学位論文要旨



No 120968
著者(漢字) 安松,信明
著者(英字)
著者(カナ) ヤスマツ,ノブアキ
標題(和) 培養スライス標本の海馬CA1錐体細胞における樹状突起スパインの長期形態可塑性の解析
標題(洋) Long-term structural plasticity of dendritic spines of CA1 pyramidal neurons in slice culture.
報告番号 120968
報告番号 甲20968
学位授与日 2006.03.23
学位種別 課程博士
学位種類 博士(理学)
学位記番号 博理第4768号
研究科 理学系研究科
専攻 物理学専攻
論文審査委員 主査: 東京大学 助教授 能瀬,聡直
 東京大学 教授 桑島,邦博
 東京大学 教授 豊島,近
 東京大学 助教授 北尾,彰朗
 東京大学 教授 小林,孝嘉
内容要旨 要旨を表示する

背景

近年、スパインの形態が機能に密接に関連していることがわかってきた。これらの研究により、より大きな頭部をもつスパインはより強いシナプス結合をつくることが示唆された。従って機能の変化が形態の変化として脳に書き込まれていると考えられる。このことは逆に、形態の変化を系統的に追うことで機能の変化を推測できることも意味している。人工的な刺激を単一スパインに与えたときに、機能変化に対応してスパイン形態が変化するという報告はあるが、自然の神経ネットワークにおいて長い期間の中で活動依存的なスパインの形態変化が起きているのか、起きているとすればどのような特徴があるのか、については未だ不明である。

また近年、2光子励起顕微鏡を用いて生きた動物の樹状突起スパインを観察することが可能となってきた。しかしながら、多くのものが顕微鏡の分解能以下の大きさである樹状突起スパインの形態変化をこの実験系で定量的に調べるには、未だ困難な点が多い。また、長期間試薬を安定して作用させるのは非常に難しい。

そこで私は、スライス培養細胞を用いて同一の樹状突起を長期間繰り返し観察する方法を開発した。スライス培養細胞では生きた動物の組織の構造が基本的に保たれており、細胞の性質、形態が生きた動物のそれらとよく対応することが知られている。また、より高い開口数の対物レンズを使用することができ、静止した状態で厳密に、より詳細にスパインの形態を観察することが可能である。さらに、試薬を長期間安定して作用させることが非常に容易である。私はこの方法により、長期的なスパイン形態の変化を初めて定量的に詳細に解析した。

実験方法

ラット大脳より海馬を取り出し、スライス培養細胞を作成した。小さな穴の開いた膜の上で6日程度培養した後、ジーンガンによりGFPタンパクの遺伝子導入を行った。その後4日程度培養し、初回の観察を行った。

膜の上にスライス培養細胞をのせたまま記録チャンバーに移し、正立顕微鏡の対物レンズ下まで運んだ。ろ過滅菌した人工脳脊髄液を還流しながら観察した。還流に用いるチューブ等は高温加圧滅菌し、チャンバー等はエタノール、および紫外線で殺菌するなど、細胞を雑菌に感染させないよう様々な注意を払った。観察後、細胞はもとの培地が入ったもとの容器に戻し、再び培養した。数日後、同じ操作により細胞を観察した。薬理作用を見る実験では、初回の観察後細胞をもとの容器へ戻す前に、もとの培地に目的の最終濃度となるよう試薬を加えた。数日経過しても樹状突起の枝分かれの形は変わらなかったため、樹状突起の枝分かれの形を見ることで前回観察した樹状突起の位置を探し出した。

蛍光観察には2光子励起法を用いた。この方法により、組織の深部で細胞障害の程度を抑えて蛍光観察をすることができる。励起波長は955nmを用いた。蛍光は光電子増倍管にとりこんだ。z軸方向に0.5μmごとに17-25枚xy画像を取得した。3次元画像再構築のために、各ピクセルでこれらの画像の蛍光値を合計することでスタック(重ね合わせ)をした。

