学位論文要旨



No 120942
著者(漢字) 山﨑,修道
著者(英字)
著者(カナ) ヤマサキ,シュウドウ
標題(和) 妄想的観念の発生・維持に関する臨床心理学的研究
標題(洋)
報告番号 120942
報告番号 甲20942
学位授与日 2006.03.23
学位種別 課程博士
学位種類 博士(学術)
学位記番号 博総合第645号
研究科 総合文化研究科
専攻 広域科学専攻
論文審査委員 主査: 東京大学 助教授 丹野,義彦
 東京大学 教授 長谷川,寿一
 東京大学 教授 大築,立志
 東京大学 助教授 村上,郁也
 東京大学 講師 星野,崇宏
内容要旨 要旨を表示する

背景

妄想は、統合失調症でよくみられる症状である。妄想は、「外的現実に対する間違った推論に基づく誤った確信」を伴った極端な信念であると定義されている(APA, 1994)。妄想は、健常者の持つ信念とは異質で、絶対的な確信を伴い、訂正が不可能で、有り得ない内容の信念とされている(Jaspers, 1959)。

近年の研究から、妄想に似た考えである妄想様観念は、健常者でも持ちうることが実証されている(Fenigstein & Vanable, 1980)。妄想様観念の体験しやすさは、うつ病や統合失調症のリスクファクターであるという報告もある(Verdoux et al., 2002)。健常者の妄想様観念を研究する意義は、精神疾患の予防を考える上でも重要である。

妄想様観念と妄想を連続的に捉える場合には、両者をまとめて妄想的観念(delusional ideation)と呼ぶ。本研究では、連続説を作業仮説として採用し、健常者の妄想的観念と統合失調症患者の妄想的観念について実証的にアセスメントした上で、両者を比較した。

研究の構成

第1部では、健常大学生の妄想的観念について研究を行った。妄想的観念のアセスメントツールを作成し、健常者の妄想的観念の実態を明らかにした(研究1)。妄想的観念の発生に関わる認知バイアスを明らかにし(研究2)、妄想的観念による苦痛を維持・増強する対処行動を明らかにした(研究3)。第2部では統合失調症患者を対象として、第1部から得られた知見を作業仮説とし、第1部と同じパラダイムで研究を行った。(研究4・研究5・研究6)。 以上の研究を通じて、健常者と統合失調症患者の妄想的観念の共通点・相違点を確認した。そして、認知行動モデルに基づいて妄想的観念への心理学的な治療・介入の示唆を得ることを目的とした。

各研究の方法と結果

研究1では、大学生の妄想的観念を測定するため、日本語版Peters et al. Delusions Inventory (PDI;Peters et al., 1999)を作成した。PDIは40項目の質問紙尺度で、妄想的観念の(1)体験数、(2)苦痛度(どのくらい苦しいか)、(3)心的占有度(どのくらいの頻度か)、(4)確信度(どのくらい本当だと思うか)の4つの次元を測定できる。日本語版PDIの信頼性・妥当性を検討するため、大学生604人を対象に調査を行った。日本語版PDIは、内的一貫性、再検査信頼性ともに高く、基準連関妥当性も十分であった。

妄想的観念の(2)苦痛度と、(3)心的占有度・(4)確信度の関係を調べるため、相関係数を算出した。その結果、(2)苦痛度と(3)心的占有度の間に有意な相関が見られた。(2)苦痛度と(4)確信度の間の相関係数は有意ではなかった。(2)苦痛度を従属変数、(3)心的占有度と(4)確信度を説明変数とする重回帰分析を行ったところ、(3)心的占有度から(2)苦痛度に有意な正の影響が見られたが、(4)確信度から(2)苦痛度には正の影響は見られなかった。研究1の結果から、健常者の妄想的観念では、苦痛度と心的占有度の間に正の関連があり、苦痛度と確信度の間には正の関連がないことが分かった。健常者の妄想的観念では、確信度よりも心的占有度のほうが、不適応に関連があることが示唆された。

