学位論文要旨



No 120932
著者(漢字) 小田,俊明
著者(英字)
著者(カナ) オダ,トシアキ
標題(和) ヒト骨格筋において筋腱相互作用が発揮張力の経時変化に及ぼす影響
標題(洋)
報告番号 120932
報告番号 甲20932
学位授与日 2006.03.23
学位種別 課程博士
学位種類 博士(学術)
学位記番号 博総合第635号
研究科 総合文化研究科
専攻 広域科学専攻
論文審査委員 主査: 東京大学 助教授 金久,博昭
 東京大学 教授 大築,立志
 東京大学 教授 石井,直方
 東京大学 助教授 深代,千之
 早稲田大学 教授 川上,泰雄
内容要旨 要旨を表示する

[緒言]

筋腱複合体では,腱組織の持つ弾性のために筋線維の短縮と腱組織の伸長とが相互に作用する(筋腱相互作用:Lieber et al. 1992, Kawakami et al. 2002).筋腱相互作用は,筋線維の収縮動態(長さや収縮速度の変化)に影響するため,筋線維の長さ−張力関係(Gordon et al. 1966)や速度−張力関係(Hill 1928)に関連する発揮張力の経時変化に対しても影響を及ぼすと予想される.しかし,筋腱相互作用がヒト骨格筋において発揮される張力の経時変化に与える影響の実態は不明な点が多い.本研究は,(1)強縮に至る筋収縮の過渡状態[刺激から張力発揮まで(研究1),単収縮(研究2),強縮の力の立ち上がり局面(研究3)]

および,強縮の定常状態(研究4)における筋線維や腱組織の動態と発揮張力の経時変化との関連を調べ,(2)それらのデータから筋腱複合体内における筋線維の発揮張力の決定要因を推定し,ヒト骨格筋における筋腱相互作用が発揮張力の経時変化に及ぼす影響を明らかにすることを目的とした.

[研究1]

筋腱相互作用が張力発揮までのプロセスに与える影響

男性被験者7名(身長,171.6±6.3 cm;体重,68.6±7.8 kg;年齢,25.7±2.8歳)について,神経刺激からトルク発揮に至るまでのプロセス(刺激,M波の発現,筋線維の短縮開始,トルク発揮)間に要するそれぞれの所要時間を計測し,筋腱相互作用が張力発揮までのプロセスに与える影響を検討した.底屈30°,底屈10°,背屈10°において総腓骨神経を超最大強度で経皮的に電気刺激し,前脛骨筋の単収縮を誘発した.表面筋電図からM波の潜時,超音波Motionモード画像から筋線維の短縮開始点,ならびに背屈トルクからトルク発揮の開始点を求めた.その結果,筋線維の短縮開始からトルク発揮までの時間が,刺激からトルク発揮までの時間の42−70%を占めることが明らかとなった.また,刺激からM波の発現まで,M波の発現から筋線維の短縮開始までの時間に関節角度による変化はみられなかった.しかし,筋線維の短縮開始からトルク発揮の開始までの時間は,背屈位で有意に長くなった(底屈30°,7.9 ms; 底屈10°,16.1 ms; 背屈10°,23.9 ms).このことは,関節角度が変化した際の刺激からトルク発揮までの時間の変化が,筋線維の短縮開始からトルク発揮までの時間の変化に起因することを示唆している.筋線維の短縮開始からトルク発揮までの時間の主要因は,筋線維の短縮が腱組織のslacknessを除くための時間であると考えられるため,筋腱相互作用が筋線維の短縮開始からトルク発揮までの時間や刺激から関節トルク発揮までの時間の重要な影響因子であることが示唆された.

