学位論文要旨



No 120912
著者(漢字) 小池,靖
著者(英字)
著者(カナ) コイケ,ヤスシ
標題(和) セラピー文化の展開と変容 : 現代日本の心理主義的運動の諸形態
標題(洋)
報告番号 120912
報告番号 甲20912
学位授与日 2006.03.23
学位種別 課程博士
学位種類 博士(社会学)
学位記番号 博人第531号
研究科 人文社会系研究科
専攻 社会文化研究専攻
論文審査委員 主査: 東京大学 教授 上野,千鶴子
 東京大学 教授 佐藤,健二
 東京大学 教授 島薗,進
 清泉女子大学 教授 庄司,興吉
 上智大学 教授 吉野,耕作
内容要旨 要旨を表示する

本研究は、現代世界に広がる心理学的・心理療法的な思想や実践の総体を「セラピー文化」と名付け、その文化的意義を、現代日本における複数のフィールドから多角的に明らかにしていくものである。本論ではセラピーを「人工的・契約的な空間において、カウンセラーや悩みを共有する仲間などとの、言語的・非言語的コミュニケーションを通じて、自己の向上や成長を目指す営み」と定義する。ここでいうセラピーは、第一義的にはサイコセラピーであり、心理主義と呼ばれる流れともほぼ重なっている。

心理学は、そもそもは人間の精神に関する合理的な理解を目指したものだった。そこでは個人は、自己の責任を引き受け、独立独歩で生きてゆく存在であるとイメージされていた。セラピー文化におけるもっとも基礎的な営みであるカウンセリングは、カウンセラーとクライ工ントとの1対1の面談により、クライエントの社会適応を助けようとしてきた。

1章では先行研究について触れた。カウンセリングやセラピーは、現代人にとっての世界観・宇宙観にすらなってきていると言われ、ノーラン『セラピー的国家』、ベラー他『心の習慣』、森真一『自己コントロールの艦』では、表現主義的でありながら功利的で、現代社会に適合的・順応的なセラピー像が描かれてきていた。

20世紀後半以降、グループで心理学的な姿勢を実践しようとする営みが拡大していったが、そのなかでも先鋭的な4つの動き、ネットワークビジネス、自己啓発セミナー、トラウマ・サハイパー運動、脱会カウンセリングによって、セラピー文化における複数の潮流とその時代的変容を窺い知ることができる。この4事例については、社会からの抑圧からの解放を目指す意識があるかどうか、および、自己の責任をどう考えるかによって、その特徴を示すことができる。調査は、各運動についての、参与観察、長期にわたるフィールドワーク、当事者へのインタビュー、文字資料・インターネット情報の内容分析などに基づいてしとる。

2章ではネットワークビジネスを取り上げた。ネットワークビジネスとは、無限連鎖的に販売員を増やしていく商法の一種である。ポップ心理学(俗流心理学)では、「思考は現実化する」という考え方に基づいた「積極思考」が今に至るも最大のアピールカをもっているが、ネットワークビジネスは、そうした発想を最大限に活用した運動である。自分の力で人生を切り開き、前向きに成果を作り出すことによって自己め責任を引き受けようとするその実践は、日本でも100万人単位の参加者を生み出した。資本主義社会の中で巨額の軍を生み出そうとするこの運動には、社会によって個人の精神が抑圧されているといった意識には乏しい。

3章で取りあげる自己啓発セミナーは、セラピー的技術を詰め込んだ数日間の有料のイベントである。それは社会的論争を巻き起こしながらも、広い人口に対してグループ・セラピーの技法を広めた最大の運動であった。1960年代には対抗文化的運動を背景に、人間性心理学やヒューマン・ポテンシャル・ムーブメントが生まれ、性善説的な価値観のもと、社会の抑圧から個人が解放されるべきだと説いた。そうした発想をもっとも広く社会に普及させたのが自己啓発セミナーであった。自己啓発セミナーは、グループ体験によって自己の可能性を突破させようとする営みであり、自分の身にふりかかることは全て自己の責任であるというメッセージをもっている。

