学位論文要旨



No 120854
著者(漢字) 三吉,美加
著者(英字)
著者(カナ) ミヨシ,ミカ
標題(和) 身体をめぐるアイデンティティの構築 : ニューヨークにおけるドミニカ系2世のダンス実践から
標題(洋)
報告番号 120854
報告番号 甲20854
学位授与日 2006.03.01
学位種別 課程博士
学位種類 博士(学術)
学位記番号 博総合第610号
研究科 総合文化研究科
専攻 超域文化科学専攻
論文審査委員 主査: 東京大学 教授 山下,晋司
 東京大学 教授 船曳,建夫
 東京大学 教授 木村,秀雄
 東京大学 助教授 名和,克郎
 東京大学 助教授 石橋,純
内容要旨 要旨を表示する

本論文は、アメリカ合衆国ニューヨーク州ニューヨーク市マンハッタン島北部に居住する若いドミニカ系の2世を対象とし、彼/女らが身体実践を通して重層的な視点から自己を認識し、独自に文化を捉えるようになっていく様子を記述・考察する。本論文における 「身体実践」はダンスを中心とするが、身ぶり、手ぶり、ジェスチャー、歩行、しぐさなどの動作、また、装飾などの表象も含み、広義に捉えながら論述していく。

本論文の中心となるインフォーマントは、多種多様なエスニック集団を抱える複雑な都市社会ニューヨーク市で生活する若いドミニカ系の2つのグループに属する人びとである。1つめのグループ(「バイラドーレス(仮名)」)は、ドミニカ系コミュニティにおけるアフタースクールプログラムでダンス学習を行なう10代から20代の参加者である。彼/女らの実態は、「ドミニカ系集団」や「ニューヨークの若者」というような単一で固定的な枠組みではとうてい理解できるものではない。そこで筆者は、「ドミニカ系」「若者」「ニューヨーカー」など若い世代の多様なアイデンティティにダンス実践という共通した特徴があることに着目し、学習するダンス、娯楽やスポーツとして楽しむダンスなど踊る行為に焦点をあてながら観察する。もう1つのグループは、ドミニカ系アーティストたちである。彼/女らの存在は、1つめに挙げたダンスクラスの参加者のアイデンティティ構築において重要な役割を担っている。彼/女らは、既存のドミニカ文化の捉え方ではなく、ニューヨークでの生活経験によって新しいドミニカ文化の価値を見出し、一般のドミニカ系の間に浸透する文化認識に批判的な態度を示し、ドミニカ系の若者を対象にアフロ・ドミニカ文化のパフォーマンスを紹介したり、ワークショップを開いたりしている。

本論文は結論を含め、7章から構成される。第1章と第2章では本論文の議論部を理解するための基本的な事がらについて記述する。第1章では、本論文の目的と問題意識を明らかにし、具体的にどのような問題を検討していくか、先行研究との関連を示しながら言及する。後半部分では、現地調査についての詳細を述べる。第2章では、ドミニカ共和国からニューヨークへ大勢の移民が流入し、コミュニティを形成するに至った経緯、および、ドミニカ共和国の歴史について説明する。第3章以降、インフォーマントたちによる文化に関する説明のなかに、タイノ族、黒人、スペインやヨーロッパに関することがらが出てくることについて筆者は言及するが、その際参照されるのは特定の時代の出来事についてである。そこで、第2章で説明する歴史的事実はインフォーマントたちが重視するものに関してのみである。そして引き続き、現在のニューヨークのドミニカ系社会、母国と移民コミュニティとの関係、エスニック・アイデンティティに関する概要的な記述を行なう。後半では、現在のニューヨークのドミニカ系コミュニティと若い世代について記述する。

