学位論文要旨



No 120850
著者(漢字) 神岡,勝見
著者(英字)
著者(カナ) カミオカ,カツミ
標題(和) 個体補充に空間的制限を有する固着性メタ個体群動態の数理解析
標題(洋) Mathematical Analysis of Sessile Metapopulation Dynamics with Space-Limited Recruitment
報告番号 120850
報告番号 甲20850
学位授与日 2006.03.23
学位種別 課程博士
学位種類 博士(数理科学)
学位記番号 博数第274号
研究科 数理科学研究科
専攻 数理科学専攻
論文審査委員 主査: 東京大学 助教授 稲葉,寿
 東京大学 教授 時弘,哲治
 東京大学 教授 時保,道夫
 東京大学 教授 岡本,和夫
 東京大学 教授 菊地,文雄
 東京大学 助教授 ウィロックス,ラルフ
 九州大学 教授 巌佐,庸
内容要旨 要旨を表示する

本論文は固着性無脊椎動物の個体群動態を表わした数理モデルの解析の報告で

ある。

考察の対象となるのは、海と陸の間の潮の干満がある場所(潮間帯)に生息しているフジツボのような固着性無脊椎動物である。これらの生物は、岩場などの生息地に固着して生活する成体と海中(プール)を浮遊する幼生の二つの成長段階をもつ。幼生は、成体が固着していない生息地に近づいたときに定着して成体となる。生息地に多数固着している成体の集まりがひとつの個体群を形成している。成熟した成体から放出された幼生が他の生息地へ漂っていって定着することで、潮間帯内の多数の生息地の個体群は結ばれている。潮間帯の全生息地の個体群と幼生の個体群を合わせて、ひとつのメタ個体群が形成されている。

Roughgarden-Iwasa-Baxterは、ひとつの生息地の成体の個体群動態を表わした数理モデルを提案している[1]。常に生息地の周りには一定の数の幼生が漂っていて、空き面積に比例して定着すると仮定した年齢構造入りのモデルである。その後、Roughgarden-Iwasaは、環境の異なる複数の生息地から成る潮間帯で生活するメタ個体群の動態を表わすために、幼生の個体群動態を考慮した一種メタ個体群モデルを提案し、定常解の存在とその局所安定性などを調べている[2]。更に、Iwasa-Roughgardenは、メタ個体群の種間競争を調べるために一種メタ個体群モデルを多種メタ個体群モデルに拡張し、侵入可能条件や共存定常解が存在するための必要条件などを考察している[3]。

ひとつの生息地の個体群モデルの数学的な研究は幾つか報告されているが、年齢構造入り一種メタ個体群モデルの厳密な解析や多種メタ個体群モデルの共存定常解が存在するための十分条件、定常解の大域安定性などは研究されていない。

本論文の第1章では生物的背景、モデル方程式とその解析の歴史的経緯をまとめ、第2章から第4章でこれらの未解決問題を考察する。研究の見通しをよくするために、各モデルに対して(基本)再生産数を定義する。少なくとも一種が存在しない非自明定常状態の潮間帯に侵入した幼生が生涯に再生産する期待幼生数が再生産数であり、完全に生物が居ない潮間帯で幼生が生涯に再生産する期待幼生数が基本再生産数である。

第2章では、Iwasa-Roughgardenの多種メタ個体群モデルを用いて共存定常解の存在について考察する。再生産数が1よりも大きいならば定常状態に侵入可能で、1よりも小さいならば侵入不可能であり、基本再生産数が1よりも大きいならば自明定常状態に侵入可能で、1よりも小さいならば侵入不可能である。そして、基本再生産数とすべての再生産数が1よりも大きいならば、全種の共存定常解が存在する。また、あらゆる生息地の組み合わせに対する基本再生産数がすべて1以下ならば、自明定常解だけが存在し、それは大域的に漸近安定である。

第3章では、第2章に引き続いて多種メタ個体群モデルを用いて、パーシステンスとパーマネンスを考察する。(本論文では、Thieme[4]の一様に強ρ-パーシステントの定義とXiao[5]のパーマネンスの定義を採用する。)パーシステンスは少なくとも一種が生存、パーマネンスは全ての種が生存し続けるという現象に対応している。各種に対する基本再生産数が全て1よりも大きいならば、多種メタ個体群モデルはパーシステントであり、一種メタ個体群モデルはパーマネントである。特に、一種一生息地メタ個体群モデルの自明定常解は、基本再生産数が1以下ならば大域的に漸近安定であり、基本再生産数が1より大きいならば非自明定常解は大域的に漸近安定である。どの生息地の成体も幼生を一個体以上放出するという仮定の下で、基本再生産数が1よりも大きいならば一種メタ個体群モデルの非自明定常解は一意的に存在する。特に、ある領域内のすべての解はその非自明定常解に漸近する。同様の仮定の下、基本再生産数が1よりも大きいならば一種二生息地メタ個体群モデルの非自明定常解は大域的に漸近安定であり、各種の基本再生産数とすべての再生産数が1よりも大きいならば、二種二生息地メタ個体群モデルはパーマネントである。

