学位論文要旨



No 120885
著者(漢字) 星加,良司
著者(英字)
著者(カナ) ホシカ,リョウジ
標題(和) ディスアビリティの社会学 : 解消可能性に開かれたディスアビリティ理論の構築に向けて
標題(洋)
報告番号 120885
報告番号 甲20885
学位授与日 2006.03.09
学位種別 課程博士
学位種類 博士(社会学)
学位記番号 博人第525号
研究科 人文社会系研究科
専攻 社会文化研究専攻
論文審査委員 主査: 東京大学 教授 似田貝,香門
 東京大学 教授 上野,千鶴子
 東京大学 教授 武川,正吾
 東京大学 助教授 市野川,容孝
 立命館大学 教授 立岩,真也
内容要旨 要旨を表示する

障害者の問題を考えるに当たって、社会的活動において経験される「不利益」に関わるディスアビリティ現象をいかに理解するのか、という点は重要なテーマである。特に「ディスアビリティの社会モデル」の提起以降、このテーマへの社会学的アプローチの必要性は広く認識されるようになってきたのだが、一方でその理論化の水準は十分なものであるとはいえず、障害者の置かれている問題状況の改善に向けた実効的な理論を提示し得ているとは言い難い。そこで本稿の目的は、ディスアビリティを解消可能なものとして概念化する理論構築が必要であるという立場から、ディスアビリティの概念化において、他の「問題」との弁別の基準を持ち、内部の質的な多様性を適切に表現することができ、論理的な水準で解消可能性に開かれ、その解消要求が素朴な社会規範との関連で妥当性を持ち得るような、ディスアビリティ理論を探求することである。

従来のディスアビリティ理論には、(1)「不利益」の特定や原因帰属に当たって、個人と社会とを峻別し、その二分法に基づいた認識論・実践論を組み立てる、ディスアビリティについての二元論的理解、(2)人の「生」においてそれらが占める位置とは無関係に、個々の社会的場面にピンポイントで照準して「不利益」を特定する、ディスアビリティについての非文脈的理解、(3)個人的な経験や主体間のミクロな相互行為の位相を捨象し、明示化ないし固定化されたルールによってもたらされる「不利益」のみを考察の対象とする、制度的位相に限定されたディスアビリティ理解、という前提がある。

本稿ではこうした諸前提の組み換えが行われる。(1)については、ディスアビリティを構成する「不利益」は、「社会的価値」と「個体的条件」との関連に基定され、「利用可能な社会資源」や「個人的努力」によって変容させられるような、複数の主体間の相対的な位置をも含む特定の関係性についての評価であると把握する。「不利益」は複数の要素間の関係性として現れるある種の状態に対する評価として捉えられるのであり、個人に照準して観察される「本来の能力」からの偏差として特定することはできないのだ。またその観点からは、「不利益」の原因を一義的に個人の外部としての社会に帰属させることはできない。それは「社会society」の問題ではなく「社会的social」関係の問題なのだ。

この「不利益」の読み替えの意義は2点にまとめられる。1つは、ディスアビリティについての個体決定論と外部環境決定論をともに排したことによって、従来の「社会モデル」理解においては忌避される傾向があった「個人的努力」という要素を、「不利益」についての理解に組み込む点である。これによって、「個人的努力」を抑圧し、無効化する「社会的価値」や「利用可能な社会資源」の機能によって、「不利益」が生成されていく局面に焦点を当てることが可能になる。また、この点への着目は非制度的位相におけるディスアビリティの生成や解消の局面に光を当てることを要請するものでもある。もう1つは、「不利益」を本来あるべき状態からのマイナス方向への偏差として把握するのではなく、ある状態についての社会的に開かれた相対的評価として記述しようとしている点である。「不利益」を本来あるはずの可能的状態からの偏差として記述する限り、あらゆる状態を「不利益」として同定しようとする「不利益をめぐる政治」の中で、障害者の経験する「不利益」を有効に差別化する論理は見出し得ず、「不利益」の解消は常に「不利益の更新」を付随させることになる。このことを踏まえ、諸要素間の関係性として生じる状態に対するある種の評価として「不利益」を捉える視角が提示されたことで、障害者の経験する「不利益」を解消可能なものとして同定するための議論の前提が準備されたのである。

