学位論文要旨



No 120920
著者(漢字) 王,淑珍
著者(英字)
著者(カナ) オウ,シュクチン
標題(和) 台湾半導体産業の発展における政府の役割と企業間システム
標題(洋)
報告番号 120920
報告番号 甲20920
学位授与日 2006.03.23
学位種別 課程博士
学位種類 博士(経済学)
学位記番号 博経第205号
研究科 大学院経済学研究科
専攻 現代経済専攻
論文審査委員 主査: 東京大学 教授 工藤,章
 東京大学 教授 田嶋,俊雄
 東京大学 教授 末廣,昭
 東京大学 助教授 新宅,純二郎
 東京大学 助教授 丸川,知雄
内容要旨 要旨を表示する

本研究は、この20年間で急速な発展を遂げた台湾半導体産業の発展メカニズムを、現地調査、インタビューを含めた精細な調査を実施し、実証的に明らかにすることを目的とする。

台湾は1970年代半ばから半導体産業の発展に着手した。それは、米国、欧州諸国、日本、韓国より10年から20年も遅れていた。このような後発性が存在していたこと、加えて台湾の特殊な中小企業体制は、資本・技術集約的な産業発展にあたっては劣位にあったことにもかかわらず、台湾の半導体産業は1994年に生産額ベースで欧州諸国を抜き、米国、日本、韓国に次ぎ、世界第4の半導体生産国となった。

本研究の成果は、そのような台湾の半導体産業の発展要因は、政府の果たした役割および企業間システムの機能によって捉えることができるという命題を実証したことである。

1974年に台湾政府が半導体産業に参入することを決定した時点では、半導体産業の発展条件並びに先進国の発展パターンに照らし合わせた場合、その初期条件において(1)先進技術との格差、(2)先進国との企業体制の格差、(3)資本不足の3つの後発性の不利益があった。これまでの議論によれば、この3つの後発性の不利益を持つ限り、台湾が半導体産業を発展させる蓋然性はほとんどなかった。そこで政府の役割が必要かつ不可欠のものとなった。

本研究の第1部は、政府の役割を議論の中心とした。中小企業が資本、技術、人材いずれも欠如した状況のもとで、政府は中小企業による半導体産業発展という目的を達成するために、以下の3つの重要な役割を果たした。すなわち(1)産業を立ち上あげるために必要とされる初期技術の獲得、(2)全国の技術開発センターとしての役割を果たすための、政府における技術開発体制の構築、(3)中小企業における技術能力の構築である。

中小企業体制そのものは、後発性の不利益に他ならないが、政府は先発国が歩んできた大企業を中心する半導体産業の発展路線にあえて追随せず、中小企業ゆえの不利益を克服するための新たな体制作りを模索しながら、産業発展を遂げようとしたのである。その際、政府にとって最も重要なのは、中小企業における技術と資本能力不足を補完すること、およびその役割を果たすために、政府における技術能力を構築することであった。政府は、海外から導入した陳腐化した技術をベースにして、国内・海外における半導体人材の結合によって技術開発体制を構築した。そして開発された技術を絶えず中小企業に移転したことによって、中小企業による先進技術へのキャッチアップが可能になった。また、政府は技術開発計画を実施する過程において、同時に民間企業における資本、人材不足など供給本研究の考察の結果、垂直非統合が発展できる要因として、この企業間システムが持つ次の3つの性質をあげることができる。

第1に、産業への参入障壁が低下する性質である。 5つの製造工程の中で、ファウンドリの資本額が最も多く、専業設計企業の資本額が最も少ないため、専業設計企業は製造委託を利用すれば、最小の資金で半導体産業に参入することができ、半導体の資本集約性から脱することができる。これが、専業設計企業が絶えずその産業に参入している要因である。

第2に、取引コストが抑えられ、かつ生産コストが最小限までに低下しうるメカニズムが内在することである。専業設計企業の製造委託価格は取引コストと生産コストによるものである。諸取引コストの中で、最も重要なのは取引特殊的資産の性質の有無であるが、製造委託企業、特にファウンドリにおける機械設備、設計メニューはその性質を有していないため、範囲の経済性と規模の経済性を同時に追求できる。それによって、この企業間システムは取引コストが抑えられる一方、生産コストも最小限にまで低下しうる。それは専業設計企業が製造委託を利用しても、取引コストに大きく影響されない要因である。

