学位論文要旨



No 120965
著者(漢字) 三上,秀治
著者(英字)
著者(カナ) ミカミ,ヒデハル
標題(和) 多光子絡み合い状態の生成とその応用
標題(洋) Generation of multi-photon entangled states and their applications
報告番号 120965
報告番号 甲20965
学位授与日 2006.03.23
学位種別 課程博士
学位種類 博士(理学)
学位記番号 博理第4760号
研究科 理学系研究科
専攻 物理学専攻
論文審査委員 主査: 東京大学 助教授 村尾,美緒
 東京大学 教授 和達,三樹
 東京大学 教授 久我,隆弘
 東京大学 教授 口,宏夫
 東京大学 助教授 秋山,英文
 東京大学 講師 和田,純夫
内容要旨 要旨を表示する

エンタングルメント(絡み合い)とは、複数の部分系からなる量子系において、各部分系の状態の積として表せないような状態(絡み合い状態)に表れる非局所的相関である。近年、古典力学には現れない量子力学特有の性質を情報処理や通信に応用することを目指した量子情報科学という分野が大きな発展を遂げているが、エンタングルメントはそのような性質のひとつとして注目され、現在活発に研究が行われている。過去10年程度の集中的な研究によって、最も単純な二体間のエンタングルメントの基本的性質はかなり明らかにされたが、依然として多体系のエンタングルメントに関してはその性質が十分に明らかになっていない。また、量子情報科学の実用的な応用として量子コンピュータや他者間の情報通信などを考える際に、必然的に多体量子系を扱うことになるため、その中で多体間のエンタングルメントを効果的に生かした方式が期待される。このような背景から、現在多体エンタングルメントの研究が活発に行われている。

実験において多体エンタングルメントを扱うことはそれほど容易ではなく、実用的な技術にこれを応用するためには多くの課題を克服する必要がある。そこで我々は、光子をリソースとして用い、多光子エンタングルメントの生成や、その応用に関する研究を行った。

エンタングルメントのリソースとして光子を用いることは古くから行われていた。例えば量子力学に対する反証として提示された局所実在理論に対して、Aspectらは1980年代前半に、二つの光子間のエンタングルメントを観測することによってこれ否定する決定的な実験結果を得た。その後も光子を用いたエンタングルメント生成の実験研究が盛んに行われ、現在では、三個以上の光子を同時に操作することが可能になった。そしてそれに伴い、ここ数年の間に多光子の絡み合い状態の生成が可能となった。具体的には、パラメトリック下方変換と呼ばれる非線型光学過程によって得られた四個の光子に適当な処理を施すことにより生成する方法が圧倒的に用いられている。ところが、この方式を用いると、単純な二つの光子の絡み合い状態の場合に比べて極端に生成効率が低いという問題があり、生成した状態を実用的な応用に用いることはほとんど不可能である。例えば過去に三光子W状態という多体エンタングルメントの一種を生成した実験では、生成効率の低さから、得られた状態を測定によって特定することすら困難であった。そこで我々は、三光子W状態を高効率で生成する新しい方法を提案、実現した。高効率化の工夫のひとつとして、まずパラメトリック過程の四個の光子を処理することによって三個の光子を得るのではなく、パラメトリック下方変換から得られる二個の光子と、レーザー光を弱めて得られる一個の光子を用いた。更に、生成した光子に対する処理をシンプルにすることで、処理によって生じる損失を低く抑えた。実際に得られた三光子W状態の生成効率は1.45カウント/秒であり、これは過去の報告の40倍以上である。また、この高効率によって実験で生成した状態を完全に特定することが可能となった。witness operatorを用いることにより、実験で得られた状態が三体の絡み合い状態であることを確認した。更に、理想的な三体W状態は三粒子のうち二つだけの部分系も絡み合い状態になっていることが知られているが、実験で生成した状態についてこの性質を確認することができた。また、同一の実験装置を用いてある種の量子クローニング過程を実現できるということを理論的に示した。

次に、上記の実験の拡張として、四光子W状態を生成する方法を提案した。この方法はパラメトリック下方変換の四光子過程、線型光学素子、商用の光子検出器(光子数が識別できないもの)から構成されており、現在の技術で実現可能である。また、同一の実験装置を用いて、他の多体エンタングルメント(三光子W状態、三光子GHZ状態、三光子NOON状態)も生成できることを示した。これらの状態は過去に実験の報告があるが、それぞれ異なる光学系を用いていた。したがって今回の方法により、従来よりも多くの種類の多体エンタングルメントを生成することができるようになると言える。更に一般化についても考察し、光子数識別検出器を仮定することにより、一般のn光子W状態の生成方法に拡張することができることも示した。

