学位論文要旨



No 120926
著者(漢字) 樋渡,雅人
著者(英字)
著者(カナ) ヒワタリ,マサト
標題(和) ウズベキスタンにおける習慣経済の機能と役割 : アンディジャン州におけるマハッラの共同体像と社会的紐帯
標題(洋)
報告番号 120926
報告番号 甲20926
学位授与日 2006.03.23
学位種別 課程博士
学位種類 博士(学術)
学位記番号 博総合第629号
研究科 総合文化研究科
専攻 国際社会科学専攻
論文審査委員 主査: 東京大学 教授 中西,徹
 東京大学 教授 中井,和夫
 東京大学 教授 松原,隆一郎
 東京大学 助教授 倉田,博史
 東京大学 教授 山内,昌之
内容要旨 要旨を表示する

論文の目的

本論文の課題は、旧ソ連中央アジアの市場移行国であるウズベキスタンを対象とし、移行期の経済的苦境の中で「慣習経済」の担ってきた積極的な機能を明らかにし、基盤となる構造を共同体の実態調査を通して検討することである。ここで慣習経済とは、主体間が血縁・地縁等の社会的紐帯や慣行ルール等を介して相互に依存し合っている経済である。以下では、慣習経済に対する本論文の分析視角を、「社会保障機能」と「共同体」の観点から説明する。

第一に、本論文の着目する慣習経済の積極的な機能とは、インフォーマルな社会保障機能に他ならない。近年のウズベキスタンは、市場や政府が不十分にしか機能しないという移行期特有の危機的状況を経験してきた。同地域の社会人類学的研究においては、日々の経済的困難を凌ぐためのセイフティネットとして、血縁・地縁等の社会的紐帯に基づいた互酬ネットワークが注目されている。本論文では、互酬ネットワークを家計調査の個票データから定量的に把握することで、発生要因の分析を行う。互酬ネットワークの社会保障機能を明らかにすることによって、慣習経済に積極的な機能が内在していることを示したい。

第二に、慣習経済の基盤構造を、共同体の事例分析を通して検討する。ウズベキスタンの地域共同体は、「マハッラ」と呼ばれる。本来、マハッラとは、イスラーム圏の諸国における都市生活の基本的な単位であった。近年、同国政府は、マハッラの復興を標榜し、これを政策に取り込むことによって開発を進めようとしている。本論文では、アンディジャン州のマハッラにおける実地調査を通じて収集した一次資料に基づいて、マハッラの事例分析を行う。すなわち、マハッラにおいて、どのような性格の社会的紐帯が、どのように張り巡らされているのかを分析することを通して、マハッラの共同体像を検証する。最終的には、慣習経済の基盤構造の観点から政策的含意を引き出したい。

各章の構成

以下に、本論文の第一章以降の構成と主要な論点を示す。

第一章の目的は、近年のウズベキスタンの経済社会的状況を概観した上で、慣習経済の社会保障機能を分析することによって、マクロ的視野から同国における慣習経済の位置付けを示すことであった。ウズベキスタンは、独立以来、経済改革の漸進主義を掲げて政府主導の民営化を進めてきたが、経済・制度変革は難航し、他の移行国と同様に、長期的な経済不振や公的サービスの低下を経験してきた。第二節以降では、経済的苦境の時期に、互酬ネットワークの担ってきた社会保障機能を分析することを通して、慣習経済の積極面を検証しようと試みた。具体的には、互酬ネットワークを定量的に把握するために、家計間の現金財貨の移転授受、すなわち、プライベート・トランスファー(私的資源移転)に着目した。経済の最も落ち込んだ時期である1995年に同国で実施された1500世帯余りの家計調査の個票データを用いて、プライベート・トランスファーの規模と概要を定量的に確認し、その社会保障機能の計量分析を行った。推計結果からは、この時期の同国のプライベート・トランスファーが、一時的な所得ショックを補填する所得再分配機能を担っていたことが認められた。さらに、親族間移転と隣人間移転に焦点を当てた拡張的な分析からは、血縁・地縁的紐帯の重要性が示唆された。

第二章においては、次章以降の共同体の実態調査に備えて、同国におけるマハッラの歴史的、政治的背景や、マハッラと共同体を扱った諸議論を展望し、分析視角を明確にした。最終的には、「下からの」構造分析と名付けた次章以降のマハッラ分析には、以下のような3つのねらいがあることを示した。

