学位論文要旨



No 120927
著者(漢字) 原,樹子
著者(英字)
著者(カナ) ハラ,ミキコ
標題(和) 跳躍における腕振り動作の効果に関するバイオメカニクス的研究
標題(洋) A biomechanical analysis of the effect of arm swing on jump performance
報告番号 120927
報告番号 甲20927
学位授与日 2006.03.23
学位種別 課程博士
学位種類 博士(学術)
学位記番号 博総合第630号
研究科 総合文化研究科
専攻 広域科学専攻
論文審査委員 主査: 東京大学 助教授 深代,千之
 東京大学 教授 小林,寛道
 東京大学 助教授 金久,博昭
 東京大学 助教授 柳原,大
 理化学研究所 基礎科学特別研究員 長野,明紀
内容要旨 要旨を表示する

人間の最もダイナミックな運動の一つである跳躍動作は,様々なスポーツの中にみられ,また身体運動の機序を解明するための対象動作としても多く用いられてきている.跳躍を対象とした研究として,下肢反動(Fukashiro et al. 1987)や腕振り(Harman et al. 1990,Feltner et al. 1999)が,身体重心変位を増加させることが知られている.垂直跳びの反動動作に関する機序は定量的に解明されているが,腕振りの効果を検討した先行研究では,個々の関節の仕事量が定量されていない.さらに,腕振りを用いた時の肩関節を通して体幹に及ぼされる作用(肩関節トルクと,体幹の重心まわりに生じる肩関節間力によるトルク)の大きさや方向は,腕の位置・腕振りの方向により異なるため,腕振り方向と跳躍方向の組み合わせの違いにより,腕振り動作が各関節の仕事量や身体重心の変位に及ぼす影響も異なる.

そこで,本研究では,「ある系の全力学的エネルギーの変化量は,その系になされた仕事量に等しいという仕事-エネルギー関係(Work-energy theorem)」の観点から跳躍運動をとらえ,腕振りの効果を検討することを目的とした.具体的には,地面反力および画像データもとにした二次元および三次元逆ダイナミクスを用いて,ヒトの跳躍運動における身体重心の変位と身体各関節の力学的変数(角速度,トルク,パワー,仕事)を算出し,また下肢3関節の主働筋の活動水準を測定し,跳躍中に腕振り動作が身体各関節仕事量および身体重心変位量に影響する機構を検討した.

【研究1:下肢反動を用いない垂直跳びにおける腕振り動作の効果】

下肢反動を用いない垂直跳びにおける腕振りなしの跳躍(SJ)に対して,腕振りあり(SJA)では,跳躍高が有意に増加した(n=5,増加率22.9%).腕振りによる身体全仕事量(各関節仕事量の総和)の増加分のうち34.1%は上肢関節の増加により,65.9%は下肢三関節の増加によるものであった.下肢関節では股・足関節仕事量が有意に増大し(増加率14.4%,18.6%),膝関節仕事量が有意に減少した(減少率20.6%).股関節に関しては,腕振りを用いると,重心上昇期後半で肩関節を通して体幹に及ぼされる作用が股関節屈曲の方向に大きな負荷を与え,その負荷に対し股関節伸展筋の活動が増加することにより股関節トルクが増加する.また,腕振りによる股関節屈曲方向の負荷により股関節伸展速度が抑えられることによって(大腿二頭筋長頭の筋短縮速度の減少),力-速度関係により股関節トルクが増加するためと考えられる.

【研究2:下肢反動垂直跳びにおける腕振り動作の効果】

下肢反動を用いた垂直跳びにおける,腕振りなし(CJ)の跳躍に対して,腕振りあり(CJA)では,跳躍高が有意に増加した(n=5,増加率17.2%).腕振りによる身体全仕事量の増加分のうち上肢二関節・下肢三関節が占める比率はそれぞれ-25.1%,125.1%であった.下肢関節では腕振りにより足関節と股関節の仕事量が有意に増加し,増加率はそれぞれ19.7%,30.3%であった.股関節の仕事量が増加する機序は,研究1と同様である.

