学位論文要旨



No 120935
著者(漢字) 桜井,勇
著者(英字)
著者(カナ) サクライ,イサム
標題(和) 光合成におけるホスファチジルグリセロールの機能に関する研究
標題(洋) Studies on the function of phosphatidylglycerol in photosynthesis.
報告番号 120935
報告番号 甲20935
学位授与日 2006.03.23
学位種別 課程博士
学位種類 博士(学術)
学位記番号 博総合第638号
研究科 総合文化研究科
専攻 広域科学専攻
論文審査委員 主査: 東京大学 助教授 和田,元
 東京大学 助教授 箸本,春樹
 東京大学 教授 池内,昌彦
 東京大学 教授 佐藤,直樹
 東京大学 助教授 栗栖,源嗣
内容要旨 要旨を表示する

序論

光合成の初期反応は、ラン藻や植物の葉緑体に存在するチラコイド膜で起こり、太陽より降り注ぐ光エネルギーは、生物が利用できる化学エネルギーへと変換される。チラコイド膜は、主に光合成装置として機能する超分子複合体と、脂質二重層を形成する脂質分子から構成される。光合成装置を流れる電子の伝達経路や、光合成装置の構造に関しては、これまでの研究から、その詳細が明らかにされてきた。それに対し、光エネルギー変換反応を調節する重要なファクターと考えられる脂質分子については、その機能に関する理解があまり深まっていない。主な原因は、脂質分子がタンパク質のような触媒活性を示さないにもかかわらず、その機能が多岐にわたるためであると考えられる。多くの生体膜と異なり、チラコイド膜を構成する主要な脂質成分は糖脂質である。これは、光合成生物が、自然界で不足しがちなリンの必要量を抑制するために、チラコイド膜脂質のほとんどを糖脂質に置き換えるという、進化的適応を選択したことによると考えられている。しかしながら、チラコイド膜には唯一のリン脂質としてホスファチジルグリセロール(PG)が存在し、光合成の初期反応において、PGが糖脂質では代替し得ない重要な機能を担っていることを推測させる。そこで、本研究では、チラコイド膜脂質、特に、PGが光合成の初期反応に果たす機能を解析した。

解析には、ラン藻Synechocystis sp. PCC6803において作製された、PGの合成能を欠損するpgsA破壊株(以下、変異株と略す)をもちいた。この変異株では、PG合成の中間反応を触媒するホスファチジルグリセロールリン酸合成酵素をコードするpgsA遺伝子が破壊されている。変異株は、PGを含む培地では野生株と同様に生育するが、PGを含まない培地に植え継ぐと、細胞分裂することでチラコイド膜におけるPG含量が低下し、いずれ増殖を停止する。しかし、培地にPGを再添加すると、変異株は増殖を再開する。このように、生細胞においてPG含量を容易にコントロール出来ることから、この変異株は、PGの機能を解析するために強力なツールとなっている。先行研究より、PG含量の低下に伴い光合成活性が低下し、その原因は、光化学系(PSII)における機能低下にあることが示されている。このようなPSIIにおける電子伝達の異常は、PSII複合体の構造がPG含量の低下により変化したこと、つまり、PGがPSII複合体の構築や構造の維持に重要であることを示唆している。これまでも、in vitroの実験系を用いて、PSII複合体の構築や構造の維持におけるPGの機能に関する解析が行われてきた。しかしながら、PSII複合体の構築とは、数多くのステップが連続的に起こる複雑な生命現象であり、これまでの研究からは、それほど多くの知見が得られていない。それに対し、変異株は、生細胞においてPG含量をコントロール出来るため、PSII複合体の構築や構造維持に果たすPGの機能について、これまでにない視点から解析することが可能になると思われる。そこで、本研究では、生細胞においてPG含量をコントロール出来るという変異株の利点を生かし、PSII複合体の構築や構造維持という視点から、PGが光合成の初期反応に果たす機能を解析した。

