学位論文要旨



No 120844
著者(漢字) 久米,朋宣
著者(英字)
著者(カナ) クメ,トモノリ
標題(和) 単木スケールの樹液流測定を用いた東南アジア熱帯常緑樹林の蒸発散の研究
標題(洋) Studies on evapotranspiration in tropical evergreen forests in Southeast Asia using individual tree-scale sap flow measurements
報告番号 120844
報告番号 甲20844
学位授与日 2006.02.06
学位種別 課程博士
学位種類 博士(農学)
学位記番号 博農第2938号
研究科 農学生命科学研究科
専攻 森林科学専攻
論文審査委員 主査: 東京大学 教授 鈴木,雅一
 東京大学 教授 宝月,岱造
 東京大学 教授 丹下,健
 東京大学 教授 大政,謙次
 東京大学 助教授 芝野,博文
内容要旨 要旨を表示する

本研究は,東南アジアの熱帯常緑樹林の蒸発散過程を明らかにするために,乱流変動法に基づく蒸発散の評価が実施されている熱帯常緑樹林において樹液流測定を実施し,雨季,乾季がある熱帯モンスーン気候下の丘陵性常緑林においては乾季後半の土壌水分低下が蒸散に与える影響を明らかにし,また,明瞭な乾季が存在しない熱帯雨林気候下の低地熱帯雨林においては降雨中及び降雨後の蒸発散過程を明らかにするものである.

第1章では,熱帯林の蒸発散の評価手法を整理し,本研究の目的を提示した.

熱帯常緑樹林の蒸発散の計測及びモデル化を通じて,蒸発散過程を明らかにすることが,気候変動に伴う地球規模スケールの水循環,炭素循環の変化を予測するうえで,また森林伐採等による地表面状態の変化が地域スケールの水循環に与える影響を予測するうえで,重要である.東南アジアは広くアジアモンスーンの影響下にあり,熱帯常緑樹林であっても降水の季節性が地域毎に大きく異なるため,その地域毎に蒸発散のフィールド研究を行う必要がある.

近年,森林蒸発散過程を明らかする手法として乱流変動法による蒸発散の計測と,その計測データに基づくモデリングが最も有力な手法として広く用いられている.しかし,乱流変動法では,プローブを樹冠上に設置するための観測タワーの建設が必要であることや,計測される蒸発散は林分スケールの情報であるため単木毎の蒸発散を評価することができないことなどの限界がある.また,乱流変動法では降雨中に信頼できる計測ができない,降雨で樹冠面が濡れている時の蒸発と蒸散を分離評価することができないという利用の制限もある.これら乱流変動法の限界を克服する手法として単木を対象とした樹液流測定がある.樹液流測定では,樹高の大きい熱帯常緑樹林における計測でも地際にセンサーが設置でき,かつ天候による制限なしに単木毎の蒸散の詳細な測定を比較的簡便に行うことができる.そこで本研究では,樹液流測定を用いて東南アジアにおける熱帯常緑林の蒸発散の評価を行うこととした.

第2章では,本研究で対象とする熱帯雨林気候下のマレーシア,サワラク州にあるランビル国立公園内の低地熱帯雨林(以下,ランビル)と,熱帯モンスーン気候下のタイ北部チェンマイ近郊にあるコグマ試験地内の丘陵性常緑林(以下,コグマ)の試験地及び気象観測の概要を述べた.また,熱帯常緑樹林の蒸発散を評価するうえで着目すべき要因を明らかにするために,ランビルにおいて5年間,コグマにおいて8年間にわたって計測された一般気象要素(降雨,短波・長波放射,気温,大気飽差及び風速)の季節変化と年々変動の実態を明らかにした.

雨季・乾季のあるコグマにおいて,30日積算雨量の100mmを閾値として定義された湿潤期と乾燥期は毎年特定の時期に現れたが,乾燥期の長さは3〜7ヶ月と年々で大きく変動し,年雨量の年々変動も大きく年雨量より年蒸発量の目安となる年純放射量の方が大きくなることが明らかとなった.一方,熱帯多雨林気候下のランビルの場合,一ヶ月より短い乾燥期が不定期に現れ,年雨量は常に年純放射量より大きかった.

コグマでは雨季・乾季の降雨の季節変化に伴ってその他の一般微気象要素の季節変化も明瞭であった.一方,一般微気象要素の季節性が不明瞭だと思われたランビルにおいても,風速と大気飽差には一年を単位とした明瞭な季節変化が本研究により検出された.

第3章では,大気飽差が大きい乾季後半の蒸散が雨季と同程度ないしそれ以上に大きいということが乱流変動法等に基づき報告されている丘陵性常緑林(コグマ)において,乾季後半に土壌水分低下に起因する蒸散抑制が生じているかどうかを明らかにするため,樹液流及び水ポテンシャル測定を高木2個体(樹高29.8m及び25.4m)とその若木2個体(樹高4.8m及び1.4m)を対象に2003及び2004年の2ヵ年にわって実施した.

