学位論文要旨



No 120949
著者(漢字) 伊藤,洋
著者(英字)
著者(カナ) イトウ,ヒロシ
標題(和) 生物群集の共進化的起源についての理論
標題(洋) A theoretical framework on the coevolutionary origin of biological communities
報告番号 120949
報告番号 甲20949
学位授与日 2006.03.23
学位種別 課程博士
学位種類 博士(学術)
学位記番号 博総合第652号
研究科 総合文化研究科
専攻 広域科学専攻
論文審査委員 主査: 東京大学 教授 嶋田,正和
 東京大学 助教授 伊藤,元己
 東京大学 助教授 池上,高志
 東京大学 教授 深津,武馬
 横浜国立大学 教授 松田,裕之
内容要旨 要旨を表示する

第一章:諸言

物質やエネルギーの流出入のある系においては,自己組織化された時空間構造がしばしば現れる.このような構造は「散逸構造」と呼ばれ,雲や対流,生物個体の体表の模様などがその典型として挙げられる.特に生命現象における散逸構造は実に多様であり,生物そのもの,すなわちそれらの形態や動態が散逸構造として解釈され得る.古生物学や系統学,進化生物学の進展は,驚くべきことに,これらの多様な面々が,単一の共通祖先からの長期にわたるほぼ連続的な変化によって形成された可能性を提示している.生物の歴史は様々な外的/内的,決定論的/確率的な力によって形成されてきたとされるが,この動態の機構を理解するためには,それらの要因が動態のどの部分に寄与し,どのような特性を与えているのかを把握する必要がある.

本研究は,内的かつ決定論的な力の源として,生物間相互作用に着目した.そのあり方は「どの生物がどの生物とどのような関係にあるか」を束ねた群集構造によって決まり,各々の生態的相互作用によって生じる構成種の進化は,群集構造自体を共進化的に変えることになる.この視点においては,群集はそれ全体が相互作用しながら共進化してきたものであり,特定の種や種群に限定した記述では長期的な進化動態を説明できない.すなわち,生態的相互作用に基づく長期的な進化動態を解析するためには,群集構造全体を記述することが必要である.これにより群集の自律的な進化動態を調べることが可能になり,生物の進化的特性を理解することにも繋がる.また,興味深いことに,この長期的な共進化動態自体も散逸構造の1種として解釈され得る.

そこで本研究は,生物体をエネルギー(自由エネルギー)塊とみなし,様々な生物間相互作用を,系外から流入するエネルギーを含めた全てのエネルギー資源を巡る広義の資源競争として定義することにより,生物群集の生物量動態や進化動態を統一的に記述する枠組を考案した.具体的には,各々の生物を(任意の次元の)形質空間における表現型xとして定義し,その生物量動態を以下の式によって記述した.

ここで,G(x)は捕食による増加,L(x)は被食による減少,d・n(x)は自然死亡に対応し,最後の項は,生物体の成長,他の表現型との交配や突然変異などによる,表現型の変化(遷移項)に対応する.

捕食被食(資源・資源消費)相互作用については,生物xの単位生物量(エネルギーに換算)によってもたらされる資源を,(任意の次元の)資源空間zにおける資源密度分布(資源パターン)Pr(z,x)して定義する一方,生物xの単位生物量(エネルギーに換算)による資源利用(資源利用パターン)を,資源空間における資源利用分布Pu(z,x)として定義し,各表現型は,自らの資源利用パターンと重なっている資源を捕食(消費)するものとした.(資源空間の軸には,大きさや硬さ,化学組成,逃避能力など,資源の質を測る尺度が用いられる.)本研究では,(1)捕食者(消費者)は資源をその質zのみによって区別すること,(2)単位資源利用量(エネルギー投資)当たりの資源獲得量は,その資源量R(z)とその資源の総利用量(競争者の量)U(z)のみによって決まることを仮定し,一般的とされるBeddington-DeAngelis型の機能の反応に基づき,以下のように定義した.

ここで,L(z)は外から流入する資源に対応する.この場合,捕食量G(x),被食量L(x)は以下の式により与えられる.

式(2),(3)を式(1)に代入することにより,

が得られる.右辺第一項は生物量の変化(成長項)に対応し,第二項は質の変化(遷移項)に対応する.この方程式において,資源パターンPr(z,x),資源利用パターンPu(z,x),遷移関数T(x,x'),流入資源L(z)が与えらることにより,対応する生物量動態が記述されることになる.このモデルを「一般資源競争モデル」と名付けた.本論文ではまず,この方程式における被食の効果を無視し,L(z)を巡る資源競争によって生じ得る資源利用パターンの進化動態について述べた(第二,三,四章).これはギルド内の進化動態に対応する.次に,被食の効果も考慮した場合において生じ得る進化動態について述べた(第五,六章).これは,群集すなわち食物網全体の進化動態に対応する.進化動態の解析は主に進化的分岐(種分化)の可能性について行い,無性生殖と低い突然変異率を仮定した数学的手法と,有性生殖を考慮した個体レベルの確率的事象に基づく数値シミュレーションを併用した.