PSII複合体の二量体化を介した光合成装置の修復におけるPGの機能

PGを含む培地で生育させた変異株を、PGを含まない培地に移すと、光感受性が増加し、わずかな光強度の上昇により、著しい生育阻害が引き起こされることが見出された。この生育阻害が、光合成の光阻害に起因するものと推測し、PGと光阻害の関係について解析した。-PG/弱光条件下において培養し、チラコイド膜におけるPG含量が低下した変異株を、強光条件下に移すと、光合成活性は速やかに低下した。これに対し、野生株ではほとんど活性の低下はおこらなかった。このことから、強光条件への適応に、PGが重要であることが示唆された。つぎに、PG含量の低下した変異株で観察された光合成の光阻害が、光合成装置の失活と修復のいずれの過程に起因するのかを検討した。タンパク質合成阻害剤であるリンコマイシンを作用させ、光合成装置の修復を抑制した場合、光合成活性はPGの有無にかかわらず、ほぼ同様に低下した。また、強光照射した変異株を弱光下に移すことにより光合成装置の失活を抑制すると、光合成活性の回復はPGの添加により大きく促進された。以上の結果から、PGが光合成装置の修復過程に重要であることが明らかとなった。一方、光合成の光阻害は、おもにPSIIの機能低下に起因し、また、障害を受けたPSII反応中心のD1タンパク質が速やかに分解され、新規に合成されたタンパク質と取り替えられることが、PSIIの修復において重要であるといわれている。そこで、PGがD1タンパク質の失活、分解、再合成に影響を与えている可能性を考え、D1タンパク質のターンオーバーについて解析したが、予想に反して、PG含量が低下した変異株においてもD1タンパク質のターンオーバーは野生株と変わらず、また、D1タンパク質のPSII複合体へのアセンブリーも正常に行われていた。しかしながら、PG含量の低下した変異株において、PSII複合体の単量体が蓄積することが観察され、また、PGを再添加すると二量体が増加し、光合成活性が回復することも観察された。以上の結果から、PGはPSII複合体の二量体化を促進するという点で、PSII複合体の修復に寄与していることが明らかとなった。

PSII複合体への表在性タンパク質の結合に果たすPGの機能

上述のように、PGはPSII複合体の二量体化を促進することが明らかとなったが、どのようにPGがPSII複合体の二量体化に関与するのかを明らかにするため、野生株およびPG含量が低下した変異株からPSII複合体の単量体および二量体を精製し、各複合体の性質を詳細に比較した。変異株より精製したPSII複合体の単量体および二量体の光合成活性は、野生株と比較して40%程度であり、また、野生株と変異株のいずれにおいても二量体は単量体の3倍程度の活性を有していた。つぎに、これらの活性の違いが何に起因しているのかを明らかにするために、両株より精製したPSII複合体のサブユニット組成を比較したところ、変異株のPSII複合体ではPsbO、PsbV、PsbU、PsbQ、Psb27といった、酸素発生反応をつかさどるMn-クラスターの保護に関わっている表在性タンパク質が複合体から解離していることが明らかとなった。しかし、これらのサブユニットは、チラコイド膜には存在することがウエスタン解析により確認されたことから、PGは表在性タンパク質のPSII複合体への結合に重要であることが示唆された。変異株より精製したPSII複合体では、表在性タンパク質が解離していることから、Mn-クラスターが正常に形成されていない可能性が考えられた。そこで、各複合体のMn原子を定量したところ、野生株と変異株のいずれにおいても単量体は二量体に比較して1/3~1/4程度のMn原子を有しているのみであり、PSII複合体の単量体は、Mn-クラスターの形成が未完成な、PSII複合体の構築過程の中間段階にあるものと考えられた。また、変異株の二量体に含まれるMn原子量が、野生株に比較して減少しており、PG含量が低下した変異株では、表在性タンパク質が解離することで、Mn原子の遊離を引き起こし、光合成活性を低下させる原因になっていることが推測された。また、PG含量が低下した変異株をリンコマイシンで処理し、新規のタンパク質合成を阻害した後にPGを添加したところ、チラコイド膜ルーメン内で遊離していたと考えられるPsbOがPSII複合体に再結合した。このことから、PGは表在性タンパク質のPSII複合体への結合を促進することが明らかとなった。

まとめ

これまでの結果から、PSII複合体の構築や構造維持、そして、それらの過程にPGがどのように関わっているかを以下のように解釈することが出来る。単量体においてMn-クラスターが形成されると、表在性タンパク質がMn-クラスターを保護するためにPSII複合体に結合し、活性型の単量体が構築される。その後、二量体化が起こり、PSII複合体は二量体としてチラコイド膜中で安定に存在するものと考えられる。PG含量が低下した変異株では、PSII複合体への表在性タンパク質の結合が制限された結果、Mn-クラスターよりMnが遊離し、PSII複合体の活性が低下したものと考えられる。なお、PGを欠乏する変異株では光合成の光阻害が容易に引き起こされたが、これも、表在性タンパク質が解離することで、Mn-クラスターが不安定化したことに起因すると考えられ、近年の報告にある"光合成の光阻害における初期ターゲットはMn-クラスターである"という結果に合致するものである。また、表在性タンパク質の結合における異常は、PSII複合体の二量体化を制限し、結果として、単量体を蓄積させる原因になっていると推測される。

本研究では、生細胞においてPG含量を容易に制御できるという変異株の特性を生かし、PSII複合体におけるPGの機能について解析を行った。その結果、PGは酸素発生の場であるMn-クラスターを安定に維持するために重要となる、表在性タンパク質のアセンブリーを介してPSII複合体の構築に重要な機能を果たしていることが明らかになった。本研究は、光合成の初期反応における重要なファクターであるチラコイド膜脂質に関して、その一種であるPGの機能を分子レベルで解明したもので、光合成の初期反応を理解する上で、従来の研究からは得られなかった重要な知見を提供する研究である。

