学位論文要旨



No 120979
著者(漢字) 大屋,満明
著者(英字)
著者(カナ) オオヤ,ミツアキ
標題(和) 強相関シリコン2次元電子系における磁気輸送とサイクロトロン共鳴
標題(洋) Magnetotransport and cyclotron resonance in strongly correlated silicon two-dimensional electron systems
報告番号 120979
報告番号 甲20979
学位授与日 2006.03.23
学位種別 課程博士
学位種類 博士(理学)
学位記番号 博理第4779号
研究科 理学系研究科
専攻 物理学専攻
論文審査委員 主査: 東京大学 教授 家,泰弘
 東京大学 教授 吉岡,大二郎
 東京大学 教授 内田,慎一
 東京大学 助教授 島野,亮
 東京大学 助教授 久保田,実
内容要旨 要旨を表示する

研究の背景

半導体界面2次元系の研究は量子ホール効果などの強磁場での研究を中心に発展してきたが、近年、Si-MOSFET 2次元電子系やGaAs/AlGaAs 2次元正孔系などの強相関2次元系におけるゼロ磁場下での振る舞いが注目されている[1,2]。これらの系ではスケーリング理論とは矛盾した金属-絶縁体転移が観測されている。金属相側では低温下での急激な電気抵抗の減少が観測されており、スピン自由度の重要性が明らかにされ、さまざまな理論が提唱されているにもかかわらず、そのメカニズムについては未だにコンセンサスが得られていない。一方、絶縁体相側の研究は測定が困難なこともあり、金属相側ほど盛んに研究は行われていないが、高温超伝導体の研究においてモット絶縁体の研究が重要なように、2次元金属相の電子状態・スピン状態を理解する上においても量子融解前の絶縁体相の電子状態を理解することは非常に重要である。また、最近特に注目を集めているのが金属-絶縁体転移点近傍におけるスピン状態であり、理論的にも実験的にも精力的に研究が続けられている。金属相でのスピン磁化率が金属-絶縁体転移点に向かって発散するとの報告もあるが[3,4]、現在のところ明確な結論は出ておらず、絶縁体相でのスピン状態の研究が期待されている。絶縁体相での電子状態はWigner結晶状態が有力な候補であるが、金属相におけるシュブニコフード・ハース振動(SdH振動)と同様な磁気抵抗振動が絶縁体相においても観測されていることから、磁場中においてはサイクロトロン運動を取り込んだ多体の量子力学的状態が実現している可能性もある。

研究の目的

本研究の目的は大きく分けて以下の2つである。

絶縁体化に伴うスピン磁化率の発散の有無を直接実験で明らかにするため、Si-MOSFET試料の絶縁体相におけるスピン状態を調べる。そのために、2次元面と磁場との角度を制御することにより磁場の軌道効果とゼーマン効果を分離して、極低温下における磁気抵抗効果の系統的な測定を行う。

絶縁体相における磁気抵抗振動とサイクロトロン運動との関連を解明するための第一歩として、Si/SiGeヘテロ構造試料の金属相におけるサイクロトロン共鳴吸収の測定を行う。金属-絶縁体転移点に近づく過程におけるサイクロトロン散乱時間の変化を明らかにする。

実験結果と考察

図1はSi-MOSFET試料でのさまざまな電子濃度における対角抵抗率の垂直磁場成分依存性である。これらのデータはトータル磁場Btot=9Tと固定したもとで試料を回転させることによって得たものである。低抵抗領域(金属相)においてはランダウ準位充填率ν〓4,6,8,10に対応する対角抵抗率の極小(SdH振動)が観測されている。一方、明瞭なランダウ準位が形成されているとは考えにくいρxx(B⊥=0)〜10 8Ωという非常に高い抵抗領域(絶縁体相)においてもν〓4に対応する対角抵抗率の極小が観測された。

図2はスピンが磁気抵抗にもたらす影響を調べるために幅広い範囲のトータル磁場のもとで試料回転実験を行った結果である。金属相での実験(図2(a))同様、絶縁体相での実験(図2(b)(c))においてもトータル磁場を9Tから下げていくにつれて対角抵抗率の極小の位置がシフトしていく振る舞いが観測された。これは絶縁体相におけるスピン状態を知る上において非常に重要な発見であると考えている。