第一のねらいは、慣習経済の社会保障機能はどこから生まれるのか、その構造を具体的現実に照らして検証するために、マハッラにおける相互扶助のありようを示すことである。そこには、第一章の計量分析によっては十分に接近できなかった慣習経済の具体構造を検証しようという意図があった。第二のねらいは、「下からの」観点、すなわち、単に行政の末端組織としてではなく、住民の視点からマハッラの共同体像を示すことである。この点は、近年のマハッラを巡る諸議論における空隙を埋めることを意味していた。

第三のねらいは、マハッラを事例に、従来の開発政策議論が暗黙裡に想定してきた「機能的共同体像」とは異なる共同体のありかたを示すことである。機能的共同体像とは、「明確な境界線(厳格なメンバーシップ、小規模、排他性)」と「構成員の同質性」に象徴される一枚岩的な共同体像であった。第四節では、政治経済学、開発経済学で扱われてきた共同体論を振り返り、背景には、共有資源(Common Property Resource)の管理等、明確な共同利害を介して、共同体の全構成員が互いに結ばれていると考える機能的共同体観があったことを指摘した。他方で、マハッラ等を扱ってきたイスラーム研究においては、その共同体像の特徴として、「滑らかな境界線」や「構成員の異質性」といった諸点がしばしば強調されてきた。以上を比較しつつ、本節では、実際の共同体に対して機能的共同体像を安易に適用することは、内部に存在する様々な社会集団や利害関係の絡み合いを見落とすことにつながると指摘し、共同体を一枚岩に捉えずに、微視的に分析する必要性を主張した。

第三章では、前章に示した問題意識に基づき、実際に、アンディジャン州のマハッラを事例分析した。調査地である「オフトバチェク・マハッラ」において実施した家計調査、親族関係調査、ライフヒストリー調査等によって得られた一次資料を駆使し、マハッラの共同体像を提示することを最終的な目標とした。

200年余りの歴史を有するオフトバチェク・マハッラは、現在までに500世帯程度まで膨張してきたが、内部には様々な社会的紐帯が錯綜し、機能的共同体の枠組みには合致し難い外観を呈していた。第三節以降では、マハッラ内部の住民の視点に立ち、個人や世帯の保有する社会的紐帯に着目した。マハッラにおいて際立った存在感を示している血縁や慣習「ギャプ」の性質と普及の実態を分析することで、これらの社会的紐帯が、明確な共同利害を有した機能的紐帯であるということを示した。機能的紐帯によって形成されたネットワークは、メンバーシップを厳格に固定しているという点で、外に対しては閉鎖的であった。ただし、同時に以下の2つの特徴を伴っていた。第一に、「重層性」である。各世帯が複数の機能的紐帯のネットワークに所属することは容認されていた。つまり、マハッラという領域における緊密な人間関係は、これらのネットワークが、互いに溶解や融合するのではなく、幾重にも重なり合うことによって醸成されてきたとみなせた。住民間の相互扶助は、これらのネットワークの網の目を通して行われており、インフォーマルな社会保障としてのマハッラの意義とは、機能的紐帯によるネットワークを濃密かつ重層的に根付かせている場であるという点にこそ存在していた。第二に、「横断性」である。これらの機能的紐帯は、必ずしもマハッラ内で完結していなかった。この点は、場としてのマハッラの境界線が、明確に線引きされないことを説明し、マハッラの構成員同士の異質性を一層際立たせるものであった。機能的紐帯の密に重なり合った場としてのマハッラは、その構造上、「曖昧な境界線」と「異質な構成員」を伴うものであったが、それは、相互扶助の基盤としての1つの共同体のありかたであった。

第四章の目的は、前章において提示したオフトバチェク・マハッラの共同体像を、相互に関連する3つの視角(有力者、家族儀礼、政策)から再検討することによって、共同体像を補完するとともに、その意味や含意について考察を加えることであった。

第一節においては、マハッラの有力者達に着目した。代表機関としてのマハッラ委員会の末端に至るまでの人事構成を詳しく検証することによって、前章で示した共同体像の中で、マハッラ委員会はどのように位置付けられるのかを示した。有力者達は、機能的紐帯によるネットワークの代表達であるという点で、互いに異質な利害集団に属しているという特徴があった。

