学位論文要旨



No 120955
著者(漢字) 鎌田,豊弘
著者(英字)
著者(カナ) カマダ,トヨヒロ
標題(和) 準安定原子電子放射顕微鏡の開発と表面酸化反応への応用
標題(洋) Development of metastable atom electron emission microscope and its application to surface oxidation reactions
報告番号 120955
報告番号 甲20955
学位授与日 2006.03.23
学位種別 課程博士
学位種類 博士(学術)
学位記番号 博総合第658号
研究科 総合文化研究科
専攻 広域科学専攻
論文審査委員 主査: 東京大学 教授 増田,茂
 東京大学 教授 遠藤,泰樹
 東京大学 教授 山,泰規
 東京大学 助教授 真船,文隆
 東京大学 助教授 深津,晋
内容要旨 要旨を表示する

固体表面が関与する現象は多岐に渡り、金属の酸化や触媒反応など身近な例だけでなく、機能性ナノ物質を構築する場としても重要な役割を果たす。このような化学反応の時間・空間解析や機能発現の原因を探ることを目的として、電子放射顕微鏡の開発が盛んに行われている。電子放射顕微鏡とは、低速電子、光、He*(23S)などの準安定励起原子を試料表面に照射し、放出電子を電子レンズで拡大・結像するもので各々LEEM、PEEM、MEEMと呼ばれる。電子や光と異なり、準安定原子は試料内部に進入しないので、MEEMでは表面最外層の情報が選択的に得られる。

本研究の主目的は、反応解析のためのMEEMを設計・開発することである。MEEMの励起源である準安定原子は、金属や多くの半導体表面では共鳴イオン化(RI)とオージェ中和(AN)の2段階からなる過程で、また絶縁体表面ではペニングイオン化(PI)過程で脱励起し、電子が放出される。いずれの過程も準安定原子の脱励起確率はほぼ100%であるため、表面感度が極めて高く、表面反応を鋭敏に追跡できるものと期待される。反面、入射ビームをμmφオーダー以下の径まで収束することは容易ではない。そこで電子光学系を独自に設計し空間分解能を良くする事と、高輝度準安定原子源を製作することを具体的な目標とした。さらに本装置はMEEMに加え、LEEMやPEEMを相補的に測定ができるようにした。

本研究の第2の目的は開発した装置を表面反応系に適用することである。反応系には酸化反応で典型である、Ni(111)表面の初期酸化を選んだ。低温および常温におけるNiと酸素の相互作用や反応機構について、電子分光による解析も合わせて行った。

準安定原子電子放射顕微鏡の開発

開発したMEEM装置の概要をFig. 1に示す。装置は主真空槽、顕微鏡筐体、電子銃、準安定原子源、紫外光源から構成される。主真空槽の到達真空度は10-8 Paである。圧縮空気を用いた除震台と金属バネで外部の振動を遮断している。主真空槽には試料が置かれ、マニピュレータで位置を調整する。試料後方からの加熱と試料表面へのイオン衝撃で試料の清浄化を行い、オージェ電子分光(AES)で清浄度を確認する。準安定原子源はMEEMの測定に用いる。He*(23S; 19.8 eV)はHeの冷陰極放電で作るが、放電室の排気速度を高め、電極を工夫することにより、1.1 x 1016 atoms s-1 sr-1の国際的にも最高のビーム強度が得られた。PEEMの測定には500 Wの水銀キセノンランプ(hν≦5.65 eV)を用いる。

顕微鏡筐体は静電対物レンズ、ビーム分離器、投影レンズ系から構成され、像を拡大してスクリーンに投影する。電子光学系は電子軌道計算ソフトSIMION(SIS社製)の結果に基づいて設計した。加速電圧10 kV、初期エネルギー10 eV、エネルギー分散 1 eVを仮定したときの対物レンズの収差特性をFig. 2(a)に示す。試料表面からの出射角を1.14oに制限することで、最良空間分解能15 nmが得られることが分かった。実際に製作した磁場レンズは電流-磁場密度の関係を実測し、仕様に満たない場合は設計をやり直した。

LEEMに用いるウィーンフィルタ式ビーム分離器を設計した。ウィーンフィルタは直交する電磁場によって特定のエネルギーを持つ電子だけを直進させる。一方、逆から進入した電子ビームは強く偏向するので、この性質を利用して電子ビームの振り分けを行う。結像方向のビームを歪めてはならないので電子軌道計算を行って、収差の小さいウィーンフィルタを設計した。その結果、光学軸近傍の広い範囲で均一に直交する電場と磁場を発生できるような、8つの極からなるウィーンフィルタを製作した。

Fig. 2(b) に校正用試料のPEEM像を示す。空間分解能を評価したところPEEMで0.3 μmであった。MEEMでは1 μmの空間分解能が得られている。MEEMで空間分解能が低いのは色収差のためで、エネルギー選別を行えばFig. 2(a)で示したような空間分解能が得られるものと期待される。