第2章から第6章まではニューヨーク市での現地調査のデータ・分析をもとにした記述部および議論部である。第3章では、ドミニカ共和国の歴史がドミニカ系のエスニシティや人種の捉え方にどのような影響を及ぼしてきたかについて考察する。そして、合衆国のドミニカ系によるドミニカ共和国の音楽・ダンスに対する意識が、母国、および2国間の歴史に影響されていることを説明する。後半では、国民ダンスとされるメレンゲについて記述する。そのなかでは、メレンゲの歴史的背景として国家による文化概念の操作を指摘する。本来、メレンゲは様々な文化的影響を受けた音楽・ダンスである。しかし、独裁政権以後、ヒスパニック的なるもの(「スペイン的」「ヨーロッパ的」というニュアンスが含まれる)、カソリック的なるものとして認識されてきた。現在、メレンゲを国民文化として誇らしげに語るドミニカ系の人は多いが、依然、「純然たるスペイン文化を継承している音楽・ダンス」としてメレンゲは認識されている。

第4章および第5章は、ドミニカ系の日常実践であるダンスについてのエスノグラフィックな記述部である。両章において、インフォーマント、とくにダンスクラス、バイラドーレスの参加者の本質主義的な発言に筆者は着目していく。

第4章はバイラドーレスについて記述する。参加者たちはどのような理由でバイレ(伝統的ダンス)を学習し、バイレをどのように理解しているのか。集団の特徴は何か。筆者も彼/女らとともに練習に参加したが、そのときの経験も含めながら、参加者たちの集団との関わりかた、また、バイレや文化の捉え方を検討していく。その際、バイレ経験を通して、身体実践と人とのつながりの強化に影響されて、バイレおよびドミニカ文化の理解が変容していく様子をレイブとウェンガー(1994)、ウェンガー(Wenger 1998)による徒弟制の研究を参照しながらみていく。しかし、本論文のインフォーマントの学習が彼らの徒弟制をモデルとした事例と比べて、学習の目標が多様である点において異なるため、インフォーマントの学習やそれにともなうアイデンティティの構築を検証する際には田辺の研究(2003)を参考にし、彼/女らのアイデンティティの多様化と身体実践との関係について検討していく。そして第5章と第6章では、バイレ学習の経験が日常的な動作にどのような影響をもたらすことになるのかに注意しながらみていく。第5章はヒップホップとインフォーマントとの関わりについて記述・考察する。それに先立って前半では、ヒップホップの概要を説明し、若者文化についての先行研究を参照しながら、商業文化としてのヒップホップが及ぼす黒人化の過程を考察する。次に、ドミニカ系2世たちが、コミュニティや地域性を重要視したもう1つのタイプのヒップホップの影響を受けていることを説明する。ここでは、ドミニカ系の若者が同じ地区の隣人アフリカ系アメリカ人、他のカリブ系やラティーノとともにヒップホップに傾倒していく様子を記述する。そして、ヒップホップがバイラドーレスの参加者の意識、踊る行為や特定の振りつけにどのような影響をもたらしているか考察する。

第6章では、第3章から第5章までみてきた若者たちと身体実践の関わりを、彼/女らの言説と身体動作の観察に基づき分析していく。まず「アフリカ的」「ドミニカ的」などに関する彼/女らの言説を分析した後、これまで検討してきたバイラドーレスの文化の表現の仕方がアーティストとは微妙にずれること、アーティストの動きや黒人性の認識がバイラドーレスの参加者と異なることについて考える。筆者はそれらの「ずれ」をもたらすいくつかの原因を身体実践に基づいたアイデンティティの構築という観点から具体的に示す。

第7章の結論では、バイラドーレスとアーティストのダンスや身体実践、およびドミニカ文化に関する捉え方の類似と違いを明らかにし、その背景について筆者の見解を述べる。

本論文が明らかにしたことは2つある。1つめは、ダンス実践が個人に豊かな想像力をもたらしたことである。想像力は人とのつながりを意識し、その人間関係のなかに自分を位置づけていく過程で鍛えられていた。想像されたものは、文化の捉え方の説明と身体の表象に表出していた。なかでも重要とされたのは、アフリカ的型として表象された身体動作であった。その際、メディアによる黒人のイメージが借用される。筆者はその理由についても議論する。

本論文において2つめに明らかにしたことは、身体実践が地元意識とそこに根ざす人間関係の大切さをバイラドーレスの参加者に印象づけた点である。同時に、ローカル・ヒップホップによる影響によって、ダンス実践を介した近所の友人とのつきあいから、黒人の文化圏にいるという意識が芽生え、地元意識が強くなっていた。