第二節においては、トイ(家族儀礼)の過程等を参考に、マハッラにおける異質な有力者同士、異質なネットワーク同士の関係性を検討した。有力者同士は、直接的に強い機能的紐帯で結ばれていなくとも、「交点」としての個々の住民を仲介にして結ばれている側面があった。「交点」となる住民は、不定期かつ頻繁に異質なネットワークの参集の場を提供する。つまり、マハッラにおいては、機能的紐帯によるネットワークの重層性という基本構造の上において、「交点」としての個々の働きかけやトイ等の慣習を通して、異質な者同士の頻繁な接触や擦り合わせが生じているとみなすことができた。

第三節においては、近年のマハッラ政策を再考し、本論文の分析結果の含意を考察した。第一に、個々の観点からは、個人や世帯をネットワークの中で捉えることが重要であることを指摘した。ネットワークに漏れている世帯は、ネットワークの閉鎖性から、マハッラ委員会によっても救済されない可能性があることに言及した。第二に、現在のウズベキスタンの政策は、大きな方向性としては、機能的共同体像を育成することを目指しており、現状の機能的紐帯の重層構造とは、いくつのかの点で競合すると考えられることを指摘した。最後に、マハッラ政策には2つの方向性、すなわち、機能的共同体の育成を目指す道と、本論文の示した共同体像を活用する道があることを示し、マハッラによって使い分けることが、既存資源の有効利用につながることを指摘した。

審査要旨 要旨を表示する

旧社会主義国における社会経済発展を考察する場合,果たして,それを単に「命令経済」(command economy)から「市場経済」(market economy)への移行として捉えるだけでよいのであろうか。その地域には,人々が営々と築き上げてきた「慣習経済」(customary economy)が存在するはずであり,それは経済発展において大いに活用しうる豊かな資源として捉えることができるのではないだろうか。

樋渡雅人氏の博士学位請求論文「ウズベキスタンにおける慣習経済の機能と役割:アンディジャン州におけるマハッラの共同体像と社会的紐帯」は,このような問題意識から,旧ソ連中央アジアの市場移行国であるウズベキスタンを対象に,移行期の経済的苦境の中で「慣習経済」の担ってきた積極的な機能をあきらかにし,基盤となる構造を「マハッラ」と呼ばれる地縁集団(locality)の実態調査を通して検討することを目的としてなされた研究である。ここで,マハッラとは,イスラーム圏の諸国における都市生活の基本的な単位(街区)であるが,近年,同国政府は,マハッラの復興を標榜し,これを政策に取り込むことによって開発を進めようとしている。マハッラの分析は政策論においても,大きな意義を有するといえよう。

この課題を達成するため,著者は,大規模な個票データを用いた定量分析と,参与観察と質問票調査からなる実態調査を繰り返し実施することによって得られた一次資料を用いた定性分析の両面から,厳密な論証を行い,注目に値すべき分析結果をあげてきた。この研究は,資料的な制約ゆえにこれまでその実態が必ずしもあきらかでなかった中央アジアの慣習経済に関して,さまざまな新しい事実の発掘と新しい視点の提示に成功している。その内容は以下の通りである。

まず,第1章において,著者は,近年のウズベキスタンの経済社会的状況を概観した上で,その社会に内在する固有の互酬ネットワークが経済危機下において社会保障機能を果たしていることを,二段階回帰分析を用いた厳密な計量分析によって丁寧に示した。すなわち,経済の最も落ち込んだ時期である1995年に同国で実施された1500世帯余りの家計調査の個票データを用いて,私的資源移転(private transfer)が一時的な所得ショックを補填する所得再分配機能が実現されていることを検証したのである。さらに,親族間移転と隣人間移転に焦点を当てた拡張的な分析からは,血縁・地縁的紐帯の重要性が示唆された。

