学位論文要旨



No 120941
著者(漢字) 森口,裕之
著者(英字)
著者(カナ) モリグチ,ヒロユキ
標題(和) 集束光加熱エッチング法を用いたソフトマテリアルの微細加工技術の開発と細胞培養系への応用
標題(洋) Development of photo thermal etcing method for softmaterial - based microfabrication and its appligations to on-chip cell cultivations
報告番号 120941
報告番号 甲20941
学位授与日 2006.03.23
学位種別 課程博士
学位種類 博士(学術)
学位記番号 博総合第644号
研究科 総合文化研究科
専攻 広域科学専攻
論文審査委員 主査: 東京大学 助教授 安田,賢二
 東京大学 教授 里見,大作
 東京大学 教授 陶山,明
 東京大学 助教授 渡辺,雄一郎
 東京大学 助教授 神保,泰彦
内容要旨 要旨を表示する

本研究の背景と目的

一般に、多細胞の組織が組織全体として示す協調性や機能は、細胞集団がその組織に特有の細胞種・細胞数・空間的配置・極性・ネットワークパターンなどの局所的な形態学的側面(モルフォロジー)を形成し維持あるいは変化させることによってはじめて実現されている。このような多細胞組織の形態学的側面が担う機能の成立と維持の機構を説明し理解するためには、研究対象である組織の形態学的側面の全貌を把握して機能計測を行なうだけでなく、その形態学的側面の一部がある変化をしたときに組織全体の機能がどのように変化するかを計測する差分的計測が必要になる。そして、このような実験手法的課題は実際には、i)一個の細胞を最小構成単位として細胞ネットワークモデルを構築し、ii)構築した細胞ネットワークパターンを変化させる、という一連の技術開発によって実現できると考えられる。

一方、現在までの細胞ネットワークの構築技術は、産業的要請から発展した半導体や合成樹脂などのハードマテリアルベースの微細加工技術を直接細胞培養系に転用したものであり、加工原理が細胞には致死的であったため、細胞ネットワークの構築はできても、いったん構築した細胞ネットワークに時空間的に制御した変更を加えることはできなかった。

以上のような多細胞組織機能の研究の現状と背景から、本研究の目的を、「多細胞組織の理解のために、任意のネットワークパターンを持つ多細胞ネットワークモデルを組み立て、さらにネットワークパターンを時空間的に制御しながら計測できる新しい細胞培養実験系を実現すること」とし、ハイドロゲル類の生体親和性と加工特性に着目して、アガロースゲルを中心材料とする新たな一連の「ソフトマテリアルの微細加工技術」を開発し細胞培養実験系に応用する、という見通しで技術開発研究を行った。

Photothermal Etching法の開発

微細構造の材料には、ハイドロゲル類の中でもゾル−ゲル相転移の温度ヒステレシスが特に大きく(ゾル化温度とゲル化温度の差が40 K前後)、多くの細胞に対して化学的に非活性・非接着性であるアガロースゲルを用いた。加工原理には、直径約1μmまで集光できる集束赤外レーザー光を顕微鏡ステージ上に固定したアガロースゲルに照射し局所的に加熱融解除去する方法を取った。その結果、Nd:YAGレーザー(波長1064nm)とRaman Fiberレーザー(波長1480nm)の2種類のレーザー光を用いて各々の特長を持った"Photothermal Etching"の原理を開発し、ゲルの微細加工技術としての評価を行った。

波長1064nmのレーザーによる加工では、水中の2%低融点アガロースゲル(Melting Point:65.5 ℃)層の底面に設けた吸光発熱層としてのクロムの薄膜(厚さ20 Å〜150 Å)への照射によって、ゲル底面を中心としたドーム状・トンネル状の領域(直径2 μm〜300 μm)が融解除去された。水分子に直接吸収のある波長1480nmのレーザーによる加工では、Z軸方向に深いチャンバー状・チャネル状の領域(直径5 μm〜500 μm)が融解除去された(図1)。ともに、作成されるゲル中の微細空洞構造のサイズと形状は、レーザー光の照射出力、照射時間、焦点の位置とクロム層の厚さ、対物レンズの種類などのパラメーターに依存していた。