【研究3:垂直跳びにおける腕振り動作と反動動作の効果の比較】

SJに対してSJAでは,SJに対してCJでは,SJAに対してCJAでは,またCJに対してCJAでは,跳躍高,身体全仕事量および下肢三関節仕事量の和が有意に増加した(n=5).したがって,下肢反動,腕振りを個々に使用しても両者を併用しても,下肢三関節仕事量の和を増加させ,それが跳躍高の増加の原因となっていることが明らかになった.また,腕振り動作,反動動作はどちらも下肢の筋がより大きな仕事をしやすい状況を作り出すが,下肢の各関節において,腕振りと下肢反動の効果が現れるタイミングが異なることが示された.したがって両者の効果はそれぞれ独立しており,両者を併用した場合(CJA)は効果の合算が起こり,跳躍高が増加するといえる.

【研究4:下肢反動なし前方跳躍における腕振り動作の効果と腕振り方向の効果】

前方跳躍における腕振りなし(FJ)・前方腕振り(FJF)・後方腕振り(FJB)について,FJに対してFJFでは,FJBに対してFJFでは水平跳躍距離は有意に増加した(n=7,増加率14.9%,13.9%).身体全仕事量の増加分のうち上肢二関節・下肢三関節が占める比率はそれぞれFJに対してFJFでは上肢が42.5%,下肢が57.5%,FJBに対してFJFでは上肢が36.0%,下肢が64.0%であり,前方跳躍では前方腕振りがパフォーマンスを増加させた.特に下肢ではFJに対してFJFでは,FJBに対してFJFでは股関節仕事量が有意に増加し(増加率12.1%,7.4%),FJBに対してFJFでは足関節仕事量が有意に増加した(増加率12.0%).FJFでの腕振りによる股関節のなす仕事量増加の主な原因は研究1,2と同様である.さらに,FJFの股関節パワーが上昇する区間の大腿二頭筋長頭の筋活動積分値は有意に増加しており,腕振りにより下肢の筋活動水準そのものに変化を与え,トルクが上昇することがわかった.

【研究5:下肢反動なし後方跳躍における腕振り動作の効果と腕振り方向の効果】

後方跳躍における腕振りなし(BJ)・前方腕振り(BJF)・後方腕振り(BJB)の動作について,BJに対してBJBでは,BJFに対してBJBでは跳躍距離は有意に増加した(n=7,増加率10.0%,12.5%).跳躍距離増加の直接的な原因は身体全仕事量が増加したためであるが,身体全仕事量増加分のうち上肢二関節・下肢三関節が占める比率はそれぞれBJに対してBJBでは上肢が62.0%,下肢が38.0%を占め,BJFに対してBJBでは上肢が71.0%,下肢が29.0%を占めた.上肢ではBJFに対してBJBでは肩関節仕事量が有意に増加したが,下肢ではBJに対してBJBでは,BJFに対してBJBでは股関節仕事量が有意に増加し(増加率68.8%,33.9%),膝関節仕事量は減少した(減少率は両者ともに16.0%).

【総括論議】

本研究では,垂直・前方・後方跳躍において跳躍方向と同方向の腕振りを用いることにより,身体全仕事量および身体重心変位量が増加することを定量的に示した.垂直跳びでは,反動の有無に関係なく足・股関節仕事量が増加し,前方跳躍における前方腕振りでは腕振りなし・後方腕振りに比較して股関節仕事量が増加した.さらに,後方跳躍における後方腕振りでは,腕振りなし・前方腕振りに対して,肩関節仕事量増加の他に股関節仕事量が増加した.すべての跳躍方向で適した腕振り方向を用いた場合は,必ず股関節の仕事量が増加するという共通点がみられた.適した腕振りにより,肩関節を通して体幹に及ぼされる作用が股関節屈曲の方向に大きな負荷を与え,股関節角速度を減少させるために,筋の「力-速度関係」によって股関節トルクを結果的に増大させる.さらに,腕振りと下肢反動動作による下肢仕事量の増加量には差はないが,腕振りと下肢反動は効果の現れるタイミングが異なり,両者の効果は合算が起こる.以上より,パフォーマンスを増加させるという観点において,下肢関節(特に股関節)仕事量や下肢筋活動水準を増加させるために,反動動作とともに腕振りが重要な役割を果たすことが定量的に示された.

