学位論文要旨



No 120840
著者(漢字) 比田,直輝
著者(英字)
著者(カナ) ヒダ,ナオキ
標題(和) 遺伝子コード型蛍光プローブによる生細胞内でのナノモル濃度領域の一酸化窒素の可視化検出
標題(洋) Imaging the nanomolar range of nitric oxide with a genetically encoded fluorescent indicator in living cells
報告番号 120840
報告番号 甲20840
学位授与日 2006.01.31
学位種別 課程博士
学位種類 博士(理学)
学位記番号 博理第4759号
研究科 理学系研究科
専攻 化学専攻
論文審査委員 主査: 東京大学 教授 梅澤,喜夫
 東京大学 教授 橘,和夫
 東京大学 教授 浜口,宏夫
 東京大学 教授 西原,寛
 東京大学 助教授 後藤,敬
 東京大学 助教授 田中,健太郎
内容要旨 要旨を表示する

【序】

一酸化窒素(NO)はフリーラジカルの二原子分子であり,ホルモンや神経伝達物質などの外部刺激によって誘起される生体分子である.NOは血管循環器系をはじめ,脳,神経系における記憶の素過程から免疫系における生体防御までの様々な生理,病理条件下で重要な働きを担っている.生体内のNOは,血管内皮型(eNOS),神経型(nNOS),そして誘導型NO合成酵素(iNOS)によって産生される.血管は主に血管内皮細胞と平滑筋細胞の2層によって構成されている.血管内皮細胞では,ホルモン,血流等の外部刺激によりeNOSによってNOが産生され血管を弛緩し血流を制御している.血管内皮細胞を取り除いた血管にnM濃度のNOを添加するとその血管の弛緩がおこるため,nM濃度のNOが実際に血管の弛緩を誘導すると考えられている.しかしながら,このnM程度の生理的濃度のNO動態を観察できる手法は未だ開発されていない.細胞内NOを検出する手法として,ジアミノフルオレセイン(DAF)をはじめとする有機蛍光プローブが開発されている.しかしこれらの検出法は,細胞内でそのようなnM濃度NOが検出可能な感度に至っておらず,可逆性もないので生理的なNO動態を観察できない.そこで本研究では,こうした従来法の限界を克服するため,NOの結合タンパク質である可溶性グアニル酸シクラーゼ(sGC)の酵素活性による増幅能を利用したNOの超高感度蛍光プローブを開発し,単一細胞内でのnM領域のNOの動態を可視化検出することを目的とする.(本論文 第1章)

【NOA-1の設計】

sGCはαサブユニット(sGCα)とβサブユニット(sGCβ)のヘテロ二量体で構成されたcGMPの産生酵素である.sGCβのN末端に存在するヘムにNOが可逆的に結合する.NOの結合によりsGCの活性が400倍に上がりGTPからcGMPへの変換を繰り返し行う.NO蛍光プローブを開発するに当り,二つのキメラタンパク質を設計した(Fig.1).sGCαとsGCβのC末端にそれぞれcGMP蛍光プローブCGYを遺伝子工学的に連結した.CGYとは,cGMPの結合タンパク質であるPKGIαのN末端とC末端にシアン・黄色の蛍光タンパク質(CFP・YFP)を連結したcGMP蛍光プローブであり,申請者が修士研究において共同開発した.cGMPの結合によりCGYの構造変化が誘起され,それに伴うCFPとYFP間の蛍光共鳴エネルギー移動(FRET)をcGMPの評価としている.

【検出原理】

sGCα-CGYとsGCβ-CGYのヘテロ二量体は,NOと結合することで3000-6000分子/minのcGMPを産生する.この産生したcGMPは,CGY領域と結合しFRETを誘起する.また,NOと結合していないヘテロ二量体や余剰のsGCα-CGY,またはsGCβ-CGY単量体もまた,cGMPによってFRETを誘起し,蛍光シグナルを増強する(Fig.1).このsGCα-CGYとsGCβ-CGYのヘテロ二量体が,増幅検知型のNO蛍光プローブであり,NOA-1(a fluorescent indicator for NO with a signal amplifier)と名付けた.

【NOA-1の検証】

NOA-1のNOに対する応答を調べるため,eNOSが発現していない細胞(CHO-K1)にNOA-1遺伝子(sGCα-CGYとsGCβ-CGY)を導入した.NOの供与体である5 nM NOC-7で刺激したところ,CFP/YFP蛍光強度比が速やかに減少し300秒以内に元の蛍光強度比に上昇した.一方,sGCα-CGY,sGCβ-CGYをそれぞれ単独に発現させた場合はNOに対する応答は示さなかった.このことは細胞内でsGCα-CGYとsGCβ-CGYが二量体化して本プローブNOA-1を形成し,NOと結合して産生したcGMPを検出していることを示している.NOの濃度を変えて刺激を行ったところ,nMのNO濃度に依存した応答が得られた(Fig.2a).既存の有機蛍光プローブと比較すると,NOA-1は細胞内でそれらの10000倍程度の感度でNOを検出できることがわかった.NOA-1の可逆性についても検証した(Fig.2a).