最後に指摘するのは、バイラドーレスの参加者の文化の捉え方やアイデンティティの変化をもたらした背景としての多文化主義についてである。ASP活動や文化イベントなどで各自のエスニック・アイデンティティの重要性を説かれると同時に、他のエスニック集団の文化を尊重しなければならないという、お決まりの多文化主義の啓蒙スタイルは、音楽やダンスなど身体性を伴う状況で強調されていた。そのような場で、若者たちが見せる反応は、人種やそれ固有と世俗的に認められる身体性であった。その際、非ドミニカ系にとっては習得が困難であると強調されるスタイルは、黒人性を表象するものに集中する。バイラドーレスの参加者たちのアフロ・ドミニカ系アメリカ人、あるいは、ドミニカンヨークとしての帰属意識、すなわち、アイデンティティ(の一部)は、模倣にはじまり、バイレ学習のなかで、ヒップホップのなかで、獲得される言葉と身体性によって表象されるべきものとなる。そうしたやり方によって、彼/女らは多文化主義の影響下で、身体実践の経験に基づいた、彼/女らなりの、解釈した多文化主義を社会に提示するようになっているのである。

審査要旨 要旨を表示する

本論文は、アメリカ合衆国ニューヨーク市のドミニカ系移民、とりわけ移民2世の若者のアイデンティティ構築に関する文化人類学的な考察である。その大きな特徴は、若者がダンスという身体実践(身ぶり、しぐさなどの身体動作をも含む)を通して自己を認識し、文化を捉え直し、アイデンティティを構築していく過程を描き出している点である。このテーマを設定した理由を著者は「踊らなければドミニカ系ではない」と調査中に幾度も聞かされたからだと述べている。データは主としてフィールドワークによって得られたものであり、現地調査は1998年5月から2000年12月までの間に計18か月にわたって行われている。

本論文は7章から構成されている。第1章「序論」では、「身体をめぐるアイデンティティの構築」というテーマが提示され、先行研究が検討される。続いて、著者の現地調査のプロセスが示され、最後に本論の構成が述べられる。第2章「ドミニカ系集団の現在と歴史」では、1960年代以降ドミニカ共和国からニューヨークへ大勢の移民が流入し、本論文の舞台であるニューヨーク市ワシントンハイツ地区においてコミュニティを形成するに至った経緯、ドミニカ共和国の歴史的背景、コミュニティの社会的・経済的状況、人種対立と暴動、コミュニティ活動、そこにおけるNPOやアーティストの役割、ニューヨーク生まれの移民2世の若者などについて概観される。第3章「アイデンティティとダンス─人種・エスニシティ・文化」では、アイデンティティの問題を考える上での基本的な枠組みとして、人種とエスニシティの問題が検討され、文化に関しては、ドミニカの文化を構成する諸要素のうちスペイン的要素、先住民的要素、アフリカ的要素のどれを強調するかで文化の捉え方が異なること、スペイン的要素を強調するもの、諸要素の混在とするもの、アフリカ的要素を強調するものの3つの文化把握の類型が存在することが指摘される。ダンスに関しては、ドミニカの「国民的文化」とされ、スペイン的要素を継承するとされるメレンゲが取り上げられた後、アフリカ的要素の強い音楽やダンスを評価する動きについても触れられている。第4章「バイラドーレス」では、2世の若者の非行防止を趣旨として始められたアフタースクール・プログラムでのダンスクラス、バイラドーレスについて記述される。若者の参加の動機や関わり方、ダンスグループの特徴、アーティストの影響、そしてバイレ(ドミニカ系ダンスの総称)を学習することで新たな視点から自らの身体と文化を意識化していく様子などが詳細に検討されている。第5章「ヒップホップ」では、商業音楽・ダンスとしてのヒップホップやコミュニティや地域性を重要視したローカル・ヒップポップとの関わりやドミニカ系のアーティストの影響をも受けながら、若者たちが「黒人性」を自覚していく過程が考察され、ヒップポップが彼/女らの自意識の形成に大きな役割を果たしていることが指摘される。第6章「動作の型の解釈」では、若者の身振りからダンスまでの身体動作が「ドミニカ的型」と「アフリカ的型」に分けられ、言説のレベルと実際の身体動作のレベルの双方から検討される。またバイレからヒップホップへの身体動作のモード転換についてダンスクラスでの観察例が分析されている。このような分析から、身体のバイカルチュラリズムという視点が示されるが、「白」か「黒」に二極化されるアメリカ合衆国の人種環境においては「黒人性」=「アフリカ的型」が強調されることになると論じている。第7章「結論」では、本論の議論を要約し、ニューヨークの多文化主義的な文化環境の中で、ドミニカ系2世の若者のアイデンティティはきわめて多重に構成されているが、ダンス実践を通して彼/女らのアイデンティティをめぐる想像力は、一方において「アフリカ的なもの」「黒人性」へと向かい、他方において自らが住むワシントンハイツを中心としたローカルな場所、「地元」へと向かう。こうした若者のアイデンティティのあり方をより深いレベルで「人間」へと向かうアーティストの場合と比較しながら論が閉じられている。

