学位論文要旨



No 120857
著者(漢字) 豊田,真穂
著者(英字)
著者(カナ) トヨダ,マホ
標題(和) アメリカ占領下の日本における女性労働改革 : 女性保護と男女平等をめぐって
標題(洋)
報告番号 120857
報告番号 甲20857
学位授与日 2006.03.01
学位種別 課程博士
学位種類 博士(学術)
学位記番号 博総合第613号
研究科 総合文化研究科
専攻 地域文化研究専攻
論文審査委員 主査: 東京大学 教授 油井,大三郎
 東京大学 教授 遠藤,泰生
 東京大学 教授 大沢,真理
 東京大学 助教授 瀬地山,角
 東京大学 助教授 矢口,祐人
内容要旨 要旨を表示する

本論文の目的は、アメリカ占領下の日本における女性労働改革に焦点をあてて分析することによって、占領下「女性解放」政策の歴史的意義を再評価することにある。そのため結果として女性の失業を招くことになった女性保護に注目し、占領下の女性労働改革を保護と平等をめぐる問題に焦点をあてて検討した。具体的には、(1)労働基準法、(2)労働省婦人少年局、(3)労働組合婦人部の三側面を分析した。なぜなら、女性労働改革を総括的に検討するためには、女性労働者像を公的に規定した法律(1)、法律を遵守し解釈し運用していく行政機関(2)、そしてそれを受ける側の運動のあり方や運動が求めたもの(3)を分析することが必要だからだ。

保護と平等に注目するのは、「女性解放」の達成を考える際に、男女平等の法律上の規定だけでなく、社会政策のジェンダー中立性を問う必要があるからだ。そこで「経済的市民権」という概念を使って考察した。「経済的市民権」は、社会政策が前提とする「男性稼ぎ主モデル」がいかに男女間に異なる社会的権利を与えてきたのかを説明する。就労する権利は基本的人権のひとつだが、女性の就労する権利は、歴史的に、婚姻関係や「母」であることによって制限されてきた。つまり、性別によって対象者を区別する法律や「母」を強調する政策は女性に社会的利益を与えるかもしれないが、女性の就労する権利を制限し「経済的市民権」を奪う。本論文では、こうした「経済的市民権」の視点から占領下の女性労働改革を考察した。

これまで、GHQ/SCAP(連合国最高司令官総司令部)の「女性解放」政策は高く評価されてきた。特に女性史の興隆を受けて、GHQ/SCAPが「男女平等」という新たな考えを日本にもたらしたと評価するノムラ(Gail M. Nomura)に続き、GHQ/SCAP上層部だけでなく中下層の地位にいた女性スタッフの役割に注目するいくつかの研究が出された。ファー(Susan J. Pharr)に代表されるこれらの研究によって、日米女性間に形成されたいわば「女性政策同盟」が主体となって、GHQ/SCAP上層部の意図を越えた「急進的な」女性解放を推進したとする枠組みが定説となっている。しかしこうした図式による理解では、第1に「女性政策同盟」の一翼を担い得たのは一部の日本人女性のみであったこと、そして第2に「急進的な」改革が行われたのは表面的な法制面の改革においてのみだったことが見落とされてしまう。

本論文は、(1)多様な主体に注目することで、「女性政策同盟」が常に政策推進の主体ではなかった点を指摘した。この点は、土屋由香やコイカリ(Mire Koikari)などが指導者層の日本人女性は連帯していたと指摘しているが、本論文では、指導者層の女性でさえもGHQ/SCAPの女性と常に協力関係を築けたわけではなかったことを明らかにした。また、(2)これまでの研究は実現された表面的な結果のみで改革を評価してきた。しかし、表面上は女性の利益になるようにみえる改革も、経済的市民権やジェンダー中立性といった視点からとらえなおし、改革が前提とするジェンダー観やその背景にある思想を明らかにする必要がある。そのため、本論文では占領期を日米の互いに異なるジェンダー観が出会った場ととらえ、実際に改革として結実したのは「平等」思想や「急進的な」ジェンダー観ではなく、むしろ女性を「身体脆弱・意志薄弱で家庭責任のある存在」と規定して「保護」を重視する限定的な女性労働観に基づいていたことを明らかにした。そして、(3)占領政策の限界の理由を「時代的な制約」に集約してしまうことを避け、「女性解放」政策を歴史的に位置づけ、当時の文脈のなかにおいて再評価するために、もうひとつの可能性として1940年代の時点におけるフェミニズムの到達点を確認した。最後に本論文は、(4)戦前から戦後における日本の「女子労働論」が前提としてきた女性労働者像に修正を迫ることを試みた。