[研究2]

筋腱相互作用が単収縮における発揮張力の経時変化に与える影響

単収縮中の筋線維と腱組織の長さ変化,ならびに,筋腱複合体と筋線維の長さ−速度−張力特性,腱組織の伸長−伸長速度−張力特性を調べることにより,筋腱相互作用が単収縮における発揮張力の経時変化に与える影響を検討した.男性被験者7名(身長,173.2 ± 5.4cm;体重,67.8 ± 4.3kg;年齢,24.0 ± 2.3歳)を対象に,底屈30°,底屈10°,背屈10°において総腓骨神経を研究1と同様の方法で刺激し,超音波Brightness(B)モード法を用いて前脛骨筋の筋線維の長さや収縮速度,腱組織の伸長や伸長速度を計測した.下腿長と関節角度から筋腱複合体長を,背屈トルクから筋線維張力と腱張力を推定した.その結果,筋線維長・腱組織伸長の時間特性(収縮時間;half relaxation time,HRT)と筋線維張力・腱張力の時間特性とはほとんど差がなかった.しかし,背屈10°におけるHRTは,腱組織のslacknessと長さ−張力特性を表す曲線の形に起因すると考えられる有意な差を示した.また,筋腱複合体ならびに筋線維の関節角度依存の単収縮張力の経時変化の差,ならびに筋線維の長さ−張力特性における傾きの差は,筋線維の長さ−張力関係,excitation level−時間特性,腱組織の力学的特性の影響によって生じ,速度−張力関係からの影響は小さいことが示唆された.単収縮張力の時間特性は,ヒト骨格筋を用いた各種実験において筋小胞体におけるCa2+の放出や再吸収など収縮時に起こる筋線維内の生化学的変化を反映する指標として用いられることが多い.しかしながら,本研究の結果から,上記の要因以外にも腱組織のslacknessと長さ−張力特性を表す曲線の形,ならびに筋腱相互作用によって生じる筋線維の長さ変化が,単収縮時の筋線維・腱張力の弛緩時間や経時変化に多大な影響を与えていることが示唆された.

[研究3]

筋腱相互作用が強縮の力の立ち上がり局面における発揮張力の経時変化に与える影響

男性被験者6名(身長,174.6±5.4 cm;体重,70.6±4.0 kg;年齢,24.7±2.4 歳)について,強縮の力の立ち上がり局面において筋線維と腱組織の長さ変化,ならびに,筋腱複合体と筋線維の長さ−速度−張力特性,腱組織の伸長−伸長速度−張力特性を調べることにより,筋腱相互作用が強縮の力の立ち上がり局面における発揮張力の経時変化に与える影響を検討した.底屈30°,底屈10°,背屈10°の関節角度において,総腓骨神経を超最大強度,刺激頻度50Hzで2秒間経皮的に電気刺激し,超音波Bモード法を用いて前脛骨筋の筋線維の長さや収縮速度,腱組織の伸長や伸長速度を計測した.下腿長と関節角度から筋腱複合体長を,背屈トルクから筋線維張力と腱張力を推定した.その結果,収縮張力が大きな強縮の力の立ち上がり局面においても,筋腱複合体ならびに筋線維の関節角度依存の張力の経時変化の差,ならびに筋線維の長さ−張力特性における傾きの差が,単収縮の場合と同様に筋線維の長さ−張力関係,excitation level−時間特性,腱組織の力学的特性の影響によって生じており,速度−張力関係からの影響は小さいことが示唆された.

[研究4]

筋腱相互作用が強縮の定常状態における発揮張力の経時変化に与える影響

強縮中には筋線維の収縮速度はゼロとなり,発揮される張力の経時変化は筋線維の長さによって決定される(長さ−張力関係).そのため,研究4では,被験者6名(身長,174.8 ± 4.4 cm;体重,68.0 ± 8.7 kg;年齢, 29.5 ± 4.1 歳)を対象に,強縮の定常状態において筋腱相互作用が筋線維や筋腱複合体の長さ−張力関係を表す曲線の形状に与える影響を検討した.総腓骨神経を超最大強度,刺激頻度50Hzで2秒間経皮的に電気刺激し強縮を誘発した.張力が定常に至った時点において,超音波Bモード法により計測した前脛骨筋の筋線維長,腱組織の伸長,ならびに背屈トルクから推定した筋線維張力と腱張力を用いて,筋線維と筋腱複合体の長さ−張力関係を算出した.その結果,前脛骨筋の筋線維ならびに筋腱複合体は,長さ−張力関係における上行脚ならびに至適域を用いて張力を発揮することが示された.また,両者の曲線の形状を比較した結果,腱組織の伸長に伴う筋腱相互作用が筋線維と筋腱複合体の長さ−張力関係の使用域や曲線の形状,ならびにoperating rangeの重大な決定因子であることが示唆された.