結果、および考察

通常の培養条件下では、スパイク活動が起きていて細胞が盛んに活動していることが知られている。はじめにこの条件でスパインの形態が長期的にどのように変化するのかについて検討した。

繰り返し同一の樹状突起を観察した画像を比較すると、大きなスパインは比較的同じ大きさで同じ位置に存在する傾向があるが、比較的小さなスパインは頭部がよく増大、縮小するか、もしくは消滅する傾向があることがわかった。スパインの頭部体積を算出し、数日後の体積をはじめの体積で割った値、すなわち比(%)で体積変化を表した。はじめの頭部体積に対してこの比をプロットすると、小さなスパインでよく増大、もしくは消滅する傾向があることがわかった。

次に、長期増強、長期抑圧等の神経可塑性を引き起こす上での主要な因子であるNMDA受容体の阻害剤を長期間作用させた場合、スパインの形態変化にどのような影響が及ぼされるかについて検討した。上と同様に繰り返し同一の樹状突起を観察した画像を比較すると、特に比較的小さなスパインでその頭部体積の変化を非常に強く抑制することがわかった。上と同様にはじめの頭部体積に対する体積変化を比(%)で表すと、この傾向はよりあらわとなった。また、NMDA受容体の阻害剤のみでなく、活動電位の発生を阻害するTTXを加えても同様の結果となった。

スパインの形態変化の特徴をより詳細に調べるため、数日後の体積からはじめの体積を差し引いた値、すなわち差(v=V3-V0)として体積変化を表した。はじめの頭部体積に対してこの差をプロットすると、通常の培養条件下では、体積が0.1μm以下のsmall spineで大きくなるものが多く、体積が0.1-0.2μm3のmiddle spineおよび0.2-0.3μm3のlarge spineでは体積が減少するものが多く、さらに大きい体積が0.3μm3以上のgiantspineでは顕著な体積減少が見られない傾向があることがわかった。一方、NMDA受容体阻害剤存在下では体積変化が増大、もしくは減少のどちらかに偏るような傾向は見られなかった。

次に階級分けを行い、スパインの頭部体積変化を差の平均値(V)、もしくは差の2乗の平均値(V2)でプロットした。差の2乗の平均値で見ると、体積が比較的小さい部分では通常の培養条件下(コントロール)とNMDA受容体阻害剤存在下で大きな差があるが、体積が大きくなると差は有意ではなくなった。このことから、NMDA受容体を介した活動は体積が小さいスパインで大きな役割を果たしていると考えられる。

差の平均値で見ると、はじめの頭部体積が0.1-0.3μm3の部分で有意に0から小さかった。一方、NMDA受容体阻害剤存在下では差の平均値ははじめの頭部体積に関わらず一定で、0からほとんど変わらなかった。このことからNMDA受容体を介した活動はmiddle spine、およびlarge spineの縮小に大きな役割を果たすと考えられる。

NMDA受容体阻害剤存在下で強く形態可塑性が抑制されるものの、形態変化はある程度残る。はじめの頭部体積が0.15-0.3μm3のスパインの毎日の体積変化を見てみると、NMDA受容体阻害剤存在下の方が体積が0.3μm3を超えてくるスパインの割合は大きい。NMDA受容体非依存的な可塑性は、middle spine、およびlarge spineをgiant spineに変えることができると考えられる。

giant spineでは差の平均値においても差の2乗の平均値においてもコントロールとNMDA受容体阻害剤存在下とで有意に差がないことから、giantspineはNMDA受容体を介した活動の影響をあまり受けないと考えられる。

スパインが消滅する割合と新生する割合を測定したところ、NMDA受容体阻害剤存在下ではコントロールと比べて消滅する割合は大きく減少するが、新生する割合はあまり変わらないことがわかった。NMDA受容体阻害剤は全ての変化を抑制するのではなく、抑制する部分と抑制されない部分、NMDA受容体依存的な可塑性とNMDA受容体非依存的な可塑性の両方が存在することがより明らかとなった。