4章で取りあげるトラウマ・サバイバーとは「トラウマを抱えているがそれを乗り越えようとして生きのびている人」を指す言葉であり、一種の当事者運動として、トラウマ・サバイバーたちが自分たちの自助(セルフヘルプ)グループを広めていった。トラウマ・サバイバー運動は1990年代以降に発展し、霊性の回復、トラウマからめ救済、およびそれにまつわる自己免責的な論理を説いた。つまり、現代の生活において受けたトラウマ的被害について、個人にはその責任がないとした。そして、その運動は、単なる個人の抑圧からの解放を志向するところからさらに一歩進み、現代的な社会化そのものを個人にとって「病」であると考える傾向もあるため、近代社会批判にも行き着いた。

5章で取り上げる脱会カウシセリシグは、反カルト運動の重要な要素のひとつであり、「カルト」信者を脱会させようとする集中的な説得活動である。脱会カウンセリングでも、カルトの「マインド・コントロール」による心理的操作を強調するため、その被害について個人には責任はないと考えている。しかし、脱会カウンセリングでは、カルト脱会者の社会復帰を目指すため、個人が社会によって抑圧されているという意識は希薄である。信者を隔離した環境でおこなう 「保護説得」は、現代におけるもっともインテンシブなセラピー的実践のひとつである。

終章である6章では、 4つの事例を比較検討・考察した。前向草な心構えを強調するセラピー文化は、19世紀末アメリカのニューソート以来の長い歴史がある1960年代以後、多くの若者を巻き込みつつ、グループ体験によるブレイクスルーが追求されるようになり、それは企業活動にも取り込まれるようになった1990年代以降は、各種の自助グループによる霊性への志向が新たに見いだされた。そうした歴史を経て現在確認できるのは、近代社会における公共的な自己こそが病んでおり、霊性の枯れた状態であるのだから、それを回復しなければならない、という意識の興隆である。そこから、弱者の肯定や、当事者尊重の論理とも結びつく可能性がある。セラピー文化における理想の自己像も、独立独歩で生きる自己というイメージから発展し、次第に、仲間と調和的な自己というイメージも出てきた。セラピーにおける他者観もそれにつれて、功利的なものだけでなく、ホリスティックなものも現れて、多様化している。セラピー文化の中で、ネットワークビジネスは消費社会的な潮流の、トラウマ・サバイバー運動は対抗文化的な潮流の影響下にある。自己啓発セミナーは両方の潮流から影響を受けて成立している。

現在でも多くのセラピー的実践は、依然として個人を現代社会に適応させて統制するものという働きがある。しかしセラピー文化の中から、それだけにとどまらない、社会変革への動きも出現してきているのである。セラピー文化はポスト物質主義的な価値という意味では、多分にポストモダンな方向へ発展する可能性がある。ネオリベラリズム的な時代の中で、競争社会で生き延びる態度を養成するようなセラピーもあれば、専門家支配を相対化し、スピリチュアリティ(霊性)に基づくつながりを志向する自助グループもある。アダルトチルドレン、共依存で注目された家族の病理を端緒として、自己を免責する論理は、社会批判へと結びついた。脱会カウンセリングも、トラウマや被害からの救済を説くセラピー文化のバリエーションであり、自己の責任は追及しないが、社会批判にはほとんど結びつかなかった。弱さを強調するセラピー文化については、ネオリベラリズムの中で「弱者としての地位」をむしろ確証してしまうものだとする批判の論調も出てきている。

