学位論文要旨



No 120842
著者(漢字) 鈴井,伸郎
著者(英字)
著者(カナ) スズイ,ノブオ
標題(和) 篩管タンパク質acyl-CoA binding proteinの研究
標題(洋)
報告番号 120842
報告番号 甲20842
学位授与日 2006.02.06
学位種別 課程博士
学位種類 博士(農学)
学位記番号 博農第2936号
研究科 農学生命科学研究科
専攻 応用生命化学専攻
論文審査委員 主査: 東京大学 教授 米山,忠克
 東京大学 教授 西澤,直子
 東京大学 教授 篠崎,和子
 東京大学 教授 妹尾,啓史
 東京大学 助教授 桝澤,修一
内容要旨 要旨を表示する

多細胞生物が個体を維持するには、離れた器官同士での「栄養」や「情報」のやり取りが必須である。高等植物は、維管束と呼ばれる組織を発達させることで、器官間の物質輸送システムを構築している。維管束系は、無機イオンやショ糖などの「栄養物質」の輸送経路であり、植物ホルモンなどの「情報伝達物質」の輸送経路でもある。維管束系は「導管」と「篩管」という二つの管(くだ)を中心に形成されているが、二つの管の細胞構造は互いに大きく異なっている。導管を構成する管状要素は、分化の過程で「死細胞」となり、木化した細胞壁の連なりから導管を形成するのに対し、篩管を構成する篩部要素は、分化の過程で核やリボゾームなど多くの細胞内小器官を失いながらも、細胞膜を有した「生きた細胞」として、お互いの細胞を連ねて篩管を形成する。タンパク質や核酸の合成能力を持たない細胞の連なりの篩管であるが、古くから多種類のタンパク質や核酸の存在が確認されていた。篩管内のタンパク質・核酸は隣接する伴細胞から供給され、篩部要素の機能維持の役割を担うと考えられていたが、近年、篩管のタンパク質・核酸の中には環境応答や形態形成などの器官間コミュニケーションにおいて役割を担っているものも存在すること報告されており、篩管のタンパク質・核酸の器官間輸送は、維管束を介した新たな情報伝達機構として注目されていると言える。本研究は、特に篩管液中のタンパク質に注目し、新規に篩管タンパク質を同定し解析することで、篩管中のタンパク質の役割について知見を得ることを試みたものである。本研究ではインセクトレーザー法によりイネから採取した篩管液から、存在量の多いタンパク質を新規に同定した。

イネ篩管液タンパク質RPP10の同定

インセクトレーザー法により採取した篩管液を遠心処理し、上清画分に含まれるタンパク質を二次元電気泳動で分離した。この画分において最も存在量の多い分子量10kDaのタンパク質(RPP10)について、アミノ酸シークエンサーによりN末端配列20残基を決定した。このペプチド配列を基にイネの全ゲノム配列を検索したところ、予想アミノ酸配列が100%一致する遺伝子か唯一存在した。そしてこのRPP10遺伝子がコードするタンパク質を基にデータベース検索を行ったところ、脂質合成や脂肪酸β酸化の中間体であるacyl-CoAと結合する活性を持つタンパク質・acyl-CoA binding protein (ACBP)と非常に高い相同性を示した。そこでRPP10遺伝子を含むESTクローンを入手し、大腸菌発現系に導入して組み換えRPP10タンパク質を合成し、Native PAGEで泳動した後、ゲル上で[14C]oleoyl-CoAとのバインディングアッセイを行ったところ、RPP10がacyl-CoA結合活性を持つことを確認した。すなわち、RPP10がACBPであることが明らかにした。

ACBPはアミノ酸配列が生物間で非常に保存されている、分子量約10 kDaの可溶性のタンパク質で、長鎖のacyl基をもつacyl-CoAと高いaffnityで結合する活性を持つ。ACBPは細胞質でacyl-CoAと結合することで、acyl-CoAの加水分解を防ぎ、細胞質におけるacyl-CoAのプールを作ると考えられている。植物におけるACBPの役割として、葉緑体において合成された脂肪酸がERの脂質合成系へと輸送される際に、経由する細胞質においてacyl-CoAと結合することで、脂肪酸の「細胞内輸送」に関与していると考えられていた。しかしながら「細胞間輸送」器官である篩管において存在することを示したのは本研究が初めてであった。

イネにおける ACBP の発現解析

抗ACBP抗体を用いたwestern blot法によりイネ植物体内におけるACBPの分布を解析したところ、根・葉においてもACBPの存在が確認されたが、篩管液において最も高い濃度でACBPが存在していた。イネ篩管液中のACBPの濃度は0.74 μMと推定され、それまでイネ篩管液で最も存在量が多いとされていたthioredoxin hの濃度よりも多い結果であった。以前の報告では、脂肪酸合成の活発な種子形成時において、ACBPが多く発現することが確認されていたが、篩管において特に強く発現していることを示したのは本研究が初めてである。

また、抗ACBP抗体を用いた免疫組織染色法により、ACBPの局在を細胞レベルで解析したところ、維管束組織の伴細胞に特に多く存在することか確認された。これまで研究されているイネ篩管タンパク質は、免疫組織化学染色法あるいはin situ hybridization法により伴細胞において強く発現していることが確認されているが、今回の結果はこれと一致し、伴細胞内で合成されたタンパク質が、篩部要素内へ移行するというモデルを強く支持するものである。