次に、多光子エンタングルメントの応用に関する実験として、テレクローン状態の解析を行った。テレクローン状態は量子テレクローニングと呼ばれる量子情報処理プロトコルの実行に必要な多体絡み合い状態の一種である。量子テレクローニングは、ある量子コンピューティングの方式の一例であるとみなすことができ、更にそれ自体をある種の量子暗号通信に応用することも可能である。従ってこれを実現することは重要であると考えられるが、これまでに実験を行ったという報告はない。我々はこの実現に向けて、まずパラメトリック下方変換により、4個の光子からなるテレクローン状態を生成した。このテレクローン状態を用いて量子テレクローニングを実行するためには、入力状態がエンコードされた光子を別に用意し、テレクローン状態を構成するひとつの光子と一緒に一括測定(ベル測定)を行う必要がある。ところがこれを実行しようとすると、同時に五つの光子を扱う必要が出てくるが、これは現在の技術では非常に難しい。そこで我々は、入力状態を用意せずに、このベル測定の過程をシミュレートする方法を考案した。この方法では、仮想的な入力状態を想定した上でテレクローン状態の一つの光子に適当な射影測定を行う。すると、残りの三個の光子にベル測定と行った場合と等しい変化を与えることができ、結果として出力状態を得ることができる。(ただし、入力状態が物理的に存在していないため、この方法によって適切な出力結果が得られても量子テレクローニングを実現したことにはならない。)我々はこの出力状態がどれだけ理想的なものに近いかを議論することにより、生成されたテレクローン状態の質を見積もった。結果として、得られた状態は量子テレクローニングのリソースとして十分な質を持っているということが確認された。また、実験では四個の光子によるテレクローン状態を生成したが、より一般の多光子テレクローン状態の生成方法に関して考察を行い、二つの異なるアプローチによる方法を提案した。

次に、多光子エンタングルメントのもう一つの応用として、任意の三準位系(キュートリット)の状態を生成する新しい方法を実現した。通常、量子情報科学の分野においては二準位系(キュービット)が情報の単位として幅広く用いられているが、キュートリットを導入することにより、キュービットを扱う場合に比べて有利になる場面があることが知られている。例えば量子鍵配布において、キュートリットによる方式を用いると、キュービットによる方式よりも高い安全性を得ることができる。このような背景から、実験研究においては、まず任意のキュートリット状態を作る技術の確立が重要であると考えられる。しかし、これはキュービットの場合に比べて容易ではない。最近、二光子波束(バイフォトン)の偏光によるキュートリットでこれが実現されたが、装置に干渉計が含まれていて安定性が悪いことなど、いくつかの問題点があった。そこで我々は、remote state preparation(RSP)と呼ばれる量子情報通信プロトコルを利用することによって、従来の手法に比べてシンプルな方法で任意のキュートリットの状態を生成することを行った。今回の方法は、シンプルであるだけでなく、離れた場所に状態を作ることができるという利点もある。二光子波束の偏光は、 HH〉( 2,0)、 HH〉(=1,1 VV〉(= 0,2)(H、Vはそれぞれ水平偏光、垂直偏光の光子、 m,n〉はあるモードにm個の水平偏光の光子とn個の垂直偏光の光子が存在する状態を表す)という基底により表現できるため、三準位系すなわちキュートリットとなる。RSPを利用するためには二つのキュートリットの絡み合い状態と、キュートリットへの射影測定が必要である。前者についてはパラメトリック下方変換の四光子過程を利用することで、二つの二光子波束キュートリットの絡み合い状態を生成した。後者については、二光子波束をビームスプリッターで二つに分割し、それぞれの光子に射影を施して同時係数を取ることで実現できる。以上をふまえて、作成した装置が正しく動作することを確認するために例として三つの状態〓を実際に準備したところ、いずれも理想的な状態にかなり近いものが得られた(理想的な状態とのフィデリティは0.9前後)。更に、二光子波束をビームスプリッターで二つの光子に分割した後の状態に着目すると、今回の手法が任意の対称な二キュービット状態のRSPに発展させることができることを示した。更に一般化として、n光子波束の偏光による一般の多準位系の、任意の状態準備に拡張することができることを示した。