NMDA受容体阻害剤は、スパイン形態の分布に対しても有意に影響を与えた。smallspine、giant spineの割合はコントロールと比較して増大し、頭部体積が0.1-0.3μm3のスパイン(middle spine、largespine)の割合は減少した。

通常の培養条件下では、スパインの形態はその頭部体積に依存してダイナミックに変化していることがわかった。この現象は、NMDA受容体の阻害剤を加えることでよりはっきりとした。スライス培養細胞と生きた動物の細胞の性質、形態がよく対応すると言われていることから、この変化は自然の状態におけるスパインダイナミクスを表していると考えられる。また、NMDA受容体を阻害した場合でも、抑制されない部分が存在し、形態変化は残る。さらにTTXを加えて活動電位の発生を阻害し、細胞の活動を強く抑えても同様の形態変化が残る傾向がある。NMDA受容体依存的な可塑性と合わせてこのNMDA受容体非依存的な可塑性も理解することが記憶のメカニズムを知る上で必要であろう。

審査要旨 要旨を表示する

脳神経系において、シナプス伝達の効率が変化するという現象が知られている。この現象を含む、脳が新たな刺激に対して柔軟に対処する現象は総称して神経可塑性と呼ばれている。このシナプス伝達効率が変化する現象は細胞レベルでの記憶、学習のモデルとされている。一方で、樹状突起スパインは錐体神経細胞上の主要な興奮性シナプス入力部位である。近年の研究で、スパインの頭部体積とシナプス伝達効率が相関することが示唆されている。従ってスパインの形態を観察することでシナプス伝達効率の変化を推測することが可能であると考えられる。過去に人工的な刺激によりスパインの形態が変化し、これに伴いシナプス伝達効率が変化するという現象が報告されているが、自然の状態で活動依存的なスパインの形態変化が起きているかは不明である。

そこで、論文提出者はスライス培養細胞を用いて同一の樹状突起スパインを一週間繰り返し観察する方法を開発した。ラット海馬スライス培養細胞を作成した後、ジーンガンによりGFP蛍光タンパクの遺伝子導入を行った。発現した細胞を2光子励起法により蛍光観察することでスパインの形態観察を行った。正立顕微鏡を用い、人工脳脊髄液で還流しながら樹状突起スパインの観察を行った。観察後、細胞はもとの培地が入った容器に戻し、再び培養した。数日後、初回に観察したものと同一の樹状突起を探し出し、観察した。観察時に細胞が雑菌に感染すると問題となるため、感染させないよう様々な工夫をした。薬理作用を見る実験では、初回の観察後細胞をもとの容器へ戻す前に、もとの培地に目的の最終濃度となるよう試薬を加えた。スパインの頭部体積の算出では、まず一つの画像中で最も大きくて丸いスパインを選び、デコンボリューションの考え方から直径、および体積を求めた。次にスパインの頭部体積がスパイン頭部全体の蛍光値に比例するとし、頭部体積を算出した。

論文提出者はまず活動が盛んな通常の培養条件下でのスパイン形態変化を測定した。数日間隔で取得した画像を比較すると、大きなスパインは比較的同じ大きさで存在する傾向があるが、比較的小さなスパインは頭部体積がよく増大、縮小するか、もしくは消滅する傾向があることがわかった。数日後の体積をはじめの体積で割った値、すなわち比(%)で体積変化を検討した。はじめの頭部体積に対してこの比をプロットすると、小さいスパインでよく増大、もしくは消滅する傾向があることがわかった。

次に、神経可塑性を引き起こす上での主要な因子であるNMDA受容体の阻害剤を作用させた場合に、スパインの形態変化がどのような影響を受けるかについて検討した。数日間隔で取得した画像を比較すると、特に比較的小さいスパインでその頭部体積の変化を非常に強く抑制することがわかった。上と同様にはじめの頭部体積に対する体積変化を比(%)でプロットすると、この傾向はよりあらわとなった。NMDA受容体の阻害剤に加えて、活動電位の発生を阻害するTTXを加えても同様の結果となった。