物理吸着酸素分子の局所電子状態

20 KのNi(111)基板に酸素を吸着させると酸素は解離して化学吸着する。化学吸着酸素が表面を覆うと、その上に酸素分子がファンデルワールス力で物理吸着する。物理吸着酸素のMAESスペクトルでは4Πuバンドが気相のときに比べて強調された結果が得られた。これはその始状態である1πu軌道のイオン化断面積が大きくなっているためで、分子が分子軸を表面に対し平行にした配向となっていることが分かった。また吸着量の増大にともなってバンド位置がシフトする現象を観測し、周辺酸素分子の静電分極とニッケル基板の遮蔽効果で説明した。

Ni(111)表面の初期酸化過程

AESの結果から酸素曝露量と酸化の進行度の関係を調べ化学吸着、核形成と沿面成長、膜厚成長の3ステップで進行することを確認した。HREELSの結果は核形成と沿面成長の過程で化学吸着酸素と酸化物が混在していることを示した。

MEEMのコントラストの起源を確認するためにMAESを測定した。Fig. 3(a) に清浄面、化学吸着面、酸化物面のスペクトルを示す。清浄面と化学吸着面でHe*はRI+AN過程で脱励起しブロードな構造を示す。仕事関数の違いを反映して、化学吸着面ではスペクトルの高運動エネルギー側の立ち上がりが移動している。酸化物面ではPI過程で脱励起しNi 3dバンドとO 2pバンドが観測される。O 2pバンドに比べNi 3dバンドが非常に弱いことから、NiOの表面においてO 2p由来の波動関数が空間的に広く分布していることが分かる。スペクトルの面積からHe*の衝突による電子放出量を見積もることができ、その比は1:0.56±0.05:1.6±0.05である。Fig. 3bにスペクトルと対応するMEEM像を示す。MEEMの空間分解能は1 μmなので、個別の酸化物ドメイン(数 nmオーダー)は観測できず、μmオーダーの平均的な情報を与える。それぞれの像の明るさをCCDカメラのカウントから見積もると1:0.69±0.05:1.7±0.05となり、MAESの電子放出量の比によく一致している。このことからMEEMのコントラストはHe*の衝突による電子放出量を反映していることが分かる。

PEEM像も光電子放出量を反映する。励起エネルギーhν≦5.65 eVに対し、仕事関数は化学吸着面 6.2 eV、酸化物面4.8 eVなので、化学吸着面では光電子放出は起こらず、酸化物面では光電子が多く放出される。

Fig. 4に核形成と沿面成長過程にある表面のMEEM像(a) とPEEM像 (b) を示す。図に不均一な明暗パターンが現れている。上の段落で示したように明るい部分は酸化がより進行している領域を示している。よってこの図から、μmオーダーの視点ではNi(111)の酸化が不均一に進行していることがわかる。(a)のA-Bおよび(b)のC-Dに沿って表面パターンの強度プロファイルをとったものをFig. 4 (c)に示す。この図から明るいところと暗いところが5 μm周期で繰り返していることが分かる。この周期は表面格子(0.25〜0.29 nm)の104倍ものオーダーであり、高度な自己組織化作用が働いているものと考えられる。

この縞模様はMEEM像でよりはっきりと現れている。これはHe*が化学吸着面と酸化物面では異なる脱励起過程で電子放出するため、電子放出量が劇的に変わるためである。これに対しPEEMはやや複雑なパターンを見せる。PEEMのコントラストは仕事関数を反映するということであったが、同じ酸化物でも成長段階により光電子放出量が変化しているのかもしれない。このように複数の励起源を用いたことで、表面の異なる情報を得ることができた。

Y. Harada, W. Yamamoto, M. Aoki, S. Masuda, T. Ichinokawa, M. Kato, and Y. Sakai, Nature 372, 657 (1994).M. Aoki, H. Taoka, T. Kamada, and S. Masuda, J. Elec. Relat. Phenom. 114-116, 507-512 (2001).T. Kamada, M. Sogo, M. Aoki, and S. Masuda, to be published.
審査要旨 要旨を表示する

本論文は7章からなり、第1章で目的と背景が述べられた後、第2章では実験手法の原理、第3章では準安定原子電子放射顕微鏡の開発、第4章では電子分光装置について詳しい説明がなされている。第5章では物理吸着酸素分子の局所電子状態、第6章ではNi(111)表面の初期酸化過程の実験結果と考察が述べられ、最後に第7章で結論が示されている。

