学位論文要旨



No 120853
著者(漢字) 王,燕
著者(英字) WANG,YAN
著者(カナ) オウ,エン
標題(和) 日本語教育の立場から見た授受表現 : 中国語母語話者を対象とする場合
標題(洋)
報告番号 120853
報告番号 甲20853
学位授与日 2006.03.01
学位種別 課程博士
学位種類 博士(学術)
学位記番号 博総合第609号
研究科 総合文化研究科
専攻 言語情報科学専攻
論文審査委員 主査: 東京大学 教授 野村,剛史
 東京大学 助教授 楊,凱栄
 東京大学 助教授 近藤,安月子
 東京大学 助教授 藤井,聖子
 帝京大学 教授 坂梨,隆三
内容要旨 要旨を表示する

本研究は中国語母語話者を対象とする日本語教育の立場から、授受本動詞構文と授受補助動詞構文からなる授受表現を考察の対象とし、意味的拡張の観点から考察を行い、その意味機能を基本的な意味機能と派生的な意味機能に二区分することができることを主張した。本研究は日中両国語における授受表現の対照研究ではなく、あくまでも日本語の授受表現に焦点を当てたものである。日本語教育への応用を志向する研究であるため、折に触れての中国語との比較は、中国語に見られない日本語の授受表現の意味機能の特徴を際立たせるためのアプローチにすぎない。

授受表現は日本語独特の表現形式として注目されるようになって久しいが、日本の内外問わず、その研究は部分的な記述が多く、日本語教育の立場から、授受表現を体系的に捉えて考察したものはまだ見当たらない。また、数多くの先行研究が行われてきたにもかかわらず、その研究成果は日本語教育では十分に生かされていないのも実状である。一方、中国における日本語教育の現場では、授受表現が日本語母語話者の実際の言語使用での極一部分としてしか取り上げられていないため、異文化コミュニケーションのための語学教育の実現に支障を齎しかねないものとなっている。これらの研究と教育での偏りは、授受表現を断片的に捉えるところに原因があると思われる。そこで、本研究では、先行研究を踏まえて、今まで中国における日本語教育の現場で取り上げられてきた授受表現をもっと広い視野で体系的に捉え直し、授受表現の諸構文の間にはどういう繋がりがあるかだけではなく、授受表現と他の表現形式との間で、どんな役割分担が果たされているかということについて考察する。

それぞれの構文は孤立して存在するのではなく、相互に有機的な関係を保って存在するという考えから打ち出された益岡(1997)の構文の内的連関と外的連関という観点は、本研究の考察にヒントを与えてくれた。構文の内的連関という観点に立って構文の意味を分析すれば、一つの構文が表す意味が、いくつかの個別的な意味の集合として捉えられるわけで、構文の外的連関という観点に立って構文の意味を分析すれば、諸構文の意味の範列的な関係に目を向けることになるわけである。益岡の観点を方法論として、本研究の考察手順に取り入れてみることにした。

また、考察をより実証的なものとするために、できるだけ具体的な用例から意味を帰納するという方法をとった。

本研究は序論、本論、結論からなっている。

序論では、本研究の背景に触れた後、日本語学習者の誤用の実例から問題を提起し、その解決法を念頭に、本研究での授受表現の定義をした上で、授受本動詞構文と授受補助動詞構文とに考察対象を限定した。

本論の第1章は、授受本動詞についての考察である。中国語との比較を通じて、日本語にしか見られない授受動詞の特徴を浮き彫りにした。

第2章から第5章までは、授受補助動詞についての考察である。第2章と第3章では、授受補助動詞を基本的な意味機能を持つものと派生的な意味機能を持つものに分けて考察を行った。この分類方法は、あくまでも例文蒐集の過程で気づかれたことであるが、その妥当性を検証しなければならないので、第4章では、授受補助動詞構文に見られる「使役+授受」という複合形式を手掛かりに、本研究で試みた分類の客観性を検証した。第4章までは、主に授受補助動詞構文の構文同士の間に見られる意味機能についての考察であるが、授受補助動詞構文と他の表現形式との間の役割分担も考察するため、続く第5章では、授受表現の中でヴォイス的な表現形式として最も注目されてきたテモラウ構文を取り上げることにした。最終章の第6章では、文法的な解釈によっては十分に説明できない授受表現の役割を語用論の観点から調べた。