しかし,集計データによる計量分析だけでは,大まかな社会保障機能の存在を確認することはできても,そこに内在するメカニズムを実体的に把握することは困難である。この問題を解決するために,著者は,計4回,のべ5ヶ月以上にわたる実態調査を試み,ウズベキスタンにおける慣習経済の構造を解明しようとした。第2章では,実態調査による本格的分析の準備として,同国におけるマハッラの歴史,政治,社会などを扱った諸議論を幅広く批判的に展望し,従来の議論では十分に解明されてこなかった3つの論点を,「下からの」構造分析と名付けた独自のマハッラ分析の課題として抽出した。すなわち,(1)慣習経済の社会保障機能の源泉とその構造を具体的現実に照らして検証するために,マハッラにおける相互扶助のありようを示すこと,(2)「下からの」観点,すなわち,単に行政の末端組織としてではなく,住民の視点からマハッラの共同体像を示すこと,(3)従来の開発政策議論が暗黙裡に想定してきた「明確な境界線」と「構成員の同質性」によって規定される「機能的共同体像」とは異なるウズベキスタンにおける共同体の固有性を示すことである。

これを受けて,残りの章では,これらの課題に答えるべく,アンディジャン州のマハッラの事例分析が展開される。第3章では,200年余りの歴史を有し,世帯数500を数える調査地「オフトバチェク・マハッラ」を題材として,家計調査,親族関係調査,ライフヒストリー調査等を著者が自ら実施し得た一次資料を詳細に分析することによって,様々な社会的紐帯が内部に錯綜し,機能的共同体の枠組みには合致し難い外観を呈するマハッラ固有の共同体像の実体が解明されている。たしかに,血縁集団や慣習「ギャプ」の実態を分析することによって析出されたマハッラ住民が保有する社会的紐帯は,明確な共同利害を有した「機能的」紐帯であった。しかし,参与観察と質問票調査によって,この紐帯は従来の機能的な共同体像に着目した分析では扱うことが困難な二つの固有の性質を有するという重要な事実発見が導かれる。すなわち,各世帯が複数の機能的紐帯のネットワークに所属することは容認され,住民間の人間関係は,これらのネットワークが,互いに溶解や融合するのではなく,幾重にも重なり合うことによって醸成されるという「重層性」と,これらの機能的紐帯は,必ずしもマハッラ内で完結していないという「横断性」である。それは,マハッラが,機能的紐帯が密に重なり合った「場」として存在しており,「曖昧な境界線」と「異質な構成員」を伴うという独特な性格を有する相互扶助の基盤としての共同体であることを示している。

しかしながら,従来の機能的な共同体分析では,このような特性を有するマハッラを十分に理解することができない。そこで,第4章では,相互に関連する3つの視角(有力者,家族儀礼,政策)からマハッラを再検討することによって,従来の共同体像を補完しつつ,新しい「マハッラ的共同体像」を構築することが目指されている。まず,著者は,マハッラの有力者達に着目し,代表機関としてのマハッラ委員会の人事構成を詳しく検証することによって,マハッラ的共同体像の中で,委員会はどのように位置付けられるのかを提示した。すなわち,各有力者は,各機能的紐帯によるネットワークの代表であるという点で,互いに異質な利害集団に属しているという特徴が発見されたのである。さらに,トイと呼ばれる家族儀礼を参照し,マハッラにおける異質な有力者同士,異質なネットワーク同士の関係性が検討され,有力者同士は,直接的に強い機能的紐帯で結ばれていなくとも,「交点」としての個々の住民を仲介にして結ばれているという重要な事実発見が提示されている。「交点」となる住民は,不定期かつ頻繁に異質なネットワークの参集の場を提供する。つまり,機能的紐帯によるネットワークの重層性という基本構造の上において,「交点」としての個々の働きかけやトイ等の慣習を通して,マハッラという場に異質な者同士の頻繁な接触や擦り合わせが生じているとみなすことができるのである。最後に,近年のマハッラ政策を再考し,本論文の分析結果の政策的含意が考察されている。まず,個別主体単位の観点からは,個人や世帯をネットワークの中で捉えることの重要性が指摘され得る。とくに,ネットワークに漏れている世帯は,ネットワークの閉鎖性から,マハッラ委員会によっても救済されない可能性があるという指摘は重要な論点である。第二に,現在のウズベキスタンの政策は機能的共同体像としてマハッラを育成することを目指しており,著者が析出したマハッラの機能的紐帯の重層構造とは競合しうることが指摘されている。最後に,マハッラ政策には2つの方向性,すなわち,機能的共同体の育成を目指す道と,本論文の示した共同体像を活用する道があることが提示され,マハッラによって個別に使い分けることが,既存資源の有効利用につながることが指摘されている。