スパインの形態変化の特徴をより詳細に調べるため、3日後の体積(V3)からはじめの体積(V0)を差し引いた値、すなわち差(v=V3-V0)の値として体積変化を表した。はじめに、体積の絶対値的な変化の大きさを差の2乗の平均値(v2)で表わし、はじめの体積に対してプロットしてその体積依存性について検討した。ここで階級分けを行い、0-0.1μm3のスパインをsmall spine、0.1-0.2μm3をmiddle spine、0.2-0.3μm3をlarge spine、0.3μm3以上をgiant spineとした。体積が小さいsmall spine、middle spineでは通常の培養条件下(コントロール)とNMDA受容体阻害下で大きな差があるが、体積が大きくなると差は有意ではなくなった。このことから、NMDA受容体を介した活動は体積が小さいスパインで大きな役割を果たしていると考えられる。

次に、体積が増大したか減少したかの変化の方向性を含んだ大きさを差の平均値(V)で表わし、その体積依存性について上と同様に検討した。通常の培養条件下では、中間あたりの大きさのmiddle spine、large spineで有意に減少していた。一方、NMDA受容体阻害下では差の平均値ははじめの頭部体積に関わらず一定で、0からほとんど変わらなかった。このことからNMDA受容体を介した活動はmiddle spine、およびlarge spineの縮小に大きな役割を果たすと考えられる。

NMDA受容体阻害下でも形態変化はある程度残った。はじめの頭部体積が0.15-0.3μm3のスパインの日ごとの体積変化について検討すると、NMDA受容体阻害下の方が体積が0.3μm3を超えて大きくなるスパインの割合が大きかった。NMDA受容体非依存的な可塑性は、middle spine、およびlarge spineをgiant spineに変えることができると考えられる。また、スパインが消滅する割合と新生する割合を測定すると、NMDA受容体阻害下ではコントロールと比べて消滅する割合は大きく減少するが、新生する割合はあまり変わらなかった。NMDA受容体を阻害することで抑制される部分と抑制されない部分が存在し、NMDA受容体依存的な可塑性とNMDA受容体非依存的な可塑性の両方が存在すると考えられる。giant spineでは差の平均値においても差の2乗の平均値においてもコントロールとNMDA受容体阻害下とで有意に差がないことから、giant spineはNMDA受容体を介した活動の影響をあまり受けないと考えられる。またNMDA受容体を阻害することで、スパイン形態の分布は有意に影響を受けた。small spine、giant spineの割合はコントロールと比較して増大し、頭部体積が0.1-0.3μm3のスパイン(middle spine、large spine)の割合は減少した。

以上の結果から、通常の培養条件下では、スパインの形態はその頭部体積に依存してダイナミックに変化していることがわかった。この発見は、神経可塑性の主要因子であるNMDA受容体を阻害した状態と比較することで支持された。スライス培養細胞と生きた動物の細胞の性質、形態がよく対応すると言われていることから、この変化は自然の状態におけるスパインダイナミクスを表していると考えられる。また、NMDA受容体を阻害した場合でも抑制されない部分が存在し、形態変化は残った。NMDA受容体依存的な可塑性と合わせて、このNMDA受容体非依存的な可塑性をも理解することが記憶のメカニズムを知る上で必要であると考えられる。本研究が明らかにしたスパインダイナミクス、およびNMDA受容体非依存的な可塑性は、記憶の機構の解明に大きく貢献するものである。

この論文は、松崎政紀博士、河西春郎教授との共同研究であるが、論文提出者が主体となって研究を行ったもので、提出者の寄与が十分であると認められる。従って審査員一同は同提出者に博士(理学)の学位を授与出来ると判断する。

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