研究2では、妄想的観念を持ちやすい健常者が、「早急な結論判断バイアス」を持つことを確認した。先行研究では、妄想を持つ患者は、健常者と比べて、(1)少ない情報から(2)強い確信度で判断を下す「早急な結論判断バイアス(Jumping to conclusion bias)」を持つことが分かっている。

実験に先立って大学生にPDIを実施し、PDI高得点群16名とPDI低得点群16名をスクリーニングした上で、ベイズ確率推論課題(Garety & Hemsley, 1991)を実施した。ベイズ確率推論課題は、(1)情報収集課題と(2)確信度評定課題から構成されている。(1)情報収集課題では、PDI得点高群の方が、PDI得点低群よりも、判断までに取り出したビーズの数が有意に少なかった。(2)確信度評定課題では、PDI高得点群の方が、PDI低得点群よりも、情報収集初期の確信度が有意に強かった。研究2の結果から、妄想的観念を持ちやすい健常者も、早急な結論判断バイアスを持つことが明らかになった。

研究3では、妄想的観念による苦痛と、苦痛への対処行動の関係を検討した。先行研究では、逃避型対処行動は妄想的観念による苦痛と正に相関することが示されている(Freeman et al., 2005)しかし、妄想的観念による苦痛と対処行動の間の影響の方向性が明らかではない。研究3では、「逃避型対処行動が、妄想的観念の苦痛を強める」という仮説を立て、縦断調査と共分散構造分析を用いて検証した。大学生186名を対象に、PDI短縮版(21項目)とストレス対処質問紙(Lazarus & Folkman, 1980:64項目)を、1ヶ月間隔で2回実施した。縦断データのうち1回目のデータを道具的変数とし、2回目のデータの変数間で、双方向のパス係数を算出した。その結果、対処行動から苦痛へのパス係数が有意になり、仮説が支持された。健常者では、逃避型対処行動が妄想的観念の苦痛を強めると示唆された。

研究4では、統合失調症患者におけるPDI短縮版の信頼性・妥当性を確認した。統合失調症患者86名を対象に調査を行った。PDI短縮版は、統合失調症患者に用いた場合でも内的一貫性が高く、再検査信頼性も十分な値であった。妥当性を確認するために、症状評価面接尺度のPANSSを実施した。PANSSの陽性症状得点、妄想関連項目得点と有意な正の相関が見られた。陰性症状得点とは、有意な相関は見られず、PDI短縮版が一定の妥当性を持つことが確認された。

統合失調症患者の妄想的観念の(2)苦痛度・(3)心的占有度・(4)確信度の関係を調べるため、妄想的観念を体験している統合失調症患者77名のデータについて、相関係数を算出した。その結果、(2)苦痛度と(3)心的占有度の間に有意な相関が見られた。また、(2)苦痛度と(4)確信度の間にも有意な相関が見られた。(2)苦痛度を従属変数、(3)心的占有度と(4)確信度を説明変数とする重回帰分析を行ったところ、(3)心的占有度から(2)苦痛度に有意な正の影響が見られた。また、(4)確信度から(2)苦痛度にも正の影響の傾向が見られた。研究4の結果から、統合失調症患者の妄想的観念では、苦痛度と心的占有度の間に正の関連があること、確信度と苦痛度の間にも正の関連が見られることが分かった。

研究5では、慢性期の統合失調症患者が、早急な結論判断バイアスを持つことを確認した。先行研究では、急性期の妄想患者が、早急な結論判断バイアスを持つことが分かっている。研究5では、統合失調症患者15名、健常成人20名を対象に、ベイズ確率推論課題を実施した。その結果、(1)情報収集課題では、統合失調症患者群の方が、健常者群よりも、判断までに取り出したビーズの数が有意に少なかった。しかし、(2)確信度評定課題では、情報収集初期の確信度に有意差は見られなかった。研究5の結果から、慢性期の統合失調症患者は、情報収集バイアスを持つこと、確信度バイアスを持たないことが分かった。