第3に、企業間の競争が激しい構造が存在することである。産業への参入障壁の低下によって製造委託企業間の競争と製造受託企業間の競争はいずれも激しいものとなった。

このような競争構造のもとで、垂直非統合の企業間システムは2つの重要な性質を持つ。まず、(1)コンテスタビリテイ(新規参入によって争いうる市場)の性質を持つことである。新規専業設計企業は低資本でその産業に参入した後、既存企業と同様のコストで同質の製造技術並びに生産能力を獲得できるため、絶えずその市場に参入した。それによって競争的な「市場成果」が維持される(今井[1987]132-133頁)。次に、(2)少数複数の有効競争の「見える手の競争」の性質を有することである(伊丹[1988]144頁)。専業設計企業は複数の製造受託企業の競争制度の導入、並びに長期継続的取引によって製造受託企業を選択する。加えて価格統治機構が同時に働いているため、製造受託企業は完全競争より激しい競争に直面している。新規専業設計企業の自由な参入は既存企業に退出の脅威を与える。このような企業交代も含む競争構造は企業間システム全体の進化を促進し、その発展を牽引することとなる。

このように(1)産業への参入障壁の低下、(2)取引コストの抑制、生産コストを最小限までに低下しうること、(3)企業間の激しい競争構造という3つの性質の存在は、垂直非統合の発展を支える重要な要因となった。

この垂直非統合は1990年代半ば以降、世界に広範に導入されるようになったが、1980年代、台湾の半導体産業が開始された時点に、既に存在していた。こうして台湾において形成され、定着した垂直非統合が、1990年代半ば以降世界に広がるようになった要因として、(1)ロジック、マイクロ・コンポーネットなど非汎用型製品市場の急速な拡大、(2)統合型企業の工場建設資金能力の顕著な低下、(3)ファウンドリにおける製造技術の飛躍的な進歩という3つの要因が相互作用した結果と帰結することができる。一方で、製造優位性と十分な資金能力を持つ統合型企業は企業間取引コストが高い汎用型メモリを中心に生産しているため、ウェハ製造の内製を一層強化している。こうして、垂直非統合と垂直統合が並存し発展している。こうしてみると、1990年代半ば以降、台湾が自国の産業発展の困難に対応するために形成されたファウンドリビジネスモデルはその後、急速な技術変化に対応できるシステムまで進化したことが、垂直非統合が世界まで拡大する要因となり、台湾の半導体産業がさらに発展するチャンスを獲得できる要因ともなった

審査要旨 要旨を表示する

提出された王淑珍氏の論文「台湾半導体産業における政府の役割と企業間システム」は、世界的にも目覚ましい発展を遂げた台湾の半導体産業について、その発展のメカニズムを政府と企業の両方の側面から明らかにすることを課題としている。

まず本論文の内容について、以下簡単に紹介する。

序章では、台湾半導体産業が世界的にも目覚ましい発展を遂げた事実を確認したうえで、本論文の課題をあらためて設定するとともに、採用される方法と用いられる資料についての予備的な説明をおこなっている。

本論は2部8章から成っており、第1部では当該産業の発展に果たした政府の役割を扱っており、第2部では発展を実際に担った企業間システムを扱っている。

第1部の第1章では、1970年代後半から1980年代前半にかけての産業の誕生期における技術形成が、米系多国籍企業からの政府による技術導入、政府による民間企業の設立とそれへの技術移転、そしてそれらの民間企業による技術形成という3つの段階に即して明らかにされ、政府が設立した研究機関ITRIによる技術形成とその波及効果に基づく民間企業による技術形成が明らかにされる。

第2章では、1970年代半ば以降の時期における技術形成において政府傘下の研究機関ITRIの果たした役割が、さらに立ち入って明らかにされる。4次にわたる政府による技術開発計画を前提に、ITRIは米系多国籍企業からウェハ製造技術を導入するとともに、自らその技術水準を高めて先進技術へのキャッチアップに成功したこと、そして、技術開発計画によって技術者の育成とその組織化が成功の鍵であったことが解明される。

第3章では、政府系研究機関ITRIが果たしたいまひとつの役割が明らかにされる。ITRIは自ら技術開発に成功したのみならず、その成果を新設の民間企業に移転することにより、台湾の半導体産業の担い手を育成することにも成功した。しかもその技術移転は、比較的小規模な多数の民間企業の絶えざる設立(そこにはITRIの技術者のスピンオフによるものも含まれていた)と相まって進む、継続的な過程であった。これによって、参入障壁の低下がもたらされると同時に、参入促進効果が発揮された。以上が、第3章において明らかにされた主な内容である。

