学位論文要旨



No 120922
著者(漢字) 張,曦
著者(英字)
著者(カナ) チョウ,ギ
標題(和) 中国少数民族地域の観光開発 : 羌族地域を例として
標題(洋)
報告番号 120922
報告番号 甲20922
学位授与日 2006.03.23
学位種別 課程博士
学位種類 博士(学術)
学位記番号 博総合第625号
研究科 総合文化研究科
専攻 超域文化科学専攻
論文審査委員 主査: 東京大学 教授 伊藤,亜人
 東京大学 教授 山下,晋司
 東京大学 教授 並木,頼寿
 東京大学 助教授 箭内,匡
 東京女子大学 教授 聶,莉莉
内容要旨 要旨を表示する

本論は中国四川省羌族地域におけるの現地調査で集めた資料を基づき、主に民族誌記述の手法を用いて、現代中国の少数民族地域の観光開発がはらむさまざまな側面を明らかにしようとするものである。観光開発に焦点をおいたのは、まず、社会主義国家の複雑な行政システムにおける少数民族の位置づけを明確にし、あわせて、改革開放後の社会主義における社会動態の研究に寄与することである。また、これまでの観光研究と開発研究の殆どは観光する側の外部研究者によって構成されてきたことに対し、本論文は、少数民族の「内部的」な視点から観光研究を再構成することを試みた。

本研究が主たる対象とする地域は中国四川省アバチベット族羌族自治州の羌族地域とそれに隣接する北川羌族自治県である。九寨溝・黄龍の観光開発によって、アバチベット族羌族自治州はよく知られているが、北川県は2003年11月に誕生したばかりの羌族自治県であり、その羌族地域としての実態は殆ど研究を通し報告されていない。

本論の研究の基になる現地調査については、1996年から2005年8月まで、九年間にわたってほぼ毎年羌族地域に入って調査を行い2002年の4月から2003年2月までは長期滞在を含め、1996年8月から主にアバ自治州の〓川県、茂県、理県で行われ、2002年からは北川羌族県にも調査対象を広げた。

研究の過程で、羌族研究の先駆的研究者のTorranceや荘学本や胡鑑民などを始め、と近年の徐平、松岡正子、工藤元男による羌族と羌族地区における研究成果を踏まえて、また最近の中国観光開発研究成果も活用できた。羌族地域の観光開発研究及び中国の少数民族地域における観光開発研究が空白に近い状況にあることを指摘し、観光開発が盛んになっている現在こそ、中国民族地域の研究にとって、観光開発研究は重要であることを示した。

日本における中国少数民族地域の観光の研究は、瀬川昌久や橋本和也の研究はあるが、極めて断片的である。とりわけ、中国西部の少数民族地域の観光開発を事例としたの観光研究も不十分であり、経済的に貧困な民族地域において、貧困解消の政策の一環としての観光開発が推進されている現在、その民族特殊性を踏まえ、豊かな自然環境を持ち、伝統的な民族文化を持つ少数民族地域における今後の文化保全と経済発展との両立による住民の生活向上にとって、本研究が積極的な意味を持っていると思う。

本論文が特に重視した点は、まず、中国の観光実態の全体を把握するために、中国における観光及び観光開発の概念と時代性に留意した。1978年から、十数年に及ぶ観光開発に重点をおいた中央・地方政府主導の開発計画については、地域住民の利益が如何に尊重されたのか、観光開発がアバチベット族羌族自治州州内の経済向上に、とりわけ貧困問題解消にどれだけ役に立ったかを調査し検証した。

ついてに、近年の観光人類学の研究と開発研究成果を踏まえて、文化人類学の視角からアバチベット族羌族自治州の観光現象を検討し、中国文化すなわち漢民族文化を中心とする現代中国の文化体系の中における少数民族文化を位置づけた。また、観光人類学でしばしば論じられてきた「観光文化」および観光文化と伝統文化の関連性、観光文化の「真正性」について、アバ自治州の事例を通し新しい展望を試みた。

第三には、ゲストとホストの相互作用においても、内発的発展にも、住民自身の主体的な判断に伴う行動の重要性にと特に留意し、アバチベット族羌族自治州の観光開発事例における少数民族住民側の主体性を検証した。