論文内容

最近、各種の顕微鏡を用いた固体表面研究が盛んであるが、これには現在、二つの方向があると思われる。一つは走査プローブ顕微鏡(SPM)を用いた研究で、原子レベルの空間分解能を活用して表面上の原子・分子の直接観測、原子操作、フェルミレベル近傍の局所電子状態の検出を目指すものである。今一つは低速電子、光、He*(23S)など準安定原子を照射し、試料から放出された電子を電子レンズ等で拡大結像させる電子放射顕微鏡であり、各々LEEM、PEEM、MEEMと呼ばれる。PEEMやMEEMは空間分解能が数10〜数100 nmと劣るものの、(1)従来の電子顕微鏡(TEMやSEM)に比べて表面損傷が極めて少ない、(2)表面のトポロジーや組成のみならず、表面電子状態やスピン状態が顕微鏡像に直接反映される、(3)表面反応の時空間解析が可能である、などの利点をもつ。

本論文の第一の眼目は、電子放射顕微鏡の特性に着目し、その設計開発に成功したことである。特にMEEMでは固体内部に浸入しない準安定原子をプローブとして用いるので、表面最外層の価電子分布を選択的に得ることができる。装置は主真空槽、顕微鏡本体、電子銃、準安定原子源、紫外光源からなる。主真空槽は除振台上に設置し、いくつかの真空ポンプを併用して到達真空度〜10-10 Torrを得ている。3章で詳しく述べられているように、光学系設計の理論(3.4節)に基づいて電子軌道計算(3.2節)をおこない、電子レンズ系(静電型対物レンズと2組の磁場型投影レンズ)が設計・製作された。シミュレーションでは、加速電圧10 kV、出射エネルギー10 eV、エネルギー分散1 eVという初期条件を仮定したとき、空間分解能として15 nmが予測されている。水銀ランプを用いた、倍率校正試料のPEEM測定によれば、実測の空間分解能は0.3 μmである。この値はシミュレーションの予測値に比べて1桁劣っているが、これは測定時間を短縮するために絞りの口径を大きくとっていること、実測では色収差が大きいことによる。また国際的にも最高輝度の放電型準安定原子源を開発し、MEEM像の測定時間を大幅に短縮することが可能となった。

本論文の第二の柱は、顕微鏡観測に先立って、低温でNi(111)表面に吸着した物理吸着酸素の分子配向や表面最外層におけるホールダイナミクスを明らかにした実験である。この実験については第5章で詳しく述べられている。準安定原子電子分光(MAES)による気相、吸着相、凝縮層の系統的な実験から、以下の結論が得られている。1)20 Kの基板に酸素を吸着させると、酸素は解離して化学吸着する、2)化学吸着酸素が表面を覆うと、その上に酸素分子がvan der Waals力により物理吸着する、3)物理吸着酸素は分子軸を基板に対して平行にした配向をとる、4)物理吸着酸素の膜厚が増加するとバンドがシフトする現象を見出し、ホール生成に伴う周辺分子の静電分極と金属遮蔽が主な要因であることが示された。

本論文の第三の目玉は、上記の顕微鏡を用いてNi(111)表面の初期酸化過程を追跡した実験である(6章参照)。この系は表面反応の典型例として、1960年以降、実験・理論両面から膨大な研究がなされてきたが、未だに反応の全体像を把握しきれていないのが現状である。本研究では、酸化反応が拡散場で進行することに注目し、μmスケールにおける酸化物形成の発展様式を明らかにすることを目的としている。まずオージェ電子分光(AES)や高分解能電子エネルギー損失分光(HREELS)によるスペクトル測定から、表面組成と振動状態に関する情報を得ている。次にPEEMやMEEMのコントラストの要因を仕事関数や表面最外層の電子状態と関連付けて説明している。このような基礎データを確定させた上で、Ni(111)初期酸化過程を顕微鏡で追跡し、酸化物の核生成や沿面成長過程がμmオーダーのパターンを描きながら空間的に不均一に進行することを見出した。観測されたパターンは基板の対称性を反映して3回対象を示すこともあれば、〜5μmという巨大な周期構造をとる場合もある。メゾスコピックな周期パターンは国際的にも初めて見出されたものであり、酸化反応が高度な自己組織化に基づくことを示している。最後に、パターン形成の定性的なモデルを提示し、酸素化学吸着表面上に弱く束縛された酸素分子の拡散が酸化物成長に重要な役割を果たすことが示された。

結び

本論文中の第5章は、青木優、田岡弘康、増田茂氏との共同研究によるものである。その成果は既に国際誌に掲載されているが、論文提出者が主体となって実験をおこなったものであり、提出者の寄与が十分であると判断する。また、本論文中の第3、6章は、青木優、十河真生、増田茂氏との共同研究によるものであるが、論文提出者が中心となってレンズ設計、顕微鏡観測、スペクトル測定等をおこなったものであり、提出者の寄与が十分であると判断する。なお、第3、6章の成果は近々、国際誌に公表する予定である。

よって本論文は博士(学術)の学位請求論文として合格と認められる。

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