以上4点の問題を設定し、女性労働改革の三側面(労働基準法、労働省婦人少年局、労働組合婦人部)を検討した結果、以下の4つの論点を明らかにした。

まず第1の論点(問題設定3に対応)として、占領期の「女性解放」政策を歴史的に位置づけて再評価をするために、政策が当時の文脈の中でどの程度先進的であり得たのかを検討した。女性労働改革のなかでも、GHQ/SCAPの労働基準法の生理休暇反対論や労働組合婦人部批判論は、米国本国における平等権憲法修正条項(ERA)支持者などのフェミニズム思想が到達した地点に近いジェンダー観に基づいていた反面、女性労働保護法を強く擁護する姿勢や婦人少年局設置の際に明らかになったGHQ/SCAPの女性労働者像は、米国フェミニズムだけでなく同時代の日本のフェミニズム思想の到達点より限定的なものだった。

第2の論点(問題設定2に対応)では、占領下の女性労働改革がどういった思想的背景を持っていたのかを「保護」と「平等」の側面から明らかにした。まず「保護」の側面からみると、女性労働改革のうち婦人少年局設立と労働基準法に規定された女性保護法がその事例である。両者は、米国の世紀転換期から脈々と続く、女性保護法を擁護してきた革新主義時代の社会改革者たちの母性主義的な保護思想が、占領下の女性労働政策に反映されたものだった。

しかしその一方で、GHQ/SCAPは「平等」を志向した面もあったことを明らかにした。それは、労働者を性によって区別することに反対するGHQ/SCAPの一面からうかがえる。その背景には、労働者個人の特性ではなく職業に対して恩恵を与えるという1930年代からの米国本国における社会福祉の思想があった。例えばGHQ/SCAPは、同一労働同一賃金の原則を有効にするためには、年功賃や生活給などの日本の賃金構造を廃し職務評価による賃金率の決定が必要であると論じたり、女性のみに適用される生理休暇に反対した。また、労働者を性によって分断する労働組合婦人部のあり方に反対した。これらの事例は、できる限り男女共通の基盤を築いていくべきだとする思想という意味で、平等志向の表れといえる。

第3の論点(問題設定1と対応)では、多様な政策推進主体に注目して「平等」と「保護」の二側面に対する日本側の受け止め方を分析し、「女性政策同盟」の限界を指摘した。まず、「平等」を志向したGHQ/SCAPの一面は、日本社会には正確に受けいれられなかったことを明らかにした。特に、労働組合婦人部のあり方に対するGHQ/SCAPの批判は、日本側には「反共思想による弾圧」と受けとめられてきた。また、労働組合が生活給を要求・獲得したことで同一賃金の原則を進める動きは見られなかったし、生理休暇については戦後の運動の中で「既得権」とみなされ、再検討の対象にならなかった。

その一方で、女性労働改革のなかでも「保護」を重視した政策は、日本の保護主義と見事に合致し、改革として結実したことを明らかにした。改革を進めた多様な政策推進主体に注意を払うことによって、実現された改革の多くが日米の共同作業によるものであることがわかった。例えば、改革を熱心に進めようとした厚生官僚の存在によって、労働基準法の制定や労働省の設立が可能になった。

しかし日米の女性たちの間には、先行研究が重視してきた「女性政策同盟」のような連帯が常に存在していたわけではなく、政策推進の主体は複雑だった。結局、多様な政策推進主体が衝突する中で妥結した改革は、日本人女性指導者ではなく、むしろ日本政府の官僚とGHQ/SCAPの求めたものであったことを明らかにした。GHQ/SCAPの女性と日本の女性指導者との間にも、女性労働者自身とGHQ/SCAPとの間にも、現状認識の違いや改革の目指すべき方向にギャップがあったのだ。

一方、「保護」を重視した政策は、日本の劣悪な労働条件を飛躍的に改善したという面もあったことを指摘した。GHQ/SCAPが、劣悪な労働環境や「搾取」から女性や年少者を保護する必要があると考えたことは当然だった。そして戦前から労働行政に関わってきた厚生官僚のなかにも、女性に手厚い保護を与えることこそが日本の近代化を進めることと同義であると考えていた。

また、女性労働者の保護を厳格に適用することが、戦前のライバル国としての日本を弱体化させるといった米国の国益につながっていたという面もあったことを明らかにした。米国の対日占領政策には、労働条件を改善し労働者の地位を向上させることが「軍国主義と侵略」の復活を防ぐことになるという基本的な方針があった。

最後に第4の論点(問題設定4に対応)として、女性労働者自身の主体的な動きや主張に注目することで、それに反してGHQ/SCAPや政府官僚、日本人女性指導者の持っていた「女性労働者像」の評価の低さを浮き彫りにした。そしてその「女性労働者像」は、女性労働研究の「特殊理論」へと無批判のままに継承されたことを指摘した。