図3は試料回転実験から得られた対角抵抗率の極小の位置B⊥をトータル磁場に対してプロットしたものである(縦軸は1/νmin=eB⊥/hNs)。金属相での実験結果(図3(a))を見ると、あるトータル磁場(臨界磁場〓とする)を境にして傾きが急激に変化しているが、SdH振動の描像が成り立つこの領域ではアップスピンを持つ電子の濃度変化によるものとして解釈されており[5]、この臨界磁場〓において2次元電子系のスピンが完全に偏極する(P=1)ものと考えられている。図中の点線はP=1となる臨界磁〓まではスピン偏極率がトータル磁場に対して線形的に増加するものと仮定した場合のν↑=4およびν↑=6に対応する極小点の位置を表したものである。一方、絶縁体相での実験結果(図3(b)(c))も金属相のそれと非常によく似た振る舞いをしている。現時点では絶縁体相における磁気抵抗振動のメカニズムは分かっていないが、スピンに影響を与えるトータル磁場に対して対角抵抗率の極小の位置が系統的に振る舞うことから、今回の実験結果はゼロ磁場下での絶縁体相において自発的なスピン偏極は起きていないことを強く支持するものである。

図4はSi/SiGeヘテロ構造試料の金属相においてサイクロトロン共鳴吸収の測定を行った結果である。今回は低磁場領域での電子状態に着目しているために共鳴周波数はミリ波帯になり、ボロメーターを用いた手法は困難である。よって、抵抗の大きな温度変化を利用して2次元電子系そのものをボロメーターとする手法を採用した。

図5はミリ波吸収による抵抗変化をジュール発熱による抵抗変化と比較することでミリ波吸収エネルギーを見積もった結果である。この吸収線幅からサイクロトロン散乱時間〓を見積もることができた。

図6はサイクロトロン散乱時間〓に対するゼロ磁場での電子移動度から求めた散乱時間〓の比〓を電子濃度の関数としてプロットしたものである。電子相関の強い低電子濃度側(絶縁体相側)へと向かうにつれて〓は小さくなり、外挿すると〓<1となる兆候が見られた。電子相関が関与する局在化により絶縁化した場合においても、サイクロトロン運動の自由度が残る可能性を示唆している。

総括

Si-MOSFET試料の絶縁体相において明瞭な磁気抵抗振動を観測し、トータル磁場の大きさを変えて試料回転実験を行うことで対角抵抗率の極小の位置が変化することを見出した。この結果から絶縁体相においても金属相同様にスピン自由度が生き残っていることを明らかにした。また、Si/SiGeヘテロ構造試料の金属相におけるサイクロトロン共鳴実験からは、電子相関の強い低電子濃度側(絶縁体相側)においては磁場中での散乱時間の方がゼロ磁場での散乱時間よりも長くなる兆候を示す結果を得た。

図1:対角抵抗率の垂直磁場成分依存性

図2:さまざまなトータル磁場下での試料回転実験;(a)金属相,(b)(c)絶縁体相

図3:対角抵抗率の極小の位置のシフト;(a)金属相,(b)(c)絶縁体相.

図4:電子温度加熱による抵抗変化として得たサイクロトロン共鳴信号

図5:ミリ波吸収エネルギー曲線

図6:散乱時間の比の電子濃度依存性

E.Abrahams,S.V.Kravchenko,and M.P.Sarachik,Rev.Mod.Phys.73,251(2001).S.V.Kravchenko and M.P.Sarachik,Rep.Prog.Phys.67,1(2004).A.A.Shashkin,S.V.Kravchenko,V.T.Dolgopolov, and T.M.Klapwijk,Phys.Rev.Lett.87,086801(2001).S.A.Vitkalov,H.Zheng,K.M.Mertes,M.P.Sarachik,and T.M.Klapwijk,Phys.Rev.Lett.87,086401(2001).T.Okamoto,K.Hosoya,S.Kawaji,andA.Yagi,Phys.Rev. Lett.82,3875(1999).
審査要旨 要旨を表示する

アンダーソン局在に関するスケーリング理論の提唱とその後の実験によりゼロ磁場中の2次元電子系はすべて絶対零度の極限において局在する,という考え方が定説となっていたが,近年,半導体界面2次元電子系の中に金属絶縁体転移的ふるまいを示すものが発見されて議論を呼んでいる.2次元電子系の金属絶縁体転移には電子の強相関効果が重要な役割を果たしていると考えられており,その点からもスピン自由度の関与,スピン状態の解明が重要な課題となっている.本研究はそれらの点に関して実験的な研究を行ったものである.

