学位論文要旨



No 120952
著者(漢字) 土金,勇樹
著者(英字)
著者(カナ) ツチカネ,ユウキ
標題(和) ミカヅキモにおける性フェロモンの生理学的、分子生物学的解析
標題(洋) Physiological and molecular biological analyses of sex pheromones in the Closterium peracerosum-strigosum-littorale complex.
報告番号 120952
報告番号 甲20952
学位授与日 2006.03.23
学位種別 課程博士
学位種類 博士(学術)
学位記番号 博総合第655号
研究科 総合文化研究科
専攻 広域科学専攻
論文審査委員 主査: 東京大学 助教授 伊藤,元己
 東京大学 教授 嶋田,正和
 東京大学 助教授 増田,建
 東京大学 助教授 野,久義
 日本女子大学 助教授 関本,弘之
内容要旨 要旨を表示する

本論文は、ミカヅキモClosterium peracerosum-strigosum-littorale (C. psl.) complexにおける性フェロモンの新規機能と作用機構、更にはその性フェロモンによる生殖隔離機構について解析したものである。

単細胞接合藻ミカヅキモC. psl. complexには、+型、−型と呼ばれる接合型(性)を持つヘテロタリック株が存在しており、実験室内で同調的に配偶子を形成させ、接合子を形成させる事が可能である。ミカヅキモの有性生殖過程(図1)では、まずA)両細胞を混合する事で、B)多糖性の粘液を放出し合い、次にC)有性分裂(Sexual Cell Division: SCD)と呼ばれる特殊な分裂を行い、性的能力を保持する配偶子嚢細胞へ分化する。続いてD)相補的な配偶子嚢細胞同士のペア形成、E)それぞれの細胞からのプロトプラスト放出、F)最終的にプロトプラストの融合が行われ、接合子が形成される。C. psl. complexにおいては、+型細胞から放出され、−型細胞のプロトプラスト放出を誘導するPR-IPと、-型細胞から放出され、+型細胞のPR-IP産生を誘導するPR-IP Inducerの二種の糖タンパク質性の性フェロモンが単離されており、性フェロモンが有性生殖の進行に深く関与することが明らかにされていた。

ミカヅキモ(Closterium peracerosum-strigosum-littorale complex)における有性分裂誘導フェロモンの発見

有性生殖の初期過程に起こるSCDに関しては、性フェロモンの存在が示唆されているものの、それまでに生化学的な研究は行われておらず、フェロモンの実体は全く不明であった。Part Iでは、両接合型細胞を混合し性フェロモンの放出を誘導した培地中から、−型細胞が放出し、+型の有性分裂を誘導する因子と、+型細胞が放出し、−型の有性分裂を誘導する因子、の存在を確認することに成功し、それぞれをSCD-IP-minus, SCD-IP-plusと名付けた。更に、生理学的、生化学的な特徴解析を行なったところ、両フェロモンの放出や作用の条件に光が必要であること、また、ゲル濾過カラムによる推定分子サイズの測定により、SCD-IP-minus は90-100 kDa、 SCD-IP-plus は10-20 kDaであることが明らかとなった。

これらの性質は、すでに単離、同定された性フェロモンのものと極めて高い類似性を示したことから、−型細胞から放出されるSCD-IP-minusとPR-IP Inducerが、また+型細胞から放出されるSCD-IP-plusとPR-IPが同一の物質である可能性が示唆された。

ミカヅキモの性フェロモン(PR-IP Inducer)が保持する二種の生理活性の発見

SCD-IP-minusとPR-IP Inducerが同一の物質であることを証明するために、酵母を用いて組換え型PR-IP Inducerを産生し、そのSCD誘導活性を測定した。+型細胞に組換え型PR-IP Inducerを投与しPR-IP産生およびSCD誘導活性を測定したところ、組換え型PR-IP Inducerは、PR-IP産生誘導活性のみならず、SCD誘導活性をも保持していることが示された。更に、組換え型PR-IP Inducerの処理時間や、両活性の濃度に対する反応性を比較したところ、SCD誘導活性は低濃度、短時間の組換え型PR-IP Inducerの処理で観察された。以上の結果から、有性生殖過程においてPR-IP InducerがSCD-IP-minusとしても機能することが強く示唆された。また、PR-IP Inducerは2つの異なる生理機能を持つものの、両者は濃度、作用時間により活性が異なることが示唆された。