2003年の乾季後半に明瞭ではなかった蒸散の低下が,雨季の終了が早く先行雨量が著しく少なかった2004年の乾季後半に比較的明瞭になった.2004年の乾季後半において,4個体の中で蒸散及び水ポテンシャルの低下が最も顕著だったのは,樹高1.4mの個体であった.この個体の低下した蒸散及び水ポテンシャルが散水後に回復したことから,この個体の蒸散抑制が土壌水分に起因していることが確認された.この小型の個体は高木より根系が発達しておらず土壌深部に貯留された水分を利用できないため,この小型の個体の蒸散抑制が高木に比べて顕著であったと考えられた.本試験地における高木の乾期後半の蒸散が,雨季の降雨が貯留される土壌深部に到達した深い根によって維持されていることが示唆された.

第4章では,降雨で濡れた樹冠面からの蒸発と葉からの蒸散はそのメカニズムが異なり,低地熱帯雨林の蒸発散を評価するうえで遮断蒸発が生じる時間(降雨で樹冠面が濡れている時間)を特定することが重要であるため,樹液流測定を利用した降雨後の樹冠の濡れ時間を推定する方法を新たに提案した.樹液流測定から求まる降雨後の樹冠の濡れ時間(CDT)は,降雨終了時刻から,樹液流速により樹冠が完全に乾いたとみなしうる時刻までの時間であると定義された.この方法は,市販の濡れセンサーより少ないセンサー数で空間代表性の高い樹冠の濡れを検出することが可能であり,また,樹冠上部にアクセスすることなく樹冠上層の濡れ具合をモニターする有効な手段である.

この方法により,低地熱帯雨林の卓越木において,解析期間の全降雨イベント数94に対して22の降雨イベントでCDTを算出することができた.各降雨イベントのCDTは,降雨終了時刻が午前であるか午後であるかによって長さが大きく異なり,降雨が午後に終了した場合,午前中に終了した場合よりCDTが短くなることが明らかとなった.これら各降雨イベントのCDTの長さは,純放射量と大気飽差より算定される降雨後の蒸発強度の大小に対応していることが示された.

第5章では,4章で提案したCDTを,ランビル(天然林,最大樹高50〜60m)に加えて,コグマ(天然林,最大樹高 30〜40m)及びタイ北部のチークプランテーション(人工林 平均樹高 17m.以下,メーモ)においても推定し,ビッグリーフモデルによる樹冠遮断量推定に必要な林分構造に関する未知パラメーターを推定するCDTを利用した実用的な方法を開発した.未知パラメーターは,樹冠の最大付着量(Sc)と空気力学的抵抗(Ra)の2つであり,樹冠構造が異なる3サイトにおいてScとRaを推定した.開発した方法では,樹冠遮断モデルを用いて様々なScとRaの組み合わせに応じた降雨後の樹冠の濡れ時間(CDT Calc)を算出し,樹液流から求まる降雨後の樹冠の濡れ時間(CDT)と対比することによって,各サイトのScとRaを推定する.推定したパラメーターを,風速プロファイル測定や乱流変動法によって別途推定されているRa及び樹冠遮断量の測定や葉濡らし実験によって別途推定されているScと対比した.

その結果,本法により推定された各サイトのScは,別途樹冠遮断観測等から推定されている各サイトのScと概ね一致し,ランビルのScがメーモのScより小さいという傾向を良好に再現することができた.また本法により推定された各サイトのRaは,別途微気象観測等から推定されている各サイトのRaと概ね一致し,天然林であるランビル,コグマのRaより人工林で樹高の低いメーモのRaが大きいという傾向を良好に再現することができた.本研究で開発したSc及びRaの推定方法が,継続時間が短い降雨が頻繁に降る熱帯林において有効であることが示された.

第6章では,高さ50mに達する複雑な樹冠構造を有する低地熱帯雨林(ランビル)において,低木から卓越木までの様々な樹高の木のCDTを明らかにし,そのCDTを検証データとして樹冠内で鉛直方向に時間差をもつ遮断蒸発過程を考慮することが可能な多層モデルを用いて樹冠遮断量を予測した.また,ビッグリーフモデルでも樹冠遮断量を予測し,両モデルの再現性を比較した.

2.8mの低木から53mの卓越木までの様々な樹高の個体で樹液流測定を行った結果,樹高50−30mの個体のCDTに対して,樹高10m以下の個体のCDTは約2−4時間長く,樹高20−10mの個体のCDTはその中間の長さになるというCDTの鉛直プロファイルが明らかになった.多層モデル中の群落構造及び葉の付着水分量に関するパラメーターを調節することによって,このCDTの鉛直プロファイルを良好に再現することができた.

この鉛直方向の遮断蒸発過程を含めて再現した多層モデルとビッグリーフモデルは,ともに年間の樹冠遮断量の観測値を良好に再現した.上層木のCDT情報からもたらされるビッグリーフモデルによる樹冠遮断量の予測値が,多層モデルの予測値と一致したことから,長期間の樹冠遮断量の評価において,鉛直方向の樹冠遮断過程は第二義的であり,領域モデル等の地表面−大気相互作用の評価において単純なビッグリーフモデルの適用が妥当であることが示された.

