学位論文要旨



No 120859
著者(漢字) 古屋,博子
著者(英字)
著者(カナ) フルヤ,ヒロコ
標題(和) 在米ベトナム人とベトナム共産党の政策転換
標題(洋)
報告番号 120859
報告番号 甲20859
学位授与日 2006.03.01
学位種別 課程博士
学位種類 博士(学術)
学位記番号 博総合第615号
研究科 総合文化研究科
専攻 地域文化研究専攻
論文審査委員 主査: 東京大学 教授 古田,元夫
 東京大学 教授 油井,大三郎
 東京大学 教授 山影,進
 東京大学 教授 能登路,雅子
 早稲田大学 教授 白石,昌也
内容要旨 要旨を表示する

グローバル化が進む現在、移民や難民は祖国へどのような影響を与えるのか。この大きな問題関心を中心として、ベトナム共産党が対在米ベトナム人政策を転換するに至る過程と要因を、在米ベトナム人とベトナム間の相互関係から研究した。

ベトナム戦争終結から30年が経過したが、2006年の現在も在米ベトナム人の反共活動は盛んである。ベトナム社会主義共和国政府はそれを認識しているにもかかわらず、近年彼らを同胞と呼び国内公民に限りなく近い政策を適用するようになった。なぜベトナム政府は従来敵とみなしていた在米ベトナム人に対する政策を転換するようになったのか。そしてそれはどうベトナム政府の「民族」観および在米ベトナム人のベトナム観に反映されているのか。

在米ベトナム人の大多数がベトナム戦争終結後に難民として渡米したことから、両者は長らく「対立」の構図で語られてきた。また移民先の米国とベトナムの間に長らく国交が樹立されず、祖国との交流が困難であったことから「断絶」の期間が長かった。従って近年のベトナム政府の変化は、ベトナムがドイモイ政策という対外開放路線を開始した結果、または冷戦終結の結果として解釈されがちである。

しかしそれでは長い「対立」と「断絶」期間の空白を埋めることはできない。政策転換はベトナム政府の一方的な理由と働きかけによって突如出現したものではなく、「対立」と「断絶」の水面下で形成されたネットワークによって政治的決断や政策転換へ波及した変化の積み重ねとして捉えられるべきとの立場から、ベトナム国内政治からだけではなく両者の相互関係、ヒト(出国、一時帰国)、モノ(物資郵送)、カネ(送金、投資)、情報のネットワークに着目し、その実態を具体的に解明することで政策転換にいたった過程の検証を試みた。

まず、ベトナムと、アメリカのベトナム人コミュニティという二つのフィールドで長期調査および資料を収集した。

そして客観的な分析のため、双方の資料を収集してそれらを検証する形で作業を進めた。従来の先行研究では、ベトナム研究では共産党資料の分析が主であり、党の主張を分析するには非常に重要であるが、時に真意の見極めが非常に困難であり、特にベトナムで出版された研究に関してはたとえ「研究」であっても党の主張に沿ったものになることがあった。また、エスニック・スタディーズで多く見られたインタビュー調査は、個人が辿ってきた状況や経験を理解するのに重要な手法であるが、従来の先行研究では個人の経験や思いが強調されるあまり規模や額が誇張されることもあり、その発言にどこまで普遍性があるのか、また事実に即しているのかという課題を抱えていた。また、歴史の中に位置付けられていないため、個人史や個人的経験の域を出ないことも多かった。本研究でも共産党の資料もインタビューも用いているが、異なる立場のベトナム側と在米ベトナム人側の資料をつき合わせながら事実を検証していくことに努めた。

同時に、できる限り数値データも収集し、党資料やインタビュー・手記を数値データで補強や検証することにも努めた。数値データは、人口流動に関しては国連高等難民弁務官事務所、アメリカ人口統計、アメリカ移民帰化局、アメリカ司法省、アメリカ海軍資料、ベトナム年報など、仕送りやビジネスに関してはアメリカ商務省やウエストミンスター市役所の資料等に依拠している。送金は表にでてこない部分も多く、正確な数値を測ることが難しいが、ベトナム国家銀行や送金業者など様々な角度からできる限りのデータを収集してそれがベトナムの経済や政策にどの程度の部分を占めたのか全体像を把握することにつとめた。

また数値データ収集の一環として、筆者は2003年11月10日から12月1日までオレンジ郡在住ベトナム人500名を対象に世論調査を行い、その結果も分析に用いている。質問はベトナム語と英語両方を用意したが、98%がベトナム語で回答した。本世論調査は過去にLos Angeles Times紙が1994年に行った世論調査(実施期間1994年3月28日から4月19日、861名対象)と、Orange County Register紙が2000年に行った世論調査(実施期間2000年1月18日から2月1日、600名対象)と比較し時間の経過による変容を観察するため、いくつか過去の調査で行われた質問と同じものを用意した。