ただし、この場合、どのような「不利益」をどのように解消すべきなのか、という規範的課題に関して、理論的困難を抱えることになる。そこで(2)について、「不利益」の個別ケースを切り取って不当性を確認しようとするアプローチが障害者の経験する「不利益」を十分に解消するための理論的枠組みたり得ていないこと、またそのようなアプローチには個別の正当性判断の結果として生じる生活状態全体への対応という契機が相対的に弱いという難点があることを指摘した上で、ディスアビリティを把握するためには、ある個人の「生」全般にわたる「不利益」の経験のされ方に着目することが必要であると主張する。この立場から、特定の関係性への評価として現れる「不利益」が特殊な形で個人に集中的に経験される現象、としてディスアビリティを捉える視点が提示される。「不利益の集中」は、日常生活の多くの場面で、また人生の多くの期間を通じて、「社会的に価値のある活動」が「できない」という経験であり、その状況の改善、すなわち「不利益」が集中するのを回避することには、社会的に了解可能な妥当性があると思われる。

「不利益の集中」には2つのパターンがある。まず、個々の社会的状況における諸々の「社会的価値」と「個体的条件」との関連に基定されて生じる「不利益」が重なる状態が、「不利益」の「複合化」である。「不利益」は「社会的価値」との関連で生じるから、「不利益」が複合化するという事態は、多くの場面で「できない」状態にあるということのみならず、特定の個人に不利な「社会的価値」のリストが社会に存在していることの現われでもある。ある特定の「社会的価値」に関して不利な「個体的条件」を抱えている人はあらゆるところに見出すことができるのだが、そうした個別の「社会的価値」が集積された「社会的価値」のリストとの関連では、「障害者」は他の人々とは異質な状況に置かれているのである。これは、「障害者」というカテゴリーが、生産能力を要求する「社会的価値」との関連で創出されたものであり、またその生産能力を要求する「社会的価値」が社会の編成の基底に置かれていることと関連している。また、いったん特定の社会的活動において「できない」状態になると、そこから自動的に他の社会的活動に関しても「不利益」が生じてくることもある。そして、こうした「不利益」の増幅は、より「軽度」な「不利益」がより「重度」な「不利益」へと変換されていく過程でもある。諸々の「社会的価値」は、その重要度や手段−目的関係において階層化されており、さらにそうした階層間には明示的・非明示的な結びつきが存在するから、「社会的価値」との関連で生じる「不利益」もその階層構造に対応して増幅されていくのだ。これが「不利益」の「複層化」である。

このように、障害者の経験する「不利益」は「複合化」し「複層化」することによって集中していく。確かにこれらは、障害者に対して固有に生起する現象ではない。しかし、生産能力を要求する「社会的価値」を基底に諸価値のリストが編成されていること、また主に機能的な観点から諸価値が階層的に連結されていることを踏まえれば、障害者に対して「不利益」が集中する傾向が強いとはいえる。また、インペアメントとの関連で、非制度的位相において「不利益」が増幅する過程も存在し、その意味でも「不利益の集中」はディスアビリティ現象に特徴的なものとなる。そして、この点への着目を通じて、障害者の経験する個々の「不利益」に関する妥当性判断とは独立に、「不利益の集中」の回避という主張の妥当性の観点から個々の「不利益」への対処が要請されることにもなるのだ。

(3)に関しては、社会的活動そのものは制度的な位相においてなされる場合でも、それに参与する個人にとっては自己の内的過程やミクロな相互行為過程が重要な意味を持つことがあり、とりわけ障害者のインペアメントの経験はディスアビリティの経験と不可分に結びついているという観点から、非制度的位相への着目の必要性を主張する。「社会的に価値のある活動」に関して「不利益」が生じたとき、それに対して「重要な他者」や自己自身によって否定的な価値付けがなされ、それが当該の活動を超えた領域にまで拡張され「全体的ラベル」やスティグマとして機能することによって、障害者は「社会的価値」のある活動に参加することを諦め、そのために必要とされる「能力」を発展させるための「個人的努力」の投入を止め、そうした意欲を抑圧する、というように、積極的な社会参加から遠ざかる生き方を選択する傾向がある。また、相互行為場面において障害者に対して向けられる眼差しや言葉によるサンクションは、障害者の自己イメージを損傷するものであり、そうした否定的な眼差しへの「合理的な」対処として当該の相互行為場面からの撤退が選択されることがある。このようにして、ある種の「不利益」は非制度的位相を経由して増幅し、制度的位相における「不利益」の経験へと連動する。

しかし、非制度的位相はディスアビリティの生成のみに関与するのではない。そこには、内的過程における「自己信頼」の獲得や社会的場面におけるインペアメントの脱スティグマ化、そしてそれらを支える他者との関係性や相互行為によって、ディスアビリティの増幅を反転させ、その解消へと向かう経路がある。こうした「自己信頼」や「障害の肯定」といった態度は、支配的な「社会的価値」を相対化したところに成立する。それは、マクロな社会構造の規定性に対して脆く、崩れやすいものでもあるが、局所的に「社会的価値」が再編成され、そのことによって「不利益」の経験の一部が解消・緩和される可能性があることは、実践において確認されるのである。