第二章:資源利用パターンにおける進化的分岐

新資源の出現による集団のニッチ拡大における,資源利用パターンの位置(ニッチ位置)と幅(ニッチ幅)の進化動態の解析を行った.その結果,集団が受ける方向性選択と分断化選択の強さは,「有効資源分布」の1次から4次までのモーメント(平均,分散,歪度,尖度)によって導かれた.さらに,ニッチ位置と幅を軸とした2次元の形質空間において,単型の集団を引き込みその進化的分岐を促す「進化的分岐点」が2種類存在することが示された.1つ目は,既に利用していた旧資源と新資源の両方を広いニッチで利用する状態に対応する「generalist分岐点」である.この分岐点に引き込まれる集団は,進化的にニッチ幅を広げた後,この分岐点で2つの集団に分岐し,その2集団は進化的にニッチ幅を狭めながら各々の資源へ専門化する. 2つ目は,旧資源に専門化したままの状態に対応する「specialist分岐点」である.この分岐点に引き込まれる集団は,まず2つの集団に分岐した後,片方の集団が進化的にニッチ幅を広げつつニッチ位置を新資源へ移動し,再びニッチ幅を狭めながら新資源へ専門化する.

第三章:再帰的な放散と絶滅

ニッチ位置と一定の方向選択を受けるもう1つの形質による2次元の形質空間における進化動態を数値的に解析した.その結果,ニッチ位置における分断化選択が他の形質における方向選択よりも十分に大きい場合には進化的分岐が生じることが示された.また,生じた種群のうち,他の種よりも追加形質を速く進化させた種が再び適応放散し,他の系統を競争排除することが繰り返されるという動態(再帰的な放散と絶滅)も示された.この動態は,第2の形質を2次元の資源空間における第2軸方向のニッチ位置とした場合にも生じる.これにより,多様性の創出と消滅の過程が,資源競争による決定論的な一連の進化動態として説明可能であることが示された.

第四章:多次元形質空間における進化的分岐の条件

確率的な影響が強まる多次元空間における進化動態を数学的に解析するために,「最も確率の高い進化経路(Evolutionary Path with Maximum Likelihood)」の概念を考案した.これをAdaptive Dynamics理論に導入することにより,注目する形質群の分断化選択とそれ以外の形質群の方向選択との間の関係式として,進化的分岐条件を解析的に導き,数値解析結果をよく予測することを確かめた.この条件は生態的相互作用の種類とは無関係なので,多次元の形質空間における進化動態や,緩やかな環境変動下の進化動態,共進化的な群集における一般的な進化的分岐条件を与えると考えられる.

第五章:再帰的な進化的分岐による食物細の成長

一般資源競争モデルにおいて,資源利用パターンの位置(ニッチ位置)及び資源パターンの位置で構成された2次元の形質空間における進化動態を数値的に解析した.その結果,捕食圧によって生じる資源パターン位置の進化的分岐,すなわち「被食分岐」と,資源競争によって生じる資源利用パターン位置の進化的分岐,すなわち「捕食分岐」が生じることが示された.また,被食分岐によって出現した新資源は捕食分岐を促し,これによって生じた新たな捕食圧が更なる被食分岐を促すことで,資源と資源利用が共進化的に多様化し,食物網が自律的に成長する動態が示された(図1).

第六章:食物細の進化動態における巨視的制約

食物網が着実に成長する場合の進化動態や,成長後に崩壊と成長がバランスして食物網構造が維持される場合の進化動態は,食物網のあらゆる部分で資源と消費者がほぼ理想自由分布の関係にあることが数値的に示された.理想自由分布を保持するこれらの進化的遷移過程は, 「中立展開経路(Neutral extension path)」として解析的に導かれた.しかし完全な理想自由分布の状態は動態の停止を意味する.被食者としての進化的分岐が系を理想自由分布(=中立展開経路)から遠ざける効果を,逆に捕食者としての進化的分岐が系を理想自由分布に近づける効果を持つために,これらがバランスし系が中立展開経路から少しずれた状態を維持することが,複雑な食物網の成長・維持をもたらすという解釈が導かれた.

第七章:総合考察

本研究により構築された一般資源競争モデルは,従来は個別に研究されていた進化的現象を統一的に解析することを可能にし,このモデルの数値的・数学的解析により,それらの現象の相互作用や総体としての進化動態を支配する因果律の解釈の幾つかが導かれた.二章から五章までの各章において示された動態は,六章における群集進化動態の部分的動態を成している.