最後に、中国少数民族地域の観光開発の現場では、しばしば経済状況の改善、生活の向上が最優先にされ、自然環境・文化環境に対する配慮が不十分であることが指摘されている。自然・文化資源に対する負荷を最低限に抑えることの可能性、言わば「持続可能な観光開発」の可能性を検証した。

本論文は九つの章と結論によって構成されている。第一章では、中国における観光史を整理し、改革開放後の観光理念・観光管理の面から、観光の新たな展開と多民族国家における観光開発において、貧困解消という少数民族地域の観光開発の実用的な側面について論述していた。第二章では、改革開放に伴う地域の観光開発の開始して以来、中国の国家的な大プロジェクトである西部大開発に至る過程における四川省民族地域の観光開発の特殊性を検討した。第三章では、現在の羌族地域における観光開発の進展を、観光化された地域、観光化されつつ地域、観光化が見込まれている地域の三つの段階に分けて、羌族地域の観光開発の現状と現場で起きた問題、とその問題に対する解決策を探る過程を検証した。第四章では、観光開発に密接にかかわっている羌族地域の自然環境・環境問題及び羌族の環境意識について論述した。第五章は、羌族地域社会の内部構造及び観光開発における内外の相互作用を記述し分析した。第六章は、羌族地域において推進してきた観光開発がもたらした効果を、経済的な面、社会的な面、文化的な面から検証した。第七章は、観光開発における女性の問題と女性が果たした役割について検討し、観光開発の過程にある羌族社会の女性の現状を記述した。また、女性の消費という側面から女性の自立性についても検証した。第八章は、スピ(羌族のシャーマン)儀礼などにみられる伝統文化の観光化の事例を取り上げ、観光開発にともなう観光文化と伝統文化の関係について分析した。第九章は、民族地域の観光開発と観光資源の問題及び観光開発における環境教育問題について論じた。

1949年以後、一時期中国社会の表舞台から姿を消した観光は、文化大革命を経1978年以降の改革開放により、規制緩和や経済好調などを背景にして再び復活した。その中で、少数民族文化の自発的な台頭が見られた。羌族地域の観光・開発の事例が示すように、スケールの大きい自然観光資源に対し、大係りな開発プロジェクトを立案し、財政面で推進してきたのは中央政府と地方政府である。しかし、その開発地の住民である少数民族は彼らの生活の場に入り込んできたゲスト側の観光客との相互作用の中で、九寨溝の例に見られるように、次第に自発的に自らの民族文化を商品化にしていったのである。民族文化が商品化される過程において、当初、その主体は地域住民と観光者であった。明らかに、これは政府の働きかけによるものではなかった。観光が国家政治によるイメージ操作によって支配されることや、国家の政治権力を意識しすぎて国家権力・政府行為を過大評価することは、とりわけ中央集権的な中国において、政治権力以外の要因、例えば住民の自発的な動きを軽視される結果となることと指摘した。

羌族地域の観光開発の現状については、具体的な事例の民族誌を通して、理県、茂県、北川羌族自治県では、1980年代後半からの四川省全体の経済発展や行政による交通網の整備が住民自身の自発的な観光発展の基礎を提供したことが明らかであり、観光開発において行政が果たした役割が大きいことを示した。こうした基礎を活用することが観光開発の更なる発展に繋がることを指摘した。雄大な自然と伝統文化をもつ民族地域の住民が村規模で独自に取り組む観光開発は、規模こそ小さいが、ゲスト側の観光行動と観光ニーズが変化しつつには十分に対応できる可能性を個々の事例を通して示した。

また、観光開発の過程で、地域開発の手法としての「文化観光」と「文化保全」との矛盾が顕在化し、観光発展に伴う経済利益の追求と生活様式の変化は、しばしば伝統文化を脅かしている。このジレンマを解消するためには、文化資源の適切な評価と文化資源を保存できる環境づくりが必要となることを提示した。また、村規模での観光開発における在来の末端組織と新たな村民委員会が地域に及ぼす影響を検討した。「自治的な」性格を持つにもかかわらず、機能しない例もある。従って、自然・文化を保存できる環境づくりには、ゲスト側とホスト側双方の自律と自覚が極めて重要と指摘した。