審査要旨 要旨を表示する

人間の最もダイナミックな運動の一つである跳躍動作は,様々なスポーツの中にみられ,また身体運動の機序を解明するための対象動作としても多く用いられてきている.跳躍を対象とした研究として,下肢反動や腕振りが,身体重心変位を増加させることが知られている.垂直跳びの反動動作に関する機序は定量的に解明されているが,腕振りの効果を検討した先行研究では,個々の関節の仕事量が定量されていない.さらに,腕振りを用いた時の肩関節を通して体幹に及ぼされる作用(肩関節トルクと,体幹の重心まわりに生じる肩関節間力によるトルク)の大きさや方向は,腕の位置・腕振りの方向により異なるため,腕振り方向と跳躍方向の組み合わせの違いにより,腕振り動作が各関節の仕事量や身体重心の変位に及ぼす影響も異なる.

本論文は,「ある系の全力学的エネルギーの変化量は,その系になされた仕事量に等しいという仕事-エネルギー関係(Work-energy theorem)」の観点から跳躍運動をとらえ,腕振りの効果を検討することを目的とした.具体的には,地面反力および画像データもとにした二次元および三次元逆ダイナミクスを用いて,ヒトの跳躍運動における身体重心の変位と身体各関節の力学的変数(角速度,トルク,パワー,仕事)を算出し,また下肢3関節の主働筋の活動水準を測定し,跳躍中に腕振り動作が身体各関節仕事量および身体重心変位量に影響する機構を検討した.その主な内容は,以下のようにまとめられる.

【研究1:下肢反動を用いない垂直跳びにおける腕振り動作の効果】

下肢反動を用いない垂直跳びにおける腕振りなしの跳躍(SJ)に対して,腕振りあり(SJA)では,跳躍高が有意に増加した(n=5,増加率22.9%).腕振りによる身体全仕事量(各関節仕事量の総和)の増加分のうち34.1%は上肢関節の増加により,65.9%は下肢三関節の増加によるものであった.下肢関節では股・足関節仕事量が有意に増大し(増加率14.4%,18.6%),膝関節仕事量が有意に減少した(減少率20.6%).股関節に関しては,腕振りを用いると,重心上昇期後半で肩関節を通して体幹に及ぼされる作用が股関節屈曲の方向に大きな負荷を与え,その負荷に対し股関節伸展筋の活動が増加することにより股関節トルクが増加する.また,腕振りによる股関節屈曲方向の負荷により股関節伸展速度が抑えられることによって(大腿二頭筋長頭の筋短縮速度の減少),力-速度関係により股関節トルクが増加するためと考えられる.

【研究2:下肢反動垂直跳びにおける腕振り動作の効果】

下肢反動を用いた垂直跳びにおける,腕振りなし(CJ)の跳躍に対して,腕振りあり(CJA)では,跳躍高が有意に増加した(n=5,増加率17.2%).腕振りによる身体全仕事量の増加分のうち上肢二関節・下肢三関節が占める比率はそれぞれ-25.1%,125.1%であった.下肢関節では腕振りにより足関節と股関節の仕事量が有意に増加し,増加率はそれぞれ19.7%,30.3%であった.股関節の仕事量が増加する機序は,研究1と同様である.

【研究3:垂直跳びにおける腕振り動作と反動動作の効果の比較】

SJに対してSJAでは,SJに対してCJでは,SJAに対してCJAでは,またCJに対してCJAでは,跳躍高,身体全仕事量および下肢三関節仕事量の和が有意に増加した(n=5).したがって,下肢反動,腕振りを個々に使用しても両者を併用しても,下肢三関節仕事量の和を増加させ,それが跳躍高の増加の原因となっていることが明らかになった.また,腕振り動作,反動動作はどちらも下肢の筋がより大きな仕事をしやすい状況を作り出すが,下肢の各関節において,腕振りと下肢反動の効果が現れるタイミングが異なることが示された.したがって両者の効果はそれぞれ独立しており,両者を併用した場合(CJA)は効果の合算が起こり,跳躍高が増加するといえる.