全体として、本論文の意義は、ニューヨークのドミニカ系移民のアイデンティティ構築がダンス・身体実践と深く関わっていることを、国際移住、若者、人種、エスニシティ、歴史、コミュニティ、都市の大衆文化などの問題と接合しながら、長期にわたるフィールドワークと細やかな参与観察に基づいた濃密で豊かな民族誌的データによって示したことにある。移民とアイデンティティ構築に関する文化人類学的研究への貢献として以下の3点が重要である。

第1に、ニューヨーク生まれのドミニカ系2世の若者に着目することによって、1世の親の世代とは異なる方向性をもった文化認識やアイデンティティ構築のあり方をきわめて動態的に描き出していることである。世界都市ニューヨークという背景の中で、彼/女らは複数のポジションをもっており、彼/彼女らのアイデンティティは重層的に構成されている。そうした中で、アフタースクールでのバイレの習得はドミニカ・エスニシティを意識させるものではあるが、彼/女らのヒップホップとのかかわりや「白」か「黒」に二極化されるアメリカ合衆国の人種環境においては、彼/女らの身体は「黒人」として「人種化」されていく。このアイデンティティの構築をめぐるエスニシティと人種の動態的な関係を明らかにした点は重要な貢献である。

第2に、アイデンティティ構築を検討するにあたって、言説のレベルだけでなく、ダンスを中心とする身体実践の果たす役割に注目している点である。当該民族集団の身体動作やダンスはしばしば無意識のうちに習得されるが、アフタースクール・プログラムで学習する過程で、ダンス実践は2世の若者にとって文化を意識化する重要な方法となる。この点は、文化を研究する上で、無意識的なレベルと意識的なレベルをつなごうとする重要な試みであると評価できる。そうした中で、身体のバイカルチュラリズムや「人種化」に関する著者の観察と分析は、今後、身体と文化をつなぐ研究に新たな展望を切り開くものである。

第3に、本論文で論じたことを今日のアメリカ合衆国の多文化主義の文脈においてみるとき、多文化主義が無視し、隠蔽している身体性の問題に突き当たるという著者の主張は、米国の多文化主義研究に基本的で、重要な問いを投げかける。この点では、公式的な多文化主義政策の一環として開設されたアフタースクール・プログラムは、本来の趣旨とは別の展開を見せる。若者たちが親の世代が望むようなドミ二カ・エスニシティの文化表象よりも彼/ 女らを取り巻いている人種という可視的な身体性(黒人性、アフリカ的なもの)に敏感に反応するという状況である。このアメリカ合衆国の多文化主義の皮肉な状況を参与観察の現場から明らかにしたことは、本論文の大きな貢献である。

審査委員会においては、本論文の論述の中にはいくつかの事実関係の誤謬が認められること、編集上の不備や不適切・不用意な表現がみられること、さらに論証や分析の仕方などには不十分な点、改善すべき余地があることなどが、指摘された。しかしこれらは、本論文全体の価値を損なうほどの瑕疵ではないことが審査員全員によって確認された。したがって、本委員会は本論文が博士(学術)を授与するにふさわしいものと認める。

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