このような一連の考察から、授受表現の現代日本語における役割分担が、授受表現の諸構文の構文内ネットワークだけでなく、授受表現と他の表現形式との構文間ネットワークによって、幅広く実現されていることが明らかにされた。

第1章での中国語との比較から明らかにされたように、「待遇性・方向性・恩恵性・立場性」という授受動詞の特徴はいずれも中国語の授受動詞に見られない特徴である。待遇性・方向性・恩恵性は授受動詞そのものに備わる性格であるのに対し、立場性は授受動詞の使用に見られる性格である。

中国における日本語教育で取り上げられてきた授受表現があまりにも限られたものであるため、授受表現の本質を理解させることもなく、ただ形だけの習得を日本語学習者に強いてきたのではないかという日本語教育の立場からの反省ないし疑問の下、第2章から第4章まで、文法化された授受動詞を基本的な意味機能を持つものと派生的な意味機能を持つものに分けて考察を行った。その結果、許可表現・意志表現・願望表現などの表現領域にも授受表現という表現形式が関与していることが明らかになった。その多様な意味機能の存在が「使役+授受」という複合形式の多義的な表現効果によって裏付けられた。使役文、受身文との関係が注目されてきたテモラウ構文の他の表現形式との繋がりを第5章で改めて考察してみた。その結果、「謙譲使役」と言われてきた使役性を持つテモラウ構文の意味機能がさらに「使役的授益」「使役的謙譲」「使役的依頼」の三つに再分類することができるということと、受身性を持つテモラウ構文には、直接受身文と相補的な関係を持つ傍ら、間接受身文と対立的な関係にありながら、間接受身文の中の迷惑受身のインパクトを柔らかくする役割を果たす意味機能まで持つものがあるということが明らかになった。第6章では、語用論的な解釈に支えられる授受表現を分析することによって、授受表現の使用に機能する「ウチ・ソト」という日本語母語話者の独特の恩恵認知の一部分を明らかにした。

以上の考察結果から、本研究の結論として、次の四点をまとめる。

授受表現は日本語独特の表現形式である。

中国語母語話者を対象とする日本語教育の立場から見れば、日本語母語話者の独特の恩恵認知に基づいて、物の受け渡しや行為のやりとりを主観的に捉え、その恩恵意識を伝えるという意義をもった授受表現は、日本語独特の表現形式である。このような授受表現に対応する文法的な表現形式は中国語には存在しない。さらに言えば、他の表現形式よりも、日本文化への理解というものが授受表現習得には要求されると言うことができる。

授受本動詞の特徴は文法化された授受補助動詞にも受け継がれているので、授受補助動詞構文は、統語的には他の補助動詞構文と違いがないが、意味的には他の補助動詞構文と次のような違いが見られるので、独立した文法カテゴリーである。

まず、授受益を表す授受補助動詞構文における補助動詞は、ただ先行動詞の何らかの意味の付加として使われる他の補助動詞と異なり、受益者の存在を指示する役割を果たすので、文の命題内容に影響を与える成分となっている。

次に、授受補助動詞は授受本動詞が文法化された形であるが、通常文法化に伴うとされる意味の希薄化は授受表現には寧ろ当て嵌まらない。本動詞から補助動詞へと具体的な物の授受の領域の意味から抽象的な行為の授受の領域の意味に転移したものの、本動詞の四つの意味特徴は希薄になるどころか、より強く感じられるのである。