微細構造底面に露出する基板表面をあらかじめコラーゲンなどの足場分子でコートしモデル細胞PC12細胞をマイクロチャンバーに運び入れてNGF存在下で培養すると、細胞は突起をマイクロトンネルに沿って進展させ、形成される神経用ネットワークパターンの自由度はマイクロトンネルのパターニングによって制御された。さらに、培養中にも同様に追加加工ができ、新たな細胞間ネットワークを人為的に追加できることが分かった(図2)。

Photothermal Etching法の3次元微細加工への展開

現実には3次元的なトポグラフィーを持つ多細胞組織をモデル化する目的から、これまでは基板底面に固定配置していた吸光発熱層を3次元的に配置または操作することによって、photothermal etching法を2次元から段階的に3次元の微細加工技術へと展開する技術開発を行った。その結果、アガロースゲル内部に吸光発熱層を挟み込んだ多層構造のゲルに対するphotothermal etchingと、マイクロマニピュレーターに接続した微小なニードルの先端(直径20 μm等)を可動の吸光発熱点として用いるphotothermal etchingにより、3次元の形状と配置を持つマイクロチャンバーがゲルの内部に作成できることを確認した(図3)。

Photothermal Etching法の他の機能的構造材料への展開

一方、構造材料の面では、細胞非接着性の材料の加工だけでなく、細胞接着性の微細構造の作成や培養後の細胞集団の非侵襲的回収を実現するために、アガロースゲルへの任意のタンパク質のグラフト化の方法と、ゼラチンゲルのphotothermal etching法の開発を試みた。その結果、反応活性の高い官能基を持たないアガロースゲルに官能基を表面にもつ微小粒子(直径約100 nm)をゲルに混ぜ込んで反応の足場とするタンパク質のグラフティング法によって、フィブロネクチンを間接的にグラフト化した細胞接着性の高いアガロースゲル微細構造が得られた。また、5%のゼラチンゲルと2%のアガロースゲルの等量混合ゲルによって、加工時の局所的な温度上昇によるゼラチンゲルの膨潤を抑え込んだゼラチンゲルのphotothermal etching法を開発した。ゼラチンゲルは、培養温度での膨潤と融解を防ぐために、加工後にグルタルアルデヒドで架橋し、洗浄後に細胞培養に用いた。これらの二種類の方法により、細胞接着性や酵素分解能を供えた機能的なゲルにもphotothermal etching法を応用できることが確認した。

Photothermal Etching法を用いた多細胞組織形成過程の構成的実験

以上の一連の新しい技術を総合して、細胞ネットワーク形成過程の構成的実験と多細胞組織の構築技術の組織工学的応用の試験を行った。細胞ネットワークの構成的実験では、神経ネットワーク形成モデルとしてのPC12細胞の分化培養系を用いて、神経突起伸長への空間的拘束の影響を分析した。組織工学的応用では、機能的バイオ人工臓器作成のキーテクニックである血管作成技術を、人臍帯静脈由来血管内皮細胞(HUVECs)を用いて、管状の微細構造内での血管作成を試みた。その結果、PC12細胞を用いた培養実験では、神経突起伸長過程における突起先端の成長円錐の振動運動が観察され、空間的拘束は振動回数ではなく一回の運動プロセスの移動距離を拘束し、同じ距離を移動した神経突起の全運動距離を減少させることが観察された(図4)。また、血管構築の試みでは、細胞は管状の微細構造内で生育したが細胞間の接着による管状の細胞シート形成には至らず、機能的な血管の作成には培養液の循環などによる物理的な環境の制御がさらに必要であることが示唆された。

結論

photothermal etching法の細胞パターニング技術としての利点は、以下の4点にある。

細胞培養中にも微細加工ができる。

多種類の接着性細胞に対して共通の原理で使用できる。

1細胞単位での安定な細胞ネットワーク形状制御ができる。

クリーンルーム設備が不要である。

本技術は、同研究室の共同研究者らにより神経ネットワーク、心筋細胞集団への応用が行われており、今後はさらに他の広く一般の多細胞組織の基礎的研究や組織工学への応用展開が考えられる。残された課題は、加工技術の面ではより自由度の高い3次元の非接触加工の実現であり、材料の面ではさらに他の機能的な材料の選定や合成にある。