これまで、有性生殖の各段階で機能する性フェロモンが、個別に存在するものと考えられていた。Part IIでは、PR-IP Inducerという1つの性フェロモンが少なくとも2つの生理活性を担い、有性生殖を制御することを初めて明らかにした。(なお、共同研究による後の研究の結果、精製PR-IPがSCD-IP-plusとしての活性をもつことも示されている。 Akatsuka et al. 2005 Phycol. Res. In press)

ミカヅキモの交配群における性フェロモンの単離と系統学的解析

ヘテロタリックのC. psl. complexでは生殖的に隔離された交配群(mating group)の存在が報告されている。交配群内の+型細胞と-型細胞は常に安定した割合で接合子を形成するが、生殖的に隔離されている交配群(Group D)は他の交配群の細胞と接合を試みても有性生殖が観察されない。また、生殖的な隔離が不完全に行なわれている交配群(Group A、 Group B)の間では有性生殖が観察され、若干の接合子が形成される。交配群間の生殖隔離は、その相互認識が失われることが主要因であると推定されていたが、相互認識に関わる情報交換物質の特定も含め、生理学的、分子生物学的な解析は行なわれていなかった。一方、C. psl. complexにはクローン細胞同士で接合が観察されるホモタリック株の存在が知られている。しかしながら、ヘテロタリックな株との系統関係、性フェロモンの存在やその機能に関しては未だに明らかになってはいない。

各交配群の系統関係を明らかにするために、SSU rDNAにおける1506 group Iイントロンを各交配群から単離し、系統樹の推定を試みたところ、Group A とGroup Bは近い関係にあり、完全な隔離の観察されるGroup Dとの関係は遠いものであることが判明した。また、ホモタリック株を新たにフィールドから回収し、系統関係を推定したところ、ヘテロタリックであるGroup Bとの関係が近いことが明らかとなった。次に、それぞれの交配群の性フェロモンが他の交配群に作用するかどうかを明らかにするため、交配群ごとに接合を誘起し、その培地中に含まれるSCD誘導活性を測定した。完全な隔離が行なわれているGroup Dの培地中にはGroup AおよびGroup Bに対するSCD誘導活性は観察されなかった。しかし、不完全な隔離が行なわれているGroup Aの培地中にはGroup Bに対する活性が、また、Group Bの培地中にはGroup Aに対する部分的な活性が存在しており、交配実験から得られる生殖隔離の程度は、性フェロモンの活性と相関する事が明らかとなった。実際、それぞれの交配群におけるPR-IP Inducer遺伝子の単離を行ない、配列を比較したところ、Group AとGroup Bの間で高い相同性(95.1%)が得られた(表1)。また、それらと比較してGroup Dの相同性(70.4 - 68.3%)は低いものであった。この様に、ヘテロタリックな交配群においては、生殖隔離の程度、系統関係、SCD誘導活性、PR-IP Inducerの相同性に高い相関が見いだされた。一方、ホモタリック株では、ヘテロタリック株(Group B)に近縁であるにも関わらず、その培養培地中には他の交配群に対するSCD誘導活性は観察されなかった。更にそのPR-IP Inducer遺伝子においてはGroup Bのものとの間に89.5%の相同性が見られ、この10%程度の違いが活性の有無に重要であると考えられた。

以上の結果から、生殖隔離を誘起する原因因子の一つが、性フェロモンであることが示唆された。また、ホモタリック株およびGroup Dの PR-IP Inducerにおける特有のアミノ酸変異が活性の有無に重要であり、この様な変異は地理的な隔離、ホモタリック化など、何らかの要因でそれぞれの交配群間の遺伝子交流が失われた事によるものと考えられた。

陸上植物や藻類において、性フェロモンが有性生殖過程を制御している例が幾つか知られている。その様式は種によって異なるものの、相補的性を示す2個の配偶子細胞間の活性物質を介した情報交換、相互確認とそれに基づく両細胞の融合(受精)という点で共通した現象である。しかしながら、その解明は有性生殖の機構ばかりか活性物質の特定においても立ち後れている。本論文は単細胞接合藻ミカヅキモC. psl complex の、有性生殖における、性フェロモンの重要性や生殖隔離との関係性を明らかにしたものであり、今後、植物の有性生殖や生殖隔離、さらには種分化機構を包括的に理解する上で一つのモデルとなるものと考えられる。

図1. ミカヅキモにおける有性生殖過程のモデル図。灰色の円:多糖性の粘液。黒色の矢印:性フェロモンによる情報交換

表. 交配群間におけるPR-IP Inducerのアミノ酸配列の相同性(%)

