学位論文要旨



No 120953
著者(漢字) 劉,雲剛
著者(英字) Liu,Yungang
著者(カナ) リュウ,ウンゴウ
標題(和) 中国鉱業都市における産業動向と生活空間の変容
標題(洋)
報告番号 120953
報告番号 甲20953
学位授与日 2006.03.23
学位種別 課程博士
学位種類 博士(学術)
学位記番号 博総合第656号
研究科 総合文化研究科
専攻 広域科学専攻
論文審査委員 主査: 東京大学 教授 荒井,良雄
 東京大学 教授 谷内,達
 東京大学 助教授 松原,宏
 東京大学 助教授 永田,淳嗣
 横浜市立大学 準教授 小野寺,淳
内容要旨 要旨を表示する

中国では,1950年代以来,大規模な鉱産資源の開発にともなって,数多くの鉱山集落が形成された.鉱業都市は,このうち,中央政府から多くの投資を受けて,産業面でも人口面でも急成長を遂げたものである.国有経済体制の下では,鉱業都市は単なる鉱山サイトではなく,中国の近代的産業コンビナートや後進地域開発の拠点でもある.一方,近年では,様々な資源・環境や産業・社会問題が多発する「問題都市」として注目されつつある.

本論文は,中国における鉱業都市の存立構造とその発展動態を全体的に把握した上で,炭鉱都市である遼源市を事例に,その産業変化とそれにともなう生活空間変容の実態を明らかにしようとしたものである.研究方法としては,主にフィールドワークに基づく地域研究の手法を用いて,鉱業都市の経済,社会,環境といった側面を総合的に取り扱うことを試みた.また,鉱業都市に対する考察を手掛かりとして,中国の都市・地域問題,環境問題へアプローチすることを意図した.

これまで,中国における鉱業都市に関して,外部からのアクセスの不便さや,公開されたデータおよび客観的情報が少ないことなどの外的研究条件の不備に加えて,その研究の重要性が十分に認識されていないという内的要因の影響のために,その研究成果の蓄積はあまり見られなかった.本研究ではまず,中国鉱業都市の動向およびそこで発生している様々な都市・環境問題への詳細な実態の解明を目指した.

本論文の構成は7章からなっている.

第1章では,中国鉱業都市に関する基本的な捉え方と研究課題を整理し,その上で,本論文の研究視点と方法,および調査地域と研究内容の構成を提示した.中国鉱業都市は,様々な都市・環境問題を抱えている「問題都市」であるとともに,重要な近代的産業都市でもあるという二重的性格を持つことを指摘し,それを踏まえた上で生活空間の視点からのアプローチの有効性を検討した.

第2章では,中国鉱業都市の詳細な分析に向けた第一歩として,利用可能な既存資料をもとに,その形成の歴史,都市構成と地理的分布,基本的動向など,鉱業都市の全体像を明らかにした.中国鉱業都市は,19世紀後半の半植民地時代から形成されはじめ,1950年代以来,中でも1950年代と1980年代を中心に,鉄鋼業を中心とした大規模な工業化にともなって,中国政府が計画的に建設した新産業都市として多く成立した.本研究の定義によると,鉱山の開発によって成立・発展してきたこれらの中国鉱業都市は,炭鉱都市,油田都市,金属鉱都市,非金属鉱都市を含めて合計で58市(市制都市)であり,1999年の時点で,中国の全(市制)都市数の9%,都市人口の14%を占める.その地理的分布は中国の21の省(自治区)にわたり,とりわけ黒竜江,遼寧,山西,安徽,河南,山東の6省に集中している.人口規模では,20万人以上が7割以上を占めており,その平均人口規模は中国全都市の平均人口規模を上回る.一方,鉱業都市の動向をみると,1980年代以来,人口やGDPの増加率が低下する傾向にあり,また,失業・貧困問題や資源・環境問題など,様々な都市・環境問題が発生している.こうした分析の結果を踏まえて,最後に,上述した諸問題の実態解明が当面の課題であることを指摘した.

第3章では,中国鉱業都市の諸問題を具体的に分析するための準備として,中国の単位と単位制度の仕組みを概観した.中国では,単位を基本的ユニットとした生産・生活システムである単位体制が1950年代に確立され,単位制度と総称される様々な法制度によって規定されてきたが,その全容は十分には把握されておらず,それに関する研究も断片的なものが多い.そこで本章では,こうした単位と単位制度の基本的な仕組みを整理した.

