学位論文要旨



No 120849
著者(漢字) 張,智恩
著者(英字)
著者(カナ) ジャン,ジウン
標題(和) 映画文化の創造と公共上映の発展 : 戦後の社会教育における映画認識と普及活動の変化
標題(洋)
報告番号 120849
報告番号 甲20849
学位授与日 2006.02.15
学位種別 課程博士
学位種類 博士(教育学)
学位記番号 博教第115号
研究科 教育学研究科
専攻 総合教育科学専攻
論文審査委員 主査: 東京大学 教授 佐藤,一子
 東京大学 教授 白石,さや
 東京大学 教授 秋田,喜代美
 東京大学 教授 根本,彰
 東京大学 助教授 鈴木,眞理
内容要旨 要旨を表示する

日本における映画産業は1958年の全盛期を迎えた後、テレビの普及により、次第に斜陽化してきた。こうした過程で、映画企業が、受益性の確保における採算性と関連し、地方における映画館の閉館とテレビでは提供できない娯楽物の生産に取り組み、1980年代、ミニシアターブームがあるまで映画鑑賞の社会的条件の低下は継続してきた。こうした状況は、良質の映画の鑑賞に対する要求を持つ観客層には、市場条件の悪化となり、見たい映画を見る環境を直接創造するという映画を媒介にした観客の社会参加を促し、映画市民活動という流れを形成してきた。なお、観客の社会参加は、戦後の人々の自由な活動に社会的接点を持たせる多様な社会的課題及び価値と連結され、「文化運動」「地域文化の振興および再生」「生涯学習」という別の社会的価値の具現化にも寄与してきた。

そのため、戦後の非劇場上映の歴史を認識するとき、次のような解明されるべき課題が存する。すなわち、映画市民活動の背景には、映画企業や公共機関のような普及主体とは異なる映画文化あるいは映画メディアに対する認識があったという点である。こうした観点は、戦後の多様な社会教育施設における公共上映の実態から読み取れる映画文化及びメディアへの認識を解明する手掛かりにも繋がる。なお、普及主体間における映画認識の差異は、普及者の立場から設定された商品や伝達媒体としての性格を超え、観客の立場から映画鑑賞を意義付けうる側面、すなわち、「良い経験を共有する」「人々に見せたい」「話し合いたい」という文化的要求・社会的意志を育む「空間」「集団過程」の体験に対する配慮の差異にも関係する。そのため、映画普及主体の映画認識の差異と映画に期待される社会的必要性における変化は、映画文化の生成と普及形態に影響を及ぼすということができる。

本研究では、こうした普及主体間における映画認識の差異を、公共機関(主に社会教育施設)と映画市民活動(広義の社会教育実践と言い得る領域)が展開する公共上映の普及実態を比較する観点から明らかにした。そして、映画市民活動が創り出した鑑賞および普及の社会的形態が、非劇場上映の主体としての公共機関、あるいは映画企業との関係から持つ特徴と意義を提起した。

こうした本研究の映画への接近は、映画の教育的活用や映画というソフトとのかかわりが直接人間形成に及ぼす過程を哲学的・原理的に解明する従来の先行研究とは異なり、映画が持つ社会教育的意義を、映画普及主体のメディアや文化認識に立脚した普及形態から解明している点が特徴である。本論文は歴史的経過の要点を文献研究とヒアリングおよび質問紙調査の結果により章別に整理し、その後、公共上映の発展における映画市民活動が持つ位置づけと意義を提起した。

序章では、先行研究に基づき、映画の普及をめぐる社会的条件の構造、劇場上映の矛盾と公共上映の意義、ヨーロッパと比して公共上映の制度的整備が遅れている日本の課題を提起し、映画市民活動に注目する本研究の課題を提起した。

第1章では、アメリカ占領期と1950年代までの劇場上映の全盛期における非劇場上映の社会的条件を考察した。

アメリカ占領期には、社会教育施設で教育と啓蒙の目的でCIE映画会の画一的普及が、講和以後は、公民館を中心として住民や地域の課題に密着したテーマと話し合いを持つ共同鑑賞の実践が広がった。教材的手段としての活用が映画の認識の前提とされ、普及実態を生み出す過程で、視聴覚教育行政の整備、教育映画の上映哲学の形成、視聴覚ライブラリーの公設化など、今日まで制度としての公共上映の土台になっている社会的条件が形成された。映画市民活動では、大衆運動を通して独立プロ支援が行なわれたが、社会的空間性を持つ文化的共同の構築は組織的に展開されていなかった。全体的には、特定の趣旨に基づいた普及者中心の展開と観客の受動的対応という典型性を示しており、公共上映の社会的条件の形成には公共機関が主導的であった。