アルファベットはそれぞれの交配群名を示し、Homoはホモタリック株を示す。

審査要旨 要旨を表示する

本研究は、単細胞接合藻ミカヅキモClosterium peracerosum-strigosum-littorale complexにおける性フェロモンの新規機能と作用機構、更にはその性フェロモンによる生殖隔離機構について解析したものである。ミカヅキモでは、+型細胞から放出され、―型細胞のプロトプラスト放出を誘導するPR-IPと、―型細胞から放出され、+型細胞のPR-IP産生を誘導するPR-IP Inducerの2種の性フェロモンが有性生殖の進行に関与することが明らかにされたている。しかし、有性生殖全体のプロセスについては未解明な部分が多く残っていた。本研究は、有性生殖プロセスの未解明の部分を明らかにし、性フェロモンと生殖隔離機構の関連の解明を試みた。

本研究は3章よりなる。第1章では、ミカヅキモが性フェロモンの放出を誘導した培地中から、−型細胞が放出し、+型の有性分裂を誘導する因子と、+型細胞が放出し、―型の有性分裂を誘導する因子の存在の確認に成功した。それぞれをSCD-IP-minus, SCD-IP-plusと名付け、更に生理学的、生化学的な特徴解析を行なったところ、さまざまな性質で、すでに単離・同定された性フェロモンと極めて高い類似性を示し、同一の物質である可能性が示唆された。第2章ではSCD-IP-minusとPR-IP Inducerが同一の物質であることの証明を行った。組換え型PR-IP Inducerを使い、PR-IP InducerがSCD-IP-minusとしても機能すること、またPR-IP Inducerは2つの異なる生理機能を持つものの、両者は濃度・作用時間により活性が異なることが明らかになった。これまで、有性生殖の各段階で機能する性フェロモンが、個別に存在するものと考えられていたが、PR-IP Inducerという1つの性フェロモンが少なくとも2つの生理活性を担い、有性生殖を制御することを本研究は初めて明らかにした。第3章では、ミカヅキモに存在する交配群で、性フェロモンと隔離機構の関係を解析した。各交配群の系統樹の推定を試みた結果、不完全な隔離を示すグループ A とグループ Bは近い関係にあり、完全な隔離の観察されるグループ Dとの関係は遠いものであることが判明した。また、ホモタリック株を新たにフィールドから回収し、系統関係を推定したところ、ヘテロタリックであるグループ Bと近い系統であることが明らかとなった。次に、それぞれの交配群の性フェロモンの他の交配群に対する有性分裂誘導活性を測定した。その結果、完全な隔離が行なわれているグループ Dの培地中にはグループ Aおよびグループ Bに対する有性分裂誘導活性は観察されなかった。一方、不完全な隔離が行なわれているグループ Aの培地中にはグループ Bに対する活性が、グループ Bの培地中にはグループ Aに対する部分的な活性が存在しており、交配実験から得られる生殖隔離の程度は、性フェロモンの活性と相関する事が明らかとなった。各交配群におけるPR-IP Inducer遺伝子の単離を行ない、配列を比較したところ、グループ Aとグループ Bの間で高い相同性が得られた。それらと比較してグループ Dの相同性は低いものであった。この様に、ヘテロタリックな交配群においては、生殖隔離の程度、系統関係、有性分裂誘導活性、PR-IP Inducerの相同性に高い相関が見いだされた。以上の結果から、生殖隔離を誘起する原因因子の一つが、性フェロモンであることが示唆された。上記の結果から得られた知見を統合して、ミカヅキモにおける性フェロモンの作用機構と生殖隔離機構に関する総合的な考察を行っている。

以上のように本研究は、これまで植物では十分解明されていなかった、有性生殖における性フェロモンの重要性や生殖隔離との関係性を明らかにしたものでる。陸上植物や藻類において、性フェロモンが有性生殖過程を制御している例が幾つか知られており、相補的性を示す2個の配偶子細胞間の活性物質を介した情報交換、相互確認とそれに基づく両細胞の融合という点で共通した現象であるが、他の植物での解明は有性生殖の機構ばかりか活性物質の特定においても立ち後れている。今後、植物の有性生殖や生殖隔離、さらには種分化機構を包括的に理解する上で、本研究は、重要なモデル研究と位置づけられるものであり、植物生理学・進化学に対する大きな学術的貢献が認められる。したがって、本審査委員会は博士(学術)の学位を授与するにふさわしいものと認定する。

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