学位論文要旨



No 120896
著者(漢字) 林,拓也
著者(英字)
著者(カナ) ハヤシ,タクヤ
標題(和) 戦後日本磁気記録機器産業の成長メカニズム : 企業の組織学習を通じた市場開拓と産業発展プロセス
標題(洋)
報告番号 120896
報告番号 甲20896
学位授与日 2006.03.09
学位種別 課程博士
学位種類 博士(経済学)
学位記番号 博経第202号
研究科 大学院経済学研究科
専攻 経済史専攻
論文審査委員 主査: 東京大学 教授 橘川,武郎
 東京大学 教授 武田,晴人
 東京大学 教授 岡崎,哲二
 東京大学 教授 小野塚,知二
 東京大学 助教授 新宅,純二郎
内容要旨 要旨を表示する

本稿の課題は、戦後日本の電子工業において高い国際競争力を獲得した磁気記録機器産業(テープレコーダー産業とVideo Tape Recorder産業)の発展プロセスとその発展要因を、企業間競争における各企業行動の歴史的な分析を行うことにより明らかにすることである。企業間競争における各企業行動の歴史分析を通じて戦後日本の磁気記録機器産業の発展プロセスと発展要因を明らかにする理由は、同産業の場合、企業活動というミクロ的な側面が経済発展というマクロ的側面に大きな影響を与えたと考えられるところにある。この点で、本研究は経営史研究の中に位置づけされる。企業間競争における各企業行動の比較分析を行う場合、その分析手法は、各企業行動のいかなる側面を重視するかにより様々な手法が考えられる。本稿では、産業発展初期の段階で製品用途に多様性が無く市場が小規模で、将来の産業発展に対する不確実性要素が大きかったという磁気記録機器(テープレコーダーとVTR)特有の製品特性に着目することにより、企業による製品の技術開発のプロセスに加え、企業による市場開拓のプロセスをも重視した分析を行った。

本稿では、以下の諸点が明らかとなる。

戦後日本の磁気記録機器産業は、1950年代当時録音(画)業務を急務とする状況にあった放送業界からの、国産化への要望を発端として形成された。しかし磁気記録機器特有の製品特性から、同産業が発展するためには、製品の技術開発の進展に加え市場の成長が不可欠であり、両者がともにバランス良く発展することが必要であった。同産業における先発企業であったソニーは、最終的に家庭用市場を戦略ターゲットとした製品技術の開発に加え、放送用市場以外の新市場である学校用市場の開拓を率先して行った。その後後発企業はソニーの行動に追随し、その結果同産業は本格的な発展を開始することが可能となった。

戦後日本の磁気記録機器産業において、テープレコーダー産業は学校用市場の形成後1960年代前半に家庭用市場を形成し本格的な産業発展を開始したが、同時にアメリカ市場への輸出も行われた。通説では、日本のテープレコーダー産業は発展早期(50年代末)から高い輸出比率をほこり、短期間のうちに国際競争力を備え、世界市場において独占的地位を確立したという主張が一般的であった。しかし、アメリカ市場へ向けた日本のテープレコーダー産業における輸出経路には、中小輸出専業メーカーによる低級品であるリム式製品の輸出経路と、大手メーカーによる高品質なキャプスタン式製品の輸出経路の、2つの輸出経路が存在した。通説は、両者の輸出経路を区別せず議論を展開した点に問題があった。前者は50年代末から高い輸出比率を誇ったが、後に高い国際競争力を獲得した後者の輸出は、 60年代中頃から拡大した。後者の輸出拡大がおくれた理由は、 「録(と)る」機能をコンセプトとして発展した国内市場と異なり、アメリカ市場は高度な製品機構を要する「聴く」機能をコンセプトとして成長した点にあった。しかし日本メーカーは、先発企業ソニーを中心として、60年代中頃にかけて、「聴く」コンセプトに対応し得る製品機構の高度化と家庭用市場の形成による量産体制の進展を国内市場において成功させたため、60年代中頃から登場したパッケージ式製品の開発によりアメリカ市場において欧米メーカーを駆逐し、世界市場での覇権を握ることが出来た。