本研究では,個体レベル以上の動態を記述する枠組として一般資源競争モデルを構築・解析したが,このモデルの本質は,(1)資源と資源利用の関数としての生物間相互作用,(2)資源利用パターン及び資源パターンの質的変化の連続性,(3)相互作用に伴うエネルギーの流れとその消費に伴う熱力学的制約(散逸),という3つの仮定である.従って原理的には,これらの仮定が有効なあらゆる時空間スケールにおける生命現象の動態がこのモデルにより記述され得る.進化生物学の世界観は,変化を量的なものと質的なものに分けることを基盤としていると考えられ,対象とする現象の物的性質からは独立である.本研究の一般資源競争モデルは,量的変化を成長項,質的変化を遷移項として,上記の3つの仮定の下にその世界観を具体化したものとして位置付けられる.

審査要旨 要旨を表示する

物質やエネルギーの流入出のある系では、自己組織化された時空間構造がしばしば現れ、これは「散逸構造」と呼ばれる。生命界においても生物の多様な系統は、単一の共通祖先からの長期にわたる連続した変化によって形成された可能性がある。生物多様性の歴史は外的・内的、決定論的・確率論的なさまざまな要因によって変遷してきた。本研究は、内的かつ決定論的な力として生物間相互作用に着目し、理論モデルにより生物群集の共進化動態とその構造自体の変遷を解析するものである。

1章では、研究の背景と目的を説明した後、生物群集の構造をどのように定式化するかについての論文全体の方針を明らかにしている。具体的には、系外から流入する光エネルギーを利用して生産者が物質生産を行い、それを食う−食われるの捕食作用や資源競争による生物間相互作用によって生物量が増加・減少するモデル(一般化資源競争モデル)を提唱している。また、この系には、各々の生物種は遺伝的な形質の組み合わせによる形質空間の位置を持っており、さらに交配と突然変異によって新しい種(=遺伝的モルフ)が生まれる。つまり、形質空間内で生物間相互作用による各種の生物量の動態を解析するものとなっている。その際に、このモデルは3つの定式化が可能で、(i)現実の要素を取り入れるときには有性生殖型の個体ベースモデルを、(ii)多種系での迅速な数値計算を行なうときには反応拡散方程式を、そして、(iii)解析解を得る場合には無性生殖型の簡素な適応ダイナミクス・モデルを、それぞれ使い分けている。

2章では、資源利用パターンにおける進化的分岐を個体ベースモデルで解析している。具体的には、似た資源を利用する生物が、そのニッチとして表現できる資源利用パターン(正規分布)のニッチ位置とニッチ幅の進化的動態を計算した。その結果、新奇の資源が現れたときには、既存集団の一部の個体からいったんニッチ幅を大きく広げたジェネラリストがまず進化して、その後、そこからスペシャリストに変化して行き、最終的には2種のスペシャリストが共存した。それが現れる条件を解析している。

3章では、ニッチ形質について進化速度の遅い方向性選択と速い分断化選択の2つが作用する系で、反応拡散方程式を用いて再帰的な放散と絶滅の現象を解析した。これにより、多様性の創出と消滅の過程が、資源競争による決定論的な一連の進化動態として説明可能となった。さらに、4章は多次元形質空間における進化的分岐の条件を、適応ダイナミクス・モデルで数理的に解析している。その結果、「最尤進化経路」を解析的に導きだすことに成功している。

5章は再帰的な進化的分岐による食物網の自律成長の進化である。食う−食われるの関係で、資源利用パターン(餌を食う方)と資源パターン(餌として食べられる方)の双方のニッチ位置に関する形質の組合わせによって、2次元形質空間が定義される。反応拡散モデルを使うと、その空間中で、資源パターンの進化的分岐(被食分岐)と、資源利用パターンの進化的分岐(捕食分岐)が交互に発生することが分かった。これは、理想自由分布(等適応度分布)への捕食者側の収束と被食者側の回避の、2つの分岐動態で説明できる。そして、6章では、食物網の進化動態において、食物網のあらゆる部分で資源と消費者が理想自由分布の近傍にあることが数値的に示された。最後の7章は総合考察である。

以上、本研究が構築した一般化資源競争モデルは、従来は個別に研究してきた進化的現象を統一的に解析することを可能にした。その大きな成果は、生物間相互作用の関係性の総体としての生物群集と自律進化する食物網の構造を時間発展として解析できたこと、その帰結は理想自由分布への捕食者側の収束(捕食分岐)と被食者側の回避(被食分岐)という、極めてシンプルな論理を導き出したことである。したがって、本審査委員会は博士(学術)の学位を授与するに相応しいものと認定する。

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