第4章では、Roughgarden-Iwasaが提案した年齢構造入り一種メタ個体群モデルに占領面積(密度)に依存した成体死亡率を付加した拡張モデルを提案する。拡張したモデル方程式はL1の枠組みでコーシー問題として定式化され、非稠密領域で定義された作用素の摂動理論から、初期値問題の時間発展解の一意存在が示される。自明定常解は、基本再生産数が1以下のならば大域的に漸近安定であり、基本再生産数が1よりも大きいならば不安定である。基本再生産数が1より大きいならば非自明定常解は一意的に存在する。基本再生産数が1よりも少しだけ大きいときに非自明定常解が局所漸近安定になることが証明される。

J.Roughgarden,Y.Iwasa,C.Baxter,Demographic theory for an open marine population with space-limited recruitment,Ecology 66(1985)54-67.J.Roughgarden,Y.Iwasa,Dynamics of a metapopulation with space-limited subpopulations,Theor.Popu.Bio.29(1986)235-261.Y.Iwasa,J.Roughgarden,Interspecific competition among metapopulations with space-limited subpopulations,Theor.Popu.Bio.30(1986)194-214.H.R.Thieme,Mathematics in Population Biology,Princeton University Press,Princeton and Oxford,2003.Y.Xiao,L.Chen,Modeling and analysis of a predator-prey model with disease in the prey,Math.Biosci.171(2001)59-82.
審査要旨 要旨を表示する

本論文において、著者神岡勝見は、理論集団生物学において提起された固着性無脊椎動物の個体群動態に関する数理モデルの数学的解析を行っている。

モデル化の対象となったのは、海と陸の間の潮の干満がある場所(潮間帯)に生息しているフジツボのような固着性無脊椎動物である。これらの生物は、岩場などの生息地に固着して生活する成体と海中(プール)を浮遊する幼生の二つの成長段階をもつ。幼生は、成体が固着していない生息地(空き地)に近づいたときに定着して成体となる。生息地に多数固着している成体の集まりがひとつの個体群を形成している。一方、成熟した成体から放出された幼生が海中を漂っていって空き地に定着することで、潮間帯内の多数の生息地の個体群は相互に連結されていると考えられる。すなわち潮間帯の全生息地の個体群と幼生の個体群を合わせて、ひとつのメタ個体群が形成されている。

1985年にRoughgarden,Iwasa and Baxterは、ひとつの生息地の成体の個体群動態を表わした数理モデルを提案して、このような個体群の数理モデルの嚆矢となった。これは常に生息地の周りには一定密度の幼生が存在していて、空き面積に比例して定着すると仮定した年齢構造化線形モデルである。このモデルによって、彼らは定常的な年齢分布が安定的に存在する条件を与え、またシミュレーションによって、死亡率に対する密度依存性の導入が周期振動を引き起こすことを示唆した。翌年、Roughgarden and Iwasaは、環境の異なる複数の生息地から成る潮間帯で生活するメタ個体群の動態を表わすために、幼生の個体群動態を考慮した一種メタ個体群モデルを提案し、定常解の存在とその局所安定性などを調べ、更に、メタ個体群の種間競争を調べるために一種メタ個体群モデルを多種メタ個体群モデルに拡張し、侵入可能条件や共存定常解が存在するための必要条件などを考察した。Roughgarden and lwasaの研究以降、ひとつの生息地の個体群モデルを時間遅れのある常微分方程式モデルとして定式化して数学的に厳密な解析をおこなった研究は幾つか報告されているが、年齢構造化一種メタ個体群モデルの厳密な数学的解析や多種メタ個体群モデルの共存定常解が存在するための十分条件、定常解の大域安定性などは未解決の問題であった。本論文はこれらの数学的諸問題を扱っており、生物学的背景、モデル方程式とその解析の歴史的経緯をまとめた第1章に続いて、3つのパートからなっている。

