学位論文要旨



No 120914
著者(漢字) 佐分利,敏晴
著者(英字)
著者(カナ) サブリ,トシハル
標題(和) 視覚の原理とアニメーションの解析
標題(洋)
報告番号 120914
報告番号 甲20914
学位授与日 2006.03.23
学位種別 課程博士
学位種類 博士(教育学)
学位記番号 博教第114号
研究科 教育学研究科
専攻 総合教育科学専攻
論文審査委員 主査: 東京大学 教授 佐々木,正人
 東京大学 教授 白石,さや
 東京大学 助教授 今井,康雄
 東京大学 助教授 岡田,猛
 東京大学 助教授 三嶋,博之
 武藏野美術大学 教授 陣内,利博
内容要旨 要旨を表示する

本研究は、視覚の原理とアニメーションの解析を、James J. Gibsonの生態心理学の概念、物理学など自然科学の理論、およびセルアニメーションとそれに準じる技法によって制作されるアニメーション(以下「アニメ」)に関する知見に基づき、「アニメ」という表現と視覚の原理について学際的に論じたものである。

本論文は序、第1部、第2部、第3部、追記(おわりに)からなる。第1部は第1章、第2章で構成され、視覚の原理における「順序構造情報理論」に関する議論である。第2部は第3章、第4章、第5章で構成され、アニメの制作方法の解析に関する記述である。第3部は第6章で構成される、本論文の結論である。追記は「アニメ」の評論に関する記述である。

以下、本論文の内容を章ごとに簡潔に述べる。

第1章では、1950年に発表されたGibsonの文献"The Perception of The Visual World"に記述された「順序刺激情報仮説」を取り上げ、その視覚論における意義について論じる。Gibsonは環境中から網膜に投射される光の考察から視覚論を構築しようとした。そして、環境中の光が環境中の対象表面で反射するとき、表面の微細構造が持つ物理的な性質により独特な順序を付与されること、そして、網膜に投影される光は、対象表面の物理的性質と対になった順序で並んでいることに気づいた。そして、動物が光の順序に対して直接反応できるという仮説を立て、「順序刺激作用(ordinal stimulation)仮説」を提案した。

この発案は後の生態学的視覚論にとって重大な意味を持っていながら、ほとんど注目されなかった事柄である。本章ではこれを特に取り上げた。そしてGibsonの仮説を発展的にとらえ、順序構造が知覚情報になるということを視覚の原理の仮説として提案した。その上で、光の隣接順序構造がそれぞれ独特な性質、不変項を持ち、知覚情報となりうることを指摘した。また、順序構造を任意の単位領域で分割することにより、構造の構成要素の単位と測定量を無次元化できることを示し、構成要素は知覚者によって任意に設定可能であることを指摘した。

第2章では、生態心理学に則って作成されたKaplan G., A.の1968年の論文、"Kinetic Disruption of Optical Texture: The Perception of Depth at An Edge"を取り上げ、隣接順序構造とその変化、破れが持つ知覚情報についてあらためて検討した。Kaplanの実験では、物理的な表面の肌理と対になっている光学的配列(光学的肌理)が、線状の領域を境にして分割されているとき、境における肌理の添加/削除(accretion/deletion) 、すなわち境界の両側で肌理に起こる変化の仕方の違いや、変化率の違いによって、表面の遮蔽が知覚されることが示された。本章ではこの結果をふまえ、ある線状の領域を境界にした肌理の隣接順序構造の動的(時間経過に伴う)崩壊が、対象表面の分離や奥行き位置関係を特定する知覚情報であること、また、肌理の隣接順序情報が視覚情報である一つの例であることをを指摘した。