[研究5]

筋腱複合体内における筋線維の発揮張力の決定要因の推定

研究1から4において計測したデータを,Bobbert and Ingen Schennau(1990), van Zandwijk et al. (1996, 1998)と同様のモデルに適合することにより,単収縮ならびに強縮の力の立ち上がり局面における筋線維の長さ,速度,excitation levelに関連する力発揮ポテンシャル(FGC)の経時変化を推定し,筋線維張力の経時変化との関連を調べた.その結果,単収縮,強縮の力の立ち上がり局面ともに,刺激からの時間によって筋線維長,筋線維収縮速度ならびにexcitation levelのFGCの貢献度が絶えず変化する様が算出できた.筋線維長,およびexcitation levelに関連するFGCは,関節角度による影響が大きかったが,筋線維収縮速度に関連するFGCは関節角度による変化が小さかった.このことから,関節角度が変化した際の筋線維張力の変化には,筋線維収縮速度に関連するFGCの影響は小さく,その他の筋線維長ならびにexcitation levelに関連するFGCの影響が大きいことが示唆された.

[結論]

本研究の結果,収縮の過渡状態や定常状態といった収縮の状態および発揮する張力の大小に関わらず,筋腱相互作用が筋線維や筋腱複合体の張力発揮に様々な形で影響を与えていることが明らかとなった(研究1から研究4).また,筋線維の長さ,収縮速度,excitation levelに関するFGCを推定した結果,これら3因子の貢献度が経時的に変化する様が算出できた.関節角度が変化した際の筋線維張力の変化には,筋線維収縮速度に関連するFGCの影響は小さく,その他の筋線維長,およびexcitation levelに関連するFGCの差による影響が大きいことが示唆された(研究5).

審査要旨 要旨を表示する

本論文「ヒト骨格筋において筋腱相互作用が発揮張力の経時変化に及ぼす影響」は,ヒト骨格筋内において腱組織の弾性の存在のために生じる筋腱相互作用が発揮される張力の経時変化に与える影響を明らかにすることを目的として行われた研究の成果をまとめたものである.その内容は,(1)筋収縮が定常に至るまでの過程と強縮の定常状態のそれぞれにおける筋線維や腱組織の動態と発揮張力の経時変化との関連を検討し,(2)計測されたデータから筋腱複合体内における筋線維発揮張力の決定要因の推定を試みたものであり,5つの研究により構成されている.収縮中に筋腱相互作用が生じると,筋線維の長さ変化が生じるため,筋線維の長さ−張力関係(Gordon et al. 1966)や速度−張力関係(Hill 1928)に関連する発揮張力の経時変化も影響を受けると予想される.しかし,ヒト骨格筋において,筋腱相互作用と発揮される張力の経時変化との関連については,これまで系統的な研究は行われていない.本研究は,超音波法を用い筋線維や腱組織の長さ変化を定量し,ヒト骨格筋において筋腱相互作用が発揮張力の経時変化に及ぼす影響を明らかにしたものである.その研究成果は,身体運動科学における研究の新しい方向を示すものとして注目されるものであり,主な研究内容は以下のようにまとめられる.

[研究1]

筋腱相互作用が張力発揮までのプロセスに与える影響

本論文研究1では,神経刺激からトルク発揮に至るまでのプロセス(刺激,M波の発現,筋線維の短縮開始,トルク発揮)間に要するそれぞれの所要時間を計測し,筋腱相互作用が張力発揮までのプロセスに与える影響が検討された.その結果,筋線維の短縮開始からトルク発揮までの時間が,刺激からトルク発揮までの時間の42−70%を占めた.刺激からM波の発現まで,M波の発現から筋線維の短縮開始までの時間に関節角度による変化はみられなかったが,筋線維の短縮開始からトルク発揮の開始までの時間は,背屈位で有意に長くなった.これらの結果から,関節角度が変化した際の刺激からトルク発揮までの時間の変化が,筋線維の短縮開始からトルク発揮までの時間の変化に起因すること,筋線維の短縮開始からトルク発揮までの時間の主要因は,筋線維の短縮が腱組織のslacknessを除くための時間であると考えられるため,筋腱相互作用が筋線維の短縮開始からトルク発揮までの時間や刺激から関節トルク発揮までの時間の重要な影響因子であることが示唆された.