以上のように本論文は、アメリカ占領下で行われた女性労働改革のうち、労働基準法、労働省婦人少年局、労働組合婦人部に対するGHQ/SCAPの政策に焦点をあてて検討した結果、GHQ/SCAPは「平等」を掲げた一方で「保護」を重視したことを明らかにした。GHQ/SCAPは、生理休暇には反対したのに深夜業禁止を強く擁護したり、労働組合婦人部の問題性を鋭く見抜いたのに労働省婦人少年局の設立思想に疑義を挟めなかったという矛盾を抱えていた。これらの矛盾は、終戦直前の米国においてみられた平等への志向と保護思想の併存と重なっていた。そのうち保護重視の思想は、厚生省の保護方針とも一致していた。両者は、女性は男性労働者とは異なり家庭責任をもち、年少労働者と同様に「弱く」、女性を「保護されるべき存在」と位置づけた点において一致していた。占領期に実現された女性労働改革が前提とした女性労働観は、戦後の日本社会に定着していっただけでなく、女子労働論もそれに無批判のまま発展してきた。本論文は、たとえ表面的には女性の利益になるようにみえる政策も、それが前提とするジェンダー観が限られたものであったため、女性労働者にとっては「経済的市民権」の制限として作用してきたことを明らかにした。

審査要旨 要旨を表示する

豊田真穂氏提出の課程博士論文「アメリカ占領下の日本における女性労働改革ー女性保護と男女平等をめぐってー」は、第二次世界大戦後の米国による日本占領下で実施された女性労働改革に焦点をあてた極めて実証性の高い論文であり、その分量は400字詰め原稿用紙に換算すると、本文で700枚、資料編も入れると、886枚に達する力作である。

なかでも、本論文が注目するのは、占領改革の結果、労働基準法の中に「同一労働同一賃金」の原則が明記されるなど、男女平等を促進する改革が実施される一方で、深夜業の禁止など女性保護の条項も挿入された。その結果、1998年に労働基準法が改正され、深夜業禁止の条項が除去されるまで、女性が鉄道の運転手などに就労することはできない状態が続いてきたという矛盾である。

そこで、本論文は、なぜ占領下の女性労働改革において平等と保護という一見矛盾する政策が採用されることになったのかという、現在の日本におけるジェンダー関係にもつながる根本的な疑問を設定し、それを様々な側面から総合的に解明しようとしている。その際、本論文は、日米双方の1次史料を精力的に収集し、極めて実証度の高い論文に仕上げている。例えば、アメリカ側では占領軍のGHQ文書、占領改革に関わった個人文書など、日本側では国立公文書館所蔵の労働省関係資料や法政大学大原社会問題研究所所蔵の労働組合資料などである。

その上で、この課題を解明するために、労働基準法の制定、労働省婦人少年局の設置、労働組合婦人部の活動という三側面、すなわち、女性労働改革に関わる法律、行政機関、労働運動の3側面に注目し、総合的に改革の性格を検討しようとしている。また、方法論においては、コロンビア大学の著名な女性労働史家であるアリス・ケスラー=ハリスが提起している女性の労働権に関わる「経済的市民権」概念を導入することによって、女性保護が実際上、女性の就労権を制限する機能を果たしてきた点に着目している。

この女性労働改革に関する従来の研究は、占領下の女性参政権の実現などに象徴される女性の政治的解放についてはかなりの研究があるものの、労働改革については先行研究が少ない状況にあった。それでも1970年代以降の女性史研究の興隆の影響を受けて、幾つかの研究がでてきたが、多くは、ハーヴァード大のスーザン・ファーが提起したGHQの女性スタッフと日本人女性の間に女性解放政策をめぐる一種の「政策同盟」の存在を前提とし、画期的な改革が実施されたと評価してきた。

それに対して、この論文では、女性労働改革に関与した主体はもっと多様であり、「政策同盟」と呼ぶほどの一体性はなかったと主張する。たとえば、GHQ側では女性は中下層のスタッフに限られ、上層の幹部は男性であり、その間にも女性労働改革をめぐって意見の相違があったこと、また、日本側の女性といっても、労働省の官僚と女性運動指導者、一般女性労働者の間にも意見のズレが存在したとして、多様な主体の相互連関に注目するところに本論文の特徴がある。

以上の問題設定に基づいて、本論文はつぎの構成に従って論証を進めている。

まず、序章で上記の問題設定をおこなった上で、第1章では、「日米女性労働保護の歴史」と題して、占領改革の前提となる日米双方における女性労働保護の伝統が対比的に説明されている。ここでは、1940年代の米国における女性運動自体が女性の役割は家庭にありと考えて、女性保護を主張する傾向と憲法への男女平等条項明記を求める平等志向との競合状態という過渡期にあったことが明らかにされている。また、戦前の日本の場合は、女性労働者が低賃金で劣悪な労働条件におかれつつも、戦前から家制度との関連で女性労働保護の長い伝統があり、生理休暇など日本独特の習慣が定着していたが、戦中には戦時動員のためその保護が有名無実化していたことが指摘されている。