まず,単位の基本的性格に関しては,それが労働者にとっての「職場」のみを意味するだけでなく,生活保障や,党と行政の管理機能をも持ち合わせた制度化された多機能的組織,すなわち都市社会の中核的ユニットであることを明らかにした.人々は,単位の「揺りかごから墓場まで」の生活保障を受ける一方で,単位から離れることも制約されているという単位に対する依存性を指摘した.さらに,単位体制を規定する単位制度については,それを「計画配置,終身雇用,低賃金,高福利」といった特徴を持つ単位人事・福利制度と,労働力の単位外への自発的流動を防ぐ戸籍制度と档案制度に分けて概観した.最後に,近年の単位制度の改革とそれによる単位体制の変化の動向を踏まえて,鉱業都市の諸問題と単位制度との関わり,および本論文における単位に対する研究の視点を説明した.

第4章から第6章は中国東北部の炭鉱都市遼源市に対するフィールド調査の結果をもとに,中国鉱業都市の産業停滞・失業問題・環境問題の実態と,それにともなう都市生活空間の変容を考察したものである.第4章では,まず単位体制下における鉱業都市の産業変化の過程と近年における産業停滞の要因を検討した.その結果,次のような知見が得られた.

通常,鉱業都市は鉱業企業の「企業城下町」の性格を持つために,他産業が形成されにくい環境になっている.しかし,遼源市の鉱工業化過程を見ると,1911年に民間炭鉱の経営が始まった後,軍閥主導の官民合弁,日本占領下の独占的開発を経て,中国新政府による計画的開発が続いた1950年代以降は,多角的産業体系の形成されていることが確認された.その形成過程を,各種史誌資料および統計データを用いて分析したところ,上述した多角的産業体系は,いわゆる中央各省庁や地方政府が所属している国有単位と,その下部にある余剰人員の就業問題を解決するための集体企業が主体となっており,その形成には,国有企業間の無償の技術移転を背景とした生産工程の複製が活発に行われていたことに加えて,それぞれの企業内部における単位体制の形成が大きく影響していることが判明した.また,近年における鉱業都市の産業構造の変化を分析したところ,上述した多角的産業,とりわけ非鉱業の多くが停滞し,雇用規模が急速に縮小していることが判明した.その要因は,1980年代から,多角的産業単位の経営を自立的に存続させようとした市場化改革の方針に対して,そもそもそれらの単位が独立した資本や技術をそれほど持っておらず,また,多くの余剰労働者と非生産的部門を抱えているため,市場化に対応しがたいという体質にあることを指摘した.

第5章では,鉱業都市の産業停滞にともなう失業・貧困問題を注目し,それを背景とした都市生活空間の変容の実態を考察した.フィールド調査で得られたデータを用いて分析した結果,遼源市では,深刻な失業問題が発生しており,また,それにともなって,都市基盤整備が進められた新区には富裕層、都市基盤が古い旧市街地の鉱山地域には貧困層,という形で住み分けが進行し、生活空間の二極化構造が形成されつつあることが判明した.その原因は,市政府が雇用を維持するために,一部の市区(新区)のみに基盤整備を行うことで民間資本・人材を誘致しようとする一方で,失業者の多くが他市へと転出せずに市内に滞留していることに求められる.さらに,失業者が市外へと移動しない原因については,失業者の多くが中高年労働者であるために,他市での就業や生活は,社会的保障が全く受けられず,労働条件の切り下げなどをともなう一方で,地元市では地元市・単位の様々な就業優遇や住宅・保険などの福利が享受できるという戸籍制度や単位福利などの単位制度の影響を指摘した.

つづいて第6章では,二極化した生活空間構造における遼源市の環境問題を,具体的に地盤沈下という問題を中心に考察した.その結果,次のように知見が得られた.