授受補助動詞の意味機能は、基本的な意味機能と思われるものと派生的な意味機能と思われるものに分類することができる。

授受動詞の意味拡張が授受本動詞構文にも授受補助動詞構文にも観察できるが、授受補助動詞構文に見られる意味拡張は授受表現に他の表現形式に見られない豊かな表現領域を広げている。基本的な意味機能を持つ授受補助動詞構文では、「誰かのために」という、人間同士の間の恩恵的な行為の授受が表されるので、有情物の授益者と受益者の存在が必須である。しかし、派生的な意味機能を持つ授受補助動詞構文では、特定の受益者の存在を前提とない、表現主体の感情や受け止め方だけが表される。このような意味拡張の根底に、「主観化」を軸にその動機を捉えることができる。すなわち、授受動詞が「待遇性・恩恵性・方向性・立場性」を併せ持っているため、日本語の授受表現はもともと主観的な表現形式だと言えるが、その意味機能の認知面への主観化が派生的な意味機能を持たせたわけである。そして、授受表現の意味機能の派生には、推論や連想のプロセスにかかわる表現主体の認知的な要因や文脈がかかわる語用論的な要因などが働いていると考えられる。

中国語母語話者を対象とする日本語教育の立場から授受表現を捉える際、体系的に捉えなければ、授受表現と他の表現領域との関わりが見えてこない。敬語表現をはじめ、使役表現・受身表現・依頼表現・許可表現・願望表現・謙譲表現・意志表現などの現代日本語の習得は授受表現という表現形式との関わりを無視してはとうていできないのである。

以上の結論に基づいて、これからの中国語母語話者を対象とする日本語教育に対して、次のような提言をしたい。

授受表現を単に恩恵的な物の授受と行為の授受を表す一表現形式としてだけではなく、現代日本語を理解するキーワードとして捉え、他の表現形式との関わりの中で体系的に指導していかなければならない。また、授受表現のような、場面依存性が強く、それゆえ特に主観的だと言える表現を指導する際には、認知言語学の知見を取り入れる必要があると思われる。

本研究では、授受表現の諸構文を多義的な構文として捉え、その意味の連続性が、授受動詞の文法化の過程から生じていることを主張した。日本語の授受表現ほど、人間の言語が、有限の「形式」で無限の「意味」内容を表現しうる知的メカニズムであるということを示してくれる言語形式はないのではないかと思われる。

審査要旨 要旨を表示する

本論文は、日本語の授受表現の多様性を中国語母語話者を対象とした日本語教育の観点から扱ったもので、第I部序論、第II部本論6章、第III部からなっている。言語量は約42万字、400字詰め約1000枚に及ぶ。

本論は次の6章からなる。

第1章 授受動詞の特徴−中国語との比較を通じて−

第2章 授受動詞の文法化−授受動詞の基本的な意味機能−

第3章 授受補助動詞の表現効果−授受補助動詞の派生的な意味機能−

第4章 授受補助動詞の意味機能の再確認−「使役+授受」の複合形式を手がかりに−

第5章 授受補助動詞構文の外的連関について−テモラウ構文の場合−

第6章 語用論の観点から見た授受表現−敬語との関わりを中心に−

第I部序論では、研究の動機、研究対象、アンケート調査の概要、本論文の構成などについて述べられている。

第II部が本論文の基幹部分に当たる。

第1章で著者は、本論文の研究対象が「やる・あげる・さしあげる」「くれる・くださる」「もらう・いただく」という3系列7つの授受動詞であることを示し、その本動詞としての用法を中国語の「授受の動詞」と対照しながら検討している。著者は、日本語の授受動詞には、待遇性の区別、恩恵性の有無、方向性の区別、方向性と絡み合った立場性の区別などの特徴が認められるとし、それらの観点から以下の補助動詞としての用法を検討しようとする。