他の植物の篩管液におけるACBPおよびacyl-CoAの検出

イネ以外の植物の篩管液におけるACBPの存在を、抗ACBP抗体を用いたwestern blot法により調べた結果、単子葉植物であるサトウヤシ(Cocos nucifera)、双子葉植物であるカボチャ(Cucurbita maxima)、アブラナ(Brassica napus)の篩管液においてもACBPの存在が確認された。この結果から、篩管におけるACBPがイネだけではなく、植物全般において機能していることが示唆された。さらにアブラナの篩管液を用いて、ACBPの結合相手であるacyl-CoAの分析を行った。篩管液中のAcyl-CoAを蛍光誘導化し、HPLCによる分離の後に検出を試みたが、アブラナの篩管液からacyl-CoAを検出するには至らなかった。Acyl-CoAの推定値は少なく、更なる検出方法の検討が必要である。

acyl-CoAは脂質合成の重要な代謝中間体であり、β酸化によるエネルギー生産の基質である。これまでacyl-CoAを含む脂肪酸は長距離輸送されないと考えられていたが、篩管におけるACBPの存在はこの可能性を示唆するものである。また、acyl-CoAは酵素へのフィードバック効果や転写因子に直接作用する機能なども報告されており、タンパク質の機能を調整する因子とも考えられている。篩管におけるACBPの機能について、あるいは器官間をacyl-CoAと共に輸送されているかについて、本研究において明確な答えは得られていないが、篩管を介した脂肪酸の長距離輸送という新たな植物の輸送機構を提唱する知見と考える。

審査要旨 要旨を表示する

第一章では、研究の背景と目的を述べている。多細胞生物が個体を維持するには、離れた器官同士での「栄養」や「情報」のやり取りが必須である。高等植物は、維管束と呼ばれる組織を発達させることで、器官間の物質輸送システムを構築している。維管束系は「導管」と「篩管」という二つの管(くだ)を中心に形成されているが、導管を構成する管状要素は、分化の過程で「死細胞」となり、木化した細胞壁の連なりから導管を形成するのに対し、篩管を構成する篩部要素は、分化の過程で核やリボゾームなど多くの細胞内小器官を失いながらも、細胞膜を有した「生きた細胞」として、お互いの細胞を連ねて篩管を形成する。タンパク質や核酸の合成能力を持たない細胞の連なりの篩管であるが、これまでいく種類かのタンパク質存在が確認されてきた。本研究は、特に篩管液中のタンパク質に注目し、新規に篩管タンパク質を同定し解析することで、篩管中のタンパク質の役割について知見を得ることを試みたものである。本研究ではインセクトレーザー法によりイネから採取した篩管液から、存在量の多いタンパク質ACBP(acyl-CoA binding protein)を新規に同定した。

第2章では、イネ篩管液から新規なタンパク質ACBPの同定について述べている。インセクトレーザー法により採取した篩管液を遠心処理し、上清画分に含まれるタンパク質を二次元電気泳動で分離した。この画分において最も存在量の多い分子量10kDaのタンパク質(RPP10)について、アミノ酸シークエンサーによりN末端配列20残基を決定した。このペプチド配列を基にイネの全ゲノム配列を検索したところ、予想アミノ酸配列が100%一致する遺伝子か唯一存在した。そしてこのRPP10遺伝子がコードするタンパク質を基にデータベース検索を行ったところ、脂質合成や脂肪酸β酸化の中間体であるacyl-CoAと結合する活性を持つタンパク質acyl-CoA binding protein (ACBP)と非常に高い相同性を示した。合成した組み換えRPP10タンパク質はacyl-CoA結合活性を持つことを確認した。植物におけるACBPの役割として、葉緑体において合成された脂肪酸がERの脂質合成系へと輸送される際に、経由する細胞質においてacyl-CoAと結合することで、脂肪酸の「細胞内輸送」に関与していると考えられていた。しかしながら「器官間輸送の器官である篩管においてACBPが存在することを示したのは本研究が初めてであった。

第3章ではイネにおける ACBP の器官における発現解析を行い、このタンパク質が根・葉においてもその存在が確認されたが、篩管液において最も高い濃度(0.74 μM)で存在していた。また、抗ACBP抗体を用いた免疫組織染色法により、ACBPの局在を細胞レベルで解析したところ、維管束組織の伴細胞に特に多く存在することか確認された。今回の結果は、伴細胞内で合成されたタンパク質が、篩部要素内へ移行するというモデルを強く支持するものである。

第4章では、単子葉植物であるサトウヤシ(Cocos nucifera)、双子葉植物であるカボチャ(Cucurbita maxima)、アブラナ(Brassica napus)の篩管液においてもACBPの存在が確認された。

第5章ではACBPあるいはacyl-CoAの篩管による長距離の輸送の意義について考察している。

以上要するに、本研究は植物篩管液からの新規タンパク質acyl-CoA binding proteinの同定であり、篩管を介した脂肪酸の長距離輸送という新たな植物の輸送機能を提唱する知見となっており、学術上応用上寄与するところが少なくない。よって審査委員一同は、本論文が博士(農学)の学位として価値あるものと認めた。

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