審査要旨 要旨を表示する

光合成の初期反応は、ラン藻や植物の葉緑体のチラコイド膜でおこり、光エネルギーは生物が利用できる化学エネルギーへと変換される。この光エネルギー変換反応を担う光合成装置は、いくつかの超分子複合体により構成される。光合成装置の構造や電子伝達の機構については、これまでの多くの研究から、その詳細が明らかにされつつある。しかしながら、光合成装置に結合している脂質の機能については不明な点が多く、その解明が待たれている。そこで、本論文提出者は、チラコイド膜に唯一のリン脂質として存在するホスファチジルグリセロール(PG)に着目し研究を行った。従来のPGの機能に関する研究は、単離したチラコイド膜をホスホリパーゼで処理するなど、煩雑な操作を伴う解析手法が用いられていた。そのため、そのような解析から得られた知見がin vivoにおけるPGの機能を反映しているのかについては疑問が残されていた。このような問題点を克服するために、本論文提出者は、PGの合成能を欠損するラン藻Synechocystis sp. PCC6803のpgsA変異株(以下、変異株と略)を解析に用いた。変異株は、PGを含む培地では野生株と同様に生育するが、PGを含まない培地に移すと、細胞分裂にともなってPG含量が低下し、いずれ増殖を停止する。しかし、PGを培地に再添加すると、細胞は増殖を再開する。このように、変異株では、生細胞のままチラコイド膜におけるPG含量を制御することができるため、これまでin vitroに限られていた解析手法を大きく発展させることが可能となった。本論文提出者は、このような変異株の長所を生かし、PGが光合成の初期反応、特に光化学系II複合体(PSII複合体)において果たしている機能について解析を行った。

本論文提出者は、PGを含む培地で培養した変異株をPGの含まれない培地に移すと、光感受性が増加し、光強度条件下では、著しい生育阻害が引きおこされることを見出した。この生育阻害が、光合成の光阻害に起因するものと推測し、PGと光阻害の関係について解析した。PGを含まない培地で培養し、PG含量が低下した変異株に強光照射を施すと、光合成活性が速やかに低下した。これに対して、PGを添加すると活性は低下せず、PGが強光条件において、光合成装置の活性維持に重要であることが示された。続いて、PGが光合成装置の失活と修復のいずれの過程に重要であるかを検討した。強光条件に移す際、リンコマイシンにより光合成装置の修復に重要となる新規タンパク質の合成を阻害した場合には、光合成活性はPGの有無にかかわらず大きく低下した。また、強光照射を施し、活性が低下した変異株を弱光下に移した際には、PGの添加により活性の回復が大きく促進され、PGは光合成装置の修復を促進するために重要であることが明らかとなった。これまでの研究において、光合成の光阻害はおもにPSIIの機能低下に起因し、また、ダメージを受けたPSII反応中心D1タンパク質の速やかな取り替えによって修復されることが報告されている。そこで、変異株においてD1タンパク質のターンオーバーを分析したが、変異株においてもD1タンパク質は、野生株と同様に合成、分解されており、また、複合体へのアセンブリーも正常に行われていた。しかしながら、PG含量の低下した変異株では、強光条件下において、PSII複合体の単量体が蓄積することが観察された。また、PGの再添加による光合成活性の回復に伴い、二量体の形成が促進することも観察された。これらの結果は、PGがPSII複合体の二量体化を促進することで、光合成装置の修復に寄与することを示している。続いて、野生株およびPG含量が低下した変異株からPSII複合体の単量体と二量体を精製し、各複合体の性質を比較することにより、PSII複合体の形成に果たすPGの機能を詳細に解析した。変異株より精製したPSII複合体の単量体、二量体の光合成活性は、野生株の40%であり、また、野生株、変異株いずれにおいても二量体は単量体の3倍ほどの活性を有していた。タンパク質サブユニット組成を調べたところ、変異株のPSII複合体からは、PsbO、PsbV、PsbU、PsbQ、Psb27といったMnクラスターの安定化に寄与する、表在性タンパク質が複合体から解離しており、活性低下の原因となっていることが考えられた。また、PG含量が低下した変異株において、複合体から解離していたPsbOが、PGの再添加によってPSII複合体に再結合したことから、PGはPsbOの結合に重要であることが示された。変異株においてMnクラスターの構築に異常が生じている可能性を考え、複合体に結合するMn量を定量したところ、活性型と考えられるPSII複合体の二量体について、変異株のMn量は、野生株に比較して75%程度であった。これらのことから、変異株においては、PG含量の低下によって表在性タンパク質が複合体から解離し、Mnクラスターを安定に維持することができないために光合成活性が低下することが示された。以上のように、本論文提出者は、PGが表在性タンパク質の結合という、PSII複合体形成の重要なステップに必要であることを明らかにした。

本博士論文の研究内容は、これまで未解明であったチラコイド膜脂質の機能を分子レベルで解析し、光合成装置の形成における脂質の重要性を明らかにした点で優れており、光合成の研究分野に貴重な知見を提供するものである。したがって、本審査委員会は、博士(学術)の学位を授与するにふさわしいと認定する。

UTokyo Repositoryリンク