第2章では、1960年代・70年代の映画産業の加速度的な斜陽期における映画市民活動による非劇場上映の前進過程を考察した。

社会教育施設では、テレビの普及により公民館の教育映画会が減少し、図書館における文化的サービスとしての映画上映会が拡大し始めた。しかし、第1期の公民館の教育的活用に見られたような社会的空間を持たず、図書館の映像資料を公開する映写会の性格が強かった。

これに対して映画市民活動は、鑑賞の質の改善、良い映画の普及という目的で、映画がもつ社会的空間性が映画サークルを通して生かされる主体的な文化の享受圏を作り出した。さらに、映画サークル協議会およびその全国組織が主催する映画大学や地域の普及組織としての映画センターを創造し、今日まで地域の映画文化に貢献するようになっている。

この時期は、全体的に映画を支える普及主体間における映画認識と普及形態の差異が最も顕著に現れていた。映画企業における極度の商業主義化と公共機関における資料および伝達媒体としての消極的活用の中で、芸術文化としての映画の主体的享受と普及に取り組んだ映画市民活動により、公共上映としての非劇場上映の内実化とその条件の拡大が達成された。

第3章では、ミニシアターにより映画鑑賞条件が回復し始める1980年代を考察した。映画をめぐる普及主体間における認識には映画の芸術文化としての性格が強くなっている。しかし、大都市では、ミニシアターブームにより、個性的・芸術的・文化的な価値がある映画に対する鑑賞要求が充足されているが、地方では、名画座の閉館が続き、多様な映画の普及の受け皿が無くなり、鑑賞条件の差異がより深刻になる。こうして社会教育施設では、従来、図書館において一般的だった古い名作を中心とした16ミリ映画による商業映画の普及とは異なり、文化ホールが劇場用35ミリフイルムにより、劇場興行との大きな時間的ギャップをもたずに商業映画を公開するという映画普及に新たに取り組みはじめた。しかし、映画鑑賞がもつ社会的空間性を生かした文化的・社会的活用に至らない消極的普及になっている点は第2期に連続している。

これに対して映画市民活動では、1970年代までの少数者の自主上映グループや、地域の映画鑑賞環境の空洞化に主体的に関与する映画市民達により、自主上映館や文化空間としての映画館作りが展開された。市民映画館という別称で1980年代から設立し始め、多数のボランティアが運営に参加し、文化的共同体としての新たなメディア空間を形成、学習・交流がある映画文化および鑑賞環境の改善に寄与した実践がまだ少数であるが現れ、1990年代の地域における映画文化の形成に影響を及ぼすようになる。

そのため、1980年代は、芸術文化としての映画認識に立脚した普及形態により、鑑賞機会の空間的・機会的拡大が実現されており、まだ活性化には至らないが、映画市民活動では、地域課題の解決のように映画を媒介にした社会的結合を通しての組織的な社会参加の様態が見え始めていた。

第4章では、1990年代に公共上映の活性化を迎える社会的条件の形成過程と特徴を、次の二つの事実との関係から明らかにした。

第一は、非劇場上映における映画普及主体の映画認識には、映画祭の広がりから理解出来るように豊かな芸術文化としての享受の側面がより顕著になり、普及目的においては、映画文化の享受の社会的活用により、異なる社会的価値の創造に取り組むという傾向が拡大された。その直接的な契機は、国際文化交流推進協会(エースジャパン)により始まった映画上映ネットワーク会議の開催であり、そこでは、地域における多様な公共上映の主体が集まり、公共上映の理念を、映画鑑賞だけではない多様な社会的価値と融合することを模索・合意してきた。

第二は、国や自治体が映画の普及主体として登場することにより、映画の社会的活用の様態は、普及関連の政策形成と公的支援のもとでより活性化した点である。また、上記のエースジャパンが主導して全国の公共上映の主体をネットワークした非営利的な職能集団としてのコミュニティシネマとして公共上映を新たに規定し、多様な公的支援の方法をシステム化した。