研究6では、妄想的観念による苦痛と、苦痛への対処行動の関係を検討した。先行研究では、逃避型対処行動をとりやすい統合失調症患者は、幻覚・妄想の重症度が強いこと(Lysaker et al., 2004)が分かっている。しかし、対処行動と妄想的観念による苦痛の間の影響の方向性が明らかではない。研究6では、研究3の結果を元に「逃避型対処行動が、妄想的観念による苦痛を強める」という作業仮説を立てた。そして、縦断調査と共分散構造分析を用いて、統合失調症患者と健常者で苦痛と対処の影響の方向性が同じかどうかを検証した。統合失調症患者43名を対象に、PDI短縮版とストレス対処質問紙を、1ヶ月間隔で2回実施した。道具的変数モデルによって、双方向の因果パス係数を算出した結果、統合失調症患者では健常者とは逆に、妄想的観念による苦痛が、逃避型対処行動を強めることが分かった。

第1部と第2部のまとめ

健常大学生と統合失調症患者の結果を比べて、一致した部分は、(1)心的占有度と苦痛度に正の関連があること、(2)妄想的観念の発生に情報収集バイアスが影響していることの2つであった。一致しなかった部分は、(3)健常者では確信度と苦痛度の正の関連が無かったが、統合失調症患者では正の関連があったこと、(4)妄想的観念を持ちやすい健常大学生は確信度バイアスを持っていたが、慢性期の統合失調症患者は、確信度バイアスを持たなかったこと、(5)妄想的観念を持ちやすい健常大学生は、情報収集中に確信度を変化させていたが、慢性期の統合失調症患者は、確信度を変化させていなかったこと、(6)健常大学生では、逃避型対処行動が苦痛を強めていたが、統合失調症患者では、苦痛が逃避型対処行動を強めていたことの4つであった。

考察と臨床的示唆

統合失調症患者では、確信度と苦痛度の正の関連があった。思考の強さが苦痛感情に直接つながることが、統合失調症患者の特徴であろう。統合失調症患者の場合は、思考をコントロールするメタ認知に働きかける必要があるだろう。また、統合失調症患者は、情報収集の過程で確信度を変化させられるように働きかけていく必要があるだろう。決断を遅らせ、対立仮説についての情報を集めて、確信度を変えていく介入が有効である可能性がある。対処行動については、統合失調症患者は、対処行動が逃避に偏っているため、苦痛が直接対処行動に影響している可能性が示唆された。統合失調症患者の妄想的観念に介入する際には、間接的な介入が有効である可能性が示唆された。

審査要旨 要旨を表示する

妄想とは、診断基準DSM-IVによると、外的現実に対する間違った推論に基づく信念と定義される。精神病によくみられるが、状況によっては、健常者でも体験することが知られている。近年の異常心理学の研究では、妄想様観念と妄想を「妄想的観念」と総称して、連続的に扱うことが多い。妄想的観念がどのようなメカニズムで発生するかについて、生物学的な側面とともに、心理・社会学的な側面の研究が進んでいる。本研究は、一般の大学生と統合失調症患者を対象として、妄想的観念の発生要因と維持要因を明らかにしたものである。妄想的観念の研究は、統合失調症の心理学的治療法や予防法を開発する上で大きな臨床的意義がある。

本論文は6つの研究から構成されており、大きく二部に分けられる。第1部は、大学生の妄想的観念に関して実証的に記述し(研究1)、発生要因(研究2)と維持要因(研究3)を明らかにしたものである。第2部は、統合失調症患者の妄想的観念を実証的に記述し(研究4)、発生要因(研究5)と維持要因(研究6)を明らかにしたものである。

第1部の研究1では、大学生の妄想的観念を多次元的に測定した。これまで、妄想的観念を測るアセスメントツールが未整備であり、妄想的観念の次元間の関連が明らかでなかった。そこで、妄想的観念を測定するため、日本語版Peters et al。 Delusions Inventory(PDI)を作成した。大学生604名を対象に調査を実施し、信頼性と妥当性を確認した。また、相関分析と重回帰分析を用いて、次元間の関連を検討した。その結果、妄想様観念では、心的占有度と苦痛度の間に正の関連が見られ、確信度と苦痛度の間には正の関連がないことがわかった。研究1から、確信度よりも心的占有度のほうが、不適応に関連があることが示唆された。

