学位論文要旨



No 120861
著者(漢字) 桜井,隆史
著者(英字)
著者(カナ) サクライ,タカシ
標題(和) 骨格筋の機械的刺激応答機構に関する研究
標題(洋) A study on mechanism of response to mechanical stimuli of skeletal muscle
報告番号 120861
報告番号 甲20861
学位授与日 2006.03.01
学位種別 課程博士
学位種類 博士(学術)
学位記番号 博総合第617号
研究科 総合文化研究科
専攻 広域科学専攻
論文審査委員 主査: 東京大学 教授 跡見,順子
 東京大学 教授 石井,直方
 東京大学 助教授 上村,慎治
 東京大学 助教授 八田,秀雄
 東京大学 教授 久保田,俊一郎
内容要旨 要旨を表示する

<背景及び目的>

地球上に生きる生物は常に重力を受け、動物は重力に抗して移動するために骨格筋組織を発達させている。骨格筋組織は機械的刺激に顕著に反応する組織であり、活動量増加や活動時の負荷増大により肥大、活動量減少や負荷減少により萎縮がそれぞれ引き起こされる。収縮様式の異なる収縮刺激、ストレッチによる受動的伸張刺激、神経刺激、ホルモン刺激などにより骨格筋の大きさや筋組成が変化し、変化した性質は一定期間保たれる。この適応現象は骨格筋の可塑性と呼ばれ、骨格筋は非常に適応性の高い器官であるということが言える。

研究対象としての骨格筋の歴史は古く、収縮機構及び張力発揮機構についての研究が生理学、生化学の手法を用いて多くなされてきている。最近の培養細胞技術の発達により、発生及び分化過程については培養細胞系を用いて細胞学的研究及び分子遺伝学的研究が行われるようになってきている。この時の筋細胞としての分化マーカーは筋芽細胞の融合、すなわち筋管形成である。筋組織の肥大及び萎縮といった可塑性についての研究を行うためには、分化後に成熟し横紋形成した筋管を対象に実験を行うことが必須であるが、培養細胞系で成熟した筋管は自発的収縮により基質から剥離するため維持が難しく、収縮構造を有する完全分化後の骨格筋モデルを対象とした研究は未だ非常に少ないのが現状である。姿勢の維持に関与する抗重力筋では遅筋線維が発達し、重力に抗して持続的に張力発揮を行っている。微小重力環境や手術後のベッドレスト及びギプス固定等による非荷重といった骨格筋への機械的刺激の減少により、骨格筋の萎縮が認められる。これら宇宙科学や医療の分野において筋萎縮防止が望まれている。

In vivoの骨格筋萎縮のモデルとして用いられるラットの後肢懸垂モデルでは、ラットの後肢への機械的刺激減少により、抗重力筋であるsoleus muscleの顕著な萎縮が確認され、ストレッチにより筋長を維持することで萎縮を抑制することができることが知られている。当研究室ではラットの後肢懸垂モデルを用いて、後肢懸垂による萎縮soleus muscleにおいてsmall heat shock protein(sHSP)の一つであるαB-crystallinタンパク質量が早期にかつ顕著に減少し、ストレッチにより短縮を抑制した筋組織では萎縮が抑制されるとともにαB-crystallinタンパク質量の減少が抑えられることを明らかにした。免疫組織化学的手法により、αB-crystallinは培養細胞のアクチンストレスファイバーや中間径フィラメントと共局在することが示されているが、当研究室では、骨格筋由来の培養細胞(L6E9 myoblast cell)抽出物の抗αB-crystallin抗体に対する免疫沈降により、細胞骨格成分の一つであり細胞構造の維持に重要であると考えられるtubulinがαB-crystallinと共沈し、免疫組織化学的手法によりL6E9 myoblast cellにおいてαB-crystallinと微小管が共局在し、精製αB-crystallinがMAPsを含む精製微小管に結合することを電子顕微鏡で示した。

骨格筋を研究対象とした研究は、張力発揮機構を明らかにするための収縮構造についての研究や、分化の機構についての研究は多くなされているが、骨格筋の生理的状態の生化学的側面からの研究は非常に少ない。さらに、機械的刺激や、力学的力を伝達するための細胞内器官と考えられる細胞骨格に注目した研究はさらに少ないのが現状である。骨格筋は自身の張力を外部に伝達することが出来、外部からの機械的刺激に応答して細胞を肥大・萎縮の方向へ再構成する。骨格筋の機械的刺激への応答機構を明らかにすることで、骨格筋萎縮機構解明への示唆が得られると考えられる。本研究では、骨格筋組織の特に遅筋線維に多く発現し、筋肉萎縮時に顕著に減少するタンパク質であるαB-crystallinと、その基質であるtubulin/微小管について注目し、骨格筋組織の機械的刺激に対する応答機構について明らかにすることを目的とした。