第3章ではまず、「アニメ」が演じられている「芝居」の面を持つこと、それ故に表現される自然事象はしばしば場面を盛り上げるため、あるいは登場人物の心情を鑑賞者に伝えるために用意された「小道具」であることに言及した。その一方で、作成された自然事象が鑑賞者にわからないものであってはならず、そのために、自然事象の表現は間違いなく自然事象の不変項、知覚情報を持っていることを確認した。次いで、「アニメ」の具体的な制作方法を解説した。特に、大量の絵を描き、その順序を構成することによって特定事象の動きを制作する「作画」の過程は重要であった。Gibsonは"The Perception of The Visual World"において、もう一つの順序構造、時間的順序構造が視覚において重要な意義を持つことを予想していたが、「作画」の過程はまさに、事象が持つ時間的順序構造という性質をデザインすることによって、動きを提示する好例であることを指摘した。その他にも様々な「アニメ」における観察点移動を作成する方法や、遮蔽を作成する方法を紹介し、その技術と、生態学的視覚論における意味について考察した。

第4章では風とそれによって起こる動きについて、セルアニメーションによるそれらの動きの作成方法と、その方法の中から発見される作画方法、デザインの特徴を解析した。まず、風による物体の変形を分類し、そこから風のアニメーションの特徴を探った。そして、アニメーターが風とそれによる動きをデザインするとき、風の動きの周期性と、動きを構成する特殊な形状と変形に着目し、「繰り返し作画」と呼ばれる、繰り返しが可能な数枚の絵を順次提示する方法によって風を作成していることを示し、先に分類した変形の類型を利用して、風の作画の譜面化を試みた。その一方で、物理学の一領域である流体力学による風(流れ)の解析と理論、法則を紹介し、参照した。その領域では、風を可視化したときに見られる特徴的な繰り返す変化や、流れが作り出す独特な構造、流れの持つ重要な性質が発見され、法則化されていた。中でも、風の様相を制御する無次元数、レイノルズ数と、構造などの条件が同じで大きさや速さだけが異なる風が作る様相は相似になるという「レイノルズの相似則」は特に重要なものとして注目した。この相似則が、流れの様相の変化によって、物体の大きさ、性質や、風の速さを直接分類、特定できることを示すためである。そして、先のアニメーションの解析の結果と流体力学における知見を考え合わせ、風の動きが独特な順序を持って変形を起こし、それが一つの生態心理学的情報、変形不変項となっていることを指摘した。

第5章ではヒトの移動運動、歩きと走りを取り上げ、第4章同様にセルアニメーションによるそれらの動きのデザイン方法について、その特徴を解析した。その中で、歩きや走りの特徴として、周期的な運動であり「繰り返し作画」で作ることができること、前後左右にからだが動くこと、足が交互に動くこと、「走り」には「沈み込みがある」、つまり片足が着地した後で一旦かがんで低い姿勢になるが、歩行にはそれがないということを彼らが発見し、歩きと走りの制作技術として伝承してきたことを紹介した。また、その動きを構成する独特な形状、変形の順序があることがわかった。そして、「歩き」の方が「走り」を作成するよりも難しいとアニメーターが口を揃えることを指摘した。一方、歩行と走行の運動について、バイオメカニクスによる解析を「アニメ」の解析と対照させた。そして、バイオメカニクスにおいても歩行、走行運動の独特な周期性があることに加え、歩行は走行よりも規則性が弱い運動である、位相がずれている運動であることが発見されていた。このことから、アニメーターが発見した姿勢と変形、そしてそれによって構成される独特な時間的順序構造の特徴は、バイオメカニクスにおいても確認されたものであることがわかった。これら歩き、走りの動きの独特な性質は、変形において持続する不変項であり、私たちにそれぞれの運動を特定させる知覚情報であるという主張を展開した。