【研究4:下肢反動なし前方跳躍における腕振り動作の効果と腕振り方向の効果】

前方跳躍における腕振りなし(FJ)・前方腕振り(FJF)・後方腕振り(FJB)について,FJに対してFJFでは,FJBに対してFJFでは水平跳躍距離は有意に増加した(n=7,増加率14.9%,13.9%).身体全仕事量の増加分のうち上肢二関節・下肢三関節が占める比率はそれぞれFJに対してFJFでは上肢が42.5%,下肢が57.5%,FJBに対してFJFでは上肢が36.0%,下肢が64.0%であり,前方跳躍では前方腕振りがパフォーマンスを増加させた.特に下肢ではFJに対してFJFでは,FJBに対してFJFでは股関節仕事量が有意に増加し(増加率12.1%,7.4%),FJBに対してFJFでは足関節仕事量が有意に増加した(増加率12.0%).FJFでの腕振りによる股関節のなす仕事量増加の主な原因は研究1,2と同様である.さらに,FJFの股関節パワーが上昇する区間の大腿二頭筋長頭の筋活動積分値は有意に増加しており,腕振りにより下肢の筋活動水準そのものに変化を与え,トルクが上昇することがわかった.

【研究5:下肢反動なし後方跳躍における腕振り動作の効果と腕振り方向の効果】

後方跳躍における腕振りなし(BJ)・前方腕振り(BJF)・後方腕振り(BJB)の動作について,BJに対してBJBでは,BJFに対してBJBでは跳躍距離は有意に増加した(n=7,増加率10.0%,12.5%).跳躍距離増加の直接的な原因は身体全仕事量が増加したためであるが,身体全仕事量増加分のうち上肢二関節・下肢三関節が占める比率はそれぞれBJに対してBJBでは上肢が62.0%,下肢が38.0%を占め,BJFに対してBJBでは上肢が71.0%,下肢が29.0%を占めた.上肢ではBJFに対してBJBでは肩関節仕事量が有意に増加したが,下肢ではBJに対してBJBでは,BJFに対してBJBでは股関節仕事量が有意に増加し(増加率68.8%,33.9%),膝関節仕事量は減少した(減少率は両者ともに16.0%).

【総括論議】

本研究では,垂直・前方・後方跳躍において跳躍方向と同方向の腕振りを用いることにより,身体全仕事量および身体重心変位量が増加することを定量的に示した.垂直跳びでは,反動の有無に関係なく足・股関節仕事量が増加し,前方跳躍における前方腕振りでは腕振りなし・後方腕振りに比較して股関節仕事量が増加した.さらに,後方跳躍における後方腕振りでは,腕振りなし・前方腕振りに対して,肩関節仕事量増加の他に股関節仕事量が増加した.すべての跳躍方向で適した腕振り方向を用いた場合は,必ず股関節の仕事量が増加するという共通点がみられた.適した腕振りにより,肩関節を通して体幹に及ぼされる作用が股関節屈曲の方向に大きな負荷を与え,股関節角速度を減少させるために,筋の「力-速度関係」によって股関節トルクを結果的に増大させる.さらに,腕振りと下肢反動動作による下肢仕事量の増加量には差はないが,腕振りと下肢反動は効果の現れるタイミングが異なり,両者の効果は合算が起こる.以上より,パフォーマンスを増加させるという観点において,下肢関節(特に股関節)仕事量や下肢筋活動水準を増加させるために,反動動作とともに腕振りが重要な役割を果たすことが定量的に示された.これは,身体運動科学の分野における意義は大きく,したがって,本審査委員会は博士(学術)の学位を授与するにふさわしいものと認定する.

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