[研究2]

筋腱相互作用が単収縮における発揮張力の経時変化に与える影響

本論文研究2では,単収縮中の筋線維と腱組織の長さ変化,ならびに,筋腱複合体と筋線維の長さ−速度−張力特性,腱組織の伸長−伸長速度−張力特性に関する分析結果に基づき,筋腱相互作用が単収縮における発揮張力の経時変化に与える影響が検討された.その結果,筋線維長・腱組織伸長の時間特性(収縮時間;half relaxation time,HRT)と筋線維張力・腱張力の時間特性との間にはほとんど差がなかった.しかし,背屈10°におけるHRTには,腱組織のslacknessと長さ−張力特性を表す曲線の形に起因すると考えられる有意な差が観察された.また,筋腱複合体ならびに筋線維の関節角度依存の単収縮張力の経時変化の差,ならびに筋線維の長さ−張力特性における傾きの差は,筋線維の長さ−張力関係,excitation level−時間関係,腱組織の力学的特性の影響によって生じ,速度−張力関係からの影響は小さいことが示唆された.

[研究3]

筋腱相互作用が強縮の力の立ち上がり局面における発揮張力の経時変化に与える影響

本論文研究3では,強縮の力の立ち上がり局面において,筋腱相互作用が強縮の力の立ち上がり局面における発揮張力の経時変化に与える影響が研究2と同様の方法を用いて検討された.その結果,収縮張力が大きな強縮の力の立ち上がり局面においても,筋腱複合体ならびに筋線維の関節角度依存の張力の経時変化の差,ならびに筋線維の長さ−張力特性における傾きの差が,単収縮の場合と同様に筋線維の長さ−張力関係,excitation level−時間関係,腱組織の力学的特性の影響によって生じており,筋線維の速度−張力関係からの影響は小さいことが示唆された.

[研究4]

筋腱相互作用が強縮の定常状態における発揮張力の経時変化に与える影響

強縮中には筋線維の収縮速度はゼロとなり,発揮される張力の経時変化は筋線維の長さによって決定される(長さ−張力関係).本論文研究4では,筋腱相互作用が筋線維や筋腱複合体の長さ−張力関係を表す曲線の形状に与える影響が検討された.その結果,前脛骨筋の筋線維ならびに筋腱複合体は,長さ−張力関係における上行脚ならびに至適域を用いて張力を発揮すること,腱組織の伸長に伴う筋腱相互作用が筋線維と筋腱複合体の長さ−張力関係の使用域や曲線の形状,ならびにoperating rangeの重大な決定因子であることが示唆された.

[研究5]

筋腱複合体内における筋線維の発揮張力の決定要因の推定

本論文研究5では,研究1から4における計測データを,Bobbert and Ingen Schennau(1990), van Zandwijk et al. (1996, 1998)と同様のモデルに適合することにより,単収縮ならびに強縮の力の立ち上がり局面における筋線維の長さ,速度,excitation levelに関連する力発揮ポテンシャル(FGC)の経時変化が推定され,筋線維張力の経時変化との関連が検討された.その結果,単収縮,強縮の力の立ち上がり局面ともに,収縮の局面によってこれら3要素のFGCの貢献度が変化しながら筋線維張力の経時変化が決定されることが示唆された.また,筋線維長,およびexcitation levelに関連するFGCは,関節角度による影響が大きかった.一方,筋線維収縮速度に関連するFGCは関節角度による変化が小さかった.このことから,関節角度が変化した際の筋線維張力の変化には,筋線維収縮速度に関連するFGCの影響は小さく,その他の筋線維長ならびにexcitation levelに関連するFGCの影響が大きいことが示唆された.

以上のように,小田俊明氏の論文は,収縮の状態や発揮する張力の大小に関わらず,筋腱相互作用が筋線維や筋腱複合体の張力発揮に多大なる影響を与えていることを明確に示し,さらに張力の経時変化の決定要因を推定し,その貢献を明らかにしたものであり,身体運動科学の分野における意義は非常に大きい.したがって,本審査委員会は博士(学術)の学位を授与するにふさわしいものと認定する.

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