数量的電話インタビューに併せて個人的なインタビューも行った。ベトナム語と英語のうち回答者の好む方で行った。また、インタビュー対象者にはインタビュー時だけでの接触ではなく、できる限りその後も接触し、対象者がどのようなバックグラウンドを持ち、どのような社会的、またコミュニティ的立場を持っているかを観察した上で、インタビュー内容を検証するよう心がけた。また、インタビューではない個人の体験を用いる場合、本人が書いた手記や回顧録を引用した。

その結果、在米ベトナム人から祖国に残る親族に送られた送金が、ベトナム共産党指導部の認識に変化をもたらし政策転換に至ったことが証明された。より重要なことは、ドイモイ政策開始前の「断絶」の時期に、両者の間に送金や物資そして情報のネットワークが形成され、それがその後の展開に繋がったことである。対在米ベトナム人政策の転換はドイモイ政策の結果ではなく、ドイモイ立案の段階で既に共産党指導部内で議論されていた。ベトナムが西側諸国と国交を樹立できず、経済制裁も受け、また自らの経済政策の失敗から経済的にも対外的にも行き詰まっていた時期に海を越え在米ベトナム人から流入した物資やカネは、ベトナムの闇市場に流れ貴重な物資供給源および外貨獲得源となった。そしてこの時代に既にネットワークが形成され機能していたからこそ、ベトナム政府はドイモイ開始と同時に在米ベトナム人に対する送金や入国面での諸政策を改正し、それに対し在米ベトナム人が即座に反応を示すことができた。そしてそれが一時帰国や投資といった更なる新たなネットワークの形成に結びつき、それを通じ現在までも化学反応のように次々と双方が変容する作用をもたらしたのである。

第二に、これらの相互作用の一つとして、ベトナム共産党の「民族(ネーション。以下「民族」と略)」観に大きな変化をもたらしたことが明らかになった。「民族」という言葉は民族解放闘争の勃興と共に使用されるようになった言葉であり、共産党にとって戦争中人々を動員するのに重要なキーワードであった。従って共産党の言う「民族」の中に打倒の対象としていた旧南ベトナム政権の幹部らは含有されていなかった。従って、ベトナム民族政策史に関する先行研究の「民族」の定義はこれに倣っていた。

しかし本研究の結果、現在ベトナム共産党は「過去、出国の理由を問わず、全ての在外ベトナム人は「民族」の不可欠な一部である」と定義し、従来の共産党が「民族」と認めなかった人々も含有するように変化していることが明らかになった。さらに、他国籍を取得した者も「民族」の構成員として定義していることも判明した。従来先行研究で議論されてきたベトナム「民族」の統合論理は、国内在住のベトナム共産党を支持する人々を対象としていたが、在米ベトナム人を通じてみると共産党の「民族」概念には歴史的変化が起こっており、それを踏まえて今後議論する必要があることを指摘した。

また、ベトナム共産党の定義する「民族」が、従来のネーションの枠組みで規定できないものに変化していること、さらにネーションが時代によって変化し更新されうる概念であることを明らかにしたことも、意義があったと考える。

第三に、在米ベトナム人のベトナム観に関しては、送金や一時帰国といった人の流れ、情報網といった交流の拡大と共に、在米ベトナム人の反共活動の目的や手段も穏健的になり、ベトナム政府の送金や一時帰国、投資といった経済面での政策改正にも肯定的に反応したが、逆に対ベトナム政府観は逆に悪化していることも判明した。また、祖国への問題関心が米国市民権の取得やアメリカ政治への参加というアメリカへの適応を促進するという現象を生んでいることも明らかになった。これは、「アメリカへの適応=祖国の要因が阻害」といった従来のアジア系アメリカ人研究の先行研究とは異なり、祖国の要因がアメリカ化を促進することを提示した点で意義がある。

対立する集団間の関係緩和に水面下で形成されたネットワークが重要な役割を果たしたこと、これらのネットワークは、物理的距離や国交、連絡手段の有無に関係なく形成され、障害がある程その障害が除去された時に加速的に状況を変容させる基盤となること、こうしたトランスナショナルな活動は既存の国家や「民族」の枠組みを超える可能性があることを論じた本稿は、グローバル化の進むアジア太平洋地域の新たな国家と「民族」の関係を考察する一事例として多くの議論を提供すると考えている。

審査要旨 要旨を表示する

古屋博子の論文「在米ベトナム人とベトナム共産党の政策転換」は、難民が中心を占める在米ベトナム人と、ベトナム本国とそこで政権を担当するベトナム共産党という、「対立」と「断絶」の構図でとらえられがちな両者の間にどのような関係が存在し、この関係が相互の認識、特にベトナム共産党の在外ベトナム人政策やネーション観の変化をもたらしていることを解明したものである。

論文は序論、結論を含め5部から構成されている。

「I序論」では、「在米ベトナム人とベトナム政府の対立」という図式を批判し、国境を越えたヒトやカネ、情報の移動が、国民や民族という枠組みに影響を及ぼす現代の国際社会の一側面を提示するという本論文のねらいが提示され、研究史のなかでの位置づけが検討されている。

