学位論文要旨



No 120907
著者(漢字) 韓,京子
著者(英字)
著者(カナ) ハン,キョンジャ
標題(和) 近松時代浄瑠璃の研究
標題(洋)
報告番号 120907
報告番号 甲20907
学位授与日 2006.03.23
学位種別 課程博士
学位種類 博士(文学)
学位記番号 博人第526号
研究科 人文社会系研究科
専攻 日本文化研究専攻
論文審査委員 主査: 東京大学 教授 長島,弘明
 東京大学 教授 多田,一臣
 東京大学 教授 藤原,克巳
 東京大学 助教授 渡部,泰明
 東京大学 助教授 安藤,宏
内容要旨 要旨を表示する

近松浄瑠璃の作劇法について、趣向と先行芸能・先行作品の摂取・展開という面から考察を行った。

第一部、第一章「近松浄瑠璃における趣向としての歌謡・芸能」では、近松の浄瑠璃に採り入れられた、芸能や、当時流行していた歌謡や門付芸などについて、趣向という面から考察した。劇中で歌謡が歌われ、芸能が演じられるという類型的な場面が少なからずあり、作品の重要な趣向となっている。例えば、『浄瑠璃物語』の牛若と浄瑠璃姫の出会いの趣向は、出会いの場面を華やかにし、際立たせて印象的なものとしている。また、再会の場面には、その歌謡を知る人物が限定される替え歌とし、特定の人物に気づかせることで、激しい感情を引き起こすという役割を持たせている。『曽根崎心中』の道行に「江戸心中三界」をよそ事として用いているように、近松は歌謡に一定の意味を持たせるようになるが、特に、心理描写に応用する例が多く見られる。『堀川波皷』では江戸詰めの夫を強く恋慕うお種の心情を、『傾城酒呑童子』では思うままにも会えない瀕死の白妙と吉助の悲惨な心情を表す手段として「聞こえて来る謡曲」を利用している。背景音楽的でありながらも、『堀川波皷』では鼓の稽古、『傾城酒呑童子』では舞台開きの演能と、それぞれの役割が付与されている。実際の事件の象徴として鼓の音や謡曲、能舞台を効果的に採り入れている、演劇ならではの方法である。登場人物が思いや心情を言葉で語るより歌謡に託すことで歌謡が持つ世界にまで観客の想像が及び、その心情をより理解しやすくし共感を深めることとなっている。歌謡や謡曲を背景にして、また、その内容に絡むようにして劇を進めていくこの方法は、浄瑠璃の心情表現の方法が、舞台上で演じられる演劇として一層発展した形のものであり、近松の歌謡・芸能利用の巧みな技法であると思われる。

第二章「近松浄瑠璃における滑稽の趣向」。古浄瑠璃においては滑稽の要素は十分に発達しておらず、滑稽を著しく発展させたのは近松であった。登場人物の様子や心理状態などを、謡曲の一部分に重ね合わせて表現することが多く、それが可笑味を出すものとなっていた。また、人物造型においても滑稽な要素は重要な役割を果たしていた。例えば、やつしの人物だけでなく、その兄弟も滑稽な要素をもって造型されている。好色のため勘当され、身をやつした人物は、頼りなく不甲斐ないが愛嬌ある明るい饒舌が、一方、その兄弟は機知に富んだ弁舌が、笑いをさそう。そして、そのいずれもが、主君の難を救うための頓知を利かせた饒舌という趣向となっている。近松の浄瑠璃に設けられた滑稽な場面は、深刻な愁嘆場の前に雰囲気を和らげるだけでなく、後に展開する事件の伏線となる役割を果たしている。また、滑稽な要素は、阿呆役ばかりではなく、敵役や、立役(やつし)の人物造型においても重要な役割を果たしていた。

第三章「近松の時代浄瑠璃における心底の趣向」では、心底の趣向を観客をひきつけるための手段としての意外性の追求や、緊張感の高揚、推理小説的興味による複雑な仕組みと意外な解決への技巧的発展という面から考察した。身替り劇においても複雑な展開、意外な結末を見せるが、劇的緊張感を高めるために時間的制約が設けられていたり、また、登場人物を一層危機的状況に追いやるための工夫が施されている。悪人として登場していた人物が実は善人であるという設定を用いることで、意外性を持たせたり、さらに謎解きや判じ物など、知的遊戯といえる要素を採り入れ、対立の構図を表している。推理小説的要素は、宗輔などの浄瑠璃においては、劇全体の構想として働いているが、近松の浄瑠璃においては、段と段とを結びつける劇展開のための役割にとどまっており、また、劇中起こった犯罪を悪として追及してはいるが、誠実な人間を描いているため、謎の解決が懺悔によるものとなっている特徴が見られた。