政府の役割を扱った第1部に続き第2部では、上記の過程を経て登場し、台湾半導体産業の発展を担うことになった多数の比較的小規模な企業が、いかなる企業間システムを構築したのかが問題とされる。冒頭の第4章では、台湾の半導体産業の生産システムとして垂直統合(ただし設計およびウェハ製造に限られたそれ)および垂直非統合という2類型が並存したという事実が確認され、この2類型の並存が同産業における企業の2類型(統合型および専業型)および同産業の生産・貿易構造に反映されていることが解明される。

第5章では、前章で明らかにされた生産システムの類型のうちの垂直非統合型について、そのシステムを支える最も重要な要素である製造委託・受託制度の構造および機能が明らかにされる。この制度を通じて、比較的小規模な設計企業は資本集約的かつ技術集約的な製造工程をファウンドリ企業に委託したが、このため設計部門には絶えず新たな企業が参入することになり、それらの間での激しい競争が産業発展の原動力となったとされる。

第6章では、前章における分析を踏まえたうえで、垂直非統合型の生産システムの全体について、その形成・定着および海外への移植の過程が明らかにされる。そこではとくに、技術進歩によりファウンドリ企業の機能が統合型企業との補完関係にまで拡張されたこと、また統合型企業の新たな登場によって製造委託を通じる垂直非統合がむしろ拡大したことの意義が強調される。

第7章では、引き続き垂直非統合型の生産システムに焦点が当てられ、製造委託・受託制度のもとで発生する取引コストを企業がいかなるメカニズムを通じて削減していったのかが、取引特殊的資産、情報の非対称性、コーディネーションなどの仮説を援用して明らかにされる。

最後に第8章では、いまいちど垂直統合および垂直非統合という生産システムの2類型の並存という事実に戻り、前者が後者によって代替されつくさず両者が並存する原因を、半導体企業のウェハ製造を内製するか委託するかという意思決定およびそれに影響を及ぼす要因(非汎用製品の拡大、ファウンドリ企業の技術進歩、企業の資金力)に即して明らかにする。

終章では、これまでの章における事実発見と主張が要約されたうえで、その含意が述べられる。

台湾の半導体産業については国際的に分厚い研究の蓄積が存在しており、その発展に果たした政府の役割については多くが語られてきた。だが、政府がいかなる役割を果たしたのかを解明するためは、技術の導入・定着の受け皿となる技術者の存在、発展を主として担ってきた民間企業の行動、および企業間システムの解明をあわせて明らかにする必要がある。氏は、まず政府の役割を論じた第1部で、先行研究の批判的検討を踏まえたうえで、政府系研究機関による技術導入と自主的技術形成、そして民間企業への技術移転こそが政府の役割の核心部分であることを、上場企業30社の年次報告書および136名に及ぶ技術管理者の経歴の丹念な分析をつうじて明らかにした。そのうえで、これまで研究が比較的薄かった企業間システムを取り上げた第2部で、産業次元における垂直統合および垂直非統合という二つの生産システムの並存、企業次元における統合型企業と専業型企業の並存という観察を中心にして、それぞれの生産システムにおける企業間関係を多面的かつ詳細に分析した。総じて、本論文の強みは何よりも、広範な資料・文献の渉猟、インタビューに基づく多くの事実発見とそれらの整理という実証的な成果にあるということができる。事実、本論文の土台となった論考はすでに産業・企業経営に関するいくつかの学会誌に掲載されており、一定の評価を受けている。

ただし、いくつかの問題点を指摘しておかなければならない。企業間システムを扱った第2部ではさまざまな理論仮説や分析枠組みが用いられているが、それらが十分咀嚼されたうえで用いられているとは言い難く、そのために論述が十分整理されていない憾みがある。また、やはり第2部に関わるが、垂直非統合型生産システムの核心をなす製造委託・受託制度について契約内容・取引の実態の分析が物足りず、垂直統合型生産システムに関しては設計とウェハ製造に局限されたことの原因の解明が不十分である。

以上、若干の問題点を指摘したが、しかしそれらは本論文の価値を大きく減殺するものではなく、また氏自身が今後の課題としてよく認識しているところでもある。

したがって、本審査委員会は全員一致をもって、本論文は博士(経済学)の学位を授与するに値するものと判断した。

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