こうして1990年代に入り、従来独立した普及主体として実践してきた公共機関と映画市民活動は、映画文化の豊かな享受と社会的活用を通して文化的・社会的価値を創造するという公共上映の理念とそのシステム的統合により包括され、映画文化の創造と社会的条件の拡大を生み出した。

以上の考察を通して、公共上映の歴史的経過の核心的特徴と映画市民活動の意義を次のように提起できる。

日本の公共上映は、映画文化の豊かな享受に対する観客の要求と映画に期待される社会的必要に基づき対応する公的主体との映画認識の差異を示しながら、展開された。しかし、メディア及び芸術文化としての映画の本来的特性と社会的活用の価値を同時に最大化した公共上映の理念の共有を通して普及主体間における映画認識の潜在的な葛藤が融解し、映画を支える社会的条件の拡大を達成した。そのため、普及主体間における映画認識の共有と社会的条件の構築における協同は公共上映の活性化における最も主要な要因であるといえよう。なお、映画文化の創造とその社会的活用の可能性を多様な実践と普及形態の創造を通して立証してきた映画市民活動は、公共上映の理念を裏付ける生きた歴史という意味でその貢献度が大きいと意義付けうる。

審査要旨 要旨を表示する

本論文は、非劇場形態による映画上映・鑑賞活動が社会的価値を生み出す形態を「公共上映」と規定し、映画市場の社会的状況・公共施設の上映・映画市民活動という3つの軸で戦後の公共上映の展開過程を構造的にとらえ、公共セクターと映画市民活動の協働関係の発展を豊富な資料とアンケート調査、訪問調査によって明らかにした実証的研究である。

戦後当初、映画は教育映画・視聴覚教材として活用され、社会教育をつうじて啓蒙的に普及する。1970年代以降、次第に公民館から図書館、文化会館に映画上映が広がり、映画専門機関も設立される。本論文では、このような制度的公共上映が映画の有効活用、上映機会の地域的普及などの条件を生み出してきた一方で、映画市民活動のとりくみによって市民と行政の協働による上映形態が広がり、市民映画祭やコミュニティ・シネマなどの市民参加型の共同鑑賞の組織化と地域的な鑑賞空間の設立をつうじて、より市民的な映画文化の発展の社会的条件がつくりだされてきたことに注目し、その意義を考察している。

論文は序章、第1章から第4章、終章で構成されている。序章では本論文の主題である「公共上映」の概念と社会教育の関係把握について、先行研究によりながら分析枠組みを設定している。第1章では戦後直後から1950年代にいたる映画の教育的活用と公共上映の初期的展開を歴史的に考察している。第2章では1960年代から70年代に映画産業が斜陽期を迎えるなかで、公立社会教育施設、市民映画サークル運動の双方から非営利的な映画上映のとりくみがすすむ矛盾的な構造を明らかにしている。第3章では地域文化としての自主上映が定着するとともに、文化会館においても市民の参加・鑑賞活動の育成がはかられる状況があらわれ、他方で、市民主導の自主上映館が誕生する経過が示される。第4章では1990年代以降、文化庁の文化政策においても映画振興がうたわれ、映画の非営利的普及システムの枠組みが国家・民間協同で推進されるようになり、コミュニティ・シネマとして地域的に根づいていく過程が明らかにされる。このような歴史的過程の分析を経て、終章では、公共上映の発展をささえる映画認識の深まりと成人学習実践としての意義、及び社会参加を促す装置としての「共同」の意義が考察される。

本論文は、成人学習過程としての共同鑑賞が映画文化の発展をささえていることをふまえつつ、「公共上映」という斬新な概念を提起し、膨大な歴史的事象を体系的に整理し、映画文化をささえる社会的な担い手の協働関係の発展と共同鑑賞における映画認識の深まりの過程を明らかにした。精力的な資料収集によって従来断片的にしかとらえられてこなかった映画市民活動を歴史的に考察した本論文の意義は大きい。映画鑑賞と成人学習実践の内在的な分析は今後の課題であるが、他の文化的メディアにも応用しうる可能性もつ視点を提起し、博士(教育学)の学位を授与するにふさわしい論文であると評価された。

UTokyo Repositoryリンク