学位論文要旨



No 120888
著者(漢字) 長尾,研二
著者(英字)
著者(カナ) ナガオ,ケンジ
標題(和) リン(V)ポルフィリンアレイの分子内電荷移動励起状態に関する研究
標題(洋) Studies on Intramolecular Charge Transfer Excited State of Phosphorus(V)porphyrin Arrays
報告番号 120888
報告番号 甲20888
学位授与日 2006.03.09
学位種別 課程博士
学位種類 博士(学術)
学位記番号 博総合第621号
研究科 総合文化研究科
専攻 広域科学専攻
論文審査委員 主査: 東京大学 助教授 瀬川,浩司
 東京大学 教授 松尾,基之
 東京大学 助教授 増田,建
 東京大学 教授 小島,憲道
 東京大学 助教授 村田,滋
内容要旨 要旨を表示する

光合成を行う生物がもつ光合成反応中心(RC)内には、スペシャルペア(SP)と呼ばれるクロロフィル二量体が存在する。光合成の光化学初期過程では、RC内にあるSPの励起一重項状態(S1)から電子移動反応がスタートする。RC内で起こる主要な電子移動の量子収率はいずれもほぼ1で、光合成反応中心がいかに効率よく光エネルギーを化学エネルギーに変換しているかがわかる。これまでは、このような高効率の電子移動の原因として、隣接する分子の軌道を通した超交換相互作用や、蛋白の静電的な効果などが考えられてきた。ところが、最近、SPに隣接するアミノ酸残基を交換することにより、この電子移動速度が変化することが報告された。このことは、SPの物性が、電子移動において重要な役割を果たしていることを示すものであるが、本研究ではSPの電荷移動(CT)励起状態に着目した。本研究では、クロロフィルのモデル分子として使われるポルフィリンを用いてSPのモデルを構築し、その物性を検討した。具体的には、P(V)ポルフィリンを用いたポルフィリンアレイのなかでも、SPのようにπ電子系が空間的に直接相互作用できるCenter-to-Edge型P(V)ポルフィリンダイマー(Fig.1)を合成し、これらのダイマーのS1の失活過程について検討した。

ジクロロP(V)ポルフィリンの二つのクロライド配位子が、容易にアルコキシ、または、フェノキシ配位子に変換できることを利用しFig.1に示すポルフィリン多量体を構築した。ここでは、ジクロロP(V)ポルフィリンとモノヒドロキシフェニルポルフィリンをカップリングさせ、その二量体にリンを挿入する方法を用いた。また、比較的ドナー性であるテトラキスメトキシフェニルポルフィリン(Pm)と比較的アクセプター性となるテトラフィニルポルフィリン(P)を組み合わせることでCT性を高めている。これらのダイマーの合成にあたり次の(1)〜(3)の条件を考えた。

一つのポルフィリンの軸配位子を変えることにより、アクセプター性を変化させ(Meta-Pm-PCl2、Meta-Pm-P(OPh)2)、ダイマー内の部分的な電子の偏りの大きさを制御する。

PとPmの位置を交換した系(Meta-Pm-P(OPh)2、Meta-P-Pm(OPh)2)で、どちらがよりCT性の寄与が大きいか調べる。

ブリッジを変化させ、ポルフィリンの配向が異なるダイマー(Meta-Pm-PCl2とPara-Pm-PCl2、あるいは、Ortho-P-Pm(OPh)2とMeta-P-Pm(OPh)2)の違いを調べる。