第2章では、Iwasa and Roughgardenの多種メタ個体群モデルにおける共存定常解の存在について考察しているが、その際鍵となるのは再生産数の概念である。一般に人口学や集団生物学においては、一個体が再生産する子孫の平均数が(基本)再生産数(比)であるとして定義される。著者は考察している個体群が全く存在しない潮間帯で幼生一個体が生涯に再生産する期待幼生数として基本再生産数を導入した。さらに、少なくとも一種が存在しない非自明定常状態(境界定常解)において、すなわち他種がすでに定常的に存在している潮間帯に(それまで存在しなかった)新たな種が幼生として侵入した場合に、それが生涯に再生産する期待幼生数として境界定常解における再生産数を定義した。この定義によって、再生産数が1よりも大きいならば新たな種は境界定常状態に侵入可能であり、再生産数が1よりも小さいならば侵入不可能であるという侵入条件を証明した。また基本再生産数が1よりも大きいならばすべての種が存在しない自明定常状態には、すくなくとも一つの種が侵入可能であり、それが1よりも小さいならばどの種も侵入不可能であることを示した。さらに、基本再生産数とすべての再生産数が1よりも大きいならば、全ての種が共存する定常解が存在することを示した。また、あらゆる生息地の組み合わせに対する基本再生産数がすべて1以下ならば、自明定常解だけが存在し、それは大域的に漸近安定であることを証明した。

第3章では、第2章に引き続いて多種メタ個体群モデルを用いて、近年、個体群動態学においてポアンカレ-リアプノフ的な安定性に代わって注目されてきているシステムのパーシステンスとパーマネンスを考察している。力学系におけるパーシステントとパーマネンスの定義はいくつかあるが、本論文のモデルにおいては、パーシステンスは少なくとも一種が生存し続ける条件、パーマネンスは全ての種が生存し続ける条件に相当している。その結果、各種に対する基本再生産数が全て1よりも大きいならば、多種メタ個体群モデルはパーシステントであり、一種メタ個体群モデルはパーマネントであることが示されている。特に、一種一生息地メタ個体群モデルの自明定常解は、基本再生産数が1以下ならば大域的に漸近安定であり、基本再生産数が1より大きいならば非自明定常解は大域的に漸近安定であることを示した。さらに、どの生息地の成体も幼生を一個体以上放出するという仮定の下で、基本再生産数が1よりも大きいならば、一種メタ個体群モデルの非自明定常解は一意的に存在するが、その安定性に関して、ある領域内のすべての解はその非自明定常解に漸近するという形で部分的な解答を与えた。同様の仮定の下、基本再生産数が1よりも大きいならば一種二生息地メタ個体群モデルの非自明定常解は大域的に漸近安定であり、各種の基本再生産数とすべての再生産数が1よりも大きいならば、二種二生息地メタ個体群モデルはパーマネントであることを示した。

第4章では、Roughgarden-Iwasaが提案した年齢構造化一種メタ個体群モデルに占領面積(密度)に依存した成体死亡率を付加した拡張モデル(年齢構造化個体群モデル)を提案している。筆者は拡張したモデル方程式はL1の枠組みの下で、半線形コーシー問題として定式化され、非稠密領域で定義された作用素の摂動理論によって弱解を構成して、基本方程式の初期値問題の解の存在と一意性を示した。さらに、個体群の存在しない自明定常解は、基本再生産数が1以下のならば大域的に漸近安定であり、基本再生産数が1よりも大きいならば不安定であることを示した。また基本再生産数が1より大きいならば非自明定常解は一意的に存在して、基本再生産数が1よりも少しだけ大きいときには非自明定常解が局所漸近安定になることを証明した。このことは非自明定常解が基本再生産数が1を横切って大きくなるときに、フォーワードに分岐して、安定性の交換が起きていることを示している。このような分岐解が不安定化して周期解を導くかどうかを検証することは今後の課題であろう。

以上のように、これらの結果は、多種メタ個体群における侵入条件、共存条件、パーシステンス、パーマネンスが適切に定義された再生産数によってよく特徴づけられること、また年齢構造化個体群においても、基本再生産数が個体群システムの挙動(定常解の分岐と安定性)をきめる最も重要なパラメータであることを示すことに成功している。再生産数概念は人口学と疫学において主に発達してきた概念であるが、これまで必ずしも一般の集団生物学において充分に活用されてきたとは言えない。しかしながら、基本モデルが多種メタ個体群系や年齢構造をもつような複雑な系になると、再生産数の概念が理論的整理のうえでやはり非常に有効であることを示した本論文の意義は、理論・数理生物学において十分に評価に値するものである。よって、論文提出者神岡勝見は博士(数理科学)の学位を受けるにふさわしい十分な資格があると認める。

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