【血管内皮細胞でのNO測定】

血管内皮細胞にNOA-1を発現させ,生理刺激によるNOの産生の観察を行った.血管を拡張するホルモンのブラジキニン(1 nM)で細胞を刺激したところ,一過性のNO産生が観察された.血管中では血流により細胞の接線方向にかかる物理的な力(shear stress)によってもNOが産生される.このshear stress依存的なNO産生も検出できた.この結果は,NOA-1が生理的なNO産生を検出できることを示している.興味深いことに血管細胞にNOA-1を発現させると,そのCFP/YFP蛍光強度比は,NOSが発現していないCHO-K1細胞に発現させた場合と比較して有意に低く,血管細胞内に定常的にNOが産生していることをうかがわせた(Fig.3a).そこでNOA-1を発現させた血管内皮細胞のNOS活性をNOS阻害剤L-NAMEで阻害したところ,低く示された蛍光強度比がCHO-K1の蛍光強度比までに上昇した(Fig.3b).これは,血管内皮細胞にNOが定常的に産生されていることを示している.このNO濃度を定量すべく,L-NAMEでeNOSの活性を阻害して細胞内NOを完全に除去し,NOガスを溶解して作製した様々な濃度のNO溶液をその細胞に次々に添加し較正(in situ calibration)を行ったところ,血管内皮細胞に1 nM NOが定常的に産生していることを見出した(Fig.4).(本論文

第2章)

【血管内皮に持続的に低濃度NOを産生させるメカニズムの解明】

本論文第3章では,血管内皮細胞由来の持続的な低濃度NO(1 nM)がどのようなメカニズムで産生されているのかを調べた結果を述べている.生体から切り出した血管にsGCの阻害剤やNOS阻害剤を加えると血管が更に収縮を起こすことから,血管内皮細胞では低濃度NOが持続的に産生していると考えられている.このNOが欠如すると高血圧や動脈硬化等の病気の原因になると考えられている.しかしながら,そのNO濃度とNO産生メカニズムは未知であった.このNOの濃度は本論文第2章で1 nMであることを明らかにした.細胞内シグナル伝達を担う分子群をそれぞれ阻害する種々の化合物のうち,PI(3)Kの特異的阻害剤LY294,002を血管内皮細胞に添加したところ,細胞内NO濃度が減衰する様子がNOA-1を用いて観察された.このLY294,002によるNO濃度の減衰はNOSの阻害剤L-NAMEを添加した時と同程度であった.これは,血管内皮細胞内の低濃度NOはPI(3)Kの活性化を介していることを示している.またこのPI(3)Kにより制御され,eNOSをリン酸化するキナーゼのAktの寄与について調べるため,Aktの優性阻害(dominant negative)体を血管内皮細胞に過剰発現させ,内在性のAktの活性を阻害した.すると細胞内のNO濃度が下がった.また,Aktの常時活性(constitutive active)体を過剰発現させると細胞内のNO濃度の上昇が確認された.eNOSをリン酸化するキナーゼとしてAkt以外にPKAやPKC,CaMKIIなどが報告されているが,血管内皮へのLY294,002の添加やAktの優性阻害体の発現によるeNOSの活性阻害効果はL-NAME添加によるeNOS活性阻害の結果と比較してほぼ同程度であることから,PI(3)K-Akt以外の経路でのNO産生の寄与が小さいことは明らかである.したがって本論文第3章では,血管内皮細胞の1 nM NOの産生はPI(3)K-Aktシグナル伝達経路が主要な役割を果たしていることを明らかにした.また,寄与が小さいながらもPKA,PKC,CaMKIIなどの低濃度NO産生への寄与を明らかにすることによりPI(3)K-Aktシグナル伝達経路を主とした血管内皮細胞における低濃度NO産生メカニズムの全容の解明が期待できる.(本論文 第3章)

【結論】

増幅検知型の蛍光プローブNOA-1を開発し,細胞内のnM領域のNO動態を可視化することに成功した.また血管内皮細胞において,1 nMのNOが定常的に産生していること及びそのメカニズムを明らかにした.1 nMのNOは血管を弛緩するのに十分であり,この本研究の成果は血管の制御における低濃度NOの重要性に定量的な基盤を与えた.NOA-1は,その感度と可逆性において,既存の有機蛍光プローブをはるかに凌駕し,血管内皮細胞のみならず神経細胞などNOシグナル伝達が重要な役割を果たす細胞内のNO動態を理解する強力なツールとなると期待できる.