本論文は4章からなる.第1章は序論で,研究の背景と目的が述べられている.第2章では実験手法が述べられ,実験結果とその考察が第3章に記述されている.第4章では総括が簡潔に記されている.

本研究の目的は半導体界面2次元電子系の金属絶縁体転移近傍におけるスピン状態および絶縁体相の電子状態を明らかすることにある.この目的に沿って行った実験の内容は,(1)Si-MOSFET試料の低温磁気輸送の測定と,(2)Si/SiGeヘテロ構造試料を用いたサイクロトロン共鳴の測定,である.それぞれの主要な結果とその意義を以下に述べる.

Si-MOSFET試料の低温磁気輸送

Si-MOSFET試料ではゲート電圧によって2次元電子密度を連続的に変化させることによって金属絶縁体転移領域を調べることができる.本実験では低温の磁気抵抗をゲート電圧(電子密度)および磁場角度の関数として詳細に測定した.電子の軌道運動のランダウ量子化は2次元面に垂直な磁場に支配され,電子スピンのゼーマンエネルギーは全磁場によって決まることから,磁場の角度を変化させることによって両者の効果を分離することができる.

学位申請者は,金属相において観測される通常のシュブニコフ・ドハース効果が,金属絶縁体転移の絶縁体相においてもある程度その痕跡を残すという特異な現象を発見した.すなわちランダウ準位充填率ν=4に対応する抵抗極小構造が高抵抗の絶縁体相においても観測される.この領域では電気抵抗から見積もられる散乱緩和時間の逆数がサイクロトロンエネルギーよりも大きいと考えられるため,通常の考え方からすると磁気量子効果が観測されることは理解しがたい.この点に関して,後述のサイクロトロン共鳴実験でその機構が追求された.

金属絶縁体転移近傍でスピン磁化率が発散的なふるまいをするという報告があり,議論を呼んでいた.これに関して学位申請者は金属絶縁体転移を挟んだ磁気抵抗振動の解析から,ゼロ磁場下での絶縁体相において自発的なスピン偏極は起きていないことを結論付けた.この結果は,論争に対して明瞭な決着をつけるものと評価することができる.

Si/SiGeヘテロ構造試料のサイクロトロン共鳴

絶縁体相においても磁気抵抗振動効果が観測されるという新奇な現象の原因を探るには磁場中の電子散乱に関する知見を得ることが鍵となるとの発想のもとに,学位申請者はサイクロトロン共鳴実験を行った.Si-MOSFET試料ではゲート電極の影響等によってサイクロトロン共鳴実験が行えなかったため,Si/SiGeヘテロ構造試料を用いた実験を行った.さらに,ボロメーターを用いる通常の手法が困難であったことから,試料の抵抗変化自体をボロメーターとして利用する手法を考案し,サイクロトロン共鳴の観測に成功した.共鳴線幅の解析から見積もられた磁場中の散乱時間τは,電子移動度から求められた散乱時間τ0とは一般に異なる.金属相ではτ<τ0という通常のふるまいであるが,金属絶縁体転移に近づくにつれてτ〜τ0となる.学位申請者は,この傾向を外挿すると絶縁体相ではτ>τ0となる可能性があると指摘し,絶縁体相における磁気抵抗振動効果の存在はこの傾向を反映したものとの考え方を提示した.

以上のように,本研究は強相関2次元の金属絶縁体転移の本質,特にスピン状態に関して重要な知見を得たものと認められる.学位申請者が実験装置の立上げをゼロから行った上での成果であることも評価される.本論文の中核をなす研究内容は指導教官らとの共著論文として学術誌に印刷公表ないしは公表予定であるが,実験の遂行および結果の解析の大部分は論文提出者が主体となって行なったものと判断される.

したがって,博士(理学)の学位授与に値するものと認める.

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