また、羌族と自然環境との密接な関連は、古くから伝承されている「山王菩薩」と「武昌菩薩」の対抗図に象徴されるように、羌族人の環境意識は、民話などの文化表象を通して内面化されており、その内面化されたものが行動を通して顕在化され、その行動が自然と生業の両立を保障してきたのである。

観光開発を取り込んだ地区では、期待された通り、経済状況が好転し、生活も向上したが、それと同時に、村内部の格差が生じ、拡大する傾向がある。先に豊かになった村人は、桃坪の事例が示すように、その経済力を背景にして、村での影響力を高めていく可能性があることを明らかにした。

また、観光研究・開発研究が示したように、女性がしばしば軽視され周縁化されてきたことを念頭において、観光開発にともなう少数民族女性の社会地位と役割と行動変化について記述し分析した結果、村においてもの観光開発が進んだ現場では、女性の対人サービスの専業化傾向が見られることを明らかにした。これに対し、観光化が一定の規模で進められてきた地域では、対人サービスが家事の延長線上に留まることを指摘した。

本論は、現在の観光・開発の研究が特に関心を持っている「観光文化」と「伝統文化」に、ついても取り上げ、観光文化形成の実態に即して検証した。従来の観光文化が通常ゲスト側とホスト側の交流によって形成されるとされてきたが、その場には、しばしば「行政的な力」、「経済的な力」が働いており、極端な場合には、ゲスト側が望むような形に近い観光文化が作られていることもある。茂県西福寨村における「オリオゾ」の演出はその典型的な例である。また、羌族地域における観光開発現場の実例では、観光文化と伝統文化の関係にはそれほど連続性が見られない。時間と経済的視点から見れば、短い「観光時間」内の観光文化と、ゆっくりと独自の文脈を辿って変貌する伝統文化とを同質視にすることはできない。理県休渓のスピが建物に関する経典を唱える際、二階についての内容を意図的に省いたことは、伝統文化が独自に変貌した結果とは考えにくい。こうした考察結果、「観光文化」と「伝統文化」は「場」が異なり、短い時間内でのゲストとホストの相互作用の結果、伝統文化の断片によって構成された「観光文化」は、観光の「場」でしか存続しえない。つまり、観光によって文化が再構築ばかりではなく、単に加速化されたばかりでもなく、その文脈と語り方も断片的になっており、従って、文化の連続性を強調すること自体の意味が失われているように思われる。

また、現場の具体的な事例を通して、観光文化の「真正さ」についても、観光客が観光する前にすでに抱いているイメージを前提として、これに応える形で成立する場合が多いことを示し、観光文化が形成される場では、現地住民にとっての「真正さ」とは関係が稀薄である。

最後に、中国の観光開発における資源利用の問題を取り上げ、羌族地域の事例に拠って、中央政府の「退耕還林」などの自然保護政策を踏まえ、具体的な事例で、観光資源の適正利用のあり方について論議した。観光資源は、とりわけ森林資源などは特に小規模な村では観光開発に重要な位置を占めている。また、観光開発と密接に関連している環境教育にも触れ、外来の環境教育に拠らない、羌族地域における具体的な実践の動きを紹介しながら、在来の羌族独自の環境認識を踏まえた環境教育の有効性を指摘した。

審査要旨 要旨を表示する

本論文は、現代中国の少数民族地域における観光開発の実態について、国家および地方の行政と現地住民の対応に留意して、観光開発がはらむ多様な現実と地域住民による主体的・内発的な発展の可能性について検証するものであり、筆者自身による現地での観察・記述と歴史・行政資料とを併用した記述と分析である。