Fig.1 NOA-1とそれを構成するsGCα,sGCβ,sGCα-CGY,sGCβ-CGYの構造、及びNOA-1のNO検出原理

Fig.2 (a)様々な濃度のNOC-7に対するNOA-1の可逆的な応答(b)10nMNOC-7刺激に対するNOA-1の蛍光強度比変化の擬似カラーイメージ

Fig.3 (a) CHO-K1 細胞と血管内皮細胞におけるNOA-1の蛍光強度比の擬似カラー画像(b) L-NAME処理によるNOA-1の蛍光強度比の変化Fig.4 NOA-1による血管内皮NOの濃度測定

審査要旨 要旨を表示する

本論文は,遺伝子コード型蛍光プローブによる生細胞内でのナノモル濃度の一酸化窒素(NO)の可視化検出に関するもので,以下の4章より成る.

第1章は序論であり,NOの心血管系や神経系におけるその存在と機能について本論文の背景を述べている.さらにNO分析の従来法について特徴と性能について述べている.本研究の目的である生細胞内でのnM濃度の生理的濃度のNO動態を観察できる手法は,今まで開発されていないことを述べている.そして本研究の目的は,NOの結合タンパク質である可溶性グアニル酸シクラーゼ(sGC)の酵素活性による増幅能を備えたNOの超高感度蛍光プローブの開発と,それを用いる単一細胞内でのnM領域NOの動態を可視化検出することであることを述べている.

第2章では,開発したNO蛍光プローブの設計,検出原理,検証,血管内皮細胞でのNO測定の実際について述べている.NOの結合タンパク質である可溶性グアニル酸シクラーゼ(sGC)は,αサブユニットとβサブユニットのヘテロ二量体で構成されたcGMPの産生酵素である.sGCBのN末端に存在するヘムにNOが可逆的に結合する.NOの結合によりsGCの酵素活性が上昇し,GTPを基質としたcGMPの産生が起きる.NO蛍光プローブを開発するにあたり,二つのキメラタンパク質を設計した.sGCαとsGCβのC末端にそれぞれcGMP蛍光プローブを遺伝子工学的に連結している.CGYはcGMPの結合タンパク質であるPKGIαのN末端とC末端に青色,黄色の蛍光タンパク質CFP,YFPを連結したcGMP蛍光蛋白プローブである.cGMPの結合によりCGYの構造変化が誘起され,それに伴うCFPとYFP間の蛍光共鳴エネルギー移動(FRET)をcGMP,すなわちNOの増幅された定量分析値の尺度にしている.このプローブをNOA-1 (a fluorescent indicator for NO with a signal amplifier)と名付けている.細胞内でsGC-αCGYとsGC-βCGYが二量体化して本プローブNOA-1が形成され,それがNOと結合して産生したcGMPを自身検出していることを明らかにした.既存の有機プローブと比較し,104倍の感度でNOを可逆的に動態可視化検出できることを検証している.血管内皮細胞にNOA-1を発現させ,生理刺激によるNOの産生の動態観察を行っている.FRET強度はeNOSが発現していないCHO-K1細胞に比べて有意に低く,血管細胞内に定常的にNOが産生していることを見出した.NOS活性をNOS阻害剤L-NAMEで阻害したところ,FRET強度がCHO-K1のそれまで減少した.このことより,血管内皮細胞にNOが定常的に産生されていることを示した.このNO濃度はL-NAMEでeNOSの活性を阻害して細胞内NOを完全に除去し,NOガスを溶解した標準液により検量したところ,血管内皮細胞に1 nM領域のNOが定常的に産生していることを見出した.

第3章では,NOA-1の応用として血管内皮細胞由来の持続的な低濃度NO(1nM)がどのようなメカニズムで産生されているかを研究した結果を述べている.生体から切り出した血管に,sGCの阻害剤やNOS阻害剤を加えると血管がさらに収縮を起こすことから,血管内皮細胞では低濃度NOが持続的に産生していると考えられている.このNOが欠如すると,高血圧や動脈硬化等の病気の原因になると考えられている.第2章で見出したように,このNO濃度は1 nM領域である.NOA-1によるNO動態の可視化検出の詳細な実験より,この血管内皮細胞の1 nM NOがPI(3)K-Aktシグナル伝達を主要な経路として産生していると結論している.

第4章では本論文の結論を以下のようにまとめている.増幅検知型の蛍光プローブNOA-1を開発し,細胞内のnM領域のNO動態を可視化検出することに成功したことを述べている.また血管内皮細胞において,1 nMのNOが定常的に産生していること,およびそのメカニズムを考察している.1 nMのNOは,血管を弛緩するのに十分であり,本研究の成果は血管の制御における低濃度NOの重要性に定量的基盤を与えたとしている.NOA-1は,その感度と可逆性において既存の有機プローブをはるかに凌駕し,血管内皮細胞のみならず神経細胞などNOシグナル伝達が重要な役割を果たす細胞内のNO動態を理解する重要な方法になると期待できる.

これらの研究は理学の発展に寄与する成果であり,博士(理学)取得を目的とする研究として十分であると審査員一同が認めた.なお,本論文は各章の研究が複数の研究者との共同研究であるが,論文提出者の寄与は十分であると判断する.

従って,博士(理学)の学位を授与できると認める.

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