<結果>

様々な筋肉組織に含まれるαB-crystallinとtubulinの量をwestern blotting法で検出したところ、αB-crystallinとtubulinの発現量には相関があることが認められた。

ラット後肢懸垂モデルを用いた萎縮soleus muscle組織においては、αB-crystallinとtubulinの存在量の顕著な減少が認められた。さらに、Hsp27、p20、Hsp70、Hsp90についても同様に減少することが明らかとなった。一方、Hsc70は萎縮時にも存在量の変化が認められないことが明らかとなった。

半定量的RT-PCR法によりラットの後肢懸垂モデル実施時のαB-crystallinとβI-tubulinのmRNA量を測定した。αB-crystallinのmRNA量は2日目には有意に、その後も萎縮に伴い減少した。HSからの回復1日目には対象群の1.8倍であった。一方、βI-tubulinのmRNA量はHSによる筋萎縮時でもほぼ一定に保たれ、対象群との有意な差は認められなかった。筋萎縮時には一定に保たれたβI-tubulinのmRNA量だが、HSからの回復1日目には対象群の2.1倍に増加した。萎縮時のsoleus muscleでは、tubulinタンパク質は萎縮に伴い減少するが、tubulinのmRNAは変化しないことが明らかとなった。

分子シャペロンであるαB-crystallinとtubulinの多くはsoleus muscle抽出物の細胞質画分に得られる。soleus muscle抽出物を用いて、免疫沈降法、taxolを用いたMT sedimentation assay法、blue native-PAGE法により、αB-crystallinとtubulin/微小管とのタンパク質相互作用を明らかとした。

細胞内でのαB-crystallinの役割をより明らかにするために、mouse筋芽細胞由来のC2C12細胞を用いた実験を行った。αB-crystallin cDNAのsense鎖、antisense鎖を導入してαB-crystallinの発現を減少させたC2C12AS細胞を用いて、実験を行った。αB-crystallin発現量の低い細胞は全く筋管形成を起こさなかった。また、免疫組織化学的手法により、各細胞内の微小管を染色したところ、αB-crystallinの発現量に対応したMT networkの蛍光染色像が得られた。

in vitro組織培養時に摘出した筋肉組織に張力を与える条件(stretch, ST)と与えない条件(non-stretch, non-ST)で培養を行う事で、in vitroで筋肉組織に対する機械的刺激の影響について判定を行う実験系を考案し、in vitro stretch組織培養モデルと名づけた。in vitro stretch組織培養モデルでは、non-ST条件では培養開始4時間後には多くのタンパク質がSDS-PAGE像で減少することが明らかとなった。

in vitro stretch組織培養モデルでの培養後の骨格筋抽出液中では、20Sプロテアソーム系のペプチダーゼ活性が亢進している可能性が示された。

<考察>

本研究においては、soleus muscle抽出液において、tubulinと分子シャペロンであるαB-crystallinが相互作用することを免疫沈降法、MT sedimentation assay法、blue native-PAGE法の3種類の生化学的方法により示した。免疫沈降法とMT sedimentation assay法によりtubulin/微小管とαB-crystallin が共沈したが、Hsp70とHsp90は共沈が確認されなかったため、tubulin/微小管に対するsHspの機能と、良く知られたHsp(Hsp90, Hsp70)の機能は異なる可能性がある。αB-crystallinはtubulin/微小管に対して、通常の分子シャペロンとしての働きとは違う、特別な役割を有しているのかもしれない。また、抗tubulin抗体に対する免疫沈降法からはtubulinとαB-crystallinが相互作用することが示され、MT sedimentationassay法からはtubulinの重合体である微小管とαB-crystallinが相互作用することが示された。αB-crystallinは脱重合した形態のtubulinとも重合した形態の微小管とも相互作用し、細胞骨格のtubulin/微小管と深い関係を持っていると考えられる。

tubulin/MTは極性を動的に生成する性質を有し、培養骨格筋細胞の分化時の細長い筋管形成に必須である。しかし、分化後の培養骨格筋細胞におけるtubulin/微小管の役割の詳細ははっきりしていない。αB-crystallinは筋萎縮時に顕著に減少することが知られていたが、本研究において、筋萎縮時にはtubulinも同様に減少することを明らかにした。さらに、培養細胞系を用いた実験で、αB-crystallinの発現を抑えた細胞では筋管形成が困難であり、MTの量が少ないことを示した。αB-crystallinとtubulin/微小管は筋細胞内で相互作用しつつ、筋細胞の正常なはたらきや筋管形成に必要であることが示唆された。