審査要旨 要旨を表示する

本論文は、星加氏が、ディスアビリティを解消可能なものとして概念化する理論構築が必要であるという立場から、論理的な水準で解消可能性に開かれ(「解消可能性要求」)、他の「問題」との弁別の基準を持ち(「同定可能性要求」)、解消要求が素朴な社会規範との関連で妥当性を持ち(「妥当性要求」)、内部の質的な多様性を適切に表現し得る(「多様性要求」)ディスアビリティ理論の探求、を究明したものである。

第1章は、1970年代から活発化したディスアビリティ理論の展開を、「個人モデル」から「社会モデル」へのディスアビリティ理解のパラダイムシフトがもつ認識論的な意義に着目して整理し、どのような前提が共有されるようになったのかを明らかにした。その上でそうした前提を共有する現状のディスアビリティ理論では十分に掬い上げられない問題について、高齢者施策と障害者施策との「統合問題」、労働における差別禁止の実態的効果、「自己決定」の理念が有する両義性や限界、といった論点を取り上げながら現実に即して指摘したことによって、現状のディスアビリティ理論の限界を鋭く指摘する。

第2章は、従来の「社会モデル」の理論構成では、障害者の経験する「不利益」を特有なものとして同定することができず、結果としてその解消の主張の論理的妥当性が減殺されている点を指摘し、ディスアビリティ理解の焦点である「不利益」についての新たな概念化を提示する。それは、特定の基準点に照らして主観的・社会的に否定的な評価が与えられるような、特定の社会的状態として、「不利益」を捉えるものである。このように社会的状態の評価をめぐる規範的な論点を理論内部に組み込むことによって、「不利益の更新」という現象を生じさせる原理的構造の存在を明確に浮かび上がらせようと試みる。

第3章は、常に更新されてくる「不利益」をめぐって展開されるポリティクスにおいて、特定の「不利益」を特に解消されるべきものとして提示するための規範はいかに主張され得るのか、またそうした闘争はいかにして調停され得るのか、という問題にアプローチする。まずディスアビリティを「差別」の問題として位置付けようとする一般的な議論の限界を指摘し、このテーマについての最も展開してきた立岩真也氏の一連の論考について検討、その意義と限界について明らかにする。そしてそこで得られた知見と着想を引き継いだ上で、その限界点を突破する可能性を持つ新たな視角として、「不利益」が特殊な形(「複合化」および「複層化」)で個人に集中的に経験される現象としてディスアビリティを把握することを提案する。

第4章では、前章までの検討を通じて得られた知見を、(1)「不利益」の「記述的」な特定という幻想、(2)「不利益」の原因論をめぐる二元論的な理解、(3)「不利益」の非文脈的な特定という前提、に関する相対化および乗り越えという観点から改めて整理し、その上で、(4)従来のディスアビリティ理論が制度的位相に限定された理論的枠組みであった、とを結論づけ、それに対し、そこで捨象されてきたディスアビリティの非制度的位相への着目の重要性を主張し、非制度的位相における「不利益」の生成・増幅・再編のプロセスとメカニズムについて論じることにより本論文のディスアビリティ理論の全体像を示した。同時に、ここで示されたディスアビリティ理論と、現在世界的に最も広範に影響力を有している「障害」についての認識枠組みであるICF(国際生活機能分類)との、理論的異同について確認した。

第5章は、ディスアビリティ解消を志向する既存の思想や運動について、その論理を本論文の議論の文脈に関わらせ、この論文の提示するディスアビリティ理論の現実的妥当性を検討した。その結果、この理論が制度的位相のとは異なる視点を与えられるとともに、ミクロな関係性や相互行為場面、文化運動の中にもディスアビリティ解消の論理が確認され、その中に多様で局所的で現実的なディスアビリティ解消の可能性を読みとることを可能としている。

このように本論文は、従来のディスアビリティ理論の前提を組み換えることによって、ディスアビリティを解消可能なものとして概念化する理論構築を、「解消可能性要求」、「同定可能性要求」、「妥当性要求」、「多様性要求」の観点から論じ、この領域に新たな道を拓こうとする野心的な論文である。難点を指摘すれば、ディスアビリティの解消・妥当性の議論はこれで充分かどうか、関係性の中で不利益を考えるそこから帰責性を論ずる、という方法もあるのでないか等、の指摘もあった。

しかし従来の「社会モデル」を批判的に検討し、不利益がせめぎ合う場として非制度的位相での相互行為からのディスアビリティ解消の多様な可能性の理論化は、この領域に新領域を開拓したものであり、その努力と貢献は大きい。

したがってこの研究は学界に大きく貢献するものく評価されよう。よって本審査委員会は、本論文が博士(社会学)の学位に相当すると判断する。

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