以上が提出論文の要旨であるが,本論文は次のような点で高く評価することができる。まず,ウズベキスタンの膨大な家計データを本格的に利用し,適確な計量分析によって慣習経済の役割を開発経済学の視角からあきらかにした点である。それは,従来のこの種の研究において欠落していた検証の厳密性を補うものであり,ウズベキスタンにおける私的資源移転の社会保障機能が科学的に実証されたことを意味する。この意味で,本論文は同国の慣習経済の経済学的分析において重要な貢献をもたらしたと評価することができる。この部分については,査読付学術雑誌『アジア経済』において発表されており,開発経済学の分野において既に高い評価を得ている。

第二に,こうした一見,形式的に見える分析に留まらず,著者は,そこにおいて見逃されていた慣習経済の実体的構造について,地域研究の立場から,説得的な解明を成功させているといえよう。すなわち,現地語を駆使した長期の実態調査における詳細な参与観察によって得られた数々の貴重かつ重要な事実発見にもとづき,禁欲的な定性分析を展開し,きわめて資料的価値の高いモノグラフを完成させている。

第三に,これら二つの異なる視角からの研究は,決して分断された別個のものではなく,有機的に結合され,マハッラ的共同体の構造の社会科学的解明に成功しているといえよう。多くの開発研究にあっては,定量分析と定性分析のリンクに弱く,分析の総合は容易ではないが,本論文は,開発経済学と地域研究を止揚する総合的開発研究として極めて高い水準の研究である。このような視角からの研究は,非社会主義諸国における発展途上地域の研究ではある程度の蓄積はあるものの,旧社会主義諸国の分析では稀であり,ウズベキスタンをはじめとする中央アジアの場合は皆無であるといってよい。その一部は,査読付学会誌『アジア研究』において公表されており,開発経済学のみならず,アジア地域研究の分野においても既に高い評価を得ている。

以上のように,本論文は,今後の移行経済を扱う諸分野に幅広く大きな貢献を果たした研究として高く評価できるであろう。

もちろん,本論文には改良の余地がないわけではない。第一に,本論文はマッハラ的共同体のいわばスナップ・ショットに過ぎない。この研究の守備範囲外とはいえ,慣習経済が,命令経済や市場経済との関係で,動態的な発展過程においてどのようにして変容してきたのか,あるいは現在の慣習経済はどこに位置づけられるのかという点が明確に解明されたとは言い難い。また,マハッラの重層性と横断性という特徴が他のマハッラにどれほど普遍性があるのかという問題も課題として残っている。これらの点については,今後,たとえば,社会ネットワーク分析などを用いた一層の研究の発展が望まれるところであろう。第二に,いくつかの細かい点において,より一層の具体的分析が望まれる箇所がある。たとえば,国際援助諸機関におけるマハッラのとらえ方についてさらに詳しい論及があれば,それが国内のマハッラ政策に与える影響という視点を与えるであろうし,市場経済化において具体的にマハッラのネットワークがどのように活用されうるのかをマハッラ構成員の視角から論じることもここでの主題の分析に一層の厚みをもたらすはずである。さらに,第4章のリーダーの分析において,彼らが帰属するネットワークにおけるリーダーの条件についての分析が平板になってしまっている。この点が補足されれば,リーダーを巡る分析はより説得的になったように思われる。第三に,用語や構成面についても若干の改善点が指摘されうる。たとえば,ウズベキスタンの慣習トイについての訳語(家族儀礼)などの術語については,読者の便を図り追加的説明が必要であろう。また,参考資料として巻末に掲げられた世帯別モノグラフも,それ自体が価値の高いきわめて有用な一次資料であるが,本論における参照箇所との対応は読者にとって親切とはいえず,公刊する際には改良が望まれる。

しかしながら,これらの点は本人も十分に認識しているところであり,また,上に述べた本論文の学術的価値をいささかも損なうものではない。本論文は,開発経済学と地域研究の相克を止揚する極めて高い水準の研究であり,関連学術諸分野において多大な貢献をした特筆に値する研究成果として評価することができる。以上の理由により,審査員は全員一致で,本論文の著者は課程博士(学術)の学位を授与されるにふさわしい水準にあると認定した。

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