本論文は、序章と九つの章および結論からなっている。

序章では本論文の課題として、まずはじめに現代中国の少数民族地域における観光開発を取り上げる理由と課題の輪郭と脈絡が示されている。社会主義の原則のもと、改革開放政策によって観光は国民的な関心事として急速な発展をとげており、それは国家の周辺に位置する少数民族地域にまで大きな影響を及ぼし、民族的アイデンティティ−においても観光化の過程を無視できないとする。本論が特に留意するのは、観光開発における行政と住民の関係に加えて、改革開放過程における観光開発の経済的側面、観光開発にともなう「観光文化の生成」をめぐる観光人類学の論点、開発における参加と主体性をめぐる開発人類学の論点、持続可能な観光開発をめぐる論点である。次いで、本論文が事例として取り上げる羌族およびアバ羌族蔵族自治州について先行研究が紹介された後、筆者自身の羌族出身としての内部者の視点が強調されている。

第一章では、中国における観光概念と観光の歴史を踏まえた上で、新中国における近代観光を概観している。それは社会主義体制のもとでの労働と学習との関連で定義された観光であったのに対して、改革開放政策以降は規制の緩和にともないそれ自体を目的とする観光が急速に復活し、それにともなう行政による新たな管理・統制についても記述されている。1986年以降の経済成長に伴う観光の発展においても、行政の側の経済的効果を優先した観光開発の経過と、その一方で、伝統文化に対する再認識、とりわけ少数民族をめぐる観光ブ−ムに至った経過があとづけられる。

第二章では、羌族地区において主として行政の主導で推進された観光開発の過程を取り上げ、自然環境を資源として経済的な効果を優先させた観光開発について、近年の西部大開発政策にいたるまで観光開発が貧困削減の中心的な課題となってきたことを、主として行政資料によって検証している。

第三章では、羌族地域における、観光化の進展に応じて3つの段階に区分して、風景区の認定、事業所設置、交通の整備の3点について観光条件の開発の現状について記述し、自然環境と民族文化の両面においてアバ自治州が都市住民の多様な観光ニ−ズに応えられる条件を具えるに到ったことを明らかにしている。

第四章は羌族地区における環境状況と環境意識について、森林伐採と移動式農業および工場汚染などによる環境問題に対して、羌族の山の生活と一体化した伝統的な自然認識と環境認識について、彼らの伝承と信仰をもとに分析しており、民族独自の環境保全の新たな取組みの有効性を指摘している。

第五章は観光開発の状況について、地域社会内部の住民の認識・対応と地域外部からの介入や影響の両面から記述している。内部の状況として、土司制度から集団農場を経て近年の村民委員会にいたる地域末端行政組織の実態について、自治的・内発的な側面を検証している。その上で、外部の開発介入に対する村人の主体的な対応を指摘している。

第六章では、羌族地区における観光開発にともなう文化的・社会経済的影響について、主として持続性の条件となる社会的適合性(soundness)に留意して検討している。その結果、民宿を主とする村規模の観光開発の経済効果について、概ね適合的であるという評価を下している。

第七章は、GAD (Gender and Development) の視点から羌族地区の観光開発における女性に注目し、羌族の伝統的な女性の地位・役割、観光開発にともなう女性の労働とりわけ民宿経営における女性の仕事、観光開発にともなう女性の自己認識と変貌、観光開発にともなう女性の消費行動などについて、具体的な事例の記述と分析をおこなっている。その結果、町における観光開発とは異なり、村の民宿経営におけるような小規模な観光開発では、観光による女性のサ−ヴィスの専門化や女性の地位の周縁化は見られず、伝統的な女性の地位・役割の延長上で行われていることが指摘されている。

第八章では、これまで観光人類学において関心を呼んできた文化の変容と生成の問題を論じている。文化が置かれた文脈のもとで絶えず生成するという観点から、いわゆる伝統文化とは異なる観光文化が生成されるという状況について、筆者はホストとゲストの不均衡な関係に注目して、いわゆる観光文化は、どこまでもゲストの主導性によって断片化されたものであり、その脈絡に即してホスト側によって文化が演じられるとする。また、両者の不均衡な関係に対応して、文化を語り提示する文脈自体が分断されているとし、したがってゲストが期待する真正さとは別に、観光以外の文脈における文化の真正性を提起している。この点について筆者は、民宿おける客に対する物質文化の説明、祭りやシャ−マン儀礼の観光客向けの演出などの具体的な事例を慎重に観察記述しており、筆者自らの羌族としての観察眼が発揮されている。

