学位論文要旨



No 120970
著者(漢字) 横川,一夫
著者(英字)
著者(カナ) ヨコカワ,カヅオ
標題(和) 格子量子色力学に基づくJ/ψ-ハドロン相互作用の研究
標題(洋) Study of J/ψ-Hadron Interaction from Quenched Lattice QCD
報告番号 120970
報告番号 甲20970
学位授与日 2006.03.23
学位種別 課程博士
学位種類 博士(理学)
学位記番号 博理第4770号
研究科 理学系研究科
専攻 物理学専攻
論文審査委員 主査: 東京大学 教授 太田,浩一
 東京大学 教授 松井,哲男
 東京大学 教授 大塚,孝治
 東京大学 助教授 浜垣,秀樹
 東京大学 教授 櫻井,博儀
内容要旨 要旨を表示する

ハドロン物理の目的は、ハドロン単体の性質を知ることばかりではなく、様々

なハドロンの間に働く相互作用を理解することも重要な課題である。そのなかでも特に核子-核子間に働く核力の理解は、原子核物理の基本を支えており、殊に重要な課題である。ハドロンを構成するクォークやグルーオンの間に働く強い相互作用は、量子色力学(QCD)により支配されていると考えられている。ところが、低エネルギー領域ではQCDの非摂動性により、ハドロン間相互作用をQCDから直接的理解は至ってはいない。

現在、非摂動的にQCDを扱う最も有力な手法に格子QCDが挙げられる。時空の離散化により経路積分の直接評価を可能にし、ハドロン質量スペクトルの十分な精度を持った定量的評価が可能となって来ている。格子QCDでは、時空の離散化に伴い有限体積の箱を想定し、その箱の中でハドロンの性質が数値実験により測定される。この有限体積の箱に2体のハドロンを入れた時、ハドロン間の相互作用により、自由粒子として2体のハドロンが存在する場合の系のエネルギーからのずれが生じる。このエネルギーシフトは、相互作用の到達距離が有限であるならば、連続理論に対応する無限体積の状況下で消失する。すなわち、このエネルギーシフトは、有限体積の箱に2体のハドロンを閉じ込めた人為的な効果であると言える。この人為的に生じた状況下で発生するエネルギーシフトと、散乱現象での物理量である位相差との間の関係がルッシャーによって導かれた。このエネルギーシフトと散乱位相差の関係により、低エネルギー散乱現象へのQCDの直接適用の可能性が開かれた。

我々は、ハドロン間相互作用の系統的理解のために、最もシンプルであるグルーオンのみによる相互作用、すなわち、価クォーク交換を含まない相互作用に着目した。この相互作用は、軽ハドロンと重クォーコニウムの間の典型的な相互作用である。特にここで我々は、J/φ-ハドロン相互作用に着目した。J/φ-ハドロン相互作用は、クォーク・グルーオン・プラズマ(QGP)形成の重要な探索指針の一つであるJ/φ抑制機構の理解する上でも、欠くことのできない重要なテーマである。高エネルギーの核子-核子散乱や核子一原子核散乱の散乱断面積は、ハドロン模型や短距離QCDに基づく解析から定量的な一致を示し、それぞれの描象から理解されている。一方、チャーモニウムの閾値付近での、それぞれの予言は異なる様相を呈しており、QCDに基づく定量的理解が必要である。また、相互作用はグルーオンによって担われるため、パウリの排他律に基づく斥力の不在が予想され、比較的弱い引力であってもJ/φ-原子核束縛状態が形成される可能性も指摘されている。

我々はこの様な背景の下、定量的なJ/φ-ハドロン相互作用の研究をクェンチ近似の下での格子QCD数値実験を用い行った。散乱過程として、J/φ-π、J/φ-ρ及びJ/φ-N(核子)を取り扱った。結合定数はβ=6.2を採用した。格子間隔に換算すると、a〜0.068fm(a-l〜3GeV)に対応する。格子体積はL3×T=24×48、323×48及び483×48の3点を採用した。それぞれ、一辺1.6、2.1、3.2fmの箱に対応する。また、ホッピング・パラメータをJ/φに対しκ=0.1360、カイラル外挿のためにκ=0.1489、0.1506、0.1520の3点用意した。それぞれ質量は、mJ/φ〜3GeV、mπ〜1.2、0.9、0.6GeVに対応する。4点関数の測定から相互作用する2体系をエネルギーを求め、2点関数からハドロン質量を求め、それらの差からエネルギーシフトが得られる。このエネルギーシフトから散乱長が求められる。

4点関数の測定から、J/φ-ρの各スピンチャンネル0、1、2及びJ/φ-Nの各スピンチャンネル1/2、3/2、それぞれのスピン間に顕著な変化は観測されなかった。超微細構造の測定を行うためには、更に統計をため統計誤差を抑制する必要があることが分かった。次に我々はエネルギーシフトの抽出を行った。エネルギーシフトはハドロン質量に比べ値が小さく、統計誤差の影響を強く受ける。そこで、我々は4点間数有効質量に対して、定数フィットのx2/DoFが最小となるフィット区間を採用した。これは、箱の中で相互作用するハドロン2体系の基底状態のエネルギースペクトルを引き出すための条件である。その結果、エネルギーシフトは、J/φ-π、J/φ-ρ及びJ/φ-N全てのチャンネルで、相互作用は引力的であることが判明した。