以上のモデル分子系におけるポルフィリン環の配向は、1H-NMRの環電流効果に基づき見積もった。その結果から、para体ダイマーでは直交、meta、ortho体は平行に近い配向であることを確認した。特に、ortho体は、軸配位ポルフィリンにクロライド配位子を持つものではポルフィリン環同士がスタックしており、フェノキシ配位子を持つもの(Ortho-P-Pm(OPh)2)では、軸配位ポルフィリンが反転できないことがわかった。このことから、ortho体は、meta体に比べさらにポルフィリン間が接近していると結論できる。定常光の蛍光スペクトルから、すべてのダイマーは励起されると、PmユニットのS1から発光することがわかった。ただし、Para-Pm-PCl2、Meta-Pm-PCl2、Meta-P-Pm(OPh)2、Ortho-P-Pm(OPh)2は溶媒極性に依存した波長シフトを示す。なかでもOrtho-P-Pm(OPh)2は、他のダイマーに比べ長波長にシフトしたブロードな蛍光を示し、溶媒極性を上げるとさらに顕著になることから、Ortho-P-Pm(OPh)2は他のダイマーよりもCT性が強いことがわかった。蛍光寿命測定の結果から、ダイマーの蛍光寿命は溶媒極性に依存しており、1Pm*-PはダイマーのCT励起状態((Pm-P)CT)へ遷移していることが明らかとなった。また、蛍光の減衰が二成分の指数関数になり、1Pm*-Pと(Pm-P)CTの間での平衡があることがわかった。ここで、励起状態からの失活過程の各速度定数はそれぞれTable 1にまとめた。

モデル分子からSPの励起状態に対するCT励起状態の寄与を考察した結果、(1)について、クロライド配位子をもつMeta-Pm-PCl2はフェノキシ配位子をもつMeta-Pm-P(OPh)2に比べ1Pm*-Pに対する(Pm-P)CTの寄与が大きかった。このことは、SPの部分的な電子的な偏りが大きいほど励起状態のCT励起状態の寄与が大きくなることを示している。(2)について、edgeユニットにPmをもつMeta-P-Pm(OPh)2は、edgeユニットにPユニットをもつMeta-Pm-P(OPh)2に比べ1Pm*-Pに対する(Pm-P)CTの寄与が大きかった。(3)について、Meta-Pm-PCl2>Para-Pm-PCl2、Ortho-P-Pm(OPh)2>Meta-P-Pm(OPh)2で1Pm*-Pに対する(Pm-P)CTの寄与が大きく、ポルフィリン間の距離が最も近いortho体は最も大きなCT性を示した。これは、クロモファーのオーバーラップが大きいほど励起状態に対するCT励起状態の寄与が大きくなることを示している。以上、すべてのダイマーにおいて溶媒の極性(誘電率)が上がると1Pm*-Pに対する(Pm-P)CTの寄与が大きくなった。このことは、蛋白の巨視的な誘電率を上げるとスペシャルペアの励起状態のCT励起状態の寄与が大きくなること示している。

また、光誘起電子移動においても、これらのダイマーは興味ある結果を示している。初めにk1の大きさは、Ortho-P-Pm(OPh)2>Meta-P-Pm(OPh)2>Meta-Pm-P(OPh)2であり1Pm*-PのCT性が強いほど加速されていた。また、k4は、Para-, Meta-Pm-PCl2とOrtho-P-Pm(OPh)2では溶媒極性依存性がないが、Meta-P-Pm(OPh)2では溶媒極性に依存していた。これは、Meta-P-Pm(OPh)2では、外圏的電子移動を行っているが、1Pm*-P のCT性が強いPara-, Meta-Pm-PCl2とOrtho-P-Pm(OPh)2では、上記と同様に(Pm-P)CTは、完全なイオンペアであるときに比べ1Pm*-Pの状態に近づいており(Fig. 2)、その結果、電荷再結合は、外圏的な電子移動と振動準位を経由し失活する無輻射失活の両方の特性を持っていると考えられる。さらに、Ortho-P-Pm(OPh)2については、ポルフィリンがスタックしているため溶媒よりむしろ分子内で(Pm-P)CTの安定化を受けている可能性がある。つまり、分子内再配向のエネルギー(λi)は、他のダイマーよりも大きいと考えられる。以上、本研究では、数多くの報告されているS1とCT励起状態とが完全に独立した状態からの電子移動に対し、S1とCT励起状態とが互いにミキシングした系での電子移動について明らかにすることができた。このことは、生体内あるいは生体外での光誘起電子移動における重要な知見であると考えられる。

Fig. 1. P(V)ポルフィリンアレイの構造

Table 1. ダイマーの失活の速度定数(s-1 X 109)

Fig. 2. 各状態のポテンシャル曲線(実線:各状態が独立に存在している系、点線:各状態が部分的にミキシングしている系)と失活過程(矢印)

