学位論文要旨



No 120860
著者(漢字) 長尾,広視
著者(英字)
著者(カナ) ナガオ,ヒロシ
標題(和) 「温かい場所」を巡る闘争 : 戦後ソヴィエト知識人層における「ユダヤ人問題」の成り立ち
標題(洋)
報告番号 120860
報告番号 甲20860
学位授与日 2006.03.01
学位種別 課程博士
学位種類 博士(学術)
学位記番号 博総合第616号
研究科 総合文化研究科
専攻 国際社会科学専攻
論文審査委員 主査: 東京大学 教授 中井,和夫
 東京大学 教授 木畑,洋一
 東京大学 教授 石井,明
 東京大学 助教授 安岡,治子
 東京大学 教授 塩川,伸明
内容要旨 要旨を表示する

一般に「反ユダヤ的」と評価されてきたスターリン晩年のソ連の社会現象は、おおよそ3つの次元(ユダヤ人「民族主義者」の刑事弾圧、ユダヤ人知識人が巻き込まれた批判キャンペーン、重要組織からのユダヤ人排除)に整理することができる。本論文は、その中から2つの側面(「コスモポリタニズム批判」とユダヤ人排除措置)を取り出し、その細部を検証することによって、これらの現象を成立させた論理を問い直すことを目的とした。

第1部で扱われる「コスモポリタニズム批判」は、先行研究において官許の「反ユダヤ主義」キャンペーンと位置づけられてきた。だが、一般的イメージとは異なり、メディア上での批判は殆ど文学・芸術分野の周辺でのみ生じており、それも、文学・芸術批評家ばかりが標的になっていることがわかる。こうした認識に基づいて、キャンペーンの口火を切った「反愛国的演劇批評家グループ」への攻撃を生み出した、ソヴィエト演劇界の事情の解明に焦点を当てる。

30年代初頭の工業化の推進に伴って、演劇分野は国民教育(生産活動の推進)のための最も効果的な文学ジャンルと位置づけられた。スターリン指導部は、文学者を動員するため、金銭面での奨励に訴えるという手法を一貫してとった。30年代末、演劇批評家たちが劇場の均一化、レパートリーの多様性の喪失に警鐘を鳴らす中で、政府の芸術問題委員会は、劇場網・レパートリーの管理・体系化を図る。他方、劇場は生産効率を高めることを要求される「企業」でもある。この観点から、40年には公共団体による劇場チケットの購入が禁止され、潜在していた観客離れを顕在化させる。入場率の低下、国策的作品の不人気という混乱の中で、国家指導部の劇場政策のちぐはぐさが浮き彫りとなる。

劇場が経営難に陥る中、著作権・著作報酬制度の不備に関心が向けられる。そこでは劇作家が制度の不備をつき、したたかに立ち回って自己の利潤を最大化している。しかし、国費の節約と、報奨による創作活動の励行という2つの行動律の間で、国家指導部は「百万長者」を生み出す構造に対して効果的な対策をとることができない。

次に、独ソ開戦前後に導入された演劇作品の国家発注制度の確立が概観される。戦時中の特殊環境に助けられて、この制度は、演劇作品の創作過程の中で非常に重要な地位を占めていき、芸術委と劇作家との間には一蓮托生的な関係が形成される。しかし、愛国作品が飽和状態になるにつれて、観客や劇団関係者の間で、不出来な国策作品への不満や娯楽作品への欲求も高まる。

戦後、ソ連指導部は、戦時中に培った「愛国心」という動力を、戦争遂行から経済復興へと切り替える。演劇界も「愛国」の名の下に「生産ドラマ」を主軸とする国策作品によって国民の勤労動員に貢献するよう求められる。作家同盟は演劇作品の「生産」に取り組んでいくが、その背後には、作家の「忠勤」に対する巨大な金銭的恩典が介在していた。この「環境整備」のおかげで、演劇界の利権は益々肥大化し、それが政治性を売り物にする若手劇作家の参入を促す。

47年末以降、通貨改革後の緊縮財政と企業の経営効率への固執が、劇場に対する補助金の打ち切りという異例の政府決定を生み出す。この結果、劇場の経理状況は急激に悪化し、不人気な政治的作品が敬遠され、この種の作品に頼る劇作家の収入を激減させる。