また、受動的ストレッチによる機械的刺激が後肢懸垂モデルでのsoleus muscleの萎縮を抑制し、in vitro stretch組織培養モデルでの伸張刺激非存在条件ではタンパク質が速やかに減少することから、機械的刺激が骨格筋の生理的状態維持に重要な働きをしていると考えられる。in vitro stretch組織培養モデルでの培養後には20Sプロテアソーム系のペプチダーゼ活性が高まっていたことから、機械的刺激とタンパク質分解系が関連している可能性が示された。

筋細胞は張力発揮・維持・伝達と筋収縮の制御ための多くの特別なタンパク質を発現していると考えられるが、動的に極性をもった突出力や前進力を生み出すように制御されているtubulin/微小管やアクチンといった細胞骨格系は、細胞内の構造の再構成を含んだ筋細胞の適応において必須な役割を担っていると考えられる。分子シャペロンであるαB-crystallinを含むsHSPは、それらの細胞骨格に相互作用し、動的な安定的持続に寄与することで、特に大きな張力などの力がかかり続ける組織や器官内の細胞内で重要なはたらきをしていると考えられる。骨格筋への機械的刺激が減少すると、αB-crystallinが減少することにより、細胞骨格系の動的維持安定化能力が低下すると考えられる。また、もともとαB-crystallinの発現が高い細胞では動的状態にあり常に変性タンパク質が生成され続けていると考えられ、変性タンパク質の分解が亢進していると考えられる。本研究では張力がかからない状態では筋タンパク質の見た目の合成量は減少し、タンパク質分解は亢進することが明らかになった。tubulinのタンパク質の分解制御がプロテアソーム系で制御されているかどうかは明らかにすることはできなかったが、形態や張力維持システムを形成しているtubulin/微小管が自動制御的に機能の減退を反映させる制御系を構築して、筋の可塑的制御系と関連していることは興味深い。

本研究では、世界ではじめて機械的刺激や運動が、骨格筋細胞の基幹システムであるタンパク質合成や分解活性化維持に関わっていること、さらにはその張力維持に必須な分子シャペロンのより素早い変化が、ダイナミックな変化の前兆となって適応的に働いていることを示すことができた。

審査要旨 要旨を表示する

この論文は、可塑性が高く、機械的刺激依存的に適応変化している骨格筋研究においては盲点となっているともいえる形態構築・張力伝達に必須な細胞骨格と、適応の鍵分子である"タンパク質の一生"を世話する分子シャペロン(ストレスタンパク質)の二大タンパク質基幹システムに焦点をあて、現代の細胞生物学から張力を発揮する機能をもち個体の移動(運動)を担い続ける骨格筋の"ダイナミックに適応変化する細胞"としての基本的特性を明らかにしたものである。"使用性肥大廃用性萎縮"の機能と構造が見事に一致した骨格筋の時々刻々と変化適応するメカニズムの細胞生物学的基盤に取り組んだともいえる。骨格筋といえば、収縮して張力を発揮し動物の移動に欠くことができない器官である。しかしミオシンとアクチンだけでは両者の間にスライディングは起こるが、実はそれだけでは一定方向に力を取り出すことができない。これまでの骨格筋の研究では、張力の測定には必ず張力を取り出す測定者の手と張力発揮の支点が必須であるが、それを積極的に考慮した研究は見いだされない。両者とも実験システムの中に組み入れているもののそれらを評価することはなく、顕在化させていず、ミオシン-アクチンの相互作用のブラウン運動的側面のみが評価されたまま骨格筋特有の特異的な高度な構造化に対する研究が顕著に遅れたままになっている。人間の活動を生み出している高度に適応可能な身体が無視されたまま脳機能だけが一人歩きしているのと類似した感がある。そもそも骨格筋の主要な機能=張力発揮は、筋原線維を束ね配向化しかつ力学的支点に連結しなければ顕れない。それらはすべて細胞骨格とそれと連携する接着斑をつくるタンパク質システムが生み出したものである。

いまや細胞骨格系は細胞システムの基幹システムとしてあるだけではなく、遺伝子発現にいたるシグナル分子カスケードも細胞骨格依存的に機能していることが分かりつつある。"Stretching is good for a cell"と題した論文において"The shape is the thing".「形そのものが意味がある」(Science,1997)とレビューしたのは細胞外マトリクス研究の第一人者Ruoslahtiである。 細胞は二次元・三次元構造により細胞システムを稼働させて生きている。基盤からの解離は細胞死を起こす。上述した力発揮の支点及び張力の伝達構造なくしては、つまり領域依存的にオーガナイズされている細胞という社会が大混乱に陥るわけである。機械的刺激や運動の有無は、細胞の基幹構造それ自体の生存基盤そのものに対する深刻な影響を与える問題であるともいえる。