審査要旨 要旨を表示する

本論文は、レーザー光による局所加熱で微細加工するソフトマテリアルの微細加工技術を新規に開発し細胞培養に応用することによって、多細胞組織の機能を構成的に研究するために必要ではあるが従来技術では難しかった「細胞培養中にも非侵襲的に追加加工する微細加工技術」を実現し、多細胞ネットワークパターンを継続的に制御する技術を開発した研究について報告したものである。

本論文の序章では、研究全体の背景と目的および研究方針を、微細加工技術の現状を踏まえて説明している。研究全体の背景と目的については、多細胞組織が細胞の集団化に伴い形成される細胞集団の形態学的側面が担う機能を説明し理解するためには、一細胞を最小構成単位として多細胞ネットワークモデルを構築しさらに変化させながら機能計測を行う構成的実験手法が必要であり、そのための技術開発が本研究の目的であることを説明している。その上で、従来の微細加工技術では使用されてこなかったハイドロゲル類という生体親和性のある材料をレーザー光によって非接触に微細加工する技術を新たに開発することによって、多細胞ネットワークを構築しさらに変化させることが可能な細胞培養実験系を実現する、という研究方針を述べている。

第1章では、培養底面上のアガロースゲル層に2次元のマイクロチャンバーネットワークを作成する技術を開発し、その加工特性を詳細に評価し、実際に細胞培養に応用した研究について述べている。マイクロチャンバーネットワークの作成技術では、水に吸収のない波長1064nmの赤外レーザー光を吸収のあるクロムの薄膜(厚さ20〜150 Å)を蒸着したガラス基板上のアガロースゲル層に照射することによって、ゲル層底面に沿って平らな微小領域を直径2〜300 μmの範囲で融解除去できることが分かった。この方法では、クロムを蒸着した培養底面上に、深さ10 μmまでの浅いマイクロチャンバーや幅2〜60 μmのマイクロトンネルを作成することが可能であった。また一方、水に吸収のある波長1480nmの赤外レーザー光では、クロムを蒸着していないガラス基板上のアガロースゲル層にも、深さのある(深さ:〜 100 μm)マイクロチャンバーネットワークを作成できることが分かった。これらの局所加熱加工のプロセスについては、作成される微細構造のサイズと形状のレーザー出力・加熱時間・クロム層の厚さ・使用する対物レンズの倍率への依存性が評価され、これらの因子を調節し上記の2種類のレーザーを組み合わせた加工によって、培養底面上に直径2〜1000 μmのマイクロチャンバーを幅2〜60 μmのマイクロトンネルで連結したマイクロチャンバーネットワークを作成できることがわかった。つづいて、実際に細胞をマイクロチャンバーネットワークに搬入して培養した結果、PC12細胞の分化培養では神経様ネットワークがマイクロトンネルの形状に沿って形成されること、血管内皮細胞では単一細胞や細胞集団の全体形状がマイクロチャンバーの形状によって拘束され制御されることが確認され、最後に、培養中に追加で局所加熱加工を行っても、融解領域が細胞に直接接触しない範囲で行う場合には細胞の生存率を減少させないことが確認された。以上の研究は、2次元の多細胞ネットワークを構築しさらに変化させる細胞培養実験系を世界で初めて実現したものである。