更に我々は、エネルギーシフトに線形のmπ2依存性を仮定しカイラル外挿を行い、物理的領域(mπ=140MeV)での値を推定した。各格子体積の物理的領域でのエネルギーシフトは、J/φ-πと他のチャンネルで異なる振る舞いを示した。J/φ-πのエネルギーシフトは、Lの増加に伴いその絶対値は減少した。これは、無限体積でエネルギーシフトが消失することから予想される振る舞いである。一方、J/φ-ρ及びJ/φ-NはL=24からL=32の区間でエネルギーシフトの絶対値の増加傾向が確認された。この事実は、J/φ-ρ及びJ/φ-Nに対して、箱の体積が小さすぎることを示唆している。従って我々は、J/φ-ρ及びJ/φ-NのL=24でのデータは有限体積効果を強く受けており、L=24を含むデータからは無限体積で有効な物理量の抽出は困難であと判断し、無限体積での物理量の解析からは除外した。

最終的に我々は、各体積でのエネルギーシフトにルッシャーの位相差の関係式を適用し、散乱長を得た。一方、エネルギーシフトは一般に大きな格子体積ではL~3で現れることが知られているため、エネルギーシフトのL-3の係数と大きなLでの展開式の比較からも散乱長の評価が可能である。十分大きなL(L-3の振る舞いを示す)の場合に、両者は一致する。そこで我々は、位相差の関係式(PSF)と大きなLでの展開(LLE)の両者による評価を行った。その結果、J/φ-π散乱長は精度良く測定されることが分かった。一方、J/φ-ρ及びJ/φ-N散乱長は誤差の範囲で一致はするが、有限体積効果の影響が大きく測定の精度が低下している可能性が高い。また、有限体積効果の振る舞いから、ここで得られた値は、J/φ-ρ及びJ/φ-N散乱長の上限を与えると考えられる。

PSFより得られたJ/φ-π散乱長は0.0111(30)fmである。短距離QCDによる評価とほぼ一致している。パイオンの持つカイラル対称性による性質から、他の散乱長に比べ小さな値となっている。一方、PSFによるJ/φ-ρ散乱長は、スピン0、1、2の順に0.228(127)、0.159(106)、0.149(98)fmとなった。PSFによるJ/φ-N散乱長は、スピン1/2、3/2の順に0.386(407)、0.545(574)fmとなった。いずれも統計誤差が大きく、有限体積効果の影響も強く受けている可能性があるため、これらの値は上限値であると考えられる。J/φ-N散乱長はQCD和則、グルーオン・ファンデルワールス相互作用、QCD多重極展開により、約0.1-0.4fm程度であると評価されている。我々の結果は統計誤差が大きいものの、これらの値と矛盾のない結果が得られた。

より正確な測定をするためには、更なる統計の蓄積が非常に重要である。またより大きな格子体積での数値実験も、J/φ-ρ及びJ/φ-Nの測定をする上で欠かすことはできない。また、動的クォークの影響も考慮すべき重要な課題である。

審査要旨 要旨を表示する

低エネルギー領域において、核力を強い相互作用の理論(量子色力学、QCD)から理解することは原子核物理学の基本的な問題であるが、いまだにほとんど研究が進んでいない状態にある。本論文は、ハドロン間の相互作用のなかでも、ヴァレンスクォークの交換が現れないことに注目し、格子ゲージ理論を用いて、J/ψとハドロン間の相互作用を調べることを目的としている。

本論文は5章からなり、第1章では本研究全体の動機を述べ、第2章では格子QCDの基本事項のまとめを行い、第3章では有限体積における散乱問題のまとめを行っている。第4章では格子上で散乱長に関する数値計算結果を報告している。第5章はまとめである。

本論文は格子QCDの手法を用いている。有限体積の箱の中に2個のハドロンを入れ、系のエネルギーの変化を測定することによってハドロン間相互作用を決定しようとするものである。その際、もっとも重要な基本公式はエネルギーのずれを散乱長と関係づけるもので本論文はリュシャーが導いた公式を用いている。

本論文ではJ/ψと3種類のハドロンπ、ρ、核子間の相互作用を取り上げ,クェンチ近似の枠内で格子QCDの計算を行っている。箱の大きさとしてL=24, 32, 48の3点を選んでいる。4点関数の測定からJ/ψ−ρおよびJ/ψ−核子で著しいスピン依存性は観測されなかった。J/ψ−π、J/ψ−ρおよびJ/ψ−核子でエネルギーのずれがいずれも引力的であることを見出している。論文提出者はエネルギーのずれのL依存性を調べたが,J/ψ−πでは1/Lの3乗で減少するのに対し、J/ψ−ρおよびJ/ψ−核子では異なる振る舞いを示すことを見出している。論文提出者は,この原因がρおよび核子の場合に箱の体積が十分大きくなかったためと判断し、散乱長の決定ではL=24のデータを除いている。論文提出者はJ/ψ−πの散乱長に対し十分よい精度で0.0111(30) fmが得ている。対応する弾性散乱断面積は0.0154(11) mbになっている。論文提出者はJ/ψ−ρではスピン0, 1, 2に対し散乱長はそれぞれ0.228(127) fm, 0.159(106) fm, 0.149(98) fm、J/ψ−核子ではスピン1/2, 3/2に対し散乱長はそれぞれ0.386(407) fm, 0.545(407) fmを得ているがいずれも誤差が大きかった。

論文提出者はハドロン間相互作用に関して着実な成果を得たと評価される。

なお、本論文は初田哲男、佐々木勝一、林垣新との共同研究であるが、論文提出者が主体となって実際の計算を行ったもので、論文提出者の寄与が十分であると判断する。

したがって、博士(理学)の学位を授与できると認める。

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