48年末に近づき、党指導部、中央委宣伝部、芸術委員会、作家同盟、劇場関係者、批評家の間で、政治的作品の評価や、演劇界の「惨状」の責任論を巡る対立が先鋭化していく。対立は、政治作品を擁護する作家同盟と芸術委員会に対し、その種の作品の芸術的完成度に疑念を表明する党官僚や演劇批評家という構図をとる。対立の帰趨には、「ソヴィエト的演劇作品」を支持する「市民の声」が重要な役割を演ずる。

こうして「反愛国的批評家」に壊滅的打撃を与えるコスモポリタニズム批判キャンペーンが開始されるが、これはユダヤ人対非ユダヤ人という対立構図ではなく、芸術家vs.批評家、あるいは「愛国者」を自称する知識人と論敵との抗争という性格を帯びていた。キャンペーンの反ユダヤ性なるものは、批評家や在外経験のある一流知識人の間でのユダヤ人比率の高さに加え、かなりの程度、キャンペーンの性格に関する各当事者の思い込みの産物であった。場合によっては、官許の「ユダヤ人批判」というイメージを意図的に利用する人間もいた。作家同盟の場合には、同時期に逮捕されたユダヤ人反ファシスト委員会の幹部の多くがユダヤ人文学者であり、作家同盟の会員であったことが、明らかに関係者の行動に一定の影響を及ぼしていた。しかし、このキャンペーンは、文芸知識人や学術知識人の間での一網打尽的なユダヤ人排除をもたらしたわけではない。

演劇界では、「批評家叩き」によって49年には「愛国的作品」がレパートリー上の地位を回復する。しかし、間もなくコスモポリタン狩りが収束すると、今度は作品の「芸術性」を重視する逆キャンペーンが開始される。こうして、政治的劇作家の天下は長続きしない。

ユダヤ人を巡る社会現象としてより社会的広がりを持っていたのは、組織からの「ユダヤ人排除」であり、これはコスモポリタニズム批判とは別個の過程として進行していた。この問題が学術知識人に焦点を当てながら第2部で扱われる。

ソ連におけるユダヤ人問題は、当初から、その独特の民族分類制度によって支えられた「制度問題」の性格も帯びていた。遠い将来における民族の融合・消滅という展望に対して、短・中期的には、エスニックな単位は非常に持続性のある存在と位置づけられていた。こうした特徴によって、一見奇妙な現象が生じる。それは、民族的同化を歓迎しないという現象である。こうした制度化された「民族」の一つの特徴は、民族枠と、その属性(なるもの)の外的固定化であった。ここに「ユダヤ人問題」の一側面である民族比率の調整という発想が生じていく。

まず、「ユダヤ人問題」を巡る過去の議論で欠落していた「民族集団としての特性」が、39年センサスのデータを基に確認される。そこでは、教育水準の高さ、言語面でのロシア化、都市部への集中、社会的構成(都市職員層への傾斜)などが数値の形で示される。

戦後の経済復興において、ソ連科学は大きな役割を与えられた。こうした国家指導部の期待は、30年代前半に解体に瀕した総合大学の完全復権をもたらし、エリート大学や大学院教育を通じた人材養成に体系的な関心が払われるようになる。この中で、高等教育の監督の一元化(高等教育省の設立)が重要な役割を演じる。

国家指導部によって与えられた大きな使命と、関係者への金銭的厚遇とは裏腹に、大学の教育・研究環境は劣悪であり、その改善のための資金は不足している。学術補助金の大部分は人件費に吸い取られている。こうした肥大化する人件費の元凶として、非効率な兼職の蔓延が問題視される。

国家指導部の関心は、当然、学術労働者の計画的な養成と活用に向けられる。党人事局のラインでは、幅広い人材点検の一環として学術関係者の点検が本格化していく。人事の基礎となる広範な統計調査も実施される。47年末に得られた学術労働者の全体像からは、兼職の実態、地理的偏りなどの問題と並んで、民族間格差が浮き彫りとなる。