第2章は、補助動詞としての授受動詞の基本的な意味機能の考察に当てられている。著者は、本動詞としての授受動詞は「物の恩恵的な移動」を、補助動詞としての授受動詞表現は「行為の恩恵的な移動」を表すとし、そのことによって授受表現には受益者指示機能が発生し、それが「に格」「を格」「から格」「と格」と重なったり、「のために」の形で現れたりする場合の条件を検討している。本章までは授受表現に関わる基本事項である。

第3章は、授受補助動詞の派生的な意味機能の考察に当てられている。派生的な意味機能とは、行為の授受から更に進んで、話者の感情、意志、評価などの主観的表現効果を色濃く持った授受補助動詞表現を言う。この種の細部に至る観察が、本論文の特色の一つである。著者は「てあげる」には、恩恵性を基点としながらも「なでてあげずにはいられなかった」のように行為の受け手への一方的な温情を表す用法があるとする。また「クリームをお顔全体につけてあげてください」「味をととのえてあげる」のような「優しさを表す」「出来事が良い方向へ進む」とも言いうる用法があるとする。また「きっと合格してやる」のような「強い意志の表明」という機能を持つ用法があるとする。ただし「強い意志の表明」の「てやる」が真に授受表現に当たるか、審査委員から疑義が指摘されている。更に著者は「てくれる」には、恩恵性を基点としながらも「息子の病気がやっと治ってくれた」「雨が降ってくれた」のような「事象をプラス評価する」用法が認められるとする。一方「てもらう」には、明瞭な境界線が引けるわけではないが「依頼受益」と「単純受益」の二種が認められ、「単純利益」から更に進んで「ようやく雨に降ってもらい、」のような「プラス評価」用法も認められるとする。また更に著者は、授受補助動詞には揃って「ひどい目にあわせてやる」「困ったことをしてくれた」「無責任に言ってもらっては困る」のようなアイロニー的用法があることを指摘する。このように現在も授受補助動詞表現は、その使用制限が緩くなるにつれて、話者の主観的態度を示す機能が前面化する方向へ進んでいると著者は主張している。

第4章では、「させてやる」のような使役表現と授受表現との複合形式が扱われている。使役には「強制」「許可放任」「原因」等のバリエーションがあるが、著者はそれらの使役表現と授受補助動詞表現の複合体を扱うことによって、第2章、第3章で示された枠組みを改めて検討している。

第5章は、使役構文・受身構文とテモラウ構文の外的連関を取り扱っている。構文の外的連関とは、ある一つの構文形式の機能を他の構文形式とのパラディグマティクな対立において捉える試みを言う。具体的には「太郎を行かせる」「太郎に行ってもらう」「太郎に行かれる」などの「使役」と「受益」、「受益」と「受身」の相補性が問題になり、それぞれの使用条件が考察されている。

第6章では、語用論、特に人間関係構築のためのストラテジーとしての敬語使用と授受動詞使用の差異を、「敬意」と「謝意」というキーワードによって考察している。敬語使用によって適切に「敬意」が表現されていても、十分な「謝意」が授受表現によって表現されていなければ不適切な言語使用となる例が、特に話し相手への気配りという点を中心に詳細に考察されている。「謝意」という視点からの日本語表現の考察は、今後の展開が更に期待される領域であろう。

第III部は、「まとめ」と「今後の課題」である。

本論文の著者は極めて高度な日本語運用能力を持ち、授受表現の表現性の一々を的確に理解している。また非母国語話者であることがむしろ利点となって、気づきにくい表現性の微細な差異を日本人研究者以上に感知しそれを表現することができる。千を越える用例を伴う隅々に至るまでの総合的・詳細な記述が本論文の最大の強みであり、日本語教育への貢献も大いに期待されよう。一方、より理論的な構成力・展開力の強化、言語学的一般化への寄与などが、著者の今後の課題となろう。しかしながら、本論文の総合的かつ感受性に富んだ詳細な記述には目を見張るものがあって、今後の更なる発展が十分に期待される。

以上の諸点に鑑み、本審査委員会は本論文を博士(学術)の学位を授与するにふさわしいものと認定する。

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