セラピーは「モラルの実験場」であるがゆえに、隔離された空間で共同性を体験するという働きがある。それはしばしば現代的なイニシエーションの過程であった。セラピー文化は、その主観的倫理と、コミュニケーションによる他者および共同性の理解、そして時にはイニシエーション的機能によって、現代社会において宗教の代替物として機能している。それは、イニシエーション的関係性の常態化という事態になれば、さらなる宗教化=カルト化として世間から認知されるようにもなる。本研究の4事例はいずれも、セラピー的な意味では逸脱した論理を説いていたわけではないが、その論理を熱心に信奉する特定集団としては、時に世間と緊張関係をも引き起こした。こうした動きもまた、過去に宗教がもっていたダイナミズムの再来である。

ネットワークビジネス、自己啓発セミナー、トラウマ・サバイバー運動、そしで脱会カウンセリングは、セラピー文化から生まれた、集合的基盤をもつ運動群であり、我々の社会の様々な価値観、具体的には、思考は現実化するという意識や、自己実現の称揚、あるいは侵害されるべきでない至高のものとしての自己などを反映している存在なのである。

審査要旨 要旨を表示する

本論は「セラピー文化」という概念をキーワードに、昨今「心理学(心理主義)化する社会」と呼ばれている社会現象のもとで「自分探し」や「カウンセリング」の名で何が行われているのか、それは宗教なき社会における代替宗教の役割を果たしうるのかという問いに対する、宗教社会学からの事例にもとづく探究である。著者はそのために、ネットワークビジネス、自己啓発セミナー、トラウマ・サバイバー運動、脱会カウンセリングの4つの事例をとりあげ、そのあいだの比較を行うことで、上記の問いに答を与えている。いずれの事例も当事者性が強く、部外者に対して排他的であることから、フィールドワークを伴う調査は困難をきわめたが、著者は一次資料、二次資料を駆使してデータを猟渉し、他からは知りえない現場のリアリティを明らかにして、よく要請に応えている。

本論の構成は以下のとおりである。

第一章「セラピー文化の社会学をめざして」では、セラピー文化が成立したポストモダン、対抗文化、消費社会といった社会的背景をもとに、宗教社会学がいかにしてこの問いに接近可能かを、主としてアメリカの先行研究をもとにまとめ、あわせて本研究の研究方法を提示する。

第二章から第五章までは、それぞれネットワークビジネス、自己啓発セミナー、トラウマ・サバイバー運動、脱会カウンセリングの事例研究にあてられているが、その際、事例を採用し比較する著者の判定基準は以下のようなものである。この4事例は登場順に消費社会における商品としての「セラピー文化」のマーケットの大きさに対応しており、また前二者(ネットワークビジネス、自己啓発セミナー)が自己責任を強調するのに対し、後二者(トラウマ・サバイバー運動、脱会カウンセリング)は自己の免責を強く主張する。他方、社会観のうえでは、ネットワークビジネスと脱会カウンセリングは、既存の社会へのよりよき適応や再適応を果たすことを目的とする点で、社会を抑圧的なものと見なさないという共通点を持っているのに対し、自己啓発セミナーとトラウマ・サバイバー運動は、自己変革だけではなく社会変革や社会からの解放を求める点で、既存の社会を抑圧的なものと見なすことで共通している。

第六章「比較と考察」では、以上の四事例を対照することで、他の多くの「心理学化する社会」論が及ばない、創見に満ちた発見にたどりついている。セラピー文化の事例の規模と担い手、成立した時代背景、メッセージの内容分析等を通じて、これらの事例が、ネオリベラリズムに親和的な自己改造から、自己の免責と抑圧からの解放へ向かうオルターナティブな価値をめざす共同体の構築までの幅を持ち、「モラルの実験場」としてポストモダン社会における「代替宗教」の役割を果たしていることを、終章で「結論」とする。

事例へのアクセスへの難しさから議論が表層的だったり、多義性に満ちたメッセージへの目配りから、ひとつひとつの概念に対する緻密な検討が弱く、ルポルタージュ風の記述にとどまった憾みはあるが、それらの欠陥をさしひいても、類似の研究に見られない構想力とオリジナリティを持つ点は評価できる。したがって、本審査委員会は、本論文が博士(社会学)の称号を授与するにふわさしいと認める。

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