党のラインで進められた人材点検は、学術労働者の資格再審査のプロセスと重なっていた。その過程でユダヤ人比率の低下が生じた背景には、直接的には「民族構成の偏り」の是正という論理が作用していたが、具体的に欠格者を排除するに当たっては、過去の政治的汚点や資格、思想的適性など、各人の経歴が主たる判断材料にされていた。このため、欠格者たるユダヤ人は確かに優先的に排除されていたように見えるものの、結果的には、学術監督機関は、かなり高率のユダヤ人が職に留まる事態を甘受せざるを得なかった。

体制エリートや学術労働者の予備軍であるエリート大学、大学院の学生選抜においても、ユダヤ人学生比率の大幅な減少は統計的に確認できる。そこには直接的なユダヤ人比率の制限が介在していた可能性が高いが(直接の証拠はない)、それとは別に、卒業生の配置・活用から逆算した様々な考慮が働いていた。特に重要な観点は、地方民族出身者の育成と、それを妨げる出身地の偏り(都市化)である。地方出身者の受け入れ環境の不備(学寮不足)と、独特の居住管理制度が、大学のローカル化に拍車をかけ、今度はそれが卒業生の地方赴任拒否を生み出していた。学生選抜における「ユダヤ人問題」には、国家規模での人材育成上の考慮や、個人の履歴に由来する不適格者の排除という要素に加えて、中央と地方、都市と農村の間の格差、また社会層の分化によって生じた格差を、行政的に是正する中で生じた副産物という側面もあった。

むすびでは、スターリンの死後、知識人世界の利権構造が根本的に見直される様子が描かれる。新たに形成されたエリート層と民衆との乖離や、知識人世界の腐敗が認識され、その軌道修正が著作報酬と兼職規定の見直しという形で結実する。こうした既得権益の剥奪は、結果的に知識人の国家依存を緩和することにもつながった。

戦後ソ連社会における熾烈なパイの奪い合いを背景にした「ユダヤ人問題」は、かなりの程度、社会の階層化に起因する利害対立と重なっていた。じつは、そうした利害対立の土壌は、国家指導部が「効率」を追求する中で自ら創り出したものであった。その意味で、スターリン晩年の「ユダヤ人問題」は、その独特の知識人活用術の功罪を映す鏡と言えるのである。

審査要旨 要旨を表示する

スターリン晩年のソ連において、「反ユダヤ的」と評価されてきた社会現象は、おおよそ3つの次元(ユダヤ「民族主義者」の刑事弾圧、ユダヤ知識人が巻き込まれた批判キャンペーン、重要組織からのユダヤ人排除)に整理することができる。本論文は、その中から「コスモポリタニズム批判」とユダヤ人排除措置を取り出し、その細部を検証することによって、これらの現象を成立させた論理を問い直すことを目的としている。

第一部【「反愛国的批評家」攻撃の舞台裏】では、「コスモポリタニズム批判」にいたる背景が詳細に明らかにされ、キャンペーンの口火を切った「反愛国的演劇批評家グループ」への攻撃を生み出した、ソヴィエト演劇界の事情の解明に焦点を当てている。

1930年代初頭の工業化の推進に伴って、演劇分野は国民教育(生産活動の推進)のための最も効果的な文学ジャンルと位置づけられた。スターリン指導部は、文学者を動員するため、金銭面での奨励に訴えるという手法を一貫してとった。他方、劇場は生産効率を高めることを要求される「企業」でもあった。この観点から、40年には公共団体による劇場チケットの購入が禁止され、潜在していた観客離れを顕在化させる。劇場が経営難に陥る中、著作権・著作報酬制度の不備に関心が向けられる。そこでは劇作家が制度の不備をつき、したたかに立ち回って自己の利潤を最大化していた。

次に、独ソ開戦前後に導入された演劇作品の国家発注制度の確立を概観した後、戦後期の分析に移る。戦後、ソ連指導部は、戦時中に培った「愛国心」という動力を、戦争遂行から経済復興へと切り替える。作家同盟は演劇作品の「生産」に取り組んでいくが、その背後には、作家の「忠勤」に対する巨大な金銭的恩典が介在していた。この「環境整備」のおかげで、演劇界の利権は益々肥大化し、それが政治性を売り物にする若手劇作家の参入を促した。