「IIベトナム戦争の終結と難民」では、ベトナム戦争終結後に難民の受け入れによりアメリカにベトナム人コミュニティが形成される経緯がまとめられている。

「III送金・物資の仕送りとベトナムへの影響」では、1980年代前半のドイモイ開始以前のベトナムの経済的困窮期に、1983年に1億ドル近くに達する在米ベトナム人からベトナム国内の親族に送られた物資や送金が、外貨保有額が2000万ドルを割り込んでいたベトナムにとっての貴重な物資や外資獲得源になったことが明らかにされている。

「IVベトナムの変容、在米ベトナム人の変容」では、まず在米ベトナム人の送金の影響を受けたベトナム共産党の1980年代後半、つまりはドイモイ開始期の、送金・仕送り制限の緩和、出入国の制限緩和といった政策転換を指摘している。ついで、これを受けて90年代の前半にかけての時期に、在米ベトナム人の間でも、送金額の増加や一時帰国ブームが起き、反共運動も本国政府の打倒を呼びかけるものから民主化を促進することに主眼を転換し、本国との経済交流促進派も形成されるなどの変化が起きたことが示されている。こうした動きをふまえて、ベトナム政府が1990年代以降に実施した一連の在外ベトナム人優遇政策と、それに対する在米ベトナム人の反応が検討されている。ここでは、経済面ではベトナム政府の政策は効果をあげ送金や一時帰国の増大が見られるものの、こうしたベトナムとの関係の拡大は在米ベトナム人のベトナム政府への姿勢を改善することはなく、むしろベトナム政府観は悪化していること、こうしたことを背景に反共を強調する政治活動も形態を変えつつも盛んで、最近はベトナム政府への反共圧力を強調してアメリカの地方議会にベトナム系議員の進出が見られることなどが指摘されている。最後に、こうした動向があるにもかかわらず、ベトナム共産党は、在米ベトナム人を含む在外ベトナム人をベトナムにつなぎとめておくための一連の施策を強化しており、1998年の新国籍法では、「他国籍を取得したら自動的にベトナム国籍を喪失する」という条項が削除され、2004年には、在外ベトナム人を明確にベトナム「民族」(ネーション)の不可欠の一員とする共産党政治局の議決がだされるなど、従来のネーション観の変化を示す動向が見られるとしている。

「V結論」は、以上のような論文の内容を、ベトナム共産党・政府の政策転換の要因、在米ベトナム人のベトナム政府観、ベトナム政府の「民族」観、トランスナショナルな活動の限界と意義という論点にそってまとめている。

本論文の最大の意義は、在米ベトナム人とベトナム共産党・政府の在外ベトナム人政策が、強い相互関係をもっていることを解明した点にある。移住先のアメリカとベトナムの間に存在する水面下のネットワークとでもいうべきものの実態を、アメリカとベトナムでの地道な調査を通じて明らかにしたことは、移民研究として積極的に評価できる。

在米ベトナム人研究という角度でより具体的に見ると、在米ベトナム人をベトナム本国との関係でとらえる研究そのものが少ない中で、本論文の独創性は光っている。1980年代前半の時期の在米ベトナム人の本国への送金・物資の送付の実態と、その本国へのインパクトを実証的に解明したこと、1990年代以降のベトナムへの一時帰国や送金などの経済関係の発展が、アメリカへの帰化や反共的政治態度の新たな形態での活性化などと並行して進んでいることを指摘した点は、本論文のオリジナルな成果である。

また、ベトナム共産党・政府の在外ベトナム人政策を本格的に研究した業績が少ないなかで、本論文は、その1980年代以降の展開が在米ベトナム人の動向に敏感に対応していることを解明したこと、および近年の民族政策には在外ベトナム人のことが強く意識されていることを指摘した点を含め、先駆的研究という意義をもっている。

ただし審査では、在米ベトナム人とベトナム本国との関係という広い課題に挑戦したため、議論が拡散し、個々の分析に深みが欠如しているという問題が指摘された。具体的には、「異質な要素を統合」する広義の民族政策という点で問題となる、少数民族、国内の旧南ベトナム関係者、そして在外ベトナム人という要素の中で、在米ベトナム人の動向がどのような意味で本国の民族政策に影響を及ぼしたのかが、必ずしも明確になっていないといった点が指摘された。

また、アメリカの移民政策が在米ベトナム人に及ぼしている影響、アメリカとベトナムとの関係の変化が在米ベトナム人に与えている影響などのついても目配りがあれば、より論文にふくらみができたであろうという指摘もなされた。

こうした問題点や今後に残された課題はあるが、それは本論文の基本的な意義を否定するものではないと審査委員会は判断した。したがって、本委員会は本論文が博士(学術)の学位を授与するにふさわしいものと認定する。

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