審査要旨 要旨を表示する

クロロフィルの基本骨格であるポルフィリンを合成化学的に繋いだ分子複合体は、ポルフィリンアレイと呼ばれ、光合成初期過程における光誘起電子移動を研究するための人工的なモデル分子系として注目されている。ポルフィリンアレイは、1つの分子内に複数の大環状π電子系をもち、これらの複雑な相互作用が光励起状態や光誘起電子移動に何らかの影響を及ぼすであろうことは予想されていたが、その具体的機構の理解や定量的な評価はこれまでなされていなかった。本論文は、非金属であるリンを中心に結合したポルフィリンを使いπ-π相互作用の強さを変化できる新規なポルフィリンアレイを合成し、光励起状態から分子内電荷移動励起状態への遷移を光誘起電子移動の観点から構造化学的に研究した結果をまとめたものである。

序論では、生物が持つ光合成反応中心複合体の光エネルギー変換の機構と、電子移動の従来の理論が述べられている。ここでは、従来の電子移動理論のみでは、光合成反応中心複合体のスペシャルペアからの方向性を持った電子移動がうまく説明できない点が指摘されている。この問題点について、ポルフィリンアレイとしてのスペシャルペアの電荷移動励起状態が重要な役割を担いうる可能性を指摘し、これを実証するための人工的な分子系の構築について具体的な提案がなされている。

第1章では、序論で述べた分子系の具体例として、分子系が非対称であり十分な電子的相互作用を及ぼしうるCenter-to-Edge型P(V)ポルフィリンへテロダイマーを合成し、その構造および励起一重項状態の緩和過程と溶媒依存性を検討している。特に架橋部位をフェノキシ基のパラ位とメタ位の異なる2つの配向でつなげたCenter-to-Edge型P(V)ポルフィリンヘテロダイマーを使い、励起一重項状態の失活過程が2成分になることを実験的に初めて明らかにし、これが電荷移動励起状態の寄与によるものであることを明快に示している。

第2章では、第1章において電荷移動励起状態の寄与が示されたメタ型ダイマーを修飾し、へテロダイマーの励起一重項状態の緩和過程について、軸配位子の影響と周辺置換基の効果を検討している。また、ポルフィリン間距離がメタ型より近くなるオルト型ダイマーについても検討している。なかでも、ポルフィリン間距離が非常に近接したオルト型ダイマーは、電荷移動励起状態の寄与が最も大きくなることを導き出した。この結論は、これまで報告されてきたポルフィリンダイマーの光励起状態にも一般化できるものであり、ポルフィリンダイマーの光励起状態がモノマー単位に局在しているものではなく、程度の差はあるものの電荷移動励起状態と弱く混合したダイマーの光励起状態であることを指摘している。この特殊な光励起状態は、電荷移動励起状態への遷移を加速させる。一方、電荷移動励起状態から基底状態への失活は、外圏的な電子移動と振動準位を経由した無輻射失活の両方の特性も持ち、これまで数多く報告されている独立した電荷分離状態からの電子移動とはかなり異なる挙動を示すことを明らかにしている。

第3章では、電荷移動励起状態ではなく完全に電荷分離した状態を同様のポルフィリン分子系で実現するため、軸配位メチレン鎖で電子供与体となるピレンを結合したP(V)ポルフィリン−ピレンダイアドを合成し、柔軟なアルキル鎖で繋がったダイアドにおける光励起状態からの電子移動が架橋部位の構造に依存することを示している。特にこの分子系では、異なる2つの配向からの光誘起電子移動が観測できることを見出している。

以上のように、本論文では、構造を制御して合成したCenter-to-Edge型P(V)ポルフィリンアレイが光合成反応中心複合体の光誘起電子移動と関連するスペシャルペアの励起状態を理解するにあたり優れたモデルであることを示すとともに、分子複合体における電荷移動励起状態の寄与を実験的に明快に示したものであり、光誘起電子移動の研究分野への寄与は少なくない。よって本論文は博士(学術)の学位を与えるのにふさわしい内容であると審査委員会は認め、合格と判定する。

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