47年以降、通貨改革後の緊縮財政と企業の経営効率への固執が、劇場に対する補助金の打ち切りという異例の政府決定を生み出す。この結果、劇場の経理状況は急激に悪化し、不人気な政治的作品が敬遠され、この種の作品に頼る劇作家の収入を激減させる。48年末に近づき、党指導部、中央委宣伝部、芸術委員会、作家同盟、劇場関係者、批評家の間で、政治的作品の評価や、演劇界の「惨状」の責任論を巡る対立が先鋭化していく。攻した中で、「反愛国的批評家」に壊滅的打撃を与える「コスモポリタニズム批判」キャンペーンが開始されるが、これはユダヤ人対非ユダヤ人という対立構図ではなく、芸術家vs.批評家、あるいは「愛国者」を自称する知識人と論敵との抗争という性格を帯びていた。キャンペーンの反ユダヤ性なるものは、批評家や在外経験のある一流知識人の間でのユダヤ人比率の高さに加え、かなりの程度、キャンペーンの性格に関する各当事者の思い込みの産物であった。このキャンペーンは、文芸知識人や学術知識人の間での一網打尽的なユダヤ人排除をもたらしたわけではなかった。

ユダヤ人を巡る社会現象としてより社会的広がりを持っていたのは、組織からの「ユダヤ人排除」であり、これはコスモポリタニズム批判とは別個の過程ちして進行していた。この問題が学術知識人に焦点を当てながら第2部【ソ連の専門家・知識人育成における「ユダヤ人問題」の意味】で扱われる。

まず、「ユダヤ人問題」を巡る過去の議論で欠落していた「民族集団としての特性」が、39年センサスのデータを基に確認される。そこでは、教育水準の高さ、言語面でのロシア化、都市部への集中、社会的構成(都市職員層への傾斜)などが数値の形で示される。

戦後の経済復興において、ソ連科学は大きな役割を与えられ、エリート大学や大学院教育を通じた人材養成に体系的な関心が払われるようになる。国家指導部によって与えられた大きな使命と、関係者への金銭的厚遇とは裏腹に、大学の教育・研究環境は劣悪であり、その改善のための資金は不足している。学術補助金の大部分は人件費に吸い取られている。こうした肥大化する人件費の元凶として、非効率な兼職の蔓延が問題視される。幅広い人材点検の一環として学術関係者の点検が本格化する中で、兼職の実態、地理的偏りなどの問題と並んで、民族間格差が浮き彫りとなる。人材点検は、学術労働者の資格再審査のプロセスと重なっていた。その過程でユダヤ人比率の低下が生じた背景には、直接的には「民族構成の偏り」の是正という論理が作用していたが、具体的に欠格者を排除するに当たっては、過去の政治的汚点や資格、思想的適性など、各人の経歴が主たる判断材料にされていた。このため、欠格者たるユダヤ人は確かに優先的に排除されていたように見えるものの、結果的には、学術監督機関は、かなり高率のユダヤ人が職に留まる事態を甘受せざるを得なかった。

体制エリートや学術労働者の予備軍であるエリート大学、大学院の学生選抜においても、ユダヤ人学生比率の大幅な減少は統計的に確認できる。そこには直接的なユダヤ人比率の制限が介在していた可能性が高いが、それとは別に、卒業生の配置・活用から逆算した様々な考慮が働いていた。学生選抜における「ユダヤ人問題」には、国家規模での人材育成上の考慮や、個人の履歴に由来する不適格者の排除という要素に加えて、中央と地方、都市と農村の間の格差、また社会層の分化によって生じた格差を、行政的に是正する中で生じた副産物という側面もあった。

むすびでは、スターリンの死後、知識人世界の利権構造が根本的に見直される様子が描かれている。結論として、戦後ソ連社会における熾烈なパイの奪い合いを背景にした「ユダヤ人問題」は、かなりの程度、社会の階層化に起因する利害対立と重なっており、そうした利害対立の土壌は、国家指導部が「効率」を追求する中で自ら創り出したものであった。その意味で、スターリン晩年の「ユダヤ人問題」は、その独特の知識人活用術の功罪を映す鏡と言える。

以上が提出論文の要旨であるが、本論文はつぎのような点で評価することができる。

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