第四章「近松の時代浄瑠璃に描かれた「執着」「執念」」では、近松の時代浄瑠璃に描かれた執着・執念に着目し、それが劇の構想や展開にどのように関わっているのかを時期的な変遷に留意しつつ考察した。

近松は、貞享期の初期作品において、例えば『出世景清』では景清の執念深い復讐心を、『薩摩守忠度』では忠度の「千載集」への入集の執着を描くなど、はやくから登場人物の執念や執着に着目している。宝永期の『用明天皇職人鑑』は、女性に注目して浄瑠璃を構成する方法を模索していた時期の作品であり、「やつし」の構想にその主人公諸岩を支える室君の執愛が結び付けられている。また、正徳期の『嫗山姥』にも「やつし」の構想は引き続き用いられるが、以前のように、妻や愛人の献身だけでは事態を打開することが出来ず、「やつし」の主人公は自ら死んで生まれ変わることに解決方法を見出し、結果、執念が転生と結び付くようになる。正徳期後半から享保期には、謀反劇が多く描かれるが、その謀反の執念は、もっぱら蘇生・転生という形で描かれるようになる。

近松は執念を単にその人物の性格を表すだけでなく、「やつし」の構想や、謀反劇における転生・蘇生など、劇の展開に結び付けており、そこでは愛欲や忠義、復讐に執着する人物の姿が極限化されて示されている。正徳期以降、時代浄瑠璃の基本構造である善悪は、単純に二分されない要素を加えてきている。執着、執念というものを深く掘り下げて描き続けた結果、近松の晩年の謀反劇『浦島年代記』などでは、従来の善悪の区分を超えた、新しい悪が描かれるようになった。善と悪の単純な対立という構図を破ったところに、近松の大きな功績があったといえる。

第二部、第一章「近松浄瑠璃の<十二段物>考察」。十二段物は時代によって様々な変化を見せるが、近松の十二段物の筋立は、一部分だけを抜き出した先行作品とは違って、牛若の鞍馬出から浄瑠璃姫の死までを扱い、そして、既存の吉次や長者の人物像を改め、牛若側の者という色合を強め彼らの活躍の場を拡大していた。それは、近松が十二段物を「牛若の平家討伐の祝言」として描き出すために加えた変化であると思われる。

また、先行作品のように時間の流れに沿い挿話を組み合わせてはいるが、その挿話に一定の意味を付け加えていることなどからも、そのことが窺える。『てんぐのだいり』では、天狗が牛若の守護を約束し天狗勢揃で源氏の門出を祝い、また、二段目の強盗退治を「源氏の門出」として祝儀性を付与したり、また、曲尾でも源氏の御代を称えている。『十二段』でも同様であり、多聞天や僧正坊が大願成就を約したり、強盗退治を「源氏の門出よし」とし、さらに平家の酒宴の座に遭遇した牛若に無念の思いをさせ、平家への復讐心を一層かきたてる場面を設けている。また、死に至った姫は『十二段』では薬師如来の化身であることを明かし牛若に平家討伐を勧めたり、『源氏れいぜいぶし』では、落ちた墓の幡が源氏の白旗とかわって薬師の梵字が浮き出る奇瑞があらわれるなど、平家追討の前途を祝うために姫の死が描き出されている。『十二段』では、先行作品にも描かれてきた強盗退治譚を、牛若の武勇としてだけではなく、山中常盤譚に結び付けたり、『孕常盤』では、常盤が刑場に引かれて行く場面を採り入れ、また、『源氏れいぜいぶし』では、兄頼朝の話に結び付けるなど、近松の十二段物では武勇・家族(母・兄)・恋愛の物語を配することで、牛若の平家追討にいたる物語を劇的なものに仕立てているのである。

貴種流離の印象を薄めつつ、家族との情愛や恋愛物語を効果的に採り入れ、牛若の平家追討への物語としての性格を強く押し出している。近松の十二段物においては、決して牛若は超人的な力強い主人公として描かれているわけではないが、周辺人物によって支えられながら平家追討の意志を強める人物として造型されている。

第二章「『源義経将棊経』の構想」。近松には義経物が六作知られていて、一作一作、登場人物が加えられたり、馴染みの筋や趣向に工夫が凝らされている。曾我物や義経物など、当時の観客に熟知されていた素材を浄瑠璃化する場合、古浄瑠璃では謡曲や幸若舞曲とほとんど変らぬような変化に乏しい表現のものが多く見られる。しかし、義経に関わる伝説は謡曲や幸若舞曲に劇化される際にも登場人物の異同や変容が見られ、どれを採り入れるかによって劇の展開は違ってくる。