一方1960年代におけるVTR産業は、学校用市場は形成されたものの家庭用市場までは市場が成長せず、同時期のテープレコーダー産業と比べて小規模な発展にとどまった。その理由は、両製品間に大きな技術格差が存在したためであった。この結果、60年代を通じてテープレコーダー産業は、VTR産業の先行産業として後者の発展に大きな影響を与えることとなった。なおアメリカでは、ほとんどの欧米メーカーが家庭用を意図したVTRの開発を早期に断念するか消極的であったため、産業として発展することがなかった。

VTR産業が1960年代において家庭用市場を形成出来なかったもう1つの理由は、教育界からの要請でこれまでの製品機構であったオープン・リール式製品の規格統一が図られ、学校用市場が本格的に拡大する条件が整えられた時期に、各メーカーが同製品のテープ・パッケージ化を一斉に試みた点にあった。オープン・リール式VTRの規格統一と製品のテープ・パッケージ化が同時期に行われたことは、テープレコーダー産業がVTR産業の先行産業として機能し、前者から後者へ製品技術上のイノベーション(テープのパッケージ化)が波及したことに要因があった。つまり、前者の発展が後者における技術と市場の関係性に影響を与え、両産業間における市場成長プロセスに差異をもたらした。その結果VTR産業では、オープン・リール式製品における家庭用市場が形成されなかった。

テープレコーダー産業における製品技術上のイノベーションは、その後の1970年代におけるパッケージ式VTR開発をめぐった、先発企業と後発企業の競争構造自体にもまた影響を与えた。それまでの企業間競争は、先発企業ソニーに対し後発企業が模倣・追随行動をとる同質的競争であったが、このイノベーションを経て後発企業松下と日本ビクターはソニーに対し差別化行動をとった。ソニーは、アメリカ市場でのテープレコーダー供給において再生機能の重要性を認識し、 「観る」コンセプトに基づいた製品戦略をとったのに対し、松下と日本ビクターは従来通りの「録(と)る」コンセプトに基づいた戦略をとった。しかし当時の消費者のニーズはVTRの長時間録画機能にあったため、ソニーのパッケージ式VTR開発は失敗し、同社は結局松下と日本ビクターの戦略に追随した。その結果、日本ビクターが開発したVHSが業界標準規格となり、同規格製品を中心に国内のVTR家庭用市場は急速に発展し、最終的にVHSは世界標準規格となった。

ソニーのパッケージ式VTR開発が失敗した要因は、同社がそれまでに先発企業として経験してきた多くの成功体験に対し過信があったからであり、同社が合理的であろうと判断した市場開拓行動が、製品の技術成長と市場成長とのバランスに対し配慮が欠けたものであったからであった。

審査要旨 要旨を表示する

本論文は、第2次世界大戦後の日本の電機・電子工業のなかで、とくに高い国際競争力を獲得した磁気記録機器産業の発展プロセスを解明し、それを可能にした要因を掘り下げることを課題としている。磁気記録機器産業とは、具体的には、テープレコーダー産業とVTR(Video Tape Recorder)産業のことであり、分析に当っては、企業間競争における各企業の経営行動に光を当てる、経営史的手法を採用している。

あらかじめ構成を示すと、以下の7章からなっている。

序章 課題

第1章 磁気記録機器産業の形成と放送用市場

第2章 テープレコーダー産業の発展とアメリカ市場への進出

第3章 テープレコーダー産業における国内市場とアメリカ市場

第4章 1960年代のVTR開発

第5章 磁気記録機器産業とテープ・パッケージ化

終章 総括

まず、本論文の構成に即して主要な論点とそれについての筆者の貢献を明らかにし、そのうえで、審査委員会の評価を記すことにしたい。

序章では、既存の研究史を批判的に検討したうえで、本論文全体を貫く分析視角を提示している。磁気記録機器産業は、第2次世界大戦後、世界的に本格的な展開をみせたが、その特徴の一つは、開発初期に不確実性が高く、大きな収益を見込める市場が存在しなかった点に求めることができる。そのため、日本メーカーは、製品開発技術の面では欧米メーカーをモデルとすることができたが、市場開拓面では欧米メーカーをモデルとすることができなかった。本論文の筆者はこのような事情を強調し、分析のポイントを、(1)企業が開発した製品技術の成長と企業の市場開拓による市場の成長との関係を解明すること、(2)国内市場と国内メーカーだけでなく外国市場と外国メーカーをも視野に入れて検討を進めること、の2点におくと宣言している。