審査要旨 要旨を表示する

本論文は、全8章からなる。第1章は量子情報についての導入(introduction)と研究動機の提示、第2章は量子情報の基礎概念と実験装置の解説、第3章が3光子のW状態の新しい生成方法の提案およびその実験結果、第4章が4光子のW状態および他の多光子エンタングル状態の生成方法、第5章がテレクローニング状態と呼ばれる4光子エンタングル状態の生成とこの状態を用いた量子テレクローニング過程の実演、第6章が光子を用いた更に一般的なテレクローニング状態実現についての考察、第7章が量子3準位系における遠隔量子状態の準備の実現、そして第8章が結論という構成である。

エンタングルメント(絡み合い)とは、量子系に内在する非局所的な性質を示す相関である。近年、量子力学特有の性質を計算や通信に応用することで、従来の古典力学に従う情報処理では不適当や不可能なタスクを実行しようとすることを目指した、量子情報科学という分野が大きな発展を遂げている。量子情報処理を可能とする本質的な量子系の性質はエンタングルメントであると考えられており、特に多体間のエンタングルメントは大規模量子計算や多者間通信を可能とする重要なリソースであると考えられている一方、多体間エンタングルメントに関する理論的・実験的な研究は、量子情報科学において重要な課題となっている。本論文では、特に光子の系を用いた多体間エンタングルメント生成と応用についての理論的・実験的な研究成果が示されている。

第3章では、パラメトリック下方変換から得られる2光子と、レーザー光を弱めて得られる1光子を用いることにより、高効率で3光子のW状態とよばれるタイプのエンタングル状態を生成する方法の提案およびその実験結果を示した。この方法を用いると、従来のパラメトリック変換4光子過程で生成された4光子を処理する場合と比べて、40倍以上の効率で3光子W状態を生成することができる。このため、従来の方法では困難であった、実験で生成したW状態の測定による完全な特定が可能となるという画期的な結果を得た。次に第4章では、3光子W状態生成実験の拡張として、4光子W状態や更に一般的なn光子W状態の生成方法を理論的考察が行われた。

多光子エンタングルメントの応用に関する実験として、第5章では、テレクローン状態の生成と解析の結果が示されている。テレクローン状態は量子テレクローニングと呼ばれる量子情報処理プロトコルの実行に必要な多体エンタングル状態の一種である。量子テレクローニングは、ある種の量子計算の一例であるとみなすことができ、更にそれ自体をある種の量子暗号通信に応用することも可能である。量子テレクローニング過程におけるベル測定を行う代わりに仮想的な入力状態を想定した射影演算を行うことで、ベル測定をシミュレートする方法を考案し、実験を行った。その結果として、実験で得られた状態は量子テレクローニングのリソースとして十分な質を持っているということが確認された。この実験では量子テレクローニング過程そのものを実現しているわけではないが、テレクローン状態の生成から一歩進んで、量子テレクローニング過程の予備実験に成功した、という点で高い意義を持つと考えられる。更に第6章では、より一般の多光子テレクローン状態の生成方法に関して考察を行い、二つの異なるアプローチによる方法が提案されている。

第7章では、多光子エンタングルメントのもう一つの応用として、二光子波束(バイフォトン)の偏光エンタングル状態を用いて、任意の三準位系(キュートリット)の状態を生成する方法の実現が示されている。本論文で示した方法は、従来の干渉計を用いた方法と異なり、二光子波束の3種類の偏光状態二つの最大エンタングル状態(3準位系の2体間最大エンタングル状態)の一方に対して3準位系の基底における射影測定を行うremote state preparation (RSP)によって実行するものである。3種類の状態に対する実験の結果、ポストセレクション後の状態は、理想的な状態に近いものを得ることができた。また、この方法は、n光子波束の偏光による一般の多準位系の、任意の状態準備に拡張することができることも理論的に示されている。この実験では、非常に高い精度で理論値を実現して点が注目に値する。

なお、本論文第3章から第7章までの研究は、小林孝嘉教授、Yongmin Li、Haibo Wang、福岡郷介との共同研究であるが、論文提出者が主体となって実験・分析および検証を行ったもので、論文提出者の寄与が十分であると判断する。

したがって、博士(理学)の学位を授与できると認める。

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