『源義経将棊経』に登場する鈴木三郎は、『平家物語』や『義経記』などでは、名が出ていてもさしたる活躍がない人物であるが、幸若舞曲『高館』など語り物の世界で増幅され、近松は作中で大活躍する重要な人物として描いている。人物だけではなく、歌謡や芸能の披露の場にも先行芸能を利用しながらも趣向を凝らし、劇の展開に関わるものとしている。『源義経将棊経』は五段組織の劇構成が定着しはじめる早い時期に、劇構成に合せた人物造型が見られるという点で注目される。近松は登場人物の性格として、先行作品に描かれた人物のイメージを一層明確化し、五段組織の各段の性格と対応させることによって、劇構成を整えている。また、初段での劇中劇としての人形劇、二段目・三段目での櫓、四段目での将棊に見立てての軍談など、見せ場・聞かせ場となる場面を各段に設け、舞台的効果も高めた作品といえるだろう。

第三章「浄瑠璃における富士浅間物の展開」では、浄瑠璃における先行作品の利用の一例として、謡曲『富士太鼓』が近世戯曲において、どのように脚色・改変されたのかを考察した。『莠伶人吾妻雛形』(宗輔・丈輔合作)とその改作『粟島譜嫁入雛形』(宗輔・出雲・松洛合作)は、先行作品のようなお家騒動としては描かれず、両作品に関わっている、宗輔の作風である悲観主義的運命劇として、また、作中の人物が秘密を持って行動し、土壇場になって真実を明かすという趣向によって、敵討譚に変化が与えられている。さらに、『粟島譜嫁入雛形』では、出雲(竹本座)の特色が加わり、悲観主義的運命劇だけではなく親子恩愛劇側面も持ち合わせた場面が描かれるという改変が見られた。

審査要旨 要旨を表示する

本論文は、近松門左衛門(1653〜1724)のいわゆる時代浄瑠璃の方法的特色を、主としてその作品に用いられる「趣向」に焦点を合わせながら解明したものである。構成は、第一部「近松の時代浄瑠璃における趣向」に「近松浄瑠璃における趣向としての歌謡・芸能」以下4章を配し、また第二部「近松の時代浄瑠璃における先行作品の摂取・展開」に「近松浄瑠璃の「十二段物」考察」以下3章を配する。

第一部では、近松の時代浄瑠璃で用いられている、種々の位相にある趣向―具体的には、作中で歌われ演じられる「歌謡・芸能」や、意図的な場面として挿入される「滑稽」、あるいは登場人物の心情や心理に関わる「心底」や「執着」等の諸趣向を明らかにし、それが劇の展開にどのように関わっているかを検証する。作中に取り入れられた歌謡(音曲)や、能(謡曲)などの芸能が、背景音楽としての役割を果たすのみならず、その詞章や曲調により、登場人物の心情表現ともなっていることを指摘し、あるいは愁嘆場の前に配された滑稽な場面が、後の劇展開の伏線となっていることを明らかにする。また、本心を押し隠す「心底」が、推理小説的な興味をかき立てつつ劇的緊張感を高めていることを、豊富な挙例によって論証し、さらに愛欲・忠義・復讐への執着・執念が単に登場人物の性格を表すだけでなく、「やつし」の構想や謀反劇における転生の構想と結びつき、従来の単純な善悪の対立という劇構造を突き崩すに至ったことを明らかにする。

第二部では、第一部で明らかにされた近松の特色を、先行作品から何を摂取し、どのように展開させていったのかという、通時的あるいは比較作品論的な観点から考察する。牛若と浄瑠璃姫の恋愛譚を素材にした「十二段物」の作品群の中で、近松の諸作は、牛若の貴種流離譚の要素を弱めつつ、平家討伐の成就に対する祝言を中心にすえたものであるという新見を提示する。また、義経物の一つ『源義経将棊経』を詳細に分析し、先行作品に登場する人物を、近松が、浄瑠璃の5段組織が定着しつつあるこの時期に、各段の性格と対応させながら造形し直していることを明らかにする。

従来の近松浄瑠璃の作品研究は、「曾根崎心中」以下の、同時代風俗を背景としたいわゆる世話物にかたより、浄瑠璃作品のほぼ4分の3を占める、作品世界の枠組みを過去の時代にとったいわゆる時代物は、「国性爺合戦」等のわずかな例外を除き、ほとんど手つかずのままであった。本論文は、膨大な近松の時代浄瑠璃と先行作品を丁寧に読み込み、浄瑠璃作者にとって作劇上の基本とされる「趣向」と「文句」のうち、劇構成に深く関わる「趣向」に注目することにより、近松時代浄瑠璃の劇構造を解明したところに、きわめて大きな意味がある。また、本論文は、世話物に比べて相対的に評価の低かった時代物の意義を、改めて見直す契機となるであろう。部分的に論述がやや錯雑としている箇所もあるが、未検討であった近松の時代浄瑠璃の作劇法を初めて明らかにしたところは、高く評価できる。よって、本審査委員会は、本論文が博士(文学)の学位に相当するものと判断する。

UTokyo Repositoryリンク