述方法に関する問題である。本論文では、基本的には、いくつかの銀行規制が個別的に検討され、それが大蔵省銀行検査によって総括される、という叙述方法がとられている。しかし、歴史過程に即してそれぞれの銀行規制が帰納的に抽出されその相互関係が分析される、という手続きがとられていないため、本論文のいう規制体系がいかなる意味での体系であるのかについては、十分には検証されないままに終わっている。また、本論文は、1920年代末頃における銀行規制体系の体系としての形成を主張している。しかし、それぞれの規制の形成と展開の歴史的前後関係に留意し、その因果連関のありようを分析することなしには、体系の体系たる所以を説明できない筈であり、この点の追求が本論文ではなおざりにされている。

第2は、戦前日本経済に関するこれまでの研究との連関の問題である。本論文が対象とする1915年から45年の時期に関しては、これまで現代資本主義化の起点として、広い領域にわたった研究が積み重ねられてきている。本論文は、金融論的研究と経済史的研究の接点に位置するとみることができるが、経済史的研究への目配りが弱い。本論文の終章において、著者は、日本における20世紀資本主義への変質を、本格的国家介入の始動からといた三和良一の見解を継承しつつ、大蔵省検査を国家介入始動の重要な指標とするという新たな位置づけを与えた。しかし、この位置づけは、本論文各章での具体的分析から抽出されたものとはいいがたく、既存の研究史を克服し、新しい全体像を提示するにはいたっていない。

第3は、データ処理に関する問題である。本論文においては、数多くの第一次資料の収集が行われている。それ自体としてはきわめて貴重な作業であるが、それを論証の素材とする場合の手続きがややルーズになされているため、せっかくの収集資料の価値が低められている。たとえば、個別銀行の経営動向の分析に際して、資金量、期間、コスト、リスクなどについて、もう少し丁寧な分析と手続きが行われていれば、本論文の意義は一層高まったと考えられる。しかし、そのためには、貸し手の銀行側だけでなく、借り手側の個別データの収集と分析が必要と考えられ、今後の課題ともいえる。

以上のような問題点を残すとはいえ、これらは氏が今後取り組んで行くべき課題と考えられる。本論文により、戦前期における銀行規制の全体像は初めて明らかとなった。本論文は、今後の日本金融史研究の重要な参考文献となるだけでなく、戦後の銀行規制や金融システム分析を行う際にも一つの参照基準となるであろう。以上により、審査員は全員一致で、本論文の著者は課程博士の学位を授与されるにふさわしい水準にあると認定した。

UTokyo Repositoryリンク