次いで、第2章は「占領下女性労働改革の前提」と題され、米国側の対日占領政策の立案と1946年2月に来日した労働諮問委員会の勧告とそこにおけるヘレン・ミアーズの役割などを分析するとともに、女性労働改革に関わったGHQスタッフの経歴も紹介されている。次いで「労働基準法における女性保護と平等」と題された第3章では、労働基準法の制定過程が詳しく検討され、「同一労働同一賃金」という男女平等条項がソ連からの「外圧」などのあって盛り込まれる一方で、生理休暇条項についてはGHQ側が当初は反対しながら、日本側の強い要求に押されて受け入れていった過程が明らかにされている。このGHQ側の態度は女性しかとれない生理休暇が男女平等原則に矛盾すると考えたからであったが、一般女性保護の性格をもつ女性の深夜業禁止についてはGHQは当初から推進するという矛盾した姿勢をしめしたことが指摘されている。

「労働省婦人少年局の設立」と題した第4章では、それが1920年の米国で女性保護の観点から設置された婦人局の影響で設置されたこと、日本の場合も、女性を少年と同じく「弱い」存在と見なして、その保護のために設置した点ではGHQと日本の官僚の間に一致があったと分析している。次いで第5章は「労働組合婦人部と女性労働者」と題され、1948年1月に出されたGHQ経済科学局労働課の「スタンダー声明」が従来の日本における通説が主張するような婦人部解体指令ではなく、組合内の男女平等の観点からする婦人部の二重投票権の是正指令であったという評価が示されている。

最後に、終章においては、GHQが女性労働改革において「同一労働同一賃金」という平等原則を推進しながら、女性の深夜労働禁止という女性保護を主張した矛盾について、それが1940年代の米本国の女性労働をめぐる保護論と平等論の競合という過渡的な性格の反映とする見解が示されている。また、占領改革がめざした女性労働保護は戦時下で劣悪な条件になっていた日本の女性労働を「近代化」する意味をもったことや米国側からすると女性の劣悪な労働条件に支えられた日本の軍国主義の基盤を一掃する「非軍事化」政策の狙いも込められていたとして、女性保護の意味を複眼的にとらえている。つまり、この論文では女性労働保護政策に一定の歴史的な意味を認めながら、同時に、女性の職域を狭め、女性の経済的市民権を制限することになった点も厳しく批判している。それは、女性の鉄道運転手が戦争直後期までは存在したのに、労働基準法に女性の深夜業禁止が盛り込まれた結果、以後半世紀間も禁止されることになったという事実がこの矛盾を象徴していると指摘して結びとしている。

以上のように、本論文は、GHQによる日本の占領下で行われた女性労働改革において男女平等の促進と女性保護という一見矛盾した改革が行われたのは何故かという大きな問を立て、それを日米におけるフェミニズム思想の展開を比較しながら考察するというその構想力の大きさにおいて高く評価できる。とくに、占領期を日米の「異なるジェンダー観が出会い、葛藤した場」と位置づけ、生理休暇のように日本独特な習慣に対して、当初、GHQの担当者は男女平等原則に反するとして廃止を主張しながら、日本側の強い要求を受け入れて、最終的には存続を認めたことが示すように、占領改革は単純な「押しつけ」でなく、日米合作の面もあった点を解明した意義は大きい。さらに、日米双方の豊富な1次史料を丹念に収集したり、関係者への聞き取り調査を行った上で、丹念に史料を読み込み、先行研究の解釈との違いを明確にしていった努力も高く評価できよう。

勿論、本論文にも残された課題はある。例えば、分析の焦点がGHQや日本政府の政策決定過程にあるため、女性労働者の生活や意識の実態分析が部分的にとどまっている点、GHQ内部での政策決定、とくに男性幹部と女性の中下層スタッフとの意見対立の調整過程が、GHQ文書の断片性などのため、実証しきれていない点、GHQが婦人部解体指令を出していたかどうかの論証がGHQの女性労働問題担当者の動向だけから分析され、いわゆる「逆コース」による労働運動の再編というより大きな文脈で検討する課題が残されている点、さらに、GHQの多くの白人スタッフ側がもっていたと推測される人種偏見や「文明化の使命感」といった認識枠組みの問題からの分析が当面除外されている点、などがそれである。

しかし、これらの課題は、占領下の女性労働改革に関わる日米間の政策交渉と決定過程を主要な研究対象とする本論文の性格からすれば、補足的な問題点でもあり、本論文の基本的な価値を低めるものではない。したがって、本審査委員会は博士(学術)の学位を授与するにふさわしいものと認定する。

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