第1章は、テープレコーダー産業の形成を論じた第1節、VTR産業の形成を論じた第2節、および両者の形成過程の関係を論じた第3節からなる。この章では、戦後の日本において、磁気記録機器産業が放送用市場を中心にして形成されたプロセスを振り返り、テープレコーダー産業、VTR産業のいずれもが、「製品用途に多様性が無く市場が小規模で、将来の産業発展に対する不確実性要素が大きいという製品特性を備えていた」、という結論を導いている。筆者は、このように論じることによって、(1)の分析ポイントの意味を再確認するとともに、テープレコーダー産業が先行産業として存在したからVTR産業の不確実性は大きくなかったという見方につながる伊丹敬之や西田稔の所説を、事実上批判しているのである。

第2章は、テープレコーダー産業を対象にして、国内市場の拡大を論じた第1節、中小輸出専業メーカーによる輸出の開始を論じた第2節、および大手メーカーによる輸出の開始を論じた第3節からなる。第1節では、分析ポイントの(1)に沿って、日本の各テープレコーダー・メーカーが、製品の低廉化と家庭用市場の開拓に並行して取り組み、量産量販体制の構築に成功したプロセスを描いている。また、第2節と第3節では、分析ポイントの(2)に沿って、中小輸出専業メーカーによるリム式製品の輸出、および大手メーカーによるキャプスタン式製品の輸出という二つの経路を通じ、日本のテープレコーダー・メーカーの対米輸出が始まったことを明らかにしている。この二つの輸出経路の峻別は、従来の研究史が等閑視してきたものであり、事実発見面での本論文の貢献とみなすことができる。

第3章は、テープレコーダー産業を対象にして、製品コンセプトと市場成長プロセスについて日米比較を行った第1節と、アメリカ市場における日本メーカーの展開と国際競争力獲得を論じた第2節からなる。テープレコーダーの製品コンセプトに関しては日米間で差異があり、日本市場では「録る」機能が重視されたのに対して、アメリカ市場では「聴く」機能に重きがおかれた。二つの輸出経路のうち中小輸出専業メーカーによるリム式製品の輸出は、アメリカ市場が求める「聴く」機能を発揮できなかったため、先細りとなった。一方、大手メーカーによるキャプスタン式製品の輸出は、テープをパッケージ化することによって「聴く」機能を高め、成長をとげた。その際、日本の大手テープレコーダー・メーカーは、製品低廉化と家庭用市場開拓の同時追求という、国内で身につけた成長メカニズムを、アメリカ市場にも適用した。アメリカのテープレコーダー・メーカーは、製品開発と市場開発を結合する成長メカニズムを有しておらず、日本メーカーの前に敗れ去った。こうして、日本のテープレコーダー・メーカーは、アメリカ市場を席巻し、国際競争力を獲得した。この章でポイント(1)の分析とポイント(2)の分析を結合して進めた筆者は、およそ以上のような議論を展開している。

第4章は、VTR産業を対象にして、ソニーによる学校用市場の開拓と後発メーカーによる追随を論じた第1節と、1960年代におけるアメリカ市場における企業間競争について論じた第2節からなる。この章でも筆者は、ポイント(1)の分析とポイント(2)の分析を合わせて行い、製品低廉化と家庭用市場開拓とを同時に追求した日本メーカーが、アメリカメーカーに対して競争優位を獲得したプロセスを描いている。その過程で日本のVTRメーカーは、ソニーが先頭に立ち他社が追随する形で、同質的競争を展開した。ただし、VTR産業の場合には、技術的困難が大きかったため、テープレコーダー産業の場合とは異なり、1960年代には、家庭用市場の開拓が十分な成果をあげなかった。その結果、テープレコーダー産業では家庭用製品が普及したのちテープのパッケージ化が進んだが、VTR産業ではテープのパッケージ化が家庭用製品の普及より先行することになった。