遼源市では,全市の環境状況を示す公表データを見る限り,環境問題が深刻ではないようにみえるが,実際に鉱区に限ってみると,深刻な地盤沈下が発生しており,生活環境の悪化が目に見える形で進行している.地盤沈下による被害は,住宅をはじめとした生活・生産施設やインフラ・公共施設の損壊のみならず,多くの農地の陥没や住民の死傷にまで及んでいる.しかし,こうした被害は長年にわたって地域社会の中で問題とされなかった.一方,地盤沈下復旧事業が始められてはいたが,その実施過程と事業内容から見る限り,実際の事業は地盤沈下の復旧が目的ではなかった.これには,地盤沈下を環境問題と見なしていないという環境問題に対する中国政府の認識やそれに基づく住民の環境意識の問題に加えて,その背景として単位制度の影響を指摘することができる.すなわち,地盤沈下の問題は,鉱業企業が増加し続けていた従業員の雇用を確保するため,常に生産規模を拡大しようとした結果である一方,それが単位内部の問題としか見なされていない単位意識に影響された結果でもあると判断することができる.最後に,鉱業都市では,貧困・環境問題よりも「経済成長優先」の意識が依然として強い影響を及ぼしている現状から,貧困・環境問題は,十分な「教訓」を得るまで深刻化する可能性が高く,その実態に関する継続的な把握が今後の課題であることを指摘した.

第7章では,以上の研究全体を要約し,局地化する貧困と環境問題への取り組みが本研究の今後の課題であると指摘した.

審査要旨 要旨を表示する

中国国内の豊富な鉱産資源を基礎として発展してきた鉱業都市は,戦後中国において大きな役割を果たしてきた.しかし,近年の改革開放経済の浸透にともなって,国有鉱業企業は深刻な経営不振に陥っており,それを経済基盤とする鉱業都市の問題地域化が進行している.本研究は,中国鉱業都市の全般的な都市成長および産業動向を各種統計データを用いて分析するとともに,中国東北部の炭鉱都市である遼源市を事例に,鉱業都市の産業停滞,失業問題,環境問題の発生過程とそれにともなう生活空間の変容の実態を把握しようとしたものである.

本論文は7章から構成されている.

第1章では,研究の背景と既存研究から導かれた課題を整理し,本研究の論点を提示するとともに,研究対象地域を概観した.第2章では,中国鉱業都市の形成史,地理的分布,および全般的な都市成長の動向を整理した.近代中国において,鉱業都市は重要な産業都市である一方,近年に至って,産業停滞,失業・貧困,資源・環境問題が深刻化している典型的な「問題都市」でもある,という二面性が指摘されている.

第3章では,中国都市における産業動向と社会変化の関係を具体的に分析するための準備として,中国における「単位」制度の仕組みを整理した.さらに,近年の単位制度改革が地域社会に及ぼす影響を予察的に検討し,本研究独自の視点を提示した.

第4章から第6章では,個別の中国鉱業都市の例として遼源市に注目し,現地調査にもとづいて,産業動向と社会変容との関係,環境問題の発生,およびそれらにともなう都市空間の変容の実態を分析している.まず第4章では,鉱業都市の産業多角化の展開とその後の産業停滞の過程を統計データから追跡し,単位制度がいかに鉱業都市の産業成長・停滞に関わっていたのかを分析した.鉱業都市では,見かけ上,多角的な産業体系が形成されてはいるが,それらの企業群は,中央各省庁や地方政府に所属する国有企業と,余剰人員の受け皿としての集体企業からなっており,独立した資本や技術を実質上持っていないことを明らかにした.

第5章では,鉱業都市の産業停滞にともなう失業・貧困問題を背景とした生活空間の変容を扱っている.鉱業都市では深刻な失業問題が発生する一方,貧困層が居住する鉱山地区と富裕層が集中する新市街地区,という生活空間の二極構造が形成されつつあることを実証した.さらに,そうした二極構造の背景には,失業・貧困者が他市へ転出せずに市内に滞留しつづける現象が存在するが,それには単位制度が深く関わっていることを指摘した.

第6章では,遼源市の地盤沈下問題を取り上げ,鉱業都市における環境問題発生の局地化という現象を論じた.中国においては,地盤沈下のように局地的に発生する環境問題についての社会的な認識が薄く,単位制度の基盤が揺らぐ中で,十分な対策がとられないまま深刻化しつつあることが指摘されている.

第7章では,以上の分析で得られた知見を整理した上で,中国鉱業都市における貧困・環境問題,さらには都市空間形成に対する単位制度の影響についてのより詳細な検討が今後の課題であるとしている.

以上のように,本研究は,中国鉱業都市における産業停滞と社会変容,および環境問題の深刻化の実態を,広範な資料収集と綿密な現地調査にもとづいて把握し,さらにそれらの問題を単位制度という中国独特の社会制度との関わりにおいて分析したという点で独創的であり,中国都市研究に限らず,広く都市社会地理学に対する大きな学術的貢献が認められる.よって,本審査委員会は,本論文の提出者である劉雲剛は博士(学術)の学位を授与される資格があるものと認める.

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