以上の章を要約して第7章とした.

審査要旨 要旨を表示する

本論文は,東南アジアの熱帯林の蒸発散過程について,雨季,乾季がある熱帯モンスーン気候下の丘陵性常緑林においては乾季後半の土壌水分低下が蒸散に与える影響を,また,明瞭な乾季が存在しない熱帯雨林気候下の低地熱帯雨林においては降雨中及び降雨後の蒸発散過程を明らかにするものである.

第1章では,熱帯林の蒸発散の評価手法を整理し,本研究の目的を提示した.特に森林蒸発散過程を明らかする手法として近年一般に用いられる乱流変動法による蒸発散の計測が,単木毎の蒸発散評価と降雨時の蒸発評価に限界を有し,乱流変動法の限界を克服する手法として単木を対象とした樹液流測定の有効性を論じている.

第2章では,本研究で対象とする熱帯雨林気候下のマレーシア,サワラク州にあるランビル国立公園内の低地熱帯雨林(以下,ランビル)と,熱帯モンスーン気候下のタイ北部チェンマイ近郊にあるコグマ試験地内の丘陵性常緑林(以下,コグマ)の試験地,気象観測の概要,気象要素の季節変化と年々変動の実態が示されている.ランビル5年間,コグマ8年間の計測結果から,雨季・乾季のあるコグマでは乾燥期の長さが3〜7ヶ月と年々で大きく変動すること,熱帯多雨林気候下のランビルでは年に数回一ヶ月より短い乾燥期が不定期に現れることとともに風速と大気飽差には一年を単位とした明瞭な季節変化の存在が示されている.

第3章では,乾季後半の蒸散が大きいことが報告されている丘陵性常緑林(コグマ)において,乾季後半に土壌水分低下に起因する蒸散抑制を検討するため,樹液流及び水ポテンシャル測定を高木2個体とその若木2個体を対象に2ヵ年にわって実施した.厳しい乾燥が生じた2004年の乾季後半に計測した4個体の中で蒸散及び水ポテンシャルの低下が顕著だったのは樹高1.4mの個体で,散水実験から蒸散抑制が土壌水分に起因していることが確認された.この小型の個体は高木より根系が発達しておらず土壌深部に貯留された水分を利用できないため,蒸散抑制が高木に比べて顕著であったと考えられる.本試験地における高木の乾期後半の蒸散が,雨季の降雨が貯留される土壌深部に到達した深い根によって維持されていることを示す新知見である.

第4章では,降雨頻度の高い低地熱帯雨林の蒸発散評価のため、遮断蒸発が生じる時間(降雨で樹冠面が濡れている時間)を樹液流測定により求める方法を新たに提案した.この方法は,市販の濡れセンサーより少ないセンサー数で空間代表性の高い樹冠の濡れを検出することが可能であり,また樹冠上部にアクセスすることなく樹冠上層の濡れ具合をモニターする手段である.低地熱帯雨林の卓越木において,降雨が午後に終了した場合,午前中に終了した場合よりCDTが短くなることや,CDTの長さは純放射量と大気飽差より算定される降雨後の蒸発強度の大小に対応することが示され、手法開発と現象の理解が進んだ.

第5章では,4章で提案したCDTを,ランビル(天然林,最大樹高50〜60m)に加えて,コグマ(天然林,最大樹高 30〜40m)及びタイ北部のチークプランテーション(人工林 平均樹高 17m.以下,メーモ)においても推定し,ビッグリーフモデルによる樹冠遮断量推定に必要な林分構造に関する未知パラメーターを推定するCDTを利用した実用的な方法を開発した.未知パラメーターは,樹冠の最大付着量(Sc)と空気力学的抵抗(Ra)の2つであり,樹冠構造が異なる3サイトでScとRaを推定している.本法により推定された各サイトのSc, Raは,別途樹冠遮断観測等から推定されている各サイトのSc, Raと概ね一致し,本研究で開発したSc及びRaの推定方法の有効性が示されている.

第6章では,高さ50mに達する複雑な樹冠構造を有する低地熱帯雨林(ランビル)において,2.8mの低木から53mの卓越木までの測定から,樹高50−30mの個体のCDTに対して,樹高10m以下の個体のCDTは約2−4時間長く,樹高20−10mの個体のCDTはその中間の長さになるというCDTの鉛直分布が明らかにしている.そのCDTを検証データとして樹冠内で鉛直方向に時間差をもつ遮断蒸発過程を再現する多層モデルを構築し,葉の付着水分量に関するパラメーターなどを調節することによって,CDT鉛直分布を良好に再現している.また、多層モデルとビッグリーフモデルにより長期間の樹冠遮断量を推定し,ともに年間の樹冠遮断量の観測値を良好に再現する結果を示して,地表面−大気相互作用の評価において単純なビッグリーフモデル適用の妥当性を示している.以上の章を要約して第7章としている.

以上のように、本研究は学術上のみならず応用上も価値が高い。よって審査委員一同は、本論文が博士(農学)の学位を授与するにふさわしいと判断した。

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