第九章は、観光開発と観光資源との関連について、持続可能な観光を想定した適正規模の観光の可能性を論じている。観光開発によるマスツ−リズムにさらされる羌族地区における自然環境と民族文化の持続的な側面について、具体的な事例に拠って記述している。また持続的観光のための教育の重要性を指摘し、特に自然環境については信仰と伝承によって生活に組み込まれた羌族独自の伝統を踏まえた環境教育の有効性を指摘している。

結論では、以上の各章の論点を的確に総括している。

本論文で筆者は、行政主導による観光開発では、社会主義社会建設のための実用面から経済効果が優先され、自然環境資源に注目したきわめて介入的かつ規模を重視する方針が採られてきたことを明らかにし、これに対して、少数民族の伝統文化に対する認識と関心は、むしろ行政の及ばない周辺部において住民と訪問客の相互交流の過程で展開してきたものであると指摘している。これは、現地住民の内発的かつ持続的な対応の重要性を指摘するものでもあり、これまでの外部研究者の視点では軽視されてきた点である。さらに、行政による大規模開発とは異なり、村規模の観光において女性の参加による主体的・自発的な活動が、家族経営による観光の持続的な発展において有効であるという指摘も、現地での参与観察の貴重な成果である。これに関連して、社会主義国家における国家行政の影響力を過度に強調してはならないという筆者の主張は、現地住民の生活現実を重視した貴重な警鐘ともいえる。

また、観光の現場に生成されるいわゆる観光文化については、ホストとゲストの相互作用の中で、伝統文化の断片によって構成され、観光の場でしか存続しないとし、変貌した伝統文化もゲスト側観光客と共有するためではなく、主にホスト社会の中で変貌しながらも存続すると指摘しており、さらに、住民が脈絡の違いを弁えながら、自文化の語り方を自らコントロ−ルできるようになったとして、住民の新たな主体性を指摘しているのも、これまでの外部研究者の視点を超える現地人研究者の貴重な問題提起である。

その点で、社会主義国家における国家の行政の力と支配を強調しすぎてはならないとして、少数民族社会内部の実態に目を向けて、村人と観光客の行動の観察を通して、両者が文化を認識し語る文脈の違いを読み取っている点に本論の特色がある。それは、自らが羌族出身の立場から、たえず外部との関係に身を置きながら自覚を迫られてきた筆者ならではの視点が生かされている点として高く評価される。

また、周辺山間部の村の小規模な観光における住民の主体的な参加による内発的な様相を指摘して、持続的な観光のためにはホスト側にもゲストの側にも適正な規模の観光と、経済のみならず文化的にも自律と自覚の重要性を提起しており、その一環として民族の伝統的な環境認識にもとずく教育の重要性を指摘しているのは、単なる観察・分析に留まらず現地社会の現実を踏まえた実践的な姿勢としても高く評価される。

人類学の対象としてはきわめて大規模なばかりでなく、中央から地方に至る複雑な行政まで視野に入れなければならない社会主義中国の研究において、とりわけ少数民族の研究においては特に漢族との関係が大きな規定要因となってきた。本論文では、こうした大規模かつきわめて複雑な状況を正面から視野に入れた研究という点で大変意欲的なものであり、加えて観光という相互関係の場に焦点を置くことによって、少数民族の置かれた生活実態を記述・分析した点でもこれまで先例の少ない研究成果であるといえる。そうした展望と研究実践は、自らが少数民族の出身として、山間部の生活から平野の町の生活、都市での教育、職場、そして留学、さらに文化人類学との出会いを通して、つまり極めて複雑な状況を自ら歩み経験しながらこれを対象化するに到ったものであり、外部社会との関連の中で少数民族の視点を生かそうとした点で、筆者ならではのオリジナルな研究成果といえよう。

なお、審査員の中からは本論文の欠点として、扱う内容があまりに多岐にわたるため、個々の論点の関連が必ずしも明確ではない点、筆者の置かれた状況と視点の特質について考察が十分でない点、また文章上の不備や文献引用における不備などが指摘された。しかしこうした欠点は上記のような本論文の評価を覆すような瑕疵とはみなされない。

したがって、本審査委員会は本論文が博士(学術)の学位に相応しいものと認定する。

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