研究2では、妄想的観念を持ちやすい健常者が、「早急な結論判断バイアス」を持つことを確認した。PDI得点でスクリーニングした大学生32名を対象にベイズ確率推論課題を実施し、情報収集バイアスと確信度バイアスを測定した。研究2の結果から、妄想的観念を持ちやすい健常者も、早急な結論判断バイアスを持つことが明らかになった。

研究3では、妄想的観念による苦痛と、苦痛への対処行動の関係を検討した。先行研究では、逃避型対処行動は妄想的観念による苦痛と正に相関することが示されている。しかし、妄想的観念による苦痛と対処行動の間の影響の方向性が明らかではない。そこで、研究3では、「逃避型対処行動が、妄想的観念の苦痛を強める」という仮説を立て、大学生186名を対象に縦断調査を行い、共分散構造分析を用いて検証した。その結果、対処行動から苦痛へのパス係数が有意になり、仮説が支持された。研究3の結果から、健常者では、逃避型対処行動が、妄想的観念の苦痛を強めることがわかった。

第2部の研究4では、統合失調症患者の妄想的観念を多次元的に測定した。統合失調症患者86名を対象に調査を行い、PDIの信頼性・妥当性を確認した。また、相関分析と重回帰分析を用いて、次元間の関連を検討した。その結果、統合失調症患者の妄想的観念では、心的占有度と苦痛度が正の関連があることが確認された。また、確信度と苦痛度も正の関連があることが明らかになった。

研究5では、慢性期の統合失調症患者が、早急な結論判断バイアスを持つことを確認した。研究5では、慢性期統合失調症患者15名と健常成人20名を対象に、ベイズ確率推論課題を実施した。研究5の結果から、慢性期の統合失調症患者は、情報収集バイアスを持つこと、確信度バイアスを持たないことがわかった。また、統合失調症患者は、情報収集中の確信度変化が小さいこともわかった。

研究6では、妄想的観念による苦痛と、苦痛への対処行動の関係を検討した。先行研究では、逃避型対処行動をとりやすい統合失調症患者は、幻覚・妄想の重症度が強いことがわかっている。しかし、対処行動と妄想的観念による苦痛の間の影響の方向性が明らかではない。そこで、研究6では、研究3の結果を元に「逃避型対処行動が、妄想的観念による苦痛を強める」という仮説を立て、統合失調症患者43名を対象に縦断調査を行い、共分散構造分析を用いて検証した。道具的変数モデルによって、双方向の因果パス係数を算出した結果、妄想的観念による苦痛が、逃避型対処行動を強めることがわかった。

本論文においては、次の点が高く評価された。

妄想的観念を多次元的に測定できる尺度を作成し、その信頼性と妥当性を確認した。その際、のべ1000名に及ぶ多数の被験者調査データを積み重ね、また、100名に及ぶ貴重な臨床サンプルのデータを収拾して、実証的な議論を組み立てていること。

大学生と統合失調症患者の両方を対象として、同一の手法で研究を行い、研究結果の共通点・相違点から妄想の予防法・治療法を開発する基礎となる情報を提供していること。

質問紙法だけではなく、実験法を用いて、妄想的観念の心理学的な発生要因の解明を試み、ある程度それに成功したこと。また、実験の結果から妄想研究の新たな方向性を示したこと。

質問紙法を用いた研究では、多変量解析を効果的に用いて、妄想的観念の維持要因について、因果関係に踏み込んだ分析を行い、ある程度成功したこと。

なお、以上の研究の実施にあたって、倫理的な配慮は十分になされていると確認された。

これらの成果により、本論文は、博士(学術)の学位に値するものであると、審査員全員が判定した。なお研究1と研究4の一部は、すでに「臨床精神医学」誌上に公表済みであり、研究5はすでに「精神医学」誌上に公表済みである。また、研究3は、「パーソナリティ研究」誌上に公表予定である。

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