第2章では、第1章で開発した2次元的局所加熱法を3次元の微細加工技術へと段階的に展開する技術開発について述べている。3次元加工への展開の第一段階では、金属薄膜の吸光発熱層をアガロースゲル層で挟み込んだサンドイッチ構造のゲルに対して1064nmの集束レーザー光を照射することによって、ゲルの内部を融解除去する技術が開発された。ここでは、金属薄膜の材料にアルミニウムを使用することで加工後にゲル内に残る金属薄膜を化学的に融解除去し、幅80 μmまでの楕円型の断面を持つトンネル型の微細構造を作成することができることを確認された。第2段階では、クロムをコートした微小なガラスニードルの先端を3次元的に可動式の吸光発熱点としてアガロースゲル内部で3次元的に操作することによって、直径120 μmまでのサイズ範囲で3次元的形状と配置を持った微細な空洞構造をゲル内部に作成する技術が開発された。最後に、これらの構造に実際にSTO細胞を運び込んで培養を行った結果、これらの微細空洞構造はその中に運び込まれて生育する細胞集団にとって空間的な境界条件として機能した。本手法は、細胞集団の3次元的な全体形状を設計して多細胞組織を形成させる細胞培養に応用でき、3次元形状をもつ多機能的な組織モデルが必要な組織工学への展開が期待される。

第3章では、第2章までの局所加熱法を材料面で機能化し、また一方、他材料へと展開した研究について述べられている。機能化では、反応性の高い官能基を持たないアガロースゲルに官能基を表面にもつ微小粒子(直径約100 nm)をゲルに混ぜ込んで反応の足場とするタンパク質のグラフティング法が開発された。この方法では、フィブロネクチンを間接的にグラフト化した細胞接着性の高いアガロースゲルの微細構造が得られた。本手法は、ゲル分子自体に化学的修飾を加えないことから、ゲルの特性を変化させずに修飾できるという利点を持つ。また一方、他材料への展開では、ゼラチンゲルの局所加熱加工が試みられ、加工時の温度上昇に伴うゼラチンゲルの膨潤を、膨潤のほとんどないアガロースゲルを混ぜ込むことによって力学的に抑制することによって、安定にゼラチンゲルの微細構造を得る方法が開発された。本手法は今後、アガロースゲルとは異なる細胞接着性の微細構造によって細胞集団を構築し、細胞培養後にはゲルを酵素的分解して細胞集団を単離回収する細胞培養実験に応用されると考えられる。

第4章では、以上の一連の新しい技術を総合して、細胞ネットワーク形成過程の構成的実験と多細胞組織の構築技術の組織工学的応用の試験を行った研究について述べられている。細胞ネットワーク形成過程の構成的実験では、PC12細胞の分化培養系を神経ネットワーク形成のモデルとして用いて、神経突起伸長への空間的拘束の影響を分析した。その結果、神経突起伸長過程における突起先端の成長円錐の振動運動が観察され、空間的拘束は振動回数ではなく一回の運動プロセスの移動距離を拘束し、同じ距離を移動した神経突起の全運動距離を減少させることが観察された。組織工学的応用では、人臍帯静脈由来血管内皮細胞(HUVECs)を管状の微細構造内で培養することにより、機能的バイオ人工臓器作成のキーテクニックである血管作成を試みた。その結果、細胞は管状の微細構造内で生育したが細胞間の接着による管状の細胞シート形成には至らず、機能的な血管の作成には培養液の循環などによる物理的な環境の制御がさらに必要であることが示唆された。

最終章では、本研究の成果を総括し、「ハイドロゲルの微細加工とその細胞培養への応用」という本研究で新規に開発された工学分野における今後の課題が示されている。本技術は、同研究室の共同研究者らにより神経ネットワークや心筋細胞集団への応用が行われており、今後はさらに他の広く一般の多細胞組織の基礎的研究や組織工学への応用展開が考えられる。残された課題は、加工技術の面ではより自由度の高い3次元の非接触加工の実現であり、材料の面では生理活性を修飾したアガロースゲルやゼラチンゲルの微細構造の特長を生かした新しい細胞培養実験系の開発と他の機能的な材料の導入や合成にあると考えられる。

いずれの研究内容も半導体微細加工で利用されてきた技術では実現できない、ソフトマテリアルを用いたリアルタイム微細加工技術と、その応用に関して世界で初めて成功したものである。オリジナルである。また、この空間配置の制御技術を用いて行った細胞の空間パターンと細胞集団との関係に関する研究は、新たな生物学の研究手法を提案するものであり、このこと自体が、その研究水準の高さを示すものと考えられる。

したがって本審査委員会は博士(学術)の学位を授与するにふさわしいものと認定する。

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