第5章は、ソニーによるパッケージ式VTRの開発を論じた第1節と、後発メーカーによる差別化行動とVTR産業の本格的発展について論じた第2節からなる。テープのパッケージ化が進行したのち、日本のVTR産業では、従来の同質的競争に代わって、差別化競争が展開されることになった。トップメーカーであったソニーは、テープレコーダー産業における成功体験をふまえ、「第2のフィリップス」をめざして、パッケージ式家庭用VTRの自社技術をオープン化する戦略を採用した。また、アメリカ市場への適用を重視し、VTRの「録る」機能よりも、「観る」機能を重視する方針をとった。これらのソニーの動きは、松下等の二番手メーカーに、パッケージ式家庭用VTRを開発するにあたって、「録る」機能(正確には「長時間録る」機能)に重点をおいた差別化戦略を展開する余地を与えた。結果的には、松下等の差別化戦略は功を奏し、ソニーの提唱したベータ規格は、松下等の提唱したVHS規格に敗れ去ることになった。やがて、ソニーも松下等に追随してVHS規格製品を販売するようになり、VTR業界における企業間競争は、再び同質的競争に立ち戻った。このように日本のVTR産業では、トップカンパニーの交代をともないながら、同質的競争→差別化競争→同質的競争という繰り返し型の競争パターンが観察されたが、このことは、インクリメンタルなイノベーションによる既存の市場の拡大と、ラディカルなイノベーションによる新たな市場の開拓とが継続的に生じることを可能にし、産業全体の成長をもたらした。第5章でも筆者は、ポイント(1)の分析とポイント(2)の分析を結合して行い、およそ以上のように論じている。

終章では、全体的な検討結果を要約したうえで、テープレコーダー産業の成長プロセスとVTR産業の成長プロセスとの関係について、検討を加えている。両者は、放送用市場→学校用市場→家庭用市場という順序で市場を開拓した点では、共通している。しかし、オープンリール式製品からパッケージ式製品への転換が生じたタイミングには違いがあり、テープレコーダー産業の場合にはそれが家庭用市場の開拓以後に生じたが、VTR産業の場合にはそれが家庭用市場の開拓以前に発生した。家庭用市場開拓のパイオニアであり、両産業においてトップカンパニーであったソニーは、パッケージ式製品の開発にあたり、テープレコーダーについては家庭用製品に関する適切なコンセプトを体得していたが、VTRについてはそうではなかった。筆者は、この差異が、両産業における企業間競争のあり方の違い、あるいはソニーの結果的な立場の違いをもたらしたと結論づけている。

本論文の特徴は、(1)企業の製品開発活動と市場開拓活動との関係の解明、(2)日本市場とアメリカ市場との関係の解明、という二つの分析視角を一貫して維持し、テープレコーダーとVTRの両製品を視野に入れて、日本の磁気記録機器産業の成長過程を、第2次大戦直後から1980年代にかけての時期について明らかにした点に求めることができる。そして本論文は、テープレコーダーとVTRの開発着手の同時性と初期における不確実な発展見通しの共有、テープレコーダーのアメリカ向け輸出における二つの経路の並存、テープレコーダーとVTRに共通する日本メーカーのアメリカ市場での成功要因(日本市場での経験をふまえて、製品低廉化と家庭用市場開拓をアメリカ市場でも同時に追求したこと)の存在、アメリカ市場での経験をふまえた日本メーカーのテープレコーダーやVTRに関する製品コンセプトの変更、などの興味深い論点を提示し、実証面で成果をあげている。

他方で、本論文は、いくつかの問題点もあわせもっている。例えば、パッケージ式VTR製品の開発に際して、ソニーの内部で、パッケージ式テープレコーダー製品の開発経験が大きな影響を及ぼしたという論点は、実証されているとは言いがたい。1950年代にソニーのVTR開発が中断していた事実に対する説明もなされていないし、ベータ方式がVHS方式に敗北した要因の分析も結果論に終始している印象が強い。筆者は、本論文の最後で、今後、1980年代以降の時期におけるソニーの磁気記録機器事業の展開について研究を進めると述べているが、その際には、過去にさかのぼって、これらの問題点を解決することが望まれる。

しかしながら、このような問題点があるとはいえ、本論文の実証研究の成果は、著者が自立した研究者として研究を継続し、その成果を通じて学界に貢献しうる能力を持っていることを明らかにしている。従って審査委員会は、本論文の著者が博士(経済学)の学位を授与されるに値するとの結論を得た。

UTokyo Repositoryリンク