細胞骨格の研究も分子シャペロンの研究も骨格筋の研究に比べると新しい。分子シャペロンはタンパク質の一生をお世話するタンパク質である。したがって分子シャペロンの発現の高い組織や細胞は、タンパク質のターンオーバーが早いと考えられる。これまでの骨格筋に関する適応の研究は、遅筋が活動の性質依存性に高い適応能をもつことが示されているが、その分子機序は不明であった。高い適応能とは、細胞や組織が安定化していることではなく、ダイナミックに活動している状態を維持し続けられるということであることが明らかになりつつある。つまり分子シャペロンがタンパク質のターンオーバーのケアをし続けることが、細胞が活性化していることであるともいえる。HSP70やHSP90、本論文で研究対象としているαB-crystallinを含む低分子量ストレスタンパク質(sHSPs)の仲間も骨格筋のうちでは抗重力筋(遅筋)で多く発現している。HSP70等は他の組織の細胞とどうように新生タンパク質のフォールディングに関与しているのかもしれない。しかしsHSPsは骨格筋、とくに遅筋では全てのアイソフォームが発現しているが、その意味はいまだに分かっていない。

本博士論文の科学的意義は以下の4点である。1)細胞の基幹構造細胞骨格の一つであるtubulin/microtubulesシステムが筋の活動状態によりタンパク質レベルで減少することを世界で初めて示した。2)そのtubulin/microtubulesの分子シャペロンであると考えられるαB-crystallinとの骨格筋内相互作用の可能性を示した。3)骨格筋の有効なin vitro解析モデルを提示した。4)3)のモデルを用いて筋の萎縮時にプロテアソーム活性が上昇する示唆的なデータを示した。順に注目すべき点をあげる。

1)はきわめて重要なデータである。この論文で用いている後肢懸垂法は重力解除で、後肢懸垂時との比較値(対照群)は地球上で動いて活動している基底状態の代謝活動を反映している。適応の研究として行われているモデルは対照をどこにとるかがつねに問題となるが、その意味では重力場で進化してきた動物の移動に対してより本質的な現象をみているといえる。Tubulinはタンパク質量では変化が見られたが遺伝子発現レベルでは調節されていないことが示された。これは生物が「現場での活動」ベースでシステム制御を行っていることの実例であり、今後生体現象を解析する上でのきわめて重要な視点を提供しており、それが評価されてFASEB Jに掲載された。アクチンや中間径フィラメントに関しても今後調べると、3つの細胞骨格のタンパク質及びmRNAレベルでの制御システムの差異を示すことができるだろう。

2)に関しては、免疫沈降も含めて生化学的方法で細胞骨格チューブリンとsHSPs及びアクチンとの相互作用がある可能性を示した。これについてはまだ今後条件を検討すると詳細な分子シャペロン機構が明らかになる可能性がある。しかしtubulinタンパク質は骨格筋では全タンパク質量に比べて少なくまた抗体の感度が低く、心筋で微小管とフリーフォームを分けてダイナミクスを解析していたが努力したものの骨格筋ではできなかったのは残念であった。

3)に関しては、心筋細胞や血管内皮細胞での培養細胞を用いた機械的刺激の研究が進む中で骨格筋は分化後融合し長い筋管を形成することで大きな張力を発揮し(自発興奮し)基盤から解離して生存させておくことができない。それが災いして培養細胞を用いた成熟筋管での機械的刺激に対する研究が遅れている。本研究で用いたIn vitroでの組織培養は、個体での循環系や内分泌系などの筋細胞以外の要因をのぞいた研究モデルとして今後さらに方法を緻密化することで研究モデルとして有効利用できる可能性を示した。

4)最後にこのin vitroモデルを用いた短縮筋で20Sプロテアソーム酵素活性が上昇したことの意味や背景はまだ今後検討してゆく必要があるが、心筋での活性と同様の傾向を示したことから、その生理学的意味付けを今後追求する価値を示した。今後の発展的研究が期待される

以上のように本研究は細胞の基幹システムである細胞骨格とダイナミクスの指標となる分子シャペロン・αB-crystallinをマーカーにして機械刺激対応につくられている骨格筋の適応の基盤にとって重要な現象を明らかにし、今後の有効な研究モデルを提示した。したがって、本審査委員会は博士(学術)の学位を授与するにふさわしいものと認定する。

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