第6章では、まず知覚情報を無次元化することの重要な意義について述べた。一定の物理量を持つ対象や事象の構造を、単位量で分割し数える、あるいは比率を取ることができるよう、単位が無くなるように変換可能であることはそのまま、知覚における単位を知覚者および状況それぞれに応じて任意に取れることを示す。また、単位量それ自身が構成要素となり、あるいはさらに小さな要素によって構成される構造体であるという、入れ子構造を持つことから、その知覚が精緻化、多様化されることも示した。つぎに、2つの研究主題を扱った体裁を持つ本論文が一つの動機から始まったこと、そして、それが目指す研究課題も一つであることに触れた。最初、「アニメ」の動きの妥当性を生態心理学と自然科学を持って検証しようとして始められた研究は、翻って生態学的視覚論の詳細な理解と理論の補完を要求し、それが解明されるにつれてさらに「アニメ」で表現される情報の検証につながることを示し、「アニメ」の解析と視覚の原理の研究が相補的であることを強調した。そして、現時点でのこの研究の成果として、視覚の原理とアニメーションの作成における原理を提案した。それはこのようなものである。「環境中の対象や事象それぞれに独特な隣接順序構造および時間的順序構造、あるいは『隣接配列構造』および『時間の矢を伴った時間的配列構造』は、独特な性質、不変項を持ち、視覚によってとらえられる知覚情報となりうる。「アニメ」は、これらの順序(配列)構造を環境中からピックアップし、特に時間的順序構造を作画によってデザインし、鑑賞者に提示することで成立している表現である。」

追記においては、「表現は知覚可能な情報を提示したものである」という、表現情報論に基づいた「アニメ」作品の評論を紹介し、表現研究および視覚論、知覚研究との融合が可能であることを示唆した。

審査要旨 要旨を表示する

本論文では、視覚情報概念の理論的な吟味と、それを基礎にしたアニメーション表現の具体的事例分析が行われた。論文は3部構成で、第一部2つの章では、視覚が「順序構造情報」によって可能となっているとする、アメリカの知覚心理学者ジェームス・ギブソン初期の理論とその後継者による研究について吟味し、第二部3つの章では、わが国でのアニメ制作から実例を取り上げ、その表現の知覚原理が解析された。第3部「結論」では、上記の二つの作業を関連づける議論がなされた。

第一部一章では、ギブソンが最初の著書『視覚世界の知覚』(1950)で、環境の表面に反射した光が、表面の粒状肌理によってユニークな順序を与えられているという事実から視覚情報の「順序刺激作用(ordinal stimulation)仮説」を構想したことを取り上げ、このあまり注目されなかった「順序が情報になる」という主張の意義を再評価した。順序は任意の単位で分割し、測定量を「無次元化」できることが指摘された。第二章ではこの仮説を検証したカプラン(1968)の研究を検討し、縁境界での肌理隣接順序の時間経過に伴う動的崩壊が、表面の分離や奥行情報になるとする視覚原理の意義を論議した。

第二部三章では、わが国のセルアニメーション実作の作画過程を解析し、どのレベルでも時間順序構造の探究がデザインの核を成している事情を示した。第四章では、アニメ表現の背景として最も一般的な自然事象である「風」表現を解析した。結果は、「繰り返し作画」と呼ばれる、順序のある複数のセル画を反復提示する方法が風の多様で微妙な表現を可能にしていることを示した。解析では多種の作画の譜面化を行い変形の類型を抽出した。さらにアニメ表現の基礎が、流体力学の「レイノルズ相似則」(構造条件が同じで大きさや速度だけが違う流体の様相は相似になる)と通底する観点を持つことを示した。

第五章ではヒトの移動運動、とくに「歩き」と「走り」の作品解析して、ここでも「繰り返し作画」法の存在を指摘した。移動運動では前後に加え左右に身体が動くこと、「走り」には身体の特徴ある「沈み込み」(片足着地後に姿勢が低くなる)があり、「歩行」にはそれがないことなどが表現の識別情報として抽出された。移動表現のために利用されている順序変数が、移動運動のバイオメカクスの研究結果とも部分的に一致することを示し、ヒトの動きの情報の不変項の存在が示唆された。

第三部六章では、単位を知覚者の観察条件に応じ任意に取れる順序情報が、単位量が「入れ子」構造を持つ環境の知覚と表現の情報としての有望であることが議論された。

以上の内容を持つ本論文は、視覚研究の理論的アプローチとアニメーション制作の現場を繋げるユニークな研究であり、表現を基礎づける理論を模索しているアニメ研究に一つの方向性を示す内容を持っている。多領域の情報研究と表現研究が学際的に統合できる可能性を示唆している本論文は、現在未開拓である「表現の情報論」に一定の寄与をすると思われる。この点から、本論文